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家系ラーメンが好きすぎて、擬人化してしまった!?  作者: 源三郎


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第25話 おいしいを隠さない約束

岐阜タンメンを食べ終えた後、メンちゃんは少し静かになる。


怒っているのではなく、考えている。


主人公が家系以外をうまいと言うこと。


それを怖いと思う気持ち。


でも、隠されるのはもっと嫌だという気持ち。


今回は、家系の外へ出た旅の、前半の締めくくり。


おいしいを隠さないための約束と、まだ名前のつかない関係にふれる回です。

岐阜タンメンを食べ終えた後、メンちゃんは少し静かだった。


怒っているわけではない。


機嫌が悪いわけでもない。


ただ、考えている。


その顔を見れば分かる。


ラーメンのことを考えている時のメンちゃんは、目が職人みたいになる。


主人公のことを考えている時のメンちゃんは、袖をつまむ指に力が入る。


今は、その両方だった。


「ご主人様」


「何だ」


「たんめちゃん、いい子だった」


「そうだな」


「野菜の人数で押してきたけど」


「まだ言うのか」


「でも、逃げじゃなかった」


メンちゃんはノートを開く。


岐阜タンメン体験。


そのページには、すでに彼女の字でいくつか書き込みがある。


野菜は逃げじゃない。


明日も食べるための準備。


にんにくは最初からいる幼なじみ。


米は平和。


最後の一行だけ、少し大きい。


「米の主張が強い」


「大事だから」


「今日の主役はタンメンだぞ」


「米は脇役として優秀」


「家系以外でも米への信頼は揺るがないな」


「揺るがないものも必要」


その言葉に、俺は少し黙った。


揺るがないもの。


家系ではない味を食べた後だからこそ、妙に響いた。


焼津の魚介。


岐阜のタンメン。


どちらも、うまかった。


家系とは違う。


違うから、うまかった。


だが、違うものをうまいと思った時、メンちゃんの中で何が揺れるのか。


俺はまだ、全部は分かっていない。


帰りの電車まで少し時間があった。


俺達は駅近くのベンチに座った。


メンちゃんは巾着から、小さなメモを取り出した。


「何だそれ」


「深追い防止表」


「何の深追いだ」


「スープ」


「表にするな」


「辛味足したから、レンゲが進みすぎる可能性がある」


「俺のレンゲを信用してくれ」


「信用してる。でも、胃袋は時々裏切る」


「名言みたいに言うな」


「長く好きでいるために」


その言葉は、もう何度も聞いた。


でも、聞くたびに少しずつ意味が変わっている。


最初は、健康診断が怖くて出た言葉だった。


次に、家系の日を選び直すための言葉になった。


休日巡礼では、他の家系を好きでいるための距離になった。


今は、家系ではない味まで含めて、好きでい続けるための言葉になろうとしている。


「メンちゃん」


「何?」


「今日のタンメン、うまかった」


メンちゃんは深追い防止表をたたむ手を止めた。


「うん」


「ちゃんと言う」


「うん」


「でも、お前に隠して食べたい味じゃない」


メンちゃんが顔を上げる。


岐阜の明るい空が、彼女のこはく色の瞳に映っていた。


その瞳の奥で、何かが小さく揺れた。


前のメンちゃんなら、ここで反応が濃くなったかもしれない。


湯気を盛って、視界を奪うとか。


でも、今日は違った。


メンちゃんは巾着の中に手を入れて、水筒を取り出した。


そして、無言で俺に差し出す。


「何だこれ」


「水」


「なんで今」


「辛味足したから」


「深追い防止表の話だよな、それ」


「飲んで」


俺は受け取って、一口飲んだ。


ぬるくなりかけの、けれど確かに冷たい水だった。


不思議だった。


さっき、俺は「隠したくない」みたいな重い言葉を言ったのに。


メンちゃんは怒鳴らなかった。


拗ねもしなかった。


ただ、水を渡した。


「メンちゃん」


「何?」


「怒らないのか」


「怒らない」


「ちょっと意外だ」


メンちゃんは水筒のふたを閉め直しながら、小さく言った。


「たんめちゃんが言ってた」


「何て」


「整えるって、薄めることじゃないって」


「ああ」


「だから、水を渡すのは、薄めるためじゃない」


彼女は俺を見た。


「ご主人様が、次もちゃんとおいしいって言えるように」


俺は水筒を握ったまま、少し黙った。


もう、俺の「うまい」を奪おうとしていない。


俺が「うまい」を長く言い続けられるように、隣で水を渡している。


それは、たぶん、彼女なりの一番強い抵抗の仕方だった。


「もし俺が」


俺は言葉を選ぶ。


「お前が不安になるからって、他の味をうまいと思っても黙るようになったら」


説明しすぎない。


でも、ここは言わないと伝わらない。


「それは、たぶん違う」


メンちゃんは黙って聞いている。


「お前に気を遣って、うまいを隠す。そうすれば、お前は傷つかないように見えるかもしれない」


「うん」


「でも、それは俺が本当に食べてないことになる」


「食べてるのに?」


「味を隠したら、半分食べてないのと同じだ」


メンちゃんは、少しだけ目を伏せた。


その理屈は、彼女にも分かるはずだ。


メンちゃんは、俺の「うまい」で温まる。


本心じゃない言葉じゃ、彼女は満たされない。


なら、本心を隠すのも同じことだ。


彼女を遠ざけてしまう。


「ご主人様」


「何だ」


「他の味をおいしいって言うの、怖い」


「うん」


「でも、言わないのも嫌」


その声は、小さかった。


でも、はっきりしていた。


「ご主人様が本当はおいしいって思ってるのに、私の前で普通って言ったら」


メンちゃんは巾着の紐を両手で持つ。


「その普通は、薄い」


俺はうなずいた。


「薄いな」


「家系ヒロインとして、薄いのは困る」


「そこに戻るのか」


メンちゃんは少し笑った。


その笑いで、空気が少しだけ軽くなる。


「だから」


彼女は続ける。


「おいしい時は、おいしいって言って」


「いいのか」


「いい」


「焼津の魚介も」


「うん」


「岐阜のタンメンも」


「うん」


「これから出会うかもしれない味も」


メンちゃんは一瞬だけ迷った。


だが、うなずいた。


「うん」


「その代わり」


「代わり?」


メンちゃんが俺を見る。


「言う時、私を置いていかないで」


その言葉で、焼津へ向かう前夜が戻ってきた。


連れていけない。


俺が言った言葉。


メンちゃんが黙って受け止めた言葉。


焼津の遠い駐車場。


双眼鏡。


一口目の顔を見たかった、という彼女の願い。


「分かった」


俺は言った。


「うまいって言う時は、お前にも聞こえるように言う」


「うん」


「隣にいない時は、帰ってからちゃんと話す」


「うん」


「ノートにも書く」


「字、丁寧に」


「そこは譲らないんだな」


メンちゃんは少し得意げにうなずいた。


それから、急に真剣な顔になって、巾着からもう一枚メモを取り出した。


「何だ、まだあるのか」


「家系法度・第百八条」


「番号、飛びすぎだろ」


「大事な条ほど、番号は大きい」


彼女はペンを構えて、こう書いた。


おいしいを、隠すべからず。


「……それ、法度なのか」


「約束を、法度の形にしておくと消えない」


「重いな」


「家系の掟は、だいたい重い」


俺は少しだけ笑った。


でも、その一条は、悪くない気がした。


その時、俺のスマホが震えた。


会社用ではない。


個人のメッセージだった。


画面を見ると、昼休みに巡礼ノートを見た後輩からだった。


先輩、岐阜どうでした?


彼女さん、喜んでました?


俺はとっさに画面を伏せようとした。


遅かった。


メンちゃんは、ラーメン関連の文字だけじゃない。


自分に関係しそうな文字にも、妙に鋭い。


「ご主人様」


「何だ」


「彼女さん」


「見えたか」


「見えた」


さっきまでの空気が、少し変わった。


食べ物の話ではない。


うまいを隠すかどうかでもない。


メンちゃんはスマホではなく、俺を見ている。


「後輩に、そう聞かれた」


俺は言った。


「ノートを見られて」


「ノート」


メンちゃんの声が、少しだけ裏返る。


「どこを」


「焼津のページと、岐阜のページ」


「双眼鏡のところ?」


「そこもたぶん」


「濃度を下げておけばよかった」


「そこか」


メンちゃんは一度うつむいた。


笑いに逃げようとして、逃げきれない顔だった。


けれど、今度も湯気は暴れなかった。


不安な時ほど、彼女はもう濃さで殴り返さない。


「それで」


「うん」


「ご主人様、何て言ったの」


俺は少し黙った。


ここでごまかすと、さっき決めたばかりの約束が薄くなる。


おいしいを隠さない。


その時、メンちゃんを置いていかない。


たぶんそれは、味だけの話ではない。


「彼女だとは言ってない」


メンちゃんの肩が、ほんの少し下がった。


俺は続けた。


「でも、ただのラーメンだとも言えなかった」


メンちゃんが顔を上げる。


「じゃあ」


「大事なやつと行く、って言った」


メンちゃんは動かなかった。


風が、岐阜の駅前をもう一度抜ける。


野菜の湯気はもう薄い。


それでも、彼女の髪からは家系の香りがしていた。


「大事なやつ」


「ああ」


「ラーメンとして?」


「それだけじゃない」


「妖精として?」


「それだけでもない」


「じゃあ、何」


答えは、すぐには出なかった。


恋人。


同居人。


相棒。


家系ラーメンの化身。


帰り道に隣にいてほしい相手。


どれも少し合っていて、どれも少し足りない。


「まだ、ちゃんと名前をつけられない」


俺は言った。


「でも、名前がつくまで大事じゃない、ってことにはしたくない」


メンちゃんは、ゆっくりまばたきをした。


「ご主人様」


「何だ」


「それ、説明としては薄い」


「すまん」


「でも」


メンちゃんは巾着の紐を握り直した。


「味は濃い」


「何の味だ」


「今の言葉」


俺は何も言えなくなった。


メンちゃんの頬が、少しずつ赤くなる。


照れているのか、泣きそうなのか、怒っているのか。


たぶん、全部少しずつだった。


「じゃあ、ノートに書いて」


「何を」


「大事なやつ」


「そのまま?」


「そのまま」


「字は」


「丁寧に」


やっぱりそこは譲らない。


そこへ、湯気がふわりと漂った。


店からは離れている。


それでも、野菜と塩気の香りが一瞬だけベンチの前に立った。


たんめちゃんが、そこにいた。


完全な姿ではない。


湯気の輪郭。


白と緑。


赤い辛味の差し色。


彼女は、少し満足そうに笑っていた。


「いい約束だね」


メンちゃんが少し身構える。


「聞いてた?」


「湯気だから」


「便利」


「家系の暖簾も似たようなことするでしょ」


「う」


メンちゃんは言い返せなかった。


たんめちゃんは、水筒を持った俺の手を見た。


「その水、渡したの、メンちゃんだ」


「そうだけど」


「濃くしないで、水を渡した。えらいね」


メンちゃんは照れたように顔をそむけた。


「別に。整えただけ」


たんめちゃんは、うれしそうにうなずいた。


それから、俺を見る。


「お兄さん、今日の一杯、どうだった?」


「うまかった」


俺は迷わず言った。


それから、メンちゃんを見た。


「隠したくないくらい」


メンちゃんの顔が赤くなる。


「ご主人様」


「何だ」


「言い方」


「駄目か」


「濃い」


「家系ヒロインに言われると説得力がある」


たんめちゃんが笑った。


「濃いだけが元気じゃないけど、濃い言葉が必要な時もあるよね」


「たんめちゃんまで」


メンちゃんは両手で顔を隠す。


その仕草が、少し前より柔らかい。


たんめちゃんは、メンちゃんへ向き直った。


「ねえ、メンちゃん」


「何」


「長く好きでいてほしいなら、整える日も必要。でも」


彼女は、そこで少しだけ声を静かにした。


「整えるって、薄めることじゃないよ」


メンちゃんの手が、顔から少し離れる。


「薄めることじゃない」


「うん。次にちゃんと濃く味わうために、体と気持ちを戻すこと」


たんめちゃんの湯気が、風に揺れる。


「野菜も、水も、普通の日も。全部、好きが続くためにある」


メンちゃんはゆっくりうなずいた。


「私、止め時を見つける」


「うん」


「でも、おいしいは止めない」


「うん」


「無茶は止める」


「それがいいと思う」


メンちゃんは真剣な顔で、俺を見る。


「ご主人様、聞いた?」


「聞いた」


「おいしいは止めない。無茶は止める」


「了解」


「スープ全飲みは?」


「無茶寄り」


「よし」


「即答だな」


たんめちゃんは楽しそうに笑った。


その笑い方は、しおなちゃんとは違う。


しおなちゃんは朝の光みたいに笑った。


たんめちゃんは、昼の湯気みたいに笑う。


どちらも、家系ではない。


でも、どちらも俺達に何かを残していく。


「じゃあ」


たんめちゃんは、湯気の輪郭を少し薄くしかけた。


けれど、途中で止めた。


「……最後に、一つだけ」


声の温度が、少し変わった。


昼の湯気みたいな明るさの下に、真剣な芯が見える。


「名古屋に、優しく起こさない子がいる」


メンちゃんの目が、警戒で細くなる。


「優しく、起こさない」


「うん。あの子は、叩き起こすタイプ」


「叩き起こす」


メンちゃんは真剣に繰り返した。


「私は野菜で、ゆっくり起こす方。しおなちゃんは、朝の光で起こす方。でも、あの子は違う」


たんめちゃんは、自分の湯気の赤い差し色を、指先で示した。


「赤い湯気の子。台湾ラーメン」


名前だけは知っている。


名古屋生まれの、ひき肉と唐辛子がどっさりのった激辛ラーメンだ。


その名前だけで、舌の奥に辛さの予感が走った。


「にんにくは」


メンちゃんが低い声で聞く。


「いるよ」


「どのタイミング?」


「最初から告白するタイプ」


メンちゃんが固まった。


「最初から告白」


「隠す気が、一切ない」


俺は巾着を見る。


メンちゃんも巾着を見る。


たんめちゃんは、今度は笑わなかった。


「言っておくけど、私は勧めてないからね」


「勧めてない?」


「警告してるの。会いに行くなら、覚悟してね」


警告。


しおなちゃんは、次の味をそっと指さしてくれた。


たんめちゃんも、同じように背中を押すのだと思っていた。


でも、これは道案内じゃない。


注意報だった。


たんめちゃんは、ふと西の空の方へ目をやった。


「それにね、麺妖精の間で噂が流れてるの。西で、白い湯気が動き始めてるって」


「白い湯気?」


「私も詳しくは知らない。ただ——赤い子なら、何か知ってるかも」


「ご主人様」


「何だ」


「予備の心、増やす」


「そこからか」


「あと米」


「やっぱり米か」


「叩き起こされるなら、米の同席は礼儀」


たんめちゃんが、そこでようやく声をあげて笑った。


「うん、その備え方でいい。それにね」


彼女はメンちゃんを見た。


「水を渡せるメンちゃんなら、叩き起こす子の前でも大丈夫」


メンちゃんは、少しだけ胸を張った。


「水は、渡せる」


湯気が風にほどける。


彼女の輪郭は、少しずつ薄くなっていく。


だが、消えるという感じではない。


店の方へ戻っていく。


野菜の甘みと塩気として。


次に誰かの体を整える一杯として。


「またね」


たんめちゃんは言った。


「明日も食べるために、今日はちゃんと帰ってね」


「うん」


メンちゃんが答えた。


「帰る」


電車の時間が近づいていた。


俺達は駅へ向かう。


ノートには、岐阜のページが増えた。


焼津の朝。


岐阜の野菜湯気。


家系ではない二つの印。


鞄の中の暖簾の端は、静かに温かい。


拒まない。


混ざらない。


隣に並ぶ。


メンちゃんは歩きながら、俺の袖を少しだけつまんだ。


「ご主人様」


「何だ」


「今日、たんめちゃんのこと、好き?」


古暖屋の帰り道と似た質問だった。


こはるの時と同じ。


だが、少し違う。


相手は家系ではない。


別ジャンルの麺妖精だ。


俺は正直に答える。


「好きだな」


メンちゃんの頬が少し膨らむ。


「この一杯も?」


「好きだ」


「しおなちゃんの魚介も?」


「好きだ」


「家系以外も堂々と言う」


「言う」


俺は立ち止まった。


「でも、隠さず言いたい相手はお前だ」


メンちゃんの目が丸くなる。


言ってから、少し恥ずかしくなった。


濃い言葉が必要な時もある、というたんめちゃんの声が頭の中で響く。


必要だったかどうかは分からない。


でも、今は言った方がいい気がした。


メンちゃんは顔を赤くして、袖をつまむ力を強める。


けれど、そのもう片方の手は、水筒に伸びかけて、途中でやめた。


「今は、いい」


「何が」


「水。ご主人様、今は整えなくていい顔してる」


「どんな顔だ」


「ちゃんと、おいしいを隠してない顔」


俺は、何も言えなくなった。


「ご主人様」


「何だ」


「字、丁寧に」


「今その話か」


「今日のこと、保存するから」


「保存するな」


「ノートなので」


駅のホームに、電車が入ってくる。


俺達は並んで乗った。


今度は、最初から最後まで隣だった。


焼津の時みたいに、遠くの駐車場から見ていたわけではない。


同じ列に並び、同じ湯気を浴び、同じ一口目の顔を覚えた。


メンちゃんは窓の外を見ながら、巾着を俺に渡す。


「予備の心」


「ありがとう」


「次は名古屋?」


「まだ決めてない」


「警告されたのに、気になる顔してる」


「気になるな」


「辛い子」


「辛い子」


「最初から告白するにんにく」


「そこに引っかかってるのか」


メンちゃんは真剣にうなずいた。


「確認が、必要」


「また外交か」


「今度は、辛味会談」


俺は笑った。


電車が岐阜を離れる。


巡礼ノートの新しいページには、まだ書ききれていないことがたくさんある。


でも、一番大事なことはもう決まっていた。


おいしいを隠さない。


その時、メンちゃんを置いていかない。


そして、不安な時は怒鳴らず、水を渡す。


それが、家系の外へ出て最初の約束になった。


その夜、家の扉を開けた瞬間、空気が違った。


台所の方に、赤い湯気の気配が残っている。


メンちゃんの湯気じゃない。


あの落ち着く豚骨醤油の濃さじゃなくて、もっと鋭くて、攻めてくる気配だ。


「ご主人様、下がって」


「お前が下がれ」


言い合いながら二人で台所をのぞくと、誰もいなかった。


鍋も、火にかかっていない。


ただ、テーブルの上に一枚、紙が置かれていた。


食券だった。


どこの店のものかは分からない。


縁だけが、唐辛子の赤に染まっている。


メンちゃんが慎重につまみ上げ、裏を返す。


字が、あった。


逃げたら、味は分からないよ。


差出人の名前はない。


でも、鼻が先に答えを出していた。


唐辛子と、にんにくの香り。


最初から告白するタイプの、遠慮のない香りだった。


「名古屋の子」


メンちゃんがつぶやく。


「向こうから来たのか」


たんめちゃんの警告が、頭の中でもう一度鳴る。


会いに行くなら、覚悟してね。


会いに行くかどうか迷う段階は、たった今、向こうの手で終わらされたらしい。


メンちゃんは食券をノートに挟んだ。


「保存するのか、それ」


「辛味会談の、招待状」


言いながら、巾着の紐を握る手は真剣だった。


おいしいを隠さない、と約束したその日に。


逃げるな、と書いた札が届いた。


約束は、さっそく試されようとしている。


赤い湯気の子は、待っていてはくれないらしい。

主人公とメンちゃんは新しい約束をした。


おいしいを隠さない。


その時、メンちゃんを置いていかない。


さらに、後輩からの「彼女さん」という一言で、主人公はメンちゃんをどう呼べばいいのか考えることになる。


まだ恋人とは言い切れない。


でも、ただのラーメンとも言えない。


名前がつく前から、大事なものは大事。


焼津の魚介も、岐阜のタンメンも、家系とは違う形で主人公の中に残った。


でも、それはメンちゃんが薄まることではない。


次は名古屋。


たんめちゃんが警告してくれた、赤い湯気の子。


しかも、約束したその日に、向こうから挑戦状が届いてしまいました。

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家系ラーメンを愛しすぎた男と、ラーメンの化身・メンちゃんの物語。
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