第17話 三人目で光る
翌朝、七階へ上がると、ニナがいちばん細い絞り板へ白墨で丸を付けていた。
昨日ボルクの手で安定した構成である。青白い細光の灯芯に、小さな穴の板、調整輪は最低から二段目。試用票の上部には『低魔力用・第一候補』と書かれ、白墨の粉が彼女の指だけでなく鼻先にも付いていた。
「ずいぶん早く、名前が決まったのね」
「ボルクさんに合いましたから。魔力の弱い方には、まずこれを試してもらえば早いでしょう?」
私は昨夜の三枚を読み直した。私の手では文字が二重になるほどちらつき、ニナでは明暗が揺れ、ボルクの細い魔力だけが三十分を越えて続いた。けれど彼が照らしたのは机に広げた帳簿ではなく、掌の鍵束だった。
「第一候補にはしましょう。ただし、低魔力用と決めるのは、実際の仕事を見てからにしたいわ」
「魔力が同じなら、同じように点くはずです」
「ボルクさんが、針へ糸を通す時にも?」
ニナは返事をせず、自分が書いた文字の『低魔力用』だけを布で擦った。すぐには消えず、薄い灰色が残る。
五日間、灯りを売る代わりに、使う人の仕事を七階へ持ち込んでもらうことにした。
最初に頼んだのは、針子のハンナだった。
試用協力の依頼を聞くと、彼女は初めに、宣伝へ顔も名も出さないことを確かめた。
「《宵待ち灯》には助けられています。でも、新しい品まで褒める約束はできません」
「褒める欄は、試用票に作っていません」
「悪いところばかり書いても、謝礼は同じですか」
「同じです。お持ちくださる布は、別に代金をお支払いします」
そこでようやく、ハンナは濃紺の布と銀糸、それに使い込んだ二つの指貫を籠から出した。窓へ厚布を掛け、彼女の家の夜に近い暗さを作る。試作品は普段の作業机と同じ高さへ置き、衝立の向こうには、娘が眠る寝台の位置を白布で示した。
三本の灯芯を一度に替えず、初めは同じ絞り板と同じ反射笠で比べる。
細光の青は針穴を鋭く浮かせたものの、銀糸から柔らかな色を奪い、白糸との違いが見えにくくなった。広光の琥珀は机の端まで届いたが、衝立の向こうへ光が漏れ、ハンナはすぐに停止輪を回した。
「これでは、娘が起きます」
残る柔光は両手と濃紺の布を乳白色に包んだ。銀糸も朝の窓辺と同じ色に見える。ただし、一刻近く縫い続けると、ハンナの右手の甲へ熱が溜まった。
「温度片は、まだ黄色にもなっていません」
ニナが不思議そうに測定紙を見せた。
「でも、熱いわ。針を持つ手だから、少し違うだけでも指が遅くなるの」
ルチアが測定値を記す前に、ハンナ自身の言葉を票へ書かせた。そのあとで十分、三十分、一刻の温度と、光の揺れ、灯核に残った魔力を別の欄へ入れる。
深い反射笠へ替えると、光は細くなりすぎず、熱だけが上へ逃げた。ハンナはもう一度、銀の蔓草を端から端まで縫い、右手を開いたり握ったりして確かめる。
「これなら仕事になります。細い青より、こちらがいい」
柔光の灯芯、細い絞り、深い反射笠。魔力だけ見れば、昨日のボルクと近い。それでも、選ばれた光の色も笠も違っていた。
試用謝礼を渡すと、ハンナは銅貨まで数え、布代が混じっていないことを確かめた。初めて店へ来た時には、自分の魔力が弱いから品が使えないのだと、申し訳なさそうに言っていた人である。今日は一枚の布を広げるため、私たちの試作品を二度も止めた。その横顔は、銀糸よりも気持ちよく光って見えた。
一刻の試用を終えたあとも、ハンナには普段の速さで十針だけ縫ってもらった。納期に追われる夜は、灯りへ丁寧に手を添えている暇などないという。糸を引くたび右肘が台座へ近づき、八針目には反射笠を袖で押しかけた。ニナは笠の縁を半指ぶん内側へ直し、『静かに座って使う』という最初の想定を票から消した。ハンナは濃紺の布から細い切れ端を取り、次の試験でも同じ染め色を使えるよう、日付と自分の印を付けて置いていった。
二日目、ボルクは夜警の道具を腰へ下げて現れた。
七階から地下までの鍵束、封印の傷を見る小さな鏡、巡回札。それだけで革帯が重そうに沈んでいる。
「昨日の灯りで、もう十分ではないのですか」
ニナが訊くと、彼は青白い光を腰へ吊り、暗くした通路を歩いた。静止していれば鍵の刻みはよく見える。ところが一歩進むたび、細い光が足元から外れ、自分の影が階段へ先回りした。
「机なら足りる。夜回りなら、次の段が見えん」
広い琥珀へ替えると、床は照らしたが、真鍮と銅の鍵が同じ色に沈んだ。柔らかな白の灯芯に浅い笠を合わせ、絞り輪を二段目へ戻す。光は腰元から斜め下へ落ち、足先と鍵束を同じ範囲へ収めた。
十分後も揺れず、三十分後には二度階段を往復した。一刻を迎える前に、ボルクが自分から椅子へ座り込む。
「どこか熱くなりましたか」
「俺の膝がな。灯りは元気だ」
ニナが笑いながらも、『使用者が休憩、灯具の異常なし』と書き残す。道具の連続使用時間ばかり測っていると、使う人の方が先に休むことを忘れそうになる。
停止後の残留魔力は規定内で、接触部にも熱はなかった。ボルクは自分の低い魔力を、申し訳なさそうに申告しなかった。灯りへ指を置く前に、今日はこのくらい流す、とルチアへ伝え、その値が測定欄へ書き込まれるのを見届けている。
「少ない魔力は、いつでも同じ量なのですか」
私が訊くと、ボルクは腰の灯りを一度消し、しばらく指を曲げ伸ばしした。
「荷を三階まで運んだあとなら、今より細くなる。夜明け前に眠い時は、細くしようとして急に押してしまうこともあるな」
ルチアは休憩後と荷運び後の測定欄を足した。老人は自分の手が試験に使われることを、照れ隠しに笑うこともなく、次の荷箱を運ぶ時刻まで決めてから試作品を外した。
ニナは前日の白墨をすべて消し、ボルク用の構成へ『歩行夜警』と記した。
三日目の夕刻には、近くの中央郵便所から夜間事務員が来た。
広告に名を使わないことを条件に、左右へ長い送達簿と、黒、赤、青の記帳筆を持参している。自分は魔力が弱い方だと聞くと、ニナは迷いながらも細光から始めた。
細い青は小さな数字をくっきり見せた。十分後の熱も問題なく、三十分を過ぎても灯りそのものは揺れない。ところが事務員は、頁の右端へ視線を移すたび台座を動かし、やがて筆を置いてこめかみを押さえた。
「痛みますか」
「光を追いかけるのが、思ったより疲れます。帳簿を一行読むたび、灯りまで連れて歩くことになる」
一番広い反射笠と広光の灯芯を使い、浅い角度で左右へ開く。初めは暗いと感じたようだが、赤い訂正線も青い確認印も沈まず、見開きの端まで視線だけで追えた。彼は一刻、灯りへ触れずに記帳を続け、最後まで明るさを上げなかった。
「もっと明るくできます」
ニナが調整輪を示す。
「夜中には、このくらいでいい。先ほどの光だと、目だけ先に朝になったようでした」
最も広い琥珀を選んだのは、三人の中でいちばん弱い魔力だと申告した人だった。消しきれなかった『低魔力用』の文字へ、ニナが濡れ布を何度も往復させる。
四日目には、三人の構成をわざと入れ替えた。
ハンナに合った深い笠をボルクの腰へ吊るすと、歩くたび縁が腿へ当たり、光は振り子のように揺れた。ボルク用の浅い笠を郵便所の帳簿へ置けば、向かいの机まで白く照らして夜勤者の目を刺す。見開き用の琥珀は、ハンナの濃紺布の上で銀糸の輪郭をぼかした。
三つとも点灯し、安全な温度に収まっている。それでも、試用者は皆、自分の仕事へ戻された途端に違うと言った。
用途票は、手元の細作業、寝台脇、歩行夜警、据置き帳場、片手読書、見開き作業の六つへ分かれた。それは完成品を六種類に固定するための名ではなく、最初にどの組み合わせを出すか決めるための札にした。途中で違うと言われたなら、別の札へ移す。
一つの灯りが三人のあいだを渡るたび、青、白、琥珀へ装いを替えた。二階の衣料棚はいまだ空なのに、七階では先に光の試着が始まっている。その様子を見ていると、客へ見せたくてならなかったが、階段口の『販売日未定』は外さなかった。
五日目、同じ一台を六つの構成へ続けて組み替える試験をした。
三度目で、細光の灯芯の根元が青黒く変色した。充分に冷える前に張りを変えたためで、ルチアが手を止めさせる。広光から細光へ急に替えたもう一本は、先端が波打った。絞り板も二枚、熱の残るうちに抜こうとして縁が歪み、溝へ戻らなくなる。
「組み替えられる品なら、急いで組み替える人が必ず出るわ」
ルチアは変形した銅板を白布へ並べた。
「作った私なら、冷えるまで待ちます」
「閉店前に三人待たせたあなたも?」
ニナは反論を飲み込んだ。調整輪へ触れてよい温度を示す窓を付けるか、既存の温度片を箱へ同封するか、ヨナスと図面を引き直していく。
五日間で失ったのは灯芯二本と絞り板二枚。三人への謝礼と布などの実費、材料を合わせると、金貨一枚と銀貨十枚になった。売上帳には何も増えないまま、製作候補だけが一種類から六種類へ増えている。
一階には『用途別灯具を試作中。販売日は未定』と掲げていた。夜市で試用を見た人、郵便所の事務員から聞いた同僚、ハンナと同じ針仕事をする人が、名前と用途を残していく。マルタは明るさより先に、何に、誰が、いつまで使うのかを尋ねた。
新しい灯りを待てない七人には、いま棚にある既製品も試してもらった。合うものを見つけた人は問い合わせ票を自分で取り下げ、その次に来た人が順番を引き継いだ。予約金はまだ受け取っていない。
五日目の夕方、五十枚目の票が七階へ届いた。一枚目は裁縫、十一枚目は子守、二十七枚目は夜警、最後の一枚には夜間の写本とある。希望日は、いずれも製造を始めてから十二日後の休日に集まっていた。
マルタが嬉しそうに束を置いたのに、ルチアは一枚もめくらなかった。代わりに工数表を開き、灯芯を抜き、冷却を待ち、接触部を拭き、絞り板を差し、調整輪を最初の位置へ戻してから、もう一度点灯するところまで実際にやってみせる。
「十五分」
「慣れれば、もっと早くできます」
ニナが言うと、ルチアは時計を最初へ戻した。
「早くして、冷却をどこで削るの?」
候補を三つ試せば一人四十五分。五十人なら三十七刻半になる。通常修理と検査署名を除き、ルチアが十二日で使えるのは二十四刻。箱詰めと一階の営業時間は、まだ工数表へ入っていなかった。
彼女は五十枚の票の上へ時計を置いた。
「一件十五分の組み替えでは、十二日後に五十人へ渡せないわ」




