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残金1,842円|第61話「職人の移動」

 午前六時五十四分。


 黄色いラフテレーンクレーンは、資材ヤードの端に止まっていた。


 大沢は車体を一周し、油漏れや損傷がないことを確認した。今日はこの機械を現場から出す。搬出後の再手配日は決まっていない。


 現場代理人が事務所から出てきた。


「当初進入路を確認します」


「地権者側にも、今日一台出ると伝えてください。九時以降、農作業の車を優先。帰りだからと条件を省かないように」


「分かりました」


 代理人が歩き出した直後、施工会社の調達担当から大沢へ電話が入った。


「配管班の二社から、回答期限が来ています」


「何時ですか」


「三人班は正午、四人班は午後二時です。対応可能期間は変わっていません。三人班は九日後から五日間。四人班は十三日後から十二日間です」


「四人班には、ほかの照会が入っていますか」


「開始日と作業範囲を示した別現場から来ています。今日、返事をするそうです」


 大沢は工程表を開いた。


 配管材の納入日は、まだ出ていない。人だけを押さえれば、仕事を渡せない日の費用が生じる。押さえなければ、別の現場へ移る。


「供給会社の回答を受けたら、すぐ二社へ連絡します」


 大沢は工程表の二つの帯へ赤鉛筆で線を引いた。


 まだ失った人員ではない。


 だが、こちらの都合だけで待つ人員でもなかった。


 午前七時五十八分。


 三浦は、前日に支払った第一回予約金五億円の着金確認記録を台帳へ添付した。


 支払済み。


 相手方着金確認済み。


 支持架台の前払金三千四百二十万円も、別の行で支払済みになっている。


「クレーンの分は」


 榊原が聞いた。


「本日の留置賃料四万八千円と、撤去運搬三十六万円を承認範囲として登録します。搬出確認後、留置の終了日を確定します」


「過去分は」


「原因と契約範囲を施工会社が整理中です。今回の承認へは含めません」


「総額表も、重複を見てからか」


「はい。配管班を押さえる場合も、作業範囲、開始日、請負金額、待機時の扱いを分けてください」


 榊原は窓の外を見た。


 クレーンは、まだそこにある。


「人が足りないのに、契約を待っていたら取られるぞ」


「待つためではありません。何を頼んだか分からない状態で、人だけを現場へ入れないためです」


 人を確保することが、以前は仕事を確保することと同じだった。


 今は、資材と図面と作業場所がそろわなければ、人を確保しても仕事にならない。


 午前八時三十六分。


 当初進入路の確認が終わった。


 路肩の変形なし。排水の閉塞なし。農地側への泥の流出なし。


 地権者側の父親は、道路の奥に止まったクレーンを見た。


「あれを出すのか」


「九時を過ぎてから出します」


「また入れるんじゃないのか」


「必要になる可能性はあります。ただ、戻す日は決まっていません」


「次に入れる時も、勝手に道を広げるなよ」


「条件は変えません。必要なら先に相談します」


 父親は軽トラックへ乗った。


 機械を返す判断が、次に入れる権利まで残すわけではなかった。


 午前九時十一分。


 クレーンのエンジンが掛かった。


 誘導員が前後に立ち、車体はゆっくり動く。曲がり角の手前で農地側の軽トラックを先に通し、その後で当初進入路へ入った。


 午前九時十九分。


 クレーンが道を抜けた。


 大沢は路肩と排水を確認した。異常はない。


 午前九時二十七分、機械会社から搬出完了の連絡が届いた。


 ヤードには四本のタイヤの跡が残った。


 場所は広くなったが、使える機械が増えたわけではなかった。


 午前九時四十三分。


 配管材の供給会社から回答書が届いた。


 対象は、確定できた一系統の直管部分と共通継手。機器接続部と、回答待ちのもう一系統は含まれない。


 調達部長が読み上げた。


「先行範囲の見積額は、一億五千八百万円です」


「三億六千八百万円とは、範囲が違うな」


 榊原が聞いた。


「はい。三億六千八百万円は、仮仕様と仮数量で全体を置いた参考額です。二つを足すことはできません」


「納期は」


「発注を受けて供給会社が承諾した後、三営業日を目安に製作図を提出。こちらの承認後、最短十八営業日で納入可能です」


「今日発注すれば、十八営業日後か」


「製作図の提出と承認が先です。順調でも二十二営業日程度先です」


 大沢は工程表を見た。


 三人班は九日後。四人班は十三日後。


 どちらの期間にも、配管材は間に合わない。


「分割すれば早くなる話ではなかったのか」


「全量完成を待つより、先行範囲を早く出せるという意味です。製作図、材料手配、検査は省けません」


「見積の期限は」


「五営業日です。期限内に発注し、供給会社が承諾すれば、提示された製作枠を押さえられます」


 三浦が電話越しに確認した。


「一億五千八百万円を、そのまま追加事業費には入れません。当初設備予算と対象が重なります。分割製作や輸送による増分を照合します」


 榊原は工程表の二つの帯を見た。


「三人班には、準備作業がある」


「あります」


「四人班にも、別の仕事を渡せないか」


「必要な仕事があるか確認します。人を残すための仕事は作りません」


 午前十時二十六分。


 大沢と設計担当者は、配管経路の確認区画へ入った。


 前日に確認した十二か所のうち、計画どおりに通せる七か所。支持位置を調整する三か所。機器メーカーの回答がなければ決められない二か所。


 大沢は、作業できる区間を図面へ落とした。


「ここなら、墨出しと共通支持部の施工へ入れます」


「下側の排水管との離隔は、現場で再確認してください」


「材料は」


「標準支持材ならあります。特殊金物はまだ要りません」


 榊原が聞いた。


「三人で五日間、埋まるのか」


 大沢は作業量を確認した。


「四日分は確実です。五日目は出来形確認と修正を含めれば使えます」


「四人班も入れれば、早く終わるだろう」


「同じ区画へ七人入れても、七人分速くはなりません。高所作業車も作業場所も同じです」


「ほかの区画は」


「条件が決まっていません」


 人がいれば進むのではない。


 人が働ける場所を先に作らなければ、人数は工程にならなかった。


 午前十一時十二分。


 三人班を出せる会社との電話会議が始まった。


 大沢は作業範囲を示した。


 確定区間の墨出し。共通支持部の施工。出来形確認と修正。主要配管の据付けと機器接続部は含まない。


「五日間を保証していただけますか」


 相手方の工事責任者が尋ねた。


「四日分の作業は確定しています。五日目は確認と修正です。予定より早く終わっても、未確定範囲へ広げません」


「こちらは三人を五日間空けます」


「作業範囲と期間を含めて見積を出してください。こちらが作業場所を渡せない場合の扱いも分けてください」


「午後一時までに出します。正午までに、発注する方向かだけ教えてください」


「発注の方向で進めます。ただし、金額と契約条件の合意前に現場へ入る約束はしません」


 榊原は会議が終わるのを待って、大沢へ聞いた。


「四人班には、何も渡せないのか」


「主要配管は間に合いません。準備作業を二班へ分けるには、別の作業区画と管理者が必要です」


「十三日後までに、残る一系統が決まるかもしれない」


「可能性はあります。ただ、先方は今日、別現場へ返事をします」


 午前十一時五十分。


 四人班を出せる会社へ電話をつないだ。


「配管材の納入日は出ましたか」


 相手方の工事部長が聞いた。


「最短でも、予定していた作業期間より後です」


「では、据付けはできませんね」


「残る系統が決まれば仕事は増える」


 榊原が言った。


「いつ決まりますか」


「機器メーカーの回答待ちだ」


「開始日は出せますか」


 榊原は答えられなかった。


「別の現場は、開始日と三週間分の作業範囲が出ています。午後二時まで待ちますが、こちらも人を遊ばせられません」


「待機条件なら残せるか」


「四人を十二日間押さえる費用になります。仕事がない日も、人件費と宿泊費が掛かります」


「概算を出してくれ」


 通話が終わった。


 四人を失わないための金は、四人が働くための金ではない。


 別の仕事へ行かせないための金だった。


 午後零時三十四分。


 三人班の修正見積が届いた。


 期間は五日間。請負額七百八十万円。交通費、宿泊費、現場管理費を含む。追加作業は別途協議。こちらの条件で作業不能となった場合の待機費は、三人で一日十二万六千円だった。


「七百八十万円が、そのまま追加になるのか」


 榊原が聞いた。


 三浦が答えた。


「既存の施工費から振り替えられる部分を確認します。発注判断は進められますが、全額を純増とは確定しません」


「今日決めなければ、人がいなくなる」


「ですから、発注上限を決めてください。総額への反映とは分けます」


 榊原は見積書を見た。


「七百八十万円を上限に、変更契約を進めろ。九日後から五日間。作業範囲を明記する。待機費は自動で認めない。場所を渡せなかった日の記録を確認して協議する」


 大沢が続けた。


「主要配管の据付けは含めません。施工会社から発注し、こちらが職人へ直接指示する形にはしません」


「それも書け」


 午後一時七分。


 三人班の会社へ、発注意向と契約条件が送られた。


 午後一時二十二分。


 四人班の待機概算が届いた。


 人件費、宿泊、車両、現場管理。十二日間で一千九百二十万円。資材が間に合わず作業できない日も減額しない条件だった。


「一千九百二十万円で、人を残せる」


 榊原が言った。


 真鍋が電話越しに答えた。


「残せるのは十二日間の予定です。その後の優先権は見積にありません」


「作業が始まれば、そのまま頼める」


「資材の最短納入は、十二日間の後です」


 以前なら、事業全体を見せれば人は待った。


 次の仕事もある。この会社と付き合えば、別の現場も取れる。その期待が人をつないだ。


 今、相手が見ているのは事業の大きさではない。


 開始日。作業範囲。契約金額。今日返事をする理由だった。


 午後一時四十一分。


 榊原は四人班の会社へ電話をかけた。


「今回は、作業範囲を確定できない」


「承知しました」


「十三日後より先で、もう一度照会する可能性がある」


「その時点の配置で回答します」


「今の四人は、別の現場へ行くのか」


「今日、条件が合えば契約へ進みます」


「分かった」


「申し訳ありません」


「謝る話じゃない。こちらが仕事を決められなかった」


 通話を終えると、大沢は工程表に書かれた四人班の対応可能期間を二本の線で消した。


 人が消えたのではない。


 この現場へ来る予定だけが消えた。


 午後二時三分。


 配管材の発注条件と受入れ方法を整理した。


 見積有効期限は五営業日。先行範囲一億五千八百万円。製作図承認後、最短十八営業日。


 受入れは既存ヤードの共用を第一案、供給会社側の一時保管を第二案とする。


「新設仮置き場は不採用にする」


 榊原が言った。


「配管材の納入までに、既存ヤードを組み直せる可能性が高い」


「条件付き見込みの五千四百万円は外しますか」


 三浦が聞いた。


「外せ」


 大沢が補足した。


「配管材対応の新設案として外します。電力ケーブルで別の仮設が必要になれば、根拠と金額を改めて確認します」


「同じ五千四百万円を、別の名目で残すな」


「残しません」


 四本の赤い杭は、工事の跡ではなく、比較した案の跡になった。


 新設をやめても、四人の職人は戻らない。


 午後三時十七分。


 三人班の会社から、条件を受け入れるとの回答が届いた。


 開始日。期間。作業範囲。請負額。支給材。現場管理者。作業不能時の協議方法。


 施工会社と相手方が変更契約の締結へ進む。


「これで三人は来るんだな」


 榊原が聞いた。


「契約と開始前確認を終えれば来ます」


「まだ終わっていないのか」


「受諾回答はあります。ですが、書面を省いて現場へ入れることはしません」


 四人を失った日に、三人を確保した。


 人数だけなら、一人減ったように見える。


 だが、できる仕事も、来る日も、働ける場所も違う。三人を足しても、四人の代わりにはならなかった。


 午後四時二十八分。


 三浦から金額表の更新案が届いた。


 配管材対応の新設仮置き場五千四百万円は、不採用として条件付き見込みから除外する。


 三人班の七百八十万円は、見積受領済み・変更契約手続中として置く。既存施工費からの振替額を確認するまで、全額を純増確定とはしない。


 クレーンの撤去運搬三十六万円と搬出日の留置賃料四万八千円も、既存見込みとの重複を確認する。


「最大単純合算は」


「照合後に更新します。減らす金と増える金を相殺して、理由まで消さないようにします」


 榊原はうなずいた。


 午後五時十二分。


 銀行団へ補足資料が送られた。


 第一回予約金五億円、着金確認済み。


 ラフテレーンクレーン一台、搬出済み。


 配管材の先行範囲見積、一億五千八百万円。見積有効期限五営業日。


 三人班、確定区間の準備作業について変更契約手続中。


 四人班、主要配管の据付け条件を確定できず、今回の確保を見送る。


 新設仮置き場案、不採用。


 総額への純増減は照合中。


 倉田から電話が入った。


「四人班が別現場へ移る可能性も、工程へ反映してください」


「作業を止めたわけではない」


「分かっています。主要配管の作業班は再照会が必要、としてください」


「まだ次の班が決まっていない」


「決まっていないことを、そのまま示してください。ゼロ日として置かないでください」


「分かった」


 以前なら、決まっていない仕事は工程表の余白に置いた。


 今は、その余白にも名前が要った。


 再照会中。


 開始日未定。


 午後六時二分。


 クレーンが止まっていた場所を、作業員が清掃していた。タイヤの跡にたまった小石を寄せ、油染みがないことを確認する。


 大沢は翌日の工程表を更新した。


 三人班の契約確認。


 配管材の発注条件整理。


 主要配管据付け班、再照会。


 四人班が入るはずだった帯は、白いまま残った。


「別の班は、いつ見つかる」


 榊原が聞いた。


「今日から照会します。施工範囲と開始可能日を付けます」


「資材日が決まる前でもか」


「照会はできます。ただ、確約できない日を開始日にはしません」


 午後六時三十七分。


 施工会社の調達担当からメールが届いた。


 四人班の会社は、別現場との契約手続へ入った。


 対応可能期間の照会は終了。


 大沢はメールを工程記録へ保存した。


 榊原は画面を最後まで読んだ。


 四人の名前も、行き先も書かれていない。


 こちらへ来られる期間が消えたことだけが記されていた。


 朝、クレーンが出た場所には、タイヤの跡が残った。


 人が移った跡は、工程表の白い帯にしか残らなかった。

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