第95話 サフィアの夜市
最初の客は、説明文のない台から、太陽が昇る前の青い空を選んだ。
絵札には魚籠と、荷で塞がった片手、砂除けの布も描かれている。南方の夜市を彩る天幕の下で、絵だけは灯りに照らされず、客自身の指先で一枚ずつ選び取られた。
「魚市で使う、と読めますか」
私がサフィアへ尋ねると、彼女は札を表裏へ返した。
「この辺りの客にはそう見えるでしょう。港を離れれば、漁船へ乗る絵だと思う人もいる。絵にも訛りはあります」
札の裏へ、分からない、意味が違う、通訳を呼ぶという三つの印を足した。説明を理解した顔で商品へ触れる必要はない。違うと思った時には、裏返すだけで試用そのものを止められる。
折り畳み台には、仕事と時刻の絵を置いた。風、湿気、砂、室内。立つ、座る、歩く。右手、左手、両手と、顔や手首を覆う布。砂時計は短い使用、途中で休む使い方、長く続ける仕事を示し、熱色札は青から赤までを指で選べる。痛みや不快には、色とは別の顔の絵を用意した。
客が選ぶ条件は、三候補を試し終えるまで台の溝へ立てておく。右手に荷があるという札を選んだ人へ、途中で荷を下ろすよう求めれば、その時点で白い変更票を足す。品に合わせて客が暮らしを変えなければならないなら、それも試用結果になるからだ。
開場前、私は魚籠の絵を取り、右手へ革袋を下げて客役をした。展示員が出したのは、両手で調整輪を扱う組合せだった。
「右手を空けてください」
「この札を選んだ方は、空けられないのでは?」
展示員は慌てて別の灯芯を出した。左の指だけで点くが、砂除け布を重ねると入力を拾わない。絵を並べただけでは、客の条件をこちらの都合で消す癖まで直らない。
サフィアは展示員へ、選ばれた絵を指差してから商品へ触れる順を何度も繰り返させた。
「通訳はもう要りませんね」
主催者が経費表を持って言った。
「絵が違って見えた時と、返品条件を決める時には要ります」
通訳を消して安くするための台ではない。客が言葉を持たない場面を減らし、必要な時に説明を呼べるようにする。その勤務と賃金も試用費へ残した。
台の中央には、王都人気仕様の《星雫灯》を置いた。強い光を星形に集める灯芯と正面反射笠で、王都では最も多く選ばれている。その左右に、細く長く点く灯芯と、短い入力で立ち上がる灯芯、低い位置へ光を落とす笠、交換式調整輪を並べる。現地の角灯、腕灯、置き灯も、作り手の名と価格を隠さず隣へ置いた。
試用の記録も一枚へ重ねなかった。本人へ返す相性票は白、匿名の集計へ使う選択札は青、購入と保証の履歴は黄。三色を別の箱へ入れる。
「青札を選ばなければ、試す順が後になりますか」
最初の客が通訳へ尋ねた。
「変わりません。白だけで、同じ三候補をお試しいただけます。値段も返品条件も同じです」
客は青を取らなかった。白票は本人が持ち帰り、店には保証へ必要な品番号だけを残す。黄票に必要なのは購入日と保証期限なので、試用した細かな時刻は書かない。同じ時刻を三つの箱へ残せば、名を消しても後から一人へ結び直せるためである。
青札を断った客が試し始めると、集計係が無意識に手を止めた。結果を数字へ入れられないなら、細かな温度を測る必要はないと思ったらしい。サフィアがその手から砂時計を取り、客の前へ戻した。
「白票は、この人が自分の灯りを選ぶために要る。私たちの仕入に使えないからといって、試す時間を短くしないで」
彼女は匿名集計を欲しがっている当人だった。それでも、情報を渡さない客の試用を薄くすれば、青札を差し出すことが試用台へ入るための代金になってしまう。客は三候補すべてを同じ砂時計で試し、白票を自分の袋へしまった。青い箱だけが空のままでも、列は一つ進んだ。
別の客は試用後に青札へ印を置き、箱へ落とす直前で引き戻した。
「妻に相談してからでもいいか」
「もちろん。会期中に戻さなくても、購入や保証は変わりません」
黄票だけを会計へ送り、青札は本人へ返す。集計係は、出すかもしれない札を全体の数に含めず、箱へ実際に入った札だけを数えることになった。
最初の客は、夜明け前の魚市で濡れた値札を読む。右手は籠の取っ手から離せず、左手には砂除け布がある。王都人気仕様を短く起動すると、星の白光が魚の鱗から目へ跳ね返った。客は熱色の赤を選ばず、眩しさの絵を台へ置く。
「これは買わない」
人気仕様が、最初の一人に断られた。
二人目は夜警だった。風の中で長く使うため、強い灯芯の届く距離には惹かれたものの、布の端が反射笠へ触れ、熱を含んだ。低い灯芯も試した後、《王冠百貨商会》の標準灯を選ぶ。星形の美しさより、詰所に交換部品があり、同じ幅の光を保てることが仕事に合った。
三人目は写字机で、細い契約文を長く読む。人気仕様では白い紙そのものが光り、乾く前の黒い線が薄く見えた。細く長い灯芯と低い笠なら読めるため、《星雫灯》は買ったが、王都人気の組合せは戻した。
四人目は祈りの場で、床近くへ短く灯す。正面笠の星は周りまで広がり、隣で目を閉じる人の頬へ入った。現地の置き灯なら、自分の前だけを照らせる。客はそちらを選んだ。
五人目は昼の倉庫で、箱番号を見る時だけ点けたいという。人気灯芯は起動のたび最初の強光を放ち、何度か繰り返すと頭が重くなった。短い入力用の灯芯へ替え、しばらく考えるため購入は保留にした。
六人目は、顔から手首まで厚い布を巻いていた。人気仕様は布越しの微かな魔力を拾わない。展示員が布を外す身振りをすると、客は首を振った。
「灯りのために、仕事の服は替えない」
彼は何も買わず、白票だけを持ち帰った。
七人目は贈り物を探していたが、実際に使う人は来ていない。人気仕様の星を気に入りながらも商品は買わず、三候補を試せる券を選んだ。八人目は古い現地灯を抱えており、新しい灯芯を入れるより、砂の詰まった溝を清掃する方が安く、本人の手にも合った。星雫灯は売れず、現地修理の受領票だけが残る。
九人目は細い灯芯まで試したものの、返品先を家族へ相談すると言って帰った。十人目は星形の光を好きだと笑い、もう一度人気灯芯を点けた。それでも間欠起動のたび目を細め、低い笠と短入力灯芯の再試用を選ぶ。好きな見た目と、今買うことを一緒にはしなかった。
最初の十人は全員、王都で人気商品として並べてきた《星雫灯》を、その仕様のままでは不適合として断った。眩しさ、熱、使う長さ、覆い布、贈る本人の不在、現地品の修理で足りること。十枚の札に書かれた理由は、同じではない。
卸売の商人が十枚を見て、人気仕様を台の奥へ移すよう提案した。正面に不適合が並べば、別の灯芯まで売れなくなるという。出品前に仕入を検討していたため、彼にも損がある。
「返品の多い品だと噂になれば、南方へ持ち込めなくなる」
「今夜の十人へ合わなかったことを隠して持ち込めば、返品は減りません」
私が答えるより先に、サフィアが札の紐を展示台へ結び直した。「ただし、国じゅうで合わないという札にも変えない。この場所、この時間、試した条件を全部付けます」
商人は不満げだったが、細く長い灯芯を選んだ写字人の黄票と、王冠を選んだ夜警の紹介札も確かめた。星雫灯そのものが一つも売れなかったのではない。十人が退けたのは王都人気の組合せだと分かると、彼は別灯芯の仕入見積だけを持ち帰った。大口の予定数は白紙になり、サフィアの買付棚には空きが残る。その空きを花布で覆うことはしなかった。
「十人だけです。南方全体には人気がない、と掲げますか」
主催者の問いに、私は首を振った。
「この夜市の最初の十人へ、王都人気を推薦の理由にできなかった、と記録します」
十人の拒否を国じゅうの答えにはせず、特殊な客が続いたとして捨てることもしない。王都人気の札を外したからといって、『最初の十人が選ばなかった品』という新しい権威へ貼り替えるわけでもない。次の客が選ぶなら、同じ三候補と返品条件を渡し、その人の結果を加える。
サフィアは不適合札を隠さず、隣へ小さな砂時計を置いた。
「夜市の初日、日没後。この場所と時刻を外したら、十人の数字だけがまた独り歩きします」
彼女は翌日の試用場所として、魚市、写字机、祈りの場、夜警詰所を挙げた。同じ灯りが四用途でどう変わるかを、夜市の台ごと運んで見るという。
「売れなかった方を、また呼ぶのですか」
「売れない理由が分からなければ、次も同じ箱を仕入れます」
夜明け前に展示員を働かせる賃金、通訳、移動、仕事を止めてもらう協力料、砂と湿気で傷む試用品まで、サフィアはその場で費用へ入れた。客を連れてくる買付人の欄を越え、試用台を現地の仕事へ合わせ直す人として、共同設計の札へ名を置く。
一つの万能台へ仕上げる案は捨て、場所ごとに付け替える部品へ名を刻む。サフィアは誰がどこへ同行できるかを尋ね、参加できない職人には試験後の図と、採用しなかった理由も返すよう手配した。
すると彼女は、すぐ札を私へ返した。
「私一人ではありません。絵札を削った木工師も、魚籠に見えないと言った荷運び人も、熱色を染めた職人もいる」
名義欄を増やし、王都品の下に小さな注釈として置かず、試用台の正面へ同じ大きさで掲げた。協力を景色として借りず、工程と代金を一人ずつ残す。
その夜の終わり近く、魚籠の絵を取った女性がいた。名はナディア。右手を籠の取っ手へ置いたまま、砂除け布を巻いた左手だけで三種を試す。
人気灯芯の強光には目を細めた。細く長い灯芯は布越しの入力を拾わず、短い入力用なら点く。正面の反射笠では濡れた台から光が返り、低い笠へ替えると値札の下側しか見えなかった。
「どれも、ぴたりとは来ないね」
「会期中に魚市で使い、頭痛、発熱、ちらつきがあれば返せます。今夜お持ち帰りにならなくても構いません」
ナディアは短入力灯芯と低い笠を組んだ《星雫灯》を、返品条件つきで選んだ。白い個票だけを受け取り、青い匿名札は箱へ入れない。
黄の購入票へ署名する前に、彼女は返却先を尋ねた。夜市が終われば、この天幕は畳まれる。魚市から博覧会場まで品を抱えて来られない日には、サフィアの買付棚が一度預かり、製造番号と停止時刻を付けて星灯りへ渡すことになった。
「返したら、今朝の魚の売上から差し引くのかい」
「いいえ。会期中の適合試用です。傷が仕事での通常使用か、故意の破損かは現物を見て分けます」
「魚の水がかかるのは?」
「その使い方を伝えた上での試用ですから、隠れた条件にはしません」
ナディアはようやく黄票へ名を書いた。青札を出さないことをサフィアが咎めないか、横目で見ていたらしい。サフィアは購入箱だけを受け取り、匿名箱には触れなかった。
「夜明け前に、仕事で試す。ここじゃ魚が光らないからね」
彼女の言葉で、購入のあとにも試用が続くことになった。魚市で右手を籠へ置いたまま、濡れた値札を読めるかどうかを次に確かめる。
夜市の灯りが増えるほど、王都人気仕様の前に並んだ十枚の白札だけが影を濃くした。私はその景色を隠さず、アルノルトへの私信へ書く。
『この景色を、一緒に見たかったです』
勝ったとも負けたとも付け足さなかった。砂時計を透かす光と、違う品を選ぶ人々の顔を、ただ彼と並んで見たかった。
まだ夜の名残があるうちに、私たちは試用台を魚市へ運んだ。ナディアはすでに籠を提げ、昨夜買った星雫灯を左手で起動する。
白い光は濡れた魚の鱗へ触れた途端、夜市より早く、鋭くちらつき始めた。




