↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
7/7

7話 勇者の息子

神聖ヴェルディア王国、王都セレスティア。


 貴族街の北部に建つヴァルハルト家の屋敷には、朝早くから剣を振る音が響いていた。


「はあっ!」


 白銀の刃が朝日を受けて輝く。


 剣を振るっているのは、テオドール・ヴァルハルト。


 二十一歳。


 灰金色の短い髪に、父親譲りの澄んだ青い瞳。整った顔立ちには、真面目さと青年らしい爽やかさが漂っている。


 白を基調とした騎士風の上着に、銀色の胸当てと肩当て。襟元にはヴァルハルト家の紋章が刺繍され、腰には青い革ベルトを巻いていた。


 手に握るのは、長剣《クラリス》。


 銀色の柄には青い宝石が埋め込まれている。


「《光刃連閃》!」


 テオドールが踏み込む。


 剣に白い光が宿り、連続した斬撃が訓練用の人形へ襲いかかった。


 最後の一撃で、人形が真っ二つに割れる。


「……まだだ」


 テオドールは額の汗を拭った。


「父上なら、もっと速く斬れるはずだ」


「精が出るな、テオドール」


 背後から、穏やかな声が響いた。


「父上!」


 振り返ると、一人の男性が立っていた。


 ローデリック・ヴァルハルト。


 四十七歳。


 金色の髪に鋼青色の瞳を持つ、魔王討伐の英雄。


 白いシャツに紺色の上着をまとい、腰には聖剣を携えている。


「今朝も訓練か」


「はい! 少しでも父上に近づきたくて」


 ローデリックは微笑んだ。


「剣筋は悪くない。だが、お前は少々前へ出すぎる」


「……はい!」


 テオドールは素直に頷く。


 彼にとって父親は、何よりも尊敬する存在だった。


 幼い頃から聞かされてきた魔王討伐の物語。


 人々を守り、世界へ平和を取り戻した勇者。


 いつか自分も、父のような英雄になりたい。


 それが、彼の夢だった。


「父上。一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」


「何だ?」


「黒冠の悪魔についてです」


 その瞬間、ローデリックの表情が変わった。


「……ヴァレイン・クロイツか」


「はい」


 テオドールは拳を握る。


「あの男は王宮へ侵入し、父上の肖像画を破壊したと聞きました」


「…………」


「そればかりか、英雄たちへ宣戦布告したとも」


 ローデリックは黙っていた。


「父上。なぜ、あのような犯罪者を放置しているのですか?」


「テオドール」


 父親の声が低くなる。


「あの男には関わるな」


「……なぜですか?」


「危険な男だ」


「だからこそ、私が――」


「やめろ」


 普段は温厚な父親の厳しい声。


 テオドールは驚いた。


「……父上?」


 ローデリックは一瞬、何かを言いかけた。


 しかし、すぐに視線を逸らす。


「お前には、まだ早い」


 その言葉が、テオドールの胸に突き刺さった。


 父親に認められたい。


 自分にも、人々を守る力があると証明したい。


 その思いは、ますます強くなっていった。


     *


 その夜。


 テオドールは自室で一枚の報告書を読んでいた。


『悪の晩餐会《ノクス・バンケット》』


『首領――ヴァレイン・クロイツ』


『通称――黒冠の悪魔《ノクス・レガリア》』


 王宮襲撃事件。


 貧民街の支配。


 王国軍との衝突。


 報告書には、数々の事件が記されていた。


「……これ以上、好き勝手にはさせない」


 テオドールは報告書を閉じる。


 壁には、幼い頃に父から贈られた木製の剣が飾られていた。


『剣とは、人を傷つけるためではなく、守るために振るうものだ』


 父は、そう教えてくれた。


 ならば今こそ、その教えを実践するときではないか。


「……私が必ず捕らえてみせる」


 テオドールは《クラリス》を手に取った。


 父親の名誉を守るため。


 そして、王国の平和を守るため。


 青年は、単身で悪魔の領域へ向かうことを決意した。


     *


 翌日の午後。


 テオドールは王都南西部の旧市街《灰色区》へ足を踏み入れた。


「……ここが」


 古い建物が立ち並び、細い路地が複雑に入り組んでいる。


 しかし、彼が想像していたほど荒れてはいなかった。


 修復された家屋。


 食料を運ぶ住民。


 広場では子どもたちが笑っている。


「……犯罪組織が支配する街のはずでは?」


 テオドールは首を傾げた。


 近くにいた老人へ声をかける。


「失礼。この辺りに、悪の晩餐会の拠点はありますか?」


 老人の表情が変わる。


「……何の用だ?」


「私はテオドール・ヴァルハルトと申します」


「ヴァルハルト……?」


 老人が目を見開いた。


「勇者様の息子か!」


 周囲の住民たちがざわめく。


「勇者様の息子だって?」


「本物なのか?」


 しかし、誰もが歓迎しているわけではなかった。


 顔を曇らせる者。


 子どもを抱き寄せる母親。


 不安そうに視線を逸らす商人。


 その反応に、テオドールは戸惑う。


(……なぜだ?)


 父は世界を救った英雄だ。


 その息子だと名乗れば、人々は安心するはずだった。


 だが、ここでは違う。


「……あんた、また軍を連れてくるつもりじゃないだろうな」


 老人が尋ねた。


「いいえ。私は一人です」


「そうか……」


 老人は小さく息を吐く。


「あの連中に会いたいなら、東の旧倉庫へ行きな」


「ありがとうございます!」


 テオドールは頭を下げ、歩き出した。


     *


 旧倉庫の扉を開けると、中は静まり返っていた。


「……誰かいるのか?」


「いらっしゃーい!」


 突然、背後から明るい声が響く。


 振り返ると、白髪の青年が立っていた。


 フィン・アルカナ。


 十九歳。


 少し乱れた白い髪に、青緑色の瞳。


 黒と紫を基調とした魔導師風の上着をまとい、腰には魔導カードを収めた革製のベルト。


 口元には、いたずらっぽい笑みを浮かべている。


「君が勇者様の息子?」


 テオドールは剣の柄に手をかけた。


「……誰だ?」


「僕? ただの案内人だよ」


 フィンは楽しげに笑う。


「ボスに会いたいんでしょ?」


「ヴァレイン・クロイツはどこだ!」


「そんなに怒らなくてもいいじゃん」


 フィンが指を鳴らした。


 その瞬間。


 倉庫の壁が歪み始めた。


「……何!?」


 何もなかった場所に扉が現れる。


 廊下が無限に続き、天井からは無数の時計が吊り下がっていた。


 《虚構劇場》。


 フィンの幻術能力。


「さあ、勇者の息子様」


 フィンは優雅に一礼する。


「悪魔の舞台へ、ようこそ!」


 テオドールは《クラリス》を抜いた。


「幻術か……!」


 目を閉じ、呼吸を整える。


 父から教わった言葉を思い出す。


『目に映るものだけを信じるな。剣士は、気配を感じ取れ』


「……そこだ!」


 テオドールが剣を振るう。


 白い光が走り、幻の扉が砕け散った。


「おおっ!」


 フィンが目を丸くする。


「やるじゃん!」


 テオドールはさらに進む。


 幻術の迷宮を突破した先には、広い訓練場があった。


 その中央に、一人の男が立っていた。


     *


 銀白色の長い髪。


 血のような深紅の瞳。


 漆黒の軍服風ロングコート。


 高い襟元には銀糸の刺繍が施され、胸元では細い銀鎖が揺れている。


 腰には黒剣《レクイエム》。


 ヴァレイン・クロイツ。


 黒冠の悪魔《ノクス・レガリア》。


「……ほう」


 ヴァレインはゆっくりと振り返った。


「これはまた、随分と懐かしい顔だな」


 テオドールは眉をひそめる。


「……何?」


「いや。父親によく似ている」


 ヴァレインは皮肉げに笑う。


「ローデリック・ヴァルハルトの息子か」


「父上を侮辱することは許さない!」


「随分と親孝行な息子だな」


 ヴァレインは肩をすくめる。


「それで? 俺に何の用だ?」


 テオドールは剣《クラリス》を構えた。


「貴様を討伐する!」


 一瞬の沈黙。


 そして。


「……ははっ!」


 ヴァレインは愉快そうに笑った。


「面白い。実に面白い」


「何がおかしい!」


「いや、失礼」


 ヴァレインは黒剣へ手を伸ばす。


「父親に似て、随分と真っすぐな男だと思ってな」


 黒剣《レクイエム》が抜き放たれた。


「来い、勇者の息子」


     *


「はああっ!」


 テオドールが地面を蹴る。


 《クラリス》が白い光を放った。


「《光刃連閃》!」


 高速の連続斬撃が、ヴァレインへ襲いかかる。


 しかし。


 ガキンッ!


 ヴァレインは黒剣で最初の一撃を受け止めた。


 続く斬撃も、すべて受け流していく。


「……悪くない」


 ヴァレインが呟く。


「だが、まだ甘い」


「くっ……!」


 テオドールは歯を食いしばる。


 さらに踏み込み、剣を振るった。


 縦斬り。


 横薙ぎ。


 鋭い突き。


 しかし、すべて見切られる。


 ヴァレインの動きは、まるで舞踏会で踊っているかのように優雅だった。


「どうした? それで終わりか?」


「まだだ!」


 テオドールは連続攻撃を繰り出す。


 しかし、ヴァレインは冷静だった。


「なるほど。父親の剣を真似ているのか」


「真似ではない!」


「ならば、なぜ次の一撃まで同じなんだ?」


 その瞬間。


 ヴァレインが剣の軌道を変えた。


 ガキィンッ!


 《クラリス》が弾かれる。


「……っ!」


 黒剣の柄が、テオドールの胸元へ叩き込まれた。


「ぐあっ!」


 青年が後退する。


 それでも、剣は離さなかった。


「……まだ、終わっていない!」


 ヴァレインは剣を構えたまま、静かに問いかける。


「なぜ、そこまでして俺を倒したい?」


「貴様が、父上を侮辱したからだ!」


「それだけか?」


「父上は世界を救った英雄だ!」


 テオドールは叫ぶ。


「何も知らない貴様に、父上を悪く言う資格などない!」


 ヴァレインの笑みが消えた。


「……何も知らない?」


 深紅の瞳が冷たく細められる。


「それは、こちらの台詞だ」


「……何?」


「お前は父親の何を知っている?」


「父上は勇者だ! 人々を守り、魔王を討伐した!」


「それ以外は?」


 テオドールは言葉に詰まった。


 ヴァレインは小さく笑う。


「……なるほど」


 そして、静かに告げた。


「お前は父親の英雄としての姿しか知らないらしい」


「黙れ!」


 テオドールは最後の力を振り絞った。


 《クラリス》が強烈な光を放つ。


「《光刃連閃》――最大解放!」


 無数の光の斬撃が、ヴァレインへ迫る。


 しかし、ヴァレインは一歩も退かない。


「……遅い」


 漆黒の剣が閃いた。


 光の斬撃が次々と砕け散る。


 そして。


 ガキィィンッ!


 《クラリス》が弾き飛ばされた。


「なっ……!?」


 次の瞬間。


 ヴァレインは青年の背後へ回り込み、足を払った。


 ドサッ!


 テオドールが床に倒れる。


 その首元に、黒剣《レクイエム》の刃が突きつけられた。


「……終わりだ」


 冷たい声。


 テオドールは息を呑んだ。


     *


 ヴァレインは倒れた青年を見下ろす。


「随分と立派な剣だったな」


 テオドールは歯を食いしばった。


「……殺せ」


「何?」


「敗れた以上、覚悟はできている!」


 ヴァレインは小さくため息をついた。


「……馬鹿な男だ」


 そして、右手を持ち上げる。


 ――ジャラリ。


 黒い霧の中から、漆黒の鎖が現れた。


「……っ!」


 テオドールは身構える。


 しかし。


 鎖は彼の身体に触れる直前で動きを止めた。


 そして、力を失ったように崩れ落ちる。


 ヴァレインは目を細めた。


「……やはりな」


「何だ……今のは?」


「《罪喰い》」


 ヴァレインは静かに告げる。


「人間の罪を、鎖として具現化する能力だ」


「……罪?」


「ああ。だが、お前には反応しない」


 テオドールは言葉を失う。


 ヴァレインは黒剣を持ち上げた。


 青年は目を閉じる。


 しかし、刃が振り下ろされることはなかった。


 カチン。


 黒剣が鞘へ納められる。


「……何?」


 テオドールが目を開ける。


 ヴァレインは背を向けていた。


「帰れ」


「……なぜだ?」


「何が?」


「なぜ、私を殺さない!?」


 ヴァレインは足を止めた。


 そして、ゆっくりと振り返る。


「父親の罪は、お前の罪じゃない」


 テオドールは息を呑む。


「……父上の、罪?」


「そうだ」


 ヴァレインは静かに続ける。


「お前が何も知らず、父親を尊敬していることまで罪にはならん」


「父上が罪を犯したと言うのか!?」


「ああ」


 ヴァレインは即答した。


「だが、その罪をお前に背負わせるつもりはない」


「……ふざけるな!」


 テオドールが叫ぶ。


「父上は英雄だ! そんなはずがない!」


 ヴァレインは冷たく笑った。


「ならば、その英雄様に直接聞いてみるんだな」


「……何を?」


「父親が何を守り、何を犠牲にしたのかを」


 テオドールは言葉を失った。


 ヴァレインは静かに告げる。


「父親を尊敬するのは勝手だ。だが、その正義まで無条件に信じるな」


「……貴様に、何が分かる」


「そうだな」


 ヴァレインは小さく笑った。


「少なくとも、お前よりは知っている」


     *


「フィン」


「はーい!」


 壁際から、フィンが姿を現した。


「こいつを外まで案内しろ」


「えー、もう帰しちゃうの?」


「ああ」


「せっかくの勇者様の息子なのに?」


「二度言わせるな」


「はいはい」


 フィンは肩をすくめる。


「じゃあ、お客さん。出口はこちらでーす」


 テオドールは悔しそうに拳を握った。


「……覚えていろ、ヴァレイン・クロイツ」


 ヴァレインは笑った。


「その言葉は、俺より父親に向けたほうがいい」


「……何?」


 しかし、ヴァレインは答えなかった。


 テオドールは落ちていた《クラリス》を拾い、鞘へ納める。


 そして、出口へ向かおうとした。


 そのとき。


「……テオドール」


 背後から声が響いた。


 青年は振り返る。


「何だ?」


 ヴァレインは静かに問いかけた。


「エルムガルドという街を知っているか?」


「……エルムガルド?」


 テオドールは眉をひそめた。


 聞いたことのない地名だった。


「知らない」


「そうか」


 ヴァレインは小さく笑う。


「十年前、王国の北方に存在した街だ」


「……十年前?」


「ああ」


 深紅の瞳が冷たく光る。


「魔王が討伐された年にな」


 テオドールは息を呑んだ。


「その街が、どうしたというんだ?」


 ヴァレインは静かに答えた。


「消えたんだよ」


「……消えた?」


「建物も、人間も、記録も。すべてな」


 テオドールは言葉を失った。


 ヴァレインは背を向ける。


「父親に聞いてみろ」


 そして、最後に告げた。


「十年前、エルムガルドで何があったのかをな」


 テオドールはその場に立ち尽くした。


 エルムガルド。


 聞いたことのない街。


 父親の罪。


 そして、悪魔が自分を殺さなかった理由。


 そのすべてが、彼の中に疑問として残った。


「……父上」


 小さく呟く。


 今まで一度も疑ったことのない存在。


 世界を救った英雄。


 尊敬する父親。


 その背中に、初めて知らない影が見えた気がした。


 やがて、フィンが軽い調子で声をかける。


「さあ、勇者の息子様。帰ろっか」


 テオドールは何も答えなかった。


 ただ、ヴァレインの背中を見つめていた。


 彼が信じてきた父親は、本当に正義の英雄なのだろうか。


 その疑問は、まだ小さなものだった。


 しかし、一度生まれた疑問は、簡単には消えない。


 そして、その答えを知る日が、やがて訪れる。


――第7話「勇者の息子」完。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。