第136話 同時に鳴る七つの鐘
七つの鐘は、求婚を受けた私を祝う和音にはならなかった。
ひとつは鋭く、ひとつは低く長く、残りも互いの音へ揃おうとはせずに鳴った。事故、欠品、返金、職人の離脱、価格変更、洪水、そして夕方の読書灯を探す客からの通常照会。伝送口から吐き出された紙は、色も厚さも違い、それぞれ別の手へ取られるのを待っていた。
私は玄関の外から戻り、反射的に事故票へ手を伸ばした。
「代表、順番を待ってください」
ニナが先に取る。つい先ほどまで私を抱いていたアルノルトの腕はもう背になく、彼は開いた扉の外側に立っていた。
「手伝えることは?」
「ありません。これは店の経路です」
答えると、彼は頷いた。公爵家の使者を出そうとも、監査局の通信を貸そうとも言わない。
「では、私は帰ります。今夜の予定は、落ち着いてから改めて」
婚姻の話を交わした直後なのに、私を仕事から引き離そうとも、店の中へ入って七件を整えようともしなかった。閉じかけた扉の向こうで目が合う。嬉しさはまだ胸の奥へ温かく残っている。それでも今、私たちが立つ場所は別だった。
「連絡します」
「待っています」
彼が去ると、私は外套を脱ぎ、七階から降ろしてあった照合机へ向かった。
最初の事故票には、《星雫灯》の接触輪から白煙が出たとある。現物は既に遮熱箱へ封じられ、負傷者なし。発煙を見た店員が手元で止め、同じ製造番号帯の棚へ販売停止札を出し、購入した客への使用中止連絡も始めていた。
「全店停止を」
書きかけたところで、ニナが時刻欄を指した。
「発煙直後に止めています。全店への危険警報も、こちらへ届く前に出ています」
「別の番号帯も調べる必要があるわ」
「あります。でも、いま求められているのは販売停止の許可ではなく、各店の受入試験記録と製造番号の照合です」
私のペン先が紙の上で止まる。事故店は、私に命を守ってほしいと待っていたのではない。自分で危険を止めた後、ほかの町へ広げるための目を求めていた。
通信鏡を事故店へ繋ぐと、若い店員が煙の跡を写した紙を掲げた。頬に煤がつき、声もまだ少し震えている。
「止めたのは、あなた?」
「はい。お客様が点灯した直後、接触輪から白い煙が出ました。停止して遮熱箱へ入れ、同じ棚を閉じました」
「客は?」
「怪我はありません。返金、別番号の品への交換、検査後の連絡から、代替品を試して待つことを選ばれました」
「全店を止める許可を、私へ求めたのではないのね」
店員は戸惑い、後ろにいる現地責任者を見た。
「危険警報は、許可を待たず出す規則です。本店には、番号帯がほかの店へ入っていないか調べていただきたいです。それと、煙を出した輪を送るまで、同じ条件の再現はしない方がよいでしょうか」
それは停止の承認ではなく、検査の相談だった。私は思わず「正しい判断です」と言いかけ、言葉を選び直す。
「再現は遮熱設備のある場所で行います。現地では現物を封じたまま、客へ示した選択と停止時刻を残して。必要な測定紙はこちらから送ります」
「分かりました」
鏡が暗くなる前、店員が自分の名を事故票へ書き込むのが見えた。本店の名で止めたのではない。煙を見て手を動かした本人の名だった。
欠品の知らせは、貸出灯の交換部品についてだった。修理の間だけ灯りを借りた人が、部品交換を待っている。しかし現地では既に、修理が終わるまで待つか、別型の貸出灯を試すか、自分の旧灯へ戻るかを一人ずつ聞いていた。
私は王都倉庫から部品を送ると書いた。けれど必要な寸法と数は票にあり、急送を望まない客まで同じ便へ乗せる理由はない。本店にしかできないのは、ほかの店の余剰を照合し、拘束在庫を奪わず融通できるか確かめることだった。
三枚目では、地域職人が作った保温帯が衣服の留め具に当たり、熱を片側へ寄せていた。危険線へ達する前に止まり、店は調整、別の商品、返金を示している。客は返金を選び、地方の返品基金から既に現金を受け取った。空いているのは私の承認欄だけだ。
「承認を送れば、処理が終わるわね」
「客への返金は終わっています」
マルタが静かに言った。
「必要なのは承認ではなく、基金を補充する条件と、不適合を次の仕入れへどう戻すかです」
四枚目は、委託修理を担っていた職人が町を離れる知らせだった。未完了の品、外した部品、既に行った仕事の工賃を分け、持ち主へ選択を出している。同じ職人の移転先へ送る、地元の別工房へ引き継ぐ、今の状態で返してもらう、契約を清算する。私は王都から後任を派遣する案を書きかけたが、現地が求めているのは人ではなく、職人名と工程を切らさず移す共通票だった。
価格変更票には、王冠から通常条件で買う標準核の新しい原価が添えられていた。買収に負けた報復ではなく、契約更新時の価格改定である。地方店は同じ核を新価格で扱う、別核へ替えて調整費を足す、手元の核を修理して使うという比較を始めていた。既に預かった修理品は元の見積りを守り、新規だけ値札を改める案もある。
「全店で価格を揃えた方が、客には分かりやすい」
「運賃も、地域の工賃も違います」
持分側の代表が、原価票を私へ返した。
「揃えるべきなのは値段ではなく、なぜ変わったかを隠さないことでは?」
同じ看板の下にあるからと、王都が吸収できる差を地方の職人へ押しつければ、統一価格は誰かの無償労働でしか保てない。
洪水店から届いた紙は、端へ泥が乾きついていた。通電禁止、店の商品と顧客の預り品、職人からの委託品を所有者別に隔離。地元の代替品を、濡れた手と暗い売場で試験中。ここにも許可を求める欄はなく、帰り便へ何を載せられるかという照会だけがある。
私は濡れた品をすべて王都へ戻す、と書いた。安全には見える。だが帰り便を埋めれば、現地へ必要な部品を運べない。地元で直せる品まで取り上げれば、乾いた本店の台でしか答えを出せなくなる。
最後の紙には、拍子抜けするほど普通の文字が並んでいた。
『日暮れに本を読むための灯りを探している。どれがよいか』
事故でも、災害でもない。私は年齢、机の高さ、利き手、同室の人を尋ねる項目を書き、その下へ候補を挙げようとした。
「その客を、見ていませんよ」
ニナが言った。
「だから質問を送るの」
「現地の店員も、目の前で聞けます」
顔を上げると、七枚の回答が机に広がっていた。事故停止、部品転送、返金承認、後任職人、統一値札、濡れ品回収、読書灯の候補。どれも私なら出せる答えで、ひとつも、現地が手をつけず待っていた仕事ではなかった。
時刻欄を順に読む。生命の危険は既に止められ、客へは暫定の選択が返されている。私の回答を送れば、現地がいつ何を決めたかより、最後に押された『本店指示』の文字だけが強く残る。
「送れば安心する店もあります」
そう言った声に、自分でも驚くほど未練が滲んだ。
「あります」
マルタは否定しなかった。
「ですから、返事をしないのではなく、許可を返さない形へ変えましょう。現地の判断を受け取った時刻と、本店が出した支援を残します」
通信盤から、代表の回答欄を外した。代わりに置いたのは、現地が持つ権限、実施済みの処理、足りない支援、生命危険の有無、期限内に返す事後報告の欄だった。
事故店へは製造番号の横断照合、欠品店へは拘束条件を含む在庫照会、返金店へは基金補充の確認、職人離脱店へは工程移管票を送る。価格変更店には原価の表示様式、洪水店には乾燥測定紙と共通部品の便を用意した。通常照会へ商品名は返さず、現地が用途を聞いた結果だけを規定の記録で受け取る。
その通常照会は、ほどなく戻って来た。現地の店員は、読書をする人の年齢より先に、椅子の高さ、利き手、同じ部屋で眠る人がいるかを聞いていた。候補を実際に点けると、一つは頁に反射し、もう一つは手元が暗く、残る灯りは操作輪が指へ合わなかった。客は何も買わず、別の高さの灯りを次に試す予約だけを取ったという。
私が書きかけた候補名とは、ひとつも同じではなかった。
「何も売れなかった報告です」
ニナが少し不安そうに紙を眺める。
「でも、客は次に何を試すか知って帰ったわ」
私の返事がなくても、接客は終わり、次の道まで作られている。通常の問いに何も送らなかったことが、無視にはならなかった。
答えを書かなければ責任が軽くなるわけではない。支援が遅れれば本店の責任であり、憲章から外れた判断があれば監査する。生命に関わる警報なら、誰の許可も待たず全店へ流す。ただ、客の前にいる人の選択を、私の筆跡で塗り替えない。
理事会は、その夜のうちに営業試験を提案した。婚礼の準備で私が店にいる時間が減る一週間を、曖昧な休暇にはしない。創業者へ不要な連絡をしない期間として記録し、日常の判断は現地責任者と総支配人候補、理事会へ渡す。生命危険の警報だけは、私にも届く経路を残す。
「不要かどうかを、誰が決めるのですか」
職人持分の代表が尋ねた。
「送る前に、現地責任者が判断します」とマルタが答える。「迷った場合は、代表ではなく日常営業を束ねる者へ。生命危険なら、不要かどうかを考えず同時に全経路へ出します」
「エステル様しか過去を覚えていない案件は?」
「記録を探します。見つからず、客の生命に関わらないなら、待つ不便も含めて報告に残す。創業者の記憶を無料の帳簿として使い続けません」
私の胸に、細い針を差されたような痛みが走った。覚えていることを頼られるのは、長く私の誇りだった。それを使わない試験は、店を休むより、自分の居場所を確かめられない時間になる。
「私から様子を尋ねた場合は?」
「試験中の不要連絡に数えます。代表が始めた連絡でも同じです」
「厳しいわね」
「あなたが一番、抜け道を見つけますから」
ニナの率直さに笑いが漏れたが、私は試験票へ自分の名で賛成を記した。
「婚礼を延期する案は?」
問いに、私は首を横へ振った。
「店が私なしで動けないから婚姻を延ばせば、動けない状態を守ることになります。反対に、婚礼前だから失敗を見逃すつもりもありません」
アルノルトへ短い手紙を書いた。今夜の食事は無理であることと、婚姻の予定は変えないこと。七件の内容も、私が選ぶべき答えも書かなかった。
七枚の書きかけは破らず、送信箱から外した。私が何を書こうとしたかも、次に同じ誘惑が来たとき必要な記録になる。
最初に新しい様式で戻ってきた事後票は、夜明け前だった。泥で硬くなった端を、マルタが慎重に開く。
洪水で売場を濡らしたイーダの店は、私の許可を求めていなかった。




