第90話 救国店ではありません
金文字の看板を裏返すと、消された失敗ばかりが見えた。
表には『王国救済店』。星灯り魔法百貨店が王都三地区を救った功績を、王国の名で称えるとある。正面玄関へ掲げれば、冬市よりも大きな客寄せになるだろう。
ところが裏へ貼られた事故報告の草案には、王冠の大量供給、星灯りの個別試用、市の迅速な判断という美しい言葉しかない。市が試用省略を命じたことも、星灯りで連続勤務が二十時間を越えたことも、王冠が返品と不適合を店舗評価から外していたことも書かれていなかった。十二個の記帳が遅れ、共通留め具の長時間交替試験が足りなかった事実も、金板の裏側から薄く削り取られている。
「この内容では、受け取りません」
私は看板を、金文字が下になるよう七階の卓へ置いた。
一階は通常営業を続けている。保温瓶へ湯を注ぐ音、返品台で蓋を開ける音、修理番号を呼ぶ声が吹抜けを上がってきた。七階も式典のためには閉じず、報告を聞きに来た人の隣で、いつもの比較試用を行う。過熱した敷物暖房具、逃がし溝を加える前の留め具、零へ戻らなかった停止輪を、金板より先に見える台へ置いた。
「称号と事故報告は、別々に考えてはいかがです」
行政代表が看板を起こそうとした。
「まず功績をお受けになり、詳しい反省は後から加えることもできます」
「ここから消えたものは、詳しい飾りではありません」
私は三枚の報告紙を広げた。王冠、星灯り、市。それぞれの功績と失敗が、同じ幅の欄へ収まっている。
《王冠百貨商会》は、安価で安定した効果核を大量に供給した。広い暖房区画へ避難者を受け入れ、標準操作部と効果核の一部を原価で出し、互換に必要な寸法も公開している。その力がなければ、病院も共同炊事も、三地区の給水も最低線へ届かなかった。
一方で出荷試験は、平均に合う一人が起動から停止までを行う方法に偏っていた。返品や操作者不適合が店舗評価へ響かないため、現場で起きていた兆候が本部まで集まらず、標準操作部一万個が、必要な時に必要な手へ合わなかった。
「『一万個がすべて不良』とは、書いていないな」
マクシムが自社の紙を端まで読む。
「効果核は安定していました。操作部と評価の工程を分けています」
「なら異議はない。供給したことも、集め損ねたことも、うちの仕事だ」
彼は功績と失敗の両方へ、同じ筆で署名した。
星灯りは使用者ごとの試用、停止権、返品票、地域在庫、辺境便を使い、異なる手へ操作部を合わせた。三時間全館を閉じ、休んだニナが誤配を止めたことも記す。
その下には、暫定の共通留め具を短い試験で出し、長時間の交替で残る入力を見逃したことを書いた。十二個の緊急貸出を期限どおり帳簿へ入れられず、店員の勤務が二十時間を越えるまで経営側が止めなかった。通常客の予約と売上も失っている。
「店員の方々が、自分から残ったのでは?」
行政代表は、責任欄を軽くするつもりで言ったのだろう。
「勤務を見えるようにし、止めるのは店の仕事です」
私は自分の名を書く。働いた人の献身を私の功績へ足し、過労だけを本人の選択へ戻すことはできなかった。
市は病院、共同炊事、住宅給水を優先し、公定補償と公共発注を出した。地域間の搬送と避難所を整えた功績がある。だが緊急時に本人の試用を省く命令を出し、設備の受入も施設代表一人で済ませた。さらに九十日後払いによって、材料、臨時賃金、輸送と利息を、先に民間へ負わせている。
「迅速な命令がなければ、配布はもっと遅れました」
「遅れを防いだことは、ここにあります。同じ品を一律に配り、片方の世帯だけが過熱したことも、こちらに残します」
代表は長いあいだ筆を持ったまま黙っていた。やがて自分の欄を読み直し、功績の下だけでなく、失敗の下にも署名した。
監査局の紙には、アルノルトが全数徴発を予告したこと、未登録品、第三者所有、地域最低在庫を正式異議で分けたこと、登録済みの店有在庫を両店から徴発し公定補償を付けたことが記されている。試用省略命令への暫定停止と、副局長の連署によって星灯りにも王冠にも同じ法的基準を使ったこともあった。
彼は自分を報告の外へ置かず、私と目を合わせる前に署名した。
次の公共調達へ残す条件は、報告の下へ加えた。代表一人ではなく、すべての交替勤務者が起動、維持、停止を試す。危険な操作を拒んだ人の票を設け、申告したことを理由に減給、解雇、配給除外を行わない。販売数だけでなく、返品率、停止、不適合の理由を調達評価へ戻す。王都の緊急時にも地域最低在庫を根拠なく奪わず、連続勤務の上限を越えた場合は、代替先を示して強制休業する。
徴発、貸出品の破損、臨時賃金、輸送、通常営業を止めた損には公定補償を置く。九十日後払いなら、つなぎ融資の利息と手数料も調達価格として審査する。
「これほど条件を増やせば、次の緊急対応は遅くなります」
参事の一人が言った。
「止める条件がなかったため、私たちは二十時間働き、高熱警報が出るところまで急ぎました」
クルトが自分で出した危険操作拒否票を、卓へ置く。彼は操作を断ったあとも解雇されず、自分に合う操作部と代替担当によって共同炊事へ戻った。拒むことが、何もしないことと同じなら、あの場所にパンの匂いは戻らなかっただろう。
一階から閉店鐘が聞こえた。
危機の最中のように、誰も「あと一件だけ」と作業を延ばさない。店員たちは修理中、試用待ち、翌日の返却という途中札をそれぞれの台へ置き、封をして帰り支度を始める。クルトも共同炊事の通常勤務を終え、停止具を零へ戻して次の担当へ渡したと報告が届いた。
終わらない勤務によって街を守る時間は、そこでいったん鐘に区切られた。
私は金板を持ち上げ、表の『王国救済店』をもう一度見た。称号を断れば、王宮の広報も記念式典もなくなる。金文字に惹かれて来たかもしれない客も失う。
「通常のお客様へ戻る店に、救国の名は要りません」
正面へ掲げる代わりに看板を裏返し、その面へ四者が署名した事故報告を貼った。共通留め具の安全寸法と、逃がし溝のある改修型の仕様も並べる。表の金文字は壁を向き、見えなくなった。
報告を読んだ通常客が、古い暖流具を試用台へ運んできた。本人が起動し、夜に夫が流量を保ち、厚い手袋をする娘が停止するという。三人目の動きを代役で試すと、裏の残留灯がわずかに光った。
「事故を出した留め具は、もう買えないのですか」
「逃がし溝のない型は停止中です。改修型も、実際に使う全員の交替試験が必要です」
「では今日は、買えませんね」
「接触部を替える方法と、機械栓だけで使う方法も、次に試せます」
客は購入せず、家族を連れてくる日の再調整を予約した。事故を掲げたせいで売れなかった一件を帳簿へ書く。同時に、高熱が出る前に止められた一件でもあった。裏返した看板は、式典の終わりを待たず、次の客の手元で使われはじめていた。
公開報告の最後に、私はアルノルトと連名で、内部へ提出していた関係届を置いた。最初に提出した日、私から口づけた翌朝に更新した内容、公式面談の記録と第三者の副署、出張経費の分離、贈与の制限、副局長連署。危機中の徴発と、私が出した正式異議も添えた。
「監査の公平を疑わせる情報を、これまで隠していたのですか」
記者の声が七階に響く。
「内部には届けていました。けれど一般には公表していませんでした」
私はアルノルトの隣へ立った。昨夜、短く抱き合った時よりも距離がある。それでも彼の横顔を見ずに言えた。
「私たちは、恋人です」
広間が静まり、やがて筆の音がいっせいに戻る。元王太子の婚約者と、店を閉鎖しに来た監査局長。公爵と、債務を抱える百貨店主。疑われる理由なら、説明を待つまでもなくいくつもあった。
「公表後も、監査局長が星灯りを監督するのですか」
アルノルトが問いを受ける。
「現在の職務範囲では、副局長連署、両店へ同じ停止基準、正式異議の公開を続けます。私が職務から退くべき案件は、個別に記録します」
「今回、星灯りの在庫を徴発したのは、関係を隠すための演出では?」
「登録済みの店有在庫が、適法な対象だったからです」
私は続けた。
「同時に、未登録品、第三者所有、地域最低在庫については、彼へ正式異議を出しました。すべて従うことで、関係の潔白を飾るつもりはありません」
「反対されても、恋人でいられると?」
七階でアルノルトは、私の試験不足を事故報告から削らなかった。私は彼の徴発へ異議を出し、そのあとで会いたかったと言った。
「続けます」
「私も同じです」
彼の声が、公の場所で初めて私へ返った。甘い言葉ではなかったのに、胸の奥へ静かな熱が満ちた。互いを特例にしない線を残したまま、それでも隠れない場所を選んだ。
質問が終わるころ、一階では明日の予約札が増えていた。事故報告を読んで帰る人、改修した留め具を試す日を取る人、私たちの関係を知り、監査を信じられないと予約を取り消す人。すべてを同じ日次表へ入れ、称号を断った評判だけを将来の売上にはしなかった。
階段を下りると、贈答相談を予約していた女性が、預り票を持って待っていた。
「公爵閣下の監査があるから、安全な店なのだと思っていました。お二人が恋人なら、どこまで厳しく見ているのか、私には判断できません」
説明すれば、危機中にアルノルトが在庫を徴発したことも、私が異議を出したことも話せる。七階にその記録もある。それでも、信じるよう求める権利までは私にない。
「ご予約を取り消しますか」
「はい。娘の祝いなので、迷ったまま選びたくありません」
私は預かっていた分を返し、取消理由を本人の言葉のまま票へ書いた。彼女を説得するため、恋人であることを私生活の美談へ仕立てることもしなかった。
女性が出たあと、後ろで待っていた男性が同じ卓へ古い暖房具を置く。
「私は、家族三人で試す予約をしたい。恋人の話は、うちの弁が止まるかどうかには関係ないでしょう」
それもまた、私に好意を示す言葉ではなかった。私は礼を言いすぎず、使う人の勤務と手袋を尋ね、通常の予約票を渡した。取消札と予約札が、同じ箱へ一枚ずつ入った。
南方の商業都市から、二通の封書が届いた。
一通は、事故報告と共通留め具を国外の商人へ実演してほしいという、博覧会への招待状。もう一通は、金貨の紋を押した買付票だった。
『使用者相性個票 一件につき百金貨』
試用した人の魔力、身体の条件、失敗、選ばなかった品まで記された紙を、商品より高い値で買いたいという。百金貨あれば、九十日後払いの利息を軽くできる。
けれど個票に書かれているのは、店の発明ではない。何も買わなかった人も、使えずに返した人も含む、誰かの手と暮らしだった。
救国の金看板を裏返した日に、今度は客一人の記録へ、百金貨の値札が付けられた。




