第四話 妻の手を返してもらえますか
ヴィオレットが王宮を去って、最初の朝が来た。
執務室へ入ると、机の上に紅茶が置かれていた。侍女の手ではなく、夫が自分で運んだのだとすぐわかった。
隣の椅子に座って書類を読んでいた夫が、私に気づいて立ち上がる。
「おはよう」
「……殿下は、ご自分の執務室がおありでは」
「ある。だが今日は、君のところで仕事をしようと思って」
「なぜ」
「一緒にいたい」
あまりにも率直だったので、返事に詰まった。
「……ご迷惑でなければ」
「ありがとう」
一語一語に、ひどく力が入っている。
それから夫は、毎朝私の執務室へ来るようになった。
最初は「今日も一緒にいていいか」と確認していたが、私が断らないとわかると、やがて「おはよう」だけで椅子に座るようになった。
邪魔にはならない。それどころか、私が手を伸ばすより先に書類を取り、立ち上がる前に扉を開ける。
「殿下、それはわたくしの——」
「手が届かなさそうだったから」
棚の上段に置かれた本を差し出しながら、何でもない顔をした。
侍女たちが、こっそりと肩を竦め合っているのを私は見た。
夜会では、以前から隣に立つようになっていた。
が、今は違う。他の貴族が私に話しかけるたびに、さりげなく一歩踏み出してくる。
ある夜、年若い侯爵が私の手を長く握りすぎた時には、穏やかな声で言った。
「妻の手を返してもらえますか」
剣を抜くでも怒鳴るでもない。ただ、静かに。侯爵は真っ赤になって謝った。
「よろしかったのですか、あのような言い方では」
「何が?」
「妻の手を返せ、などと公の場で」
「事実を述べただけだ」
本当に何でもない顔をしていた。
宮廷では噂が立ち始めた。
「王太子殿下は最近、妃殿下にべったりですわね」
「以前とはまるで別方だ」
侍女たちはもう、殿下が今日も来るかどうかを朝から賭けていた。
先日の夜会では、夫が十五分おきに私のそばへ戻ってくるのを、侯爵令嬢たちが数えていた。
「殿下は、もう少しご自分の社交をなさってください」
「君のそばが一番、居心地がいい」
「周りが困っています」
「周りのためではなく、君に嫌われたくないから気をつける」
「今のは嫌われないための行動ではなかったのでは?」
「精進する」
それきり、十一分で戻ってきた。四分縮まっていた。
ある夜、執務室へ書類を取りに戻ると、机の上に小さな紙切れが置かれていた。
——明日の朝食、一緒にどうだろう。断ってくれても構わない。(レオナール)
断ってくれても構わない、とわざわざ書いてある。
侍女に見られたくなくて、引き出しの奥にしまった。
翌朝、朝食の間へ行った。
「来てくれたのか」
「お誘いがありましたので」
「本当に来てくれるとは思っていなかった」
「断ってくれても構わないと書いたくせに、なぜそんなに驚くのですか」
また笑ってしまった。彼も、釣られたように笑った。
こんな顔をする人だったと、久しぶりに思い出した。
廊下を並んで歩いた帰り道、手がそっと伸びてきた。
「触れても?」
三度目の問い。最初の二度は「今日は、まだ」と断った。それでも問い続ける。
「……今日は、許します」
おそるおそる伸びてきた指が、私の手を包んだ。
強く握らず、逃げられる余地を残したまま。
「ありがとう」
ひどく嬉しそうな声だった。いい年をした王太子の顔が、そんな声を出す。
胸の奥で、何かが揺れた。
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