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婚約解消した当て馬令嬢は魔法百貨店を立て直す  作者: 星舟能空


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145/150

第145話 彼以外が行う監査

 私が監査人の顔を知ったときには、七店の抜き打ち試験はすべて終わっていた。


 決められた休暇を切り上げて駆け戻ったのではない。結果を開くと前から定めていた刻に、一階の検証台へ来ただけだ。春先の冷気を含んだ箱が七つ並び、封蝋にはそれぞれ違う町の印が沈んでいる。中にある返金票も、止められた品も、もう私の答えでは直せなかった。


「代表が立ち会うのは、開封と照合からです」


 独立監査人はそう言って、自分の契約書を先に卓へ置いた。星灯りが通常条件で雇い、費用を払うこと。抜き打ちで確かめる範囲、見られる帳簿、見る権限のない個票、不合格となった場合の再試験と商号停止までが、店内にも公開されている。


 監査を受けるのだから何でも見せる、という契約にはしていない。店が都合の悪い会計を隠すことも許さず、客が預けていない暮らしまで、監査の名で開けることも許さない。どこまでが必要かは、当日の監査人の好意ではなく、先に交わした紙に記されていた。


 初めの箱から、返金済みの控えと小さな保温帯が出た。監査人はその店へ普通の客として入り、故障はないが、首元へ巻くと熱が片側へ寄って使えない、と申し出たという。


「店員は規格内だと確認しました」


 報告を聞いた瞬間、私は喉の奥で息を止めた。規格内なら不良ではない。かつてなら、そこから交換へ誘導する文句を何通りも考えていた。


「そのあと、試用記録と返品条件を読み、現金で返しました。次の買物券への振り替えも、別商品の購入も条件にしていません」


 控えには、返金を受け取った時刻と、品が基金の所有へ戻ったことが記されている。店員は箱の残りを確かめ、補充を求める札も出していた。


「処理は合格です。ただし、その札を客から見える場所へ立てたため、基金の保管状況が分かります。内側の連絡盤へ移してください」


 正しく返した記録の隣に、改善を求める赤い細線が引かれた。良かった処理まで消さず、合格の文字で危うさを覆いもしない。


 次の箱には、安全輪を外した温熱具が入っていた。外装は整い、灯りも点く。監査人は事情を隠して試用を頼んだが、店員は商品名を読む前に停止部が欠けていることへ気づいた。


『この状態ではお試しいただけません』


『売った店では使えると言われました。短い時間だけなら』


『許可があっても止めます。生命に危険があります』


 再現された会話のあと、時刻記録を確かめる。店員は本店にも店主にも問い合わせず、その場で停止札を付けて危険棚へ隔離していた。監査人が身分を示した後も、記録を書き替えた跡はない。


「ここも、停止判断は合格です」


「改善は?」


「危険棚の鍵を扱える人が、交替の際に一人しかいませんでした。受け渡しを複数で確認しなければ、止めた品の所在が一人の記憶へ戻ります」


 箱の底から、鍵の受け渡し票が出る。空いていた確認欄へ、私は指を置かなかった。誰を加えるかは、現地責任者と総支配人が決め、期限までに戻す。私が顔を思い浮かべて名前を書けば、休暇中に閉じたはずの道を、合格の席からまた開けることになる。


 別の店では、監査人が返却期限を過ぎた貸出灯を持ち込んでいた。多く支払うから延長したいと申し出ても、次に予約している人がいると断られ、その日は返却するか、別の候補を試すよう案内された。


「金を払える客へ、待っている人の順番を売りませんでした。ただ、期限前の連絡先が説明書の裏へ小さく載っているだけです。返却後に責めるより、遅れそうなとき相談できる場所を表へ移してください」


 貸出灯の箱には、使用でついた薄い擦り傷と、店員が通常摩耗として受け取った記録がある。監査品だから傷を見逃したのでも、監査品だと知らず罰金を取ったのでもない。その一方で、次の客へ渡す前の清掃時刻が不鮮明だという指摘も付いた。


 個票を試した店では、監査証を示したうえで、以前同じ灯りを使った人の住所を見せてほしいと求めていた。安全調査に必要だと言われれば、手渡したくなる言葉だ。


「証書は本物だったそうです」


「店員は、どうしましたか」


「契約範囲に個票閲覧はないと断りました。製造番号に結びつく匿名の検査記録は出せるが、本人記録には事故番号か法に基づく命令が要る、と」


 監査人は私の方へ一枚の請求票を滑らせた。個票を出さなかったため、署名欄は空のままだ。


「もし私へ判断を尋ねていたら?」


「代表にも、本人の同意を作る権限はありません」


 淡々とした答えに、私は頷いた。店員の拒否が私の思想へ忠実だったからではなく、私が望んでも開かない棚として確かめられたことに、胸の奥が奇妙に温かくなる。自分の名が届かないことを、こんなふうに嬉しいと思う日が来るとは知らなかった。


 イーダの店からは、洪水の泥を弾く外装を付けた灯りと、地域例外の事後票が届いた。本店の標準にはない耐水外装、地元職人へ支払った技術料、濡れた手と暗所を再現した本人試用、合わない人へ出した返金と貸出。どの刻に判断し、何を後から報告したかまで並んでいる。


 監査人は現物へ水を垂らし、蓄光印が読めるか、停止輪が滑らないかをもう一度試した。淡い光の筋を水滴が横切り、濡れた指でも輪は確実に閉じる。


「地域判断は合格です。ですが、外装を作った職人の連絡先が別紙にしかなく、製造番号から修理先へ辿れません。関連づけを直してください」


 王都と違う品を扱ったことを罰せず、違うからこそ誰が直せるかを残す。同じ商号の下へ、同じ棚を作るのではなく、客が違いを読める道を繋げるのだ。


 ほかの地域では、王都の標準品を置いていないことへ、監査人が苦情を装った。店員はすぐ取り寄せを約束せず、土地の湿気と使う場所を聞き、接触部の曇りやすさと、近くで直せる地元品の重さを比べてもらった。監査人は何も買わず、その不売も営業記録へ残っている。


 灯芯一ロットの追跡記録も封じられていた。八割で止まった先から、ノーラと現地店員が転売、贈答、他店修理へ辿った票。古道具市場で部品に分かれた灯芯、贈り主へ理由を伏せて交換を待つ人、現物を渡さず手元で停止した最後の灯りが、それぞれ別の状態で結ばれている。


「全数回収とは書かなかったのですね」


 監査人が票をめくる。


「戻っていない品があります。全数へ選択が届いた、と」


「その記載でよいでしょう。ただし、市場へ照会する手順がノーラ個人の記憶に寄っています。今回作った見取り図と、部品になった後の照合を、ほかの店員も使える形へ移してください」


 成功した記録にも修正は付く。ノーラだけが足を痛めて歩けば届く回収では、彼女が休んだ日に最後の灯りが暗闇からこぼれる。


 七つの箱を照らし合わせた結果、すべての店で返品基金は保たれ、生命の危険はその場で止められていた。権限外の個票は出されず、地域例外には実際に使う人の試用と、在庫、費用、事後報告がある。


「七店、改善指示つきで合格です」


 監査人が署名すると、検証台の周囲から静かな息が漏れた。歓声が上がるより先に、マルタが改善票を店ごとに分けていく。説明札の位置、返金箱の補充連絡、危険棚の受け渡し、地域職人への修理経路、市場追跡の共有。期限を過ぎても直らなければ対象区画を閉じ、なお改善しなければ商号を止める条件が、合格票と同じ封へ入った。


「指摘まで掲示すれば、客を不安にさせませんか」


 見学していた商人が訊いた。


「直す期限も一緒に掲げます」


 私が答える前に、マルタが言った。


「期限内に直せなければ、どこを閉じるかも」


 私はその横で、自分の一票だけを合格記録へ添えた。完全だと見せるために傷を消さず、傷を永遠の罪として看板へ縫いつけもしない。修正後には確認日を残し、古い指摘は監査記録へ移される。


 監査名簿を最初から最後までめくっても、アルノルトの名はなかった。監査席にも傍聴席にも、報告が通る経路にも、公爵家の印はない。今回の人は彼の部下でも推薦者でもなく、店が有償で頼んだ第三者だった。


 その人自身にも、利益相反の申告と費用の明細がある。次は別の監査人が同じ危険を見つけられるよう、試用品の外装や来店の仕方は変えても、確かめる箇所は記録することになった。厳しい一人を探し続けるのでなく、違う人の目にも、欠けた安全輪や空の返金箱が見えるようにしておく。


 費用はこれからも掛かる。合格した店も、次に直さなければ名を止められる。けれどその重さは、恋人の公平さを無償で借りるより、帳面へ置けるものだった。


 会計係が監査料と各地への移動費を記した請求書を持ってきた。祝いの席なら顔を曇らせたくなる厚みだったが、私は公爵家への割引依頼も、監査人への値引き交渉も書き加えず、通常の支出として受領した。安く済ませるため監査範囲を削ったのではないこと、次の費用を返品基金から流用しないことも、支払票のそばへ残す。


「合格したのですから、次は間を空けられませんか」


 会計係が、冗談半分に言った。


「改善期限の確認は予定どおりに。次の抜き打ちも、契約した間隔から変えません」


「めでたい時期なのに、容赦がありませんね」


「婚礼の前だから安くなる費用ではありませんもの」


 署名を終えると、通信盤の創業者欄は閉じたままだった。生命警報は鳴らず、七店から届いたのは、必要な支援と事後報告だけである。不在にした時間が空白ではなく、私のいない筆跡で埋まっているのを見ていると、長く肩に食い込んでいた鍵束を、まだ返されてもいないのに軽く感じた。


 家へ戻ってから、私は食卓の貸出灯を点けた。アルノルトが皿を運び、向かいへ座る。


「七店とも、合格しました。ずいぶん赤い指摘を添えられて」


「おめでとうございます」


「どこを調べられたか、聞かないの?」


「夕食の話として、あなたが話したいところまでなら。職務の報告として受け取る席にはいません」


 私は、危険棚の鍵を一人だけで渡していた店のことを話した。彼は判定を加えず、冷めかけた煮込みを私の方へ寄せる。監査の席にいなかった人へ、仕事の外で話せることが嬉しくて、同時に、彼の目を借りなくても合格できたことが少し誇らしかった。


 翌日、《星灯り》へ別々の使者から封書が届いた。


 休暇中の失敗を隠さず、改善票まで掲げた店内で、客はいつもどおり品を試していた。ノーラが合わない灯りを持つ女性へ返金と修理を説明し、マルタは私へ振り向かず、別の階の閉鎖記録へ署名している。監査に通った報せを祝う花はなく、閉めるべき棚も、返すべき現金も、昨日と同じ場所にあった。


 一方は独立監査の合格を公簿へ付す知らせ。別便にはヴァイスベルク系信用組合の印があり、残っていた債権の決済が公簿へ反映されたことと、担保解除の手続完了が記されている。


 封の最後に、七本の鍵を返す日時だけが、祝辞もなく記されていた。


 それは、かつて慰謝料の銀盆へ置かれ、四千八百金貨の債務とともに渡された鍵と同じものだった。


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