残金1,842円|第62話「工程変更協議」
午前七時十二分。
大沢が会議室の壁へ貼った工程表には、白い帯が一本残っていた。
主要配管据付け班。
開始日未定。
四人班が別現場との契約手続へ入ったことで、前日まで置かれていた対応可能期間は消えている。代わりの班は、まだ決まっていない。
その上には、八日後から五日間の三人班が置かれていた。
確定区間の墨出し。
共通支持部の施工。
出来形確認と修正。
前日に条件を受け入れるとの回答を得た。ただし、施工会社と三人班の会社との変更契約は、まだ締結されていない。
「今日の協議で決めるのは、工程を早く見せることではありません」
大沢は赤鉛筆を机へ置いた。
「何が決まり、何が決まっていないかを、発注者、施工会社、設計、調達で同じ表にします」
榊原は白い帯を見た。
「決まっていないものを並べるだけなら、昨日と変わらない」
「昨日は、四人班が来る可能性を置いていました。今日は、その可能性がなくなったところから組み直します」
真鍋が資料を開いた。
「銀行団へ出した補足資料とも合わせます。四人班の期間を残した工程表は、もう判断の基準に使えません」
「次の班が見つかれば、また直すのか」
「見つかった時に直します。今、いることにして進める方が危険です」
午前七時三十分。
施工会社、設計会社、事業会社の工程変更協議が始まった。
画面には、前日までの工程表と更新案が並べられた。
変更前の表では、十三日後から主要配管の据付けが始まる予定だった。配管材の納入日は、その前に置かれていた。
更新案では、配管材の納入時期が、順調でも二十二営業日程度先へ移っている。
それも確定日ではない。
先行範囲一億五千八百万円を発注し、供給会社が注文を承諾する。三営業日を目安に製作図が提出され、設計側と機器側が内容を確認する。承認後、最短十八営業日で納入する。
どこか一つが遅れれば、納入日も後ろへ動く。
施工会社の工務部長が聞いた。
「二十二営業日を、工程上の納入日として固定しますか」
「固定できません」
調達部長が答えた。
「発注前です。供給会社の承諾も、製作図の承認期間も決まっていません」
「では、主要配管の開始日は置けない」
「最短想定日は置けます。ただし、確定日と同じ表示にはしないでください」
大沢は更新案の帯を指した。
「実線は確定。斜線は条件付き。白は未定で分けます」
「銀行へ出す表も同じか」
榊原が聞いた。
真鍋が答えた。
「同じです。社内だけ早い日付を置き、銀行向けだけ慎重にすることはしません」
「慎重に見せることが目的じゃない」
「見せ方の問題ではありません。同じ事業に、二つの開始日を作らないためです」
榊原は工程表から視線を外さなかった。
以前なら、最短日を基準に人と資材を集めた。遅れれば、その時点で組み替える。早く動いた者が枠を取れた。
今は、その最短日に合わせて動かしたものが、仕事を失うたびに費用へ変わっている。
午前八時二分。
三人班へ発注する変更契約案が示された。
開始は八日後。
期間は五日間。
請負額は七百八十万円。
交通費、宿泊費、現場管理費を含む。
作業範囲は、確定区間の墨出し、共通支持部の施工、出来形確認と修正。
主要配管の据付け。
機器接続部。
回答待ちの一系統。
特殊金物の取付け。
それらは含まれない。
「五日目の仕事が、出来形確認だけでは薄くありませんか」
三浦が尋ねた。
大沢は作業量表を開いた。
「四日目までに計画数量を終えた場合、五日目は支持位置の実測、締結確認、調整が必要な箇所の修正に使います。未確定範囲へ勝手に広げません」
「三日で終わった場合は」
施工会社の工務部長が答えた。
「作業量を再確認します。こちらの施工効率で早く終わった場合と、発注者側の条件で仕事を渡せなかった場合は分けます」
「待機費は、一日十二万六千円だったな」
榊原が言った。
「はい。ただし、自動発生ではありません」
大沢は契約案の該当部分を読み上げた。
「現場条件により予定作業を実施できない場合は、当日の配置、代替作業の有無、原因、拘束時間を記録し、費用の扱いを別途協議する」
「代替作業は誰が決める」
「施工会社の現場管理者と私です。榊原社長が職人へ直接指示する形にはしません」
「俺が現場で必要な仕事を見つけてもか」
「大沢へ伝えてください」
工務部長が答えた。
「契約範囲の変更が必要なら、施工会社が安全、資格、材料、ほかの作業との干渉を確認します。現場で一言増えた仕事が、後で誰の指示だったか分からなくなるのを避けます」
榊原は口を閉じた。
仕事を見つけ、すぐ人を動かす。
それが榊原の強さだった。
だが、今いるのは自社の社員ではない。施工会社が契約し、配置し、安全を管理する職人だった。
「分かった。指示系統は変えない」
午前八時四十七分。
設計担当者が、三人班へ渡す図面の一覧を示した。
確定区間平面図。
支持位置図。
標準支持詳細。
既設排水管との離隔確認箇所。
施工不可範囲。
「機器接続部は、図面上でも施工不可を明示します」
「墨出しだけ先にできないか」
榊原が聞いた。
「機器の接続位置が変われば、墨も使えなくなります」
「印だけなら費用は小さい」
「間違った印が現場に残ります」
大沢が答えた。
「次に来た班が、その印を確定位置だと思えば、支持材を付けます。消す前提の仕事を、工程へ入れません」
設計担当者は二か所を灰色で塗った。
「回答待ちの区間は、触らない範囲として渡します」
図面から仕事が消えたのではない。
決められない仕事が、決めた仕事へ紛れ込まないように分けられた。
午前九時十九分。
配管材の供給会社を加えた協議が始まった。
「見積の有効期限は、残り四営業日です」
供給会社の営業責任者が言った。
「期限内に発注書をいただいても、当社が技術条件を確認し、注文請書を発行するまでは製作枠の確定ではありません」
「発注書を出した日から三営業日で製作図ではないのか」
榊原が聞いた。
「注文内容を承諾した日が起点です。対象範囲、数量、材質、検査条件、納入場所が一致している必要があります」
「今の見積で足りない条件は」
「受入れ場所が最終確定していません。既存ヤードを第一案と伺っていますが、大型車両の進入可能時間と、荷下ろし機械の手配条件が必要です」
前日にクレーンを搬出した場所が、画面へ表示された。
既存ヤードには空きができた。
だが、配管材を積んだ車両が入る日と、荷下ろしに使う機械は決まっていない。
「昨日出したクレーンを戻せばいい」
榊原が言った。
大沢は首を振った。
「同じ機械が空いている保証はありません。進入路の条件確認も必要です」
「配管材の納入日は先だ」
「だから、発注時に機種まで固定する必要はありません。ただ、荷下ろしを誰が手配し、費用を誰が負担するかは決めます」
供給会社の営業責任者が続けた。
「当社の見積は、指定場所への車上渡しです。荷下ろしと場内運搬は含みません」
三浦が確認した。
「一億五千八百万円の範囲に、荷下ろし費は入っていない」
「入っていません」
「輸送費は」
「先行範囲を一括納入する標準便を含みます。分納を追加する場合は、別途協議です」
榊原が机を指でたたいた。
「先行製作なのに、一括納入なのか」
「先行範囲の中をさらに分ける条件ではありません」
調達部長が答えた。
「早くできた物から少しずつ送れば、輸送回数と受入れ回数が増えます。今の見積では、先行範囲がそろった時点で一括です」
「それでは、できた部分から施工できない」
「分納が工程を短くするか、施工会社と確認してから求めます」
大沢は工程表へ視線を落とした。
「主要配管据付け班が未定です。配管材だけ早く分けて入れても、ヤードで保管する期間が延びる可能性があります」
早く届くことが、早く使えることと同じではなかった。
午前十時十一分。
供給会社との通話を終え、発注条件の不足項目を整理した。
受入れ場所。
車両の進入条件。
荷下ろし手配の責任。
検査記録の提出方法。
製作図の承認窓口。
回答期限。
数量変更時の扱い。
機器接続部が確定した後の追加発注との境界。
「今日中に埋められるか」
榊原が聞いた。
「受入れ場所は現地確認が必要です」
大沢が答えた。
「既存ヤードへ置くなら、支持架台の搬入予定と重ならないことを確認します」
「製作図の承認窓口は設計会社でいいだろう」
設計担当者が首を振った。
「技術確認は当社が行います。ただし、機器メーカーの条件と一致しているかは、調達側から正式回答を受ける必要があります。承認者を一人に見せても、確認が一人で終わるわけではありません」
真鍋が一覧へ書き込んだ。
「技術確認は設計会社。機器条件の確認は調達部。最終承認は事業会社の設備責任者。それぞれに期限を置く」
「三つも通すのか」
「三つの責任を、一つの判に隠さないためです」
午前十時四十三分。
主要配管据付け班の再照会結果が、施工会社から届いた。
四人から六人の班について、三社へ照会していた。
一社は、二十六営業日後から八日間。
一社は、開始日を回答できず。
一社は、作業範囲と配管材納入日が確定した後に回答する条件だった。
「二十六営業日後の班を押さえろ」
榊原が言った。
「配管材の最短より後だ。今度は仕事を渡せる」
大沢は照会票を開いた。
「八日間で、どこまで施工できるかを確認していません。人数も四人から六人の範囲です」
「空いているなら先に押さえる」
「先方が求めているのは、開始日だけではありません。施工数量、作業高さ、必要資格、支給材、揚重条件、宿泊条件です」
「今日中に出せ」
「回答できる項目は出します。ただ、配管材の納入日が確定していないことも書きます」
榊原は不満を隠さなかった。
「また待っている間に取られるぞ」
「取られる可能性はあります」
「それでも書面を作るのか」
「前の四人班を失ったのは、書面を作っていたからではありません。渡せる仕事と開始日を決められなかったからです」
会議室が静かになった。
大沢は言葉を続けた。
「今回は、決まっていないことまで決まったように書きません。その条件で来られない班なら、押さえても同じことになります」
午前十一時二十六分。
工程変更協議は、遅れの原因区分へ進んだ。
施工会社の工務部長が表を出した。
当初進入路の使用制約。
作業班一組の解除。
仮設道路案の検討。
配管経路の再確認。
機器接続条件の回答待ち。
配管材の製作期間。
主要配管据付け班の再照会。
「全部を発注者都合にするのか」
榊原が聞いた。
「決めつけるための表ではありません」
工務部長が答えた。
「事実と影響を分けます。誰の負担になるかは、契約範囲と記録を確認して協議します」
「進入路は、施工会社も現地を見ていた」
「見ていました。ただ、土地取得済みという情報と、使用条件は一致していませんでした」
「施工計画にも問題があったんじゃないのか」
「その可能性も含めて確認します。だから、今ここで全額をどちらかへ置きません」
真鍋が表の一行を指した。
「配管経路の十二か所はどうなる」
設計担当者が答えた。
「七か所は計画どおりです。三か所は支持位置の調整。二か所は機器条件待ちです。三か所の調整が、当初図面の不備なのか、現場条件の差なのか、施工時に通常行う範囲なのかを分けます」
「調整があったから追加費用、ではないんだな」
「はい。変更作業が生じても、当初契約に含まれる調整なら追加にはなりません」
三浦が金額表へ注記した。
変更あり。
増額未確定。
工程が変わったことと、事業費が同じだけ増えることは別だった。
午後零時十八分。
協議はいったん中断された。
榊原は会議室に残り、壁の工程表を見ていた。
三人班の五日間は、契約締結を条件に実線へ変わる。
配管材の納入帯は斜線。
主要配管据付け班は白いままだ。
真鍋が弁当の包みを机へ置いた。
「食べないんですか」
「工程がつながらない」
「今、つながっているように描けば、来月もっと切れます」
「白い帯を銀行がどう見ると思う」
「決まっていない仕事として見ます」
「信用が落ちる」
「存在しない班を置いた工程表を後で直す方が落ちます」
榊原は椅子へ座った。
「昔は、先に日を置けば人が動いた」
「昔は、その日に渡せる仕事がありました」
「今も事業はある」
「事業があることと、二十六営業日後に配管を据え付けられることは違います」
榊原は弁当の蓋を開けた。
食べ始めるまで、さらに一分かかった。
午後一時九分。
既存ヤードの確認が始まった。
クレーンを搬出した区画には、清掃後の白い砕石が広がっていた。
大沢は支持架台の搬入範囲を巻尺で示した。
「この列は、三日後から使用します」
「配管材が来る頃には空くだろう」
榊原が言った。
「予定どおり据付けが終われば空きます。ただ、支持架台側の工程が遅れた場合は重なります」
「第二案の一時保管は」
調達部長が答えた。
「供給会社側で対応可能ですが、無償期間と、その後の保管料は未確認です」
「新しい仮置き場は作らない」
「その判断は維持します」
大沢はヤード図へ二つの区画を書いた。
第一受入れ区画。
予備受入れ区画。
「納入日の五営業日前に、どちらを使うか確定します。それまでに既存資材の移動計画を出します」
「荷下ろし機械は」
「納入日が見えた段階で照会します。昨日搬出した機械の再手配を前提にはしません」
榊原は、朝までクレーンがあった場所へ立った。
空いている場所は使える。
だが、その場所が空いている日まで決めなければ、受入れ場所にはならなかった。
午後二時二十二分。
再開した協議で、変更工程表の基準日を決めた。
本日を工程見直し基準日とする。
三人班は、変更契約締結と開始前確認を条件に、八日後から五日間。
配管材は、発注条件を二営業日以内に確定する。見積有効期限内の発注を目指すが、供給会社の承諾前は製作枠確定と扱わない。
製作図は、受領後、設計会社が一営業日以内に一次確認する。機器条件に関わる箇所は、調達部がメーカー回答を付ける。
主要配管据付け班は、再照会中。開始日は未定。
大沢が工程表の下へ記録欄を加えた。
変更理由。
確認資料。
決定者。
決定日。
費用影響。
次回見直し日。
「次回見直しは、いつだ」
榊原が聞いた。
「配管材の注文承諾時です。それより先に機器メーカーの回答が来れば、その日にも更新します」
「毎回、全員で会議をするのか」
「変更する範囲に必要な人だけです。ただし、工程表は同じものを更新します」
施工会社の工務部長が確認した。
「今回の工程変更を、工期全体の延長合意とはしない、でよろしいですか」
真鍋が答えた。
「はい。現時点では、個別工程の変更です。全体工期への影響日数と責任区分は確定していません」
「追加費用も同じですね」
三浦が言った。
「三人班の七百八十万円は変更契約手続中。既存施工費からの振替額を確認する。配管材一億五千八百万円は、当初設備予算との重複を照合する。工程変更を理由に、二つをそのまま追加額へ足さない」
榊原は工程表を見た。
「延びているのに、延長ではないのか」
「延びる可能性が見えています」
真鍋が答えた。
「ただ、何日延びるか、どの工程が全体完成日へ効くか、まだ確定していません。今日、延長日数まで決めれば、それも作った数字になります」
「銀行は日数を聞く」
「聞かれたら、未確定と答えます。代わりに、何が決まれば日数を出せるかを示します」
午後三時四十一分。
三人班との変更契約書案が施工会社から届いた。
前日の条件が反映されている。
榊原は、事業会社から施工会社へ出す変更発注の上限と、開始予定日を確認した。
大沢は、三人班へ渡される作業範囲と施工不可範囲を確認した。
三浦は、待機費の協議条件と、施工会社への支払条件を確認した。
法務担当は、施工会社が三人班の会社と契約を締結する前に、作業を開始させないことを確認した。
「誰も同じ場所を見ていないな」
榊原が言った。
「同じ変更を、違う責任で見ています」
真鍋が答えた。
「だから最後に合わせます」
法務担当が一か所を指した。
「ここは、現場状況により作業内容を変更できる、とだけあります。契約範囲を変える場合の金額と期間の協議を付けます」
「一日の変更でもか」
「金額や工期へ影響しない軽微な調整まで、毎回契約を作り直す必要はありません。ただ、契約範囲を越える仕事なら、短くても記録を残します」
大沢がうなずいた。
「現場日報だけで終わらせず、変更指示と見積の流れへ戻します」
午後四時十八分。
事業会社から施工会社へ出す変更発注の条件が確定した。
上限は七百八十万円。
開始予定日は八日後。
期間は五日間。
作業範囲は確定区間に限定する。
施工会社は、その条件に基づいて三人班の会社との変更契約書を整え、相手方から請書を受ける。
開始前日までに、作業区画、支給材、図面、安全設備を確認する。
開始日に仕事を渡せない場合は、理由と拘束時間を記録する。
作業が早く終わった場合も、未確定区間へ口頭で広げない。
榊原は、施工会社への変更発注承認欄へ署名した。
その署名だけで、三人班との契約が成立するわけではない。
施工会社と相手方が書面を交わし、開始前確認を終えて、初めて三人が現場へ来る。
五百億円の融資契約へ署名した時より、承認書は薄かった。
だが、この五日間に何をさせ、何をさせないかは、以前より細かく書かれていた。
午後五時六分。
銀行団へ変更工程表が送られた。
四人班の対応可能期間は削除。
主要配管据付け班は再照会中。
三人班は変更契約締結後、八日後から五日間。
配管材は発注条件整理中。
製作図承認前の最短納入想定は、確定納入日として扱わない。
全体工期への影響日数は未確定。
追加事業費は重複照合中。
倉田からの返信は、十二分後に届いた。
変更前工程表を基準資料から外してください。
榊原は画面を見た。
「古い表を残すなということか」
真鍋が首を振った。
「記録として残します。これからの判断に使う基準から外すという意味です」
「昨日までの予定だ」
「昨日までの予定だからです」
変更前の工程表は削除されなかった。
旧版と表示され、履歴へ移された。
午後六時十四分。
会議室の壁には、更新後の工程表だけが残った。
三人班の帯には開始予定日がある。
配管材の帯には条件がある。
主要配管据付け班の帯には、日付がない。
榊原は白い部分の前に立った。
「ここへ日を入れるのが、明日の仕事だな」
大沢は工程表を外さずに答えた。
「違います。日を約束できる条件をそろえるのが、明日の仕事です」
外では、支持架台の受入れ区画へ照明が落ちていた。
八日後に来る予定の三人には、渡す仕事が決まった。
来られなくなった四人の代わりは、まだいない。
工程表は前日より遅く見えた。
その代わり、初めて、誰も来ない日まで隠さなくなった。




