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婚約解消した当て馬令嬢は魔法百貨店を立て直す  作者: 星舟能空


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105/150

第105話 輸出契約の上限

 断る注文票を机の右へ移すたび、受ける側よりも、その束ばかりが厚く見えた。


 船室の丸窓は塩で曇り、波が船腹を叩くたび、南方の砂を噛んだ紙が低く擦れ合う。夜市の商人、魚市の働き手、学校や祈りの場、港倉庫から届いた《星雫灯》と交換部品の注文だった。王冠が金賞を得たあとも、個別の調整と横向き笠を求めて、《星灯り》を選んでくれた人たちがいる。


 すべてへ受注印を押せば、博覧会から持ち帰る話は華やかなものになる。二位の小さな店が、国外で注文を奪い合うほど成功したと、王都の新聞も書くだろう。


 けれど紙を一枚受けるたび、王都で作る灯芯が要り、調整輪が要り、現地で交換できる部品と、直せなかった時に回収する船腹が要る。返品日に列は予想の四倍へ膨らんだ。注文だけを数えれば、売った後の手がまた足りなくなる。


「金賞を取った王冠ではなく、あなたの店を選んだ客よ」


 向かいのサフィアが、断る側へ置いた票を指で引き寄せた。彼女の爪には、審査会で使った金粉がまだ少し残っている。


「今を逃せば、次の注文はないかもしれない」


「その次が残らない数を受ければ、一年後には返品窓口もなくなります」


「なぜ半分なの。きれいに分けたかっただけでは、商会の会計を説得できないわ」


「半分にすることを先に決めたのではありません」


 私は注文票の上へ、工房から届いた製作札を重ねた。灯芯と調整輪を無理なく作れる量、反射笠を加工できる手、共通留め具を揃えられる時期。南方で認定する修理卓が扱える範囲と、灯核を王都へ戻す回収便。返品基金で支えられる量。どれか一つでも先に尽きる注文を右へ移してゆくと、受けられるのは全体の半分だけになった。


 その半分も、申し込みの早さや一度に買う量では決めない。すでに使う本人が現地で試し、どの修理窓口へ持ち込むかが決まり、交換部品を商品と同じ便へ載せられる用途から受ける。評議長の贈答であっても使用者が試していない分は戻し、魚市の注文でも、横向き笠の試験範囲を越える分は断った。


「工房へ増産を頼めば、受ける束を増やせるでしょう」


「材料と職人、耐久試験、修理教育まで増えたと確かめられた時に、次の枠を開きます。注文票だけ先に増えても、作れる手は増えません」


 サフィアは唇を結び、二つの束を見比べたあと、断り状の翻訳を引き寄せた。最初に書いてあった『人気殺到につき希少』という一文を、自分の筆で消す。


「断った客まで、品薄の宣伝に使わないのね」


「待つ場合に、いつ再試用できるかは伝えます。現地品や王冠で合う候補があれば、それも。でも、断られたことを特別扱いの証にはしません」


 受注しない票にも、持ち主が選べる続きを残した。価格を保てる期間、再試用の窓口、他店の候補。受ける客には選ばれた特権だと書かず、断る客にも価値が低いとは書かない。足りないのは、こちらの製作と修理の力だった。


 受ける注文票へ印を押したあとも、それを一束の売上にはしなかった。サフィアの会計係が運んできた前受金を、製作、通関と翻訳、現地修理者の教育と教材、返品・代替灯・王都回収へ使う分に分け、別々の封印箱へ収める。船が傾くたび硬貨が片側へ寄って鳴り、まだ果たしていない仕事が、音だけ先に私たちのものになろうとした。


「入った金なのに、なぜすべて売上へ入れないのです」


 会計係は、返品用の封印を惜しそうに見た。


「製作も、通関も、教育も、まだ終えていません。この箱は、戻ってくる人のために預かる分です」


 返品基金を製作へ流せば、最初に多くの灯りを出せる。教育費を削れば、商品だけは早く港へ着く。翻訳を雑費へまとめれば、誤訳を正す人の手がまた最後へ回る。どれも、売れた日だけなら利益を大きく見せてくれる。


 封を動かす時には、どの将来の仕事を減らしたかを双方へ通知する。返品基金は一時的な運転資金にも借りず、南方側の商会でも同じように分けて持つ。帳簿へ記すのは箱の残高だけではなく、どこまでの返品、修理、回収を支えられるのか。手元へ自由に使えない金が増えれば、店は成功した直後なのに苦しく見える。その窮屈さこそ、これから負う責任の形だった。


 相性個票については、ほかの条項から離した紙を机の中央へ置いた。白票を本人の手元に残す――その一文へ、私とサフィアがそれぞれ署名する。契約の紙は薄いのに、彼女が署名環を押しつける音だけが、波音の続く船室で硬く響いた。


「最後まで、一件百金貨を捨てるのね」


 サフィアは、博覧会へ来た時の買付票を折らずに返してきた。


「惜しいと思っています」


 強がることはできなかった。債務は残り、国外の修理契約にも金が要る。あの値札を頭の中で掛け合わせれば、どれほど店の負担を軽くできるか分かってしまう。


「それでも、私には売る権利がありません。客の札を渡すことが購入条件になれば、試用台で約束したことと逆になります」


「善意だけなら、王都へ帰って苦しくなった時に変わるかもしれない」


「だから、契約へ残します」


 残った争点は、青票の集計を国境の向こうへ持ち出すとき、その許しまでサフィアの商会が所有するのか、という一点だった。私たちは王都で定めた三色票の規則を別紙から呼び出し、彼女の商会には、商品と期間を限った集計結果だけを閲覧する印を置いた。次の買い手へ売れる権利は、その印に含めない。


 通訳が現地語へ直すと、『使わせる』と『譲る』が同じ響きになった。サフィアは眉を寄せ、羽根ペンの軸で二語の間を何度も叩く。やがて、魚市のナディアが笠の改良に数を使わせても、彼女の頭痛を書いた紙まで商会の棚へ移るわけではない――その例を添えると、通訳はようやく別々の言葉を選んだ。


 三十人の名を誤って写した名簿も、氏名を消して綴じた。華やかな博覧会の記念ではない。善意の転記が境界を越えた場所を、次の担当者が指で辿れるようにするためだった。


 現地の試用所と修理卓も、サフィアの商会だけのものにはしない。共通留め具を正しく交換し、灯核の資格外修理を断り、返金、再試用、有償修理、何も持ち帰らないという選択を同じ条件で示せること。作業料と、部品を作った工房名を掲げられること。大きな支店でも市場の小さな修理卓でも、満たすべき条件を変えず、主催者と現地工房を含む合議で認定する。


「費用を最も多く出すのは、私の商会よ。それでも、私の専属にはならない?」


「最初の教育を運営する仕事には対価を置きます。でも、あなたの店が閉まる日に、客の返品する道まで閉じたくありません」


「競争相手の店も、認定を取れるのね」


「同じ条件を満たせば」


 しばらく黙ったサフィアは、独占という文字を消した契約へ、最初の教育運営者として名を記した。夜市の時間を知り、売れなかった客を呼び戻し、修理の費用を商売として組める彼女の仕事は、独占札を失ってもなくならない。


 南方の横向き笠、耐砂固定、清掃の順序を王都へ持ち帰る頁には、ナディアと現地工房の名義、使用料、改良できる範囲を残した。王都で改良した後も、元の工房が使えるようにする。《星灯り》から調整輪や共通留め具を教える時にも、同じ条件を用いる。私たちの名だけを輸出し、南方で教わった手だけを無記名で輸入する契約にはしなかった。


 王冠とは、匿名の返品区分と互換寸法を共通化した。価格、品揃え、推薦の仕方、接客は競争のまま残す。金賞札を携えたマクシムが、私たちの船へ渡ってきて契約頁を読んだ。


「二位の店ほど、条件が多い」


「金賞の店が、販売数の多さで返品を少なく見せなければ成立します」


「うちの方が売った数は多い。件数だけなら、返品も多く見えるぞ」


「件数と率、用途を分けます。どちらか一店に都合のよい数字へはまとめません」


 彼は口の端を上げ、署名した。


「次は、共通書式の外で勝負だな」


「次は賞でも売上でも勝ちます」


 握手のあとにも、価格を合わせる話はしなかった。両店が協力するのは、壊れた客を店同士の隙間へ落とさないための寸法と記録であり、競争そのものを眠らせるためではない。


 最後に、一年後の再審査を契約へ置いた。会期中に何を売ったかだけでなく、返品へ応じ、現地で直し、王都回収から返し、修理者へ代金を払い、直せない時に断れたか。匿名札を期限どおり削除したか。そこまで確かめてから、次の輸出枠を開く。


 注文の半分を断った束が机に残る中で、サフィアと私は非独占の輸出契約へ署名した。入ってくる金より、これから出てゆく船と手の方が先に見える契約だった。それでも最後の頁を閉じた時、彼女は悔しそうに、そして少し楽しそうに笑った。


 帰港すると、灰色の回収箱を商品や私物より先に下ろした。潮風の向こう、桟橋の端にアルノルトが立っている。公爵家の旗も監査官の列もなく、私も二位の賞札を掲げなかった。


 歩調を速めたのがどちらからだったのか分からない。


「お帰りなさい」


「ただいま戻りました」


 言い終えるより先に、私は彼の胸へ腕を回していた。彼の腕は一瞬だけ戸惑うように宙で止まり、それから背を包む。手紙では届かなかった体温と、外套に染みた本国の乾いた風の匂いが、南方からまとってきた潮をゆっくり消した。


「寂しかったです」


「私も」


 会いたかったという言葉を、今度は成果の報告のあとへ回さなかった。抱擁を解いても、手だけはしばらく離れない。


「保温杯は、ないのですね」


「三つ目は、もう一度あなたに試してもらいます。左手で、手袋を着けて」


「蓋も、自分で洗えるか確かめます」


 彼が笑う。土産の包みが一つもなくても、帰ってきた両手は空ではなかった。


 港から店へ向かう道で、同じ家へ帰りたいと書いた続きを話した。彼の言葉は、公爵邸へ私を迎えるという決定ではなく、私の返事も、店の上階へ彼を住まわせる約束ではない。どの家から彼が監査へ出て、私は何時に売場へ降りるのか。店の建物と在庫、公爵領の財産を混ぜず、生活に使う金をどこから出すのか。監査と債権が残るあいだ、どの判断から彼が外れるのか。


「店の上では、あなたの仕事の人を置く広さが足りません」


「公爵邸では、あなたが開店の鐘に間に合わない」


「途中に家を借りるなら、店の財布だけでは払いません」


「爵位の財産だけで用意して、君を客にすることもしません。二人の暮らしとして決めましょう」


 求婚の言葉はなかった。婚約の日取りも、今夜から同じ屋根へ帰る約束もない。それなのに家の窓や朝の道を話すたび、胸の内側がくすぐったく温まった。彼の家へ私が吸い込まれず、私の店へ彼の職務を飾りとして置かない未来を、二人でまだ選べることが嬉しかった。


 《星灯り魔法百貨店》へ着くと、その温もりは扉の前で止まった。仕入れ札には、導魔雲母の価格が出発前の三倍とある。その隣には、国内五工房から届いた休業通知が貼られていた。灯芯や調整輪だけではない。家庭の湯沸かし具、農村の乾燥具、古い品を直すための部品まで、同じ雲母の不足に足を取られている。


「輸出分を半分にしても、足りないのですね」


 アルノルトは通知を読み、私の代わりに配分を決めようとはしなかった。


「まず、五つの工房へ行きます。値上がりだけなのか、規格そのものが入らないのか、同じ札では分かりません」


「私が同行できる範囲は、監査側で確認します」


 私は彼の手を一度強く握ってから、店の鍵を開けた。


 輸出用の《星雫灯》を一台作れば、国内で直せる灯りが一台減る。三倍になった導魔雲母を、誰へ先に渡すのか。その選択が、成功した契約の最初の仕事になった。


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