第10話 棚のない職人たち
《足温中敷き》の最後の一足へ、ニナが『見本・販売不可』の札を掛けた。
差押えまであと六十日となった棚には、少し前まで同じ箱が十一並んでいた。携帯灯も二段から一段になり、交換部品は、残った品を手前へ寄せて空白を隠している。離れて見れば整然としているが、木肌に残る四角い日焼けだけはごまかせない。
私は商品名の札を外し、代わりに必要な数と期限を書いた。
『携帯灯、週八台。雨具、週十二本。子ども用低危険品、週十点。現金買取不可』
「これでは、お客様に品切れを知らせる看板みたいです」
ニナが心細そうに言う。
「いつか入るような顔で、空の棚を売るよりましです。必要なものが分かれば、作れる人から見つけてもらえるかもしれません」
《星灯り》から、職人たちが工房を構える裏通りまでは歩いて十五分しかない。けれど、大通りの百貨店へ品を卸せない小工房にとって、その十五分はずいぶん遠かったらしい。
八日前、私たちは正面窓と職人組合へ、委託品の募集札を貼った。
売れた翌週に精算すること。月に二度、製作者が店頭で実演すること。品には工房名を掲げ、返品、修理、事故が起きた時の負担を契約前に決めること。少量しか作れず、現金で買い取れない品でも構わない。ただし、停止方法と製造数を書いて申し込んでもらう。
応募は二十三工房から届いた。そのうち、製作者印、停止方法、ひと月に実際に作った数、修理できる期限まで書いて返したのは六工房だった。
「今日、契約できるのは三つまでです」
出発前、私はマルタたちへ念を押した。
空の棚を埋めたいだけなら、六つとも預かればいい。だが試用の説明、返品の連絡、週ごとの精算を、四人で六工房ぶん引き受ければ、また誰かの時間が値札から消える。
一工房につき、試作品とは別に銀貨三枚の試験料を用意した。採らない工房にも、私たちのために費やした半日を無償にさせないためである。六軒で十八枚、手押し車を借りるのに二枚。革袋へ入れた金貨一枚は、いまの店には決して軽くない。
マルタを一階へ残し、私はニナと並んで歩いた。後ろから、ボルクが試作品を載せる車を引いてくる。小雨の名残をたたえた路地は狭く、軒先に吊られた銅線や染め糸が、私たちの頭上で風に揺れていた。
一軒目のヨナス工房は、その路地のいちばん奥にあった。
扉を開けると、灯具職人の工房とは思えないほど暗い。昼間は試験用以外の灯りを使わないらしく、窓辺には小さな効果核が干した果実のように吊るされ、淡い紫や青の光を内側へ溜め込んでいる。
ヨナス・オルロフは、煤で黒くなった指のまま、私が差し出した束を受け取った。
「預けた十二台の記録です」
《宵待ち灯》は六台が売れ、いずれも返品期間を過ぎて使われている。一台は売れたあと、必要な幅を照らせないと戻ってきた。五台はまだ売れていない。そのほかに、試した末に買わなかった客の票が二十一枚ある。
ヨナスは売れなかった票を一枚めくり、眉間へ皺を寄せた。
「新聞には光が細すぎる。赤い糸が紫に見える。強い魔力では消える。寝台脇へ置くには台座が高い……不満ばかりですね」
「品が悪いという意味ではありません。この灯りは、弱い魔力で針先を長く照らしたい方には合いました」
私は針子のハンナが書いた票を、一番上へ戻した。濃紺の布に使い、三時間たっても熱はほとんど増えず、手も震えなかったとある。
「《宵待ち灯》は、もともと広間を照らすための品じゃない」
「ええ。誰にでも売れる形へ変えていただくつもりはありません。ただ、光の幅、色、持続時間を別々に選びたい方がいることは分かりました」
ニナが手押し車から三枚の銅板を取り出した。針先用、読み物用、子守用。灯りを分解せず、外から差し替えられる絞り板である。
「狭い板は、三時間を越えると内側が熱くなりました。こちらの広い板は、赤い布が暗く見えます」
ヨナスは板を一枚ずつ窓明かりへ透かし、工房の奥から《宵待ち灯》を持ってきた。針先用を嵌めて火を入れると、細い青光が作業台を横切り、彼の黒い指だけを夜のように浮かべる。
「熱を逃がす笠が要る。色を替えるなら、絞り板より灯芯だ。赤が見えないまま服を縫わせたら、灯りが長く保っても仕方がない」
紙の余白へ、三種類の灯芯と二つの反射笠が描かれていく。まだ売れる形ではない。けれどハンナの針先から始まった記録が、職人の手で初めて次の品の輪郭を持った。
私は《宵待ち灯》だけの委託票を差し出した。
「週に八台。本体は銀貨十枚で販売し、返品期間を過ぎた翌週、一台につき銀貨六枚をお支払いします。効果核の故障は工房、絞り板の薦め違いは店が負担します」
「今描いたものは?」
「連続点灯と複数人の試用を終えてから、別の契約を結びましょう」
ヨナスは少し不満そうだったが、急かさなかった。銀貨三枚を受け取り、委託票へ煤のついた指で署名した。
二軒目のエルゼ織房では、銀色の糸が朝日の筋のように織機を往復していた。
試作品の《朝守り布》は、薄い毛布ほどの大きさで、包んだものが持つ熱を逃がさず、冷えた箇所へゆっくり戻す。火を生み出す品ではないので、冷えきったパン籠を温めることはできない。けれど、焼き上がったパンの香りと柔らかさを長く保てる。
新しい布、十回折り畳んだ布、洗った布を机へ並べた。ニナが魔力の戻りを測り、私は湯を入れた硝子瓶を包む。ボルクは膝へ掛け、半刻ほど、表情一つ変えず座っていた。
「どうです」
「眠くなる」
「それは安全試験の記録になりますか」
「少なくとも、熱すぎはせん」
製作者のエルゼが声を立てて笑った。彼女は一枚を六時間、七日使った温度記録と、洗濯方法を綴った冊子を出した。月に作れるのは八十枚。織りの破れは工房で直し、使い手の魔力が強く熱が戻りすぎた場合は、店が別の品を案内する。
売価は銀貨十五枚、織房へ十一枚、店へ四枚。一週間に二十枚、初めの納品は十枚からと定め、二つ目の委託票に署名が並んだ。
三軒目のクラウス木工へ入ると、削りたての楓の甘い匂いがした。床には薄い鉋屑が波のように重なり、窓辺の光を受けて金色に透けている。
《組み星盤》は、大小の星形木片を盤の窪みへ嵌める子ども用の玩具だった。正しい場所なら、小さな光がともる。違えば何も起こらず、叱る声も警告音もない。角は丸く磨かれ、魔力を離せば光もすぐ消えた。
ボルクが星をわざと裏返して押し込む。盤は黙ったままだった。
「間違いを大声で知らせない玩具なんです」
クラウスが、照れたように顎を掻いた。
「娘が、音の鳴る盤を怖がったので。これなら、違うと思ったら自分で戻せる」
持参した十枚を調べると、木目に沿って細く割れた盤が二枚見つかった。彼は言い訳をせず、同じ板から切り出した部品をすべて脇へ除けた。残った八枚を低い台から十回ずつ落とし、濡れた手で外し、ニナと私が同時に触れる。どれも欠けず、光は指を離すと消えた。
「今月は四十八枚作れると書きましたが、この板を外せば三十六枚です」
「一週間に十二枚まで、初めの納品は六枚だけ預かります。納めたあとの修理時間も含めて、次の数を決めましょう」
クラウスは割れた二枚を部品へ戻さず、薪箱へ放った。三つ目の契約候補として、彼の名を手帳へ記した。
四軒目の《鈴音工房》には、子どもが吹いても大きな音にならない《ささやき笛》が五本並んでいた。
ちょうど私たちが着いた時、深灰色の外套を着たアルノルトが、工房の奥で製造台帳を調べていた。思いがけず姿を見つけたせいか、私は足を止めてしまった。
「《星灯り》へ納める品だと聞いて、いらしたのですか」
「児童用品を作る工房の定期監査です。あなたの採否とは関係ありません」
簡潔な返答だった。自分の工房巡りを意識されていなかったことに、安堵したような、ほんの少し拍子抜けしたような気持ちになる。どちらも顔へ出すほどではない。
最初の四本は、指を離すと一息のうちに音が消えた。五本目だけ、笛から手を離しても、細い音を吐き続ける。
一秒。二秒を越えても止まらない。
アルノルトが停止布を被せた。その下で、蚊の羽音に似た高い響きが七秒も続き、ようやく途切れた。
「停止は二秒以内と定められています。このロットは出荷停止です」
「五本に一つだけだ。穴を削れば、すぐ直る」
工房主が手を伸ばしたが、アルノルトは笛へ触れさせなかった。
「いま削れば、原因まで消えます」
私が口を挟めば、契約を望む店が不良品を庇ったことになる。けれど、目の前で青ざめる職人を黙って見ているのも苦しかった。
「本日の採用はできません」
工房主がこちらを振り向いた。
「二十三軒を呼びつけて、六軒まで絞って、そのうち三軒だけだと? 王家があんたを並べたのと、何が違うんだ」
アルノルトの視線が、わずかに私へ動いた。助け舟を出す気配はない。私が何を答えるか、待っている。
「選ばれなければ、今日の仕事を失う。その点は同じです」
否定の言葉を探す代わりに、試験料の銀貨三枚を作業台へ置いた。次に、再試験の条件を書く。
停止穴を同じ寸法に揃える。製造した束へロット番号をつける。十本を濡れた手で三十回ずつ試し、すべて二秒以内に止まること。原因を残したまま改修し、七日後から再申請できる。
「そこまで直したら、必ず棚へ置くんだろうな」
「お約束はできません。ほかの条件も、もう一度見ます」
工房主の顔へ、怒りより深い失望が浮かんだ。銀貨だけを荒く掴み、条件票は机へ残す。私たちが扉へ向かうころになって、背後で紙の擦れる音がした。振り向かなかったが、条件票が一枚、二枚と机から消える気配は分かった。
路地へ出ても、七秒間の細い音が耳の奥に残っていた。
「怒らせてしまいましたね」
ニナが小声で言う。
「今日、棚へ並ぶつもりで五本作ってくださったのでしょう」
「でも、止まりませんでした」
「ええ。だから預かれません」
私の財布から銀貨三枚を渡しても、あの人が失う一週間は戻らない。理由を伝えたところで、胸に刺さった言葉まで抜けるわけでもない。
隣を歩くアルノルトが、歩調を変えずに訊いた。
「不合格を、監査のせいにしないのですか」
「私が採用できないと決めました。監査局の後ろへ隠れたら、次の試験であの方はあなたの顔しか見なくなります」
「再試験の条件は、法定基準より厳しい」
「子どもが三十回吹くことは、珍しくないでしょう」
アルノルトはそれ以上何も言わなかった。ただ角を曲がるまで同行し、そこで監査局とは別の方角へ去った。灰色の外套が路地の人波へ消えたあと、なぜか肩へ入っていた力が抜けた。
五軒目の薬香房では、眠りを誘う香り布を試した。乾いた花と樹脂の甘い匂いは美しく、贈り物にすれば喜ばれそうだったが、配合は秘伝として一つも開示されない。合わない人に何が起こるかも、香りが変質した時に直せるのかも分からず、今回は断った。
六軒目の刻印所は、月に二十個納めると応募書へ記していた。ところが作業台に完成品は三つ、先月作った数も三つだった。工房主は人を雇う予定だと熱心に語ったが、まだいない職人の手まで数えることはできない。月三個へ書き直すなら再申請を受けると伝え、銀貨三枚を支払った。
店へ戻った時には、窓の外が茜色に染まっていた。
契約したのは、ヨナス工房の《宵待ち灯》、エルゼ織房の《朝守り布》、クラウス木工の《組み星盤》。売れるまでは職人の所有で、返品期間を過ぎた品を毎週精算する。月に二度は店頭に立ち、作り方の欠陥は工房が、薦め方や表示の誤りは店が負う。原因が分からない時は、客への返金を先に済ませてから話し合う。
六つの工房すべてを連れ帰ることはできなかった。手押し車の空いた半分には、使われなかった毛布が畳まれている。その空白を眺めても、選び直せる理由は見つからなかった。
翌朝、三つの荷箱が届いた。
《宵待ち灯》が四台、《朝守り布》が十枚、《組み星盤》が六枚。初回納品は合わせて二十点だった。
マルタは工房名が客から見える向きに蓋を開け、ボルクが数を読み上げる。ニナは停止方法と傷を一つずつ確かめ、私は売れたあとに支払う額を、品より先に精算帳へ記した。
木肌の色が露わになっていた棚へ、青黒い灯り、銀糸の布、楓の星盤が並んだ。以前のように隙間を隠せるほどの数ではない。それでも札には、ようやく『次回入荷、七日後』と書けた。
ニナは《組み星盤》を一つ胸へ抱え、しばらく迷った末に私を呼んだ。
「四階が閉じているのは分かっています。だから一階の仮区画で、一日だけ、子どもに試してもらえませんか。低い棚も、触っていい印も、保護者の説明票も私が作ります」
聞いたそばから、私は棚の位置と入場人数を頭の中で決め始めていた。星盤なら窓側、灯りは手の届かない奥へ。保護者には先に――
「店主さん」
ニナが、契約書を抱き直した。
「私に売場を任せてください。一日だけでいいんです」




