↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
7/26

第一章6 「異変」


三人のあいだに生まれたわずかな落ち着きは、長くは続かなかった。


きっかけは、窓の外に現れた、ほんの些細な違和感だった。


「……なあ」


夕真が、視線を外へ向けたまま言う。


「さっきから、あの信号……おかしくねぇか」


指さす先には、見覚えのある踏切があった。


一度だけではない。何度も通り過ぎたはずの場所が、また同じ形で現れている。


それだけでも十分に異常だったが――


「……違う」


美海が、小さく声を漏らす。


「……色、変じゃない?」


その言葉に、二人の視線も同じ一点へ向かう。


赤信号の光が、わずかに揺れていた。


滲んでいるのではない。輪郭そのものが、形を保てないまま、不規則に震えている。


まるで、水面に映った光のように。


「……なんだ、あれ」


夕真の声から、軽さが消える。


周囲の景色は何も変わっていないのに、その一点だけが現実から浮き上がっている。


「……目の錯覚じゃないな」


誰にともなく呟いた、その瞬間だった。


赤い光が、ふっと“ずれた”。


一瞬だけ、あり得ない方向へ滑るように動き、次の瞬間には何事もなかったかのように元の位置へ戻る。


だが、確かに動いた。


「……今、見たよね」


美海の声が、わずかに震える。


「ああ」


夕真が短く答える。


朝陽は何も言わず、その異常を見つめ続けていた。


やがて、赤い光はゆっくりと横へ引き伸ばされていく。


形を保ったまま、無理やり歪められるように。


そして、その輪郭が崩れた。


細かな粒となって、ほどけていく。


「……おい」


夕真の声に、焦りが滲む。


赤い光は完全に形を失い、無数の粒子となって空中に散らばった。


風もないはずなのに、それらは一定の方向へと流れ始める。


電車の進行とは逆に、まるで“こちら側”へ引き寄せられるように。


「……来る」


美海が一歩下がる。


理由は分からない。


それでも、本能がそれを拒絶していた。


粒子は窓の外を流れながら、ゆっくりと車両へ近づいてくる。


ガラス越しであるはずなのに、妙な圧迫感があった。


距離が縮まるほどに、現実が薄れていくような感覚。


朝陽は無意識に一歩だけ後ろへ下がる。


目が離せなかった。


やがて粒子は流れ去り、視界から消えていく。


そして――


何事もなかったかのように、元の夜景が戻った。


静寂。


電車の走行音だけが、現実をつなぎ止めている。


「……今の、なんだよ」


夕真が低く吐き出す。


冗談はもうなかった。


美海は言葉を失い、ただ窓の外を見つめている。


朝陽は、ゆっくりと息を吐いた。


終わった――そう思った、そのときだった。


違和感が、遅れてやってくる。


「……なあ」


今度は、朝陽が口を開く。


「……街、どこ行った」


その一言で、二人の視線が外へ向く。


そこにあったはずのビルも、信号も、道路も――


すべて、消えていた。


代わりに広がっていたのは、


どこまでも続く、暗い海だった。


月明かりすら届かない、深い闇。


波の音だけが、かすかに届く。


電車は、その上を走っていた。


線路があるはずの場所は見えない。


それでも確かに、海の上を進んでいる。


現実の延長では、もうなかった。


美海が一歩後ずさる。


「……なに、これ」


答えはない。


ただ一つ、分かることがあった。


さっきの“異変”は終わったんじゃない。


――もう、移っていた。


気づかなかっただけで。


朝陽は窓の外を見つめたまま、静かに呟く。


「……海の上を走ってる」


その言葉は、誰に向けたものでもなく、

ただ、自分の中で確かめるように零れた。


――誰も、否定しなかった。


電車は止まらない。


暗闇の海の上を、ただ静かに走り続けている。


どこへ向かうのかも分からないまま――


もう、元の場所には戻れない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。