第一章3 「嫌いじゃない」
しばらくのあいだ、言葉はなかった。
電車の揺れと、レールの音だけが続いている。
さっきまで会話をしていたはずなのに、どこか距離が残っていて、互いにまだ様子を見ているような空気だった。
窓の外に目を向けると、夜の街が変わらず流れている。
さっきと何も変わっていないはずなのに、同じものを見ている気がしなかった。
「……なあ」
夕真が、ふと声をかけてきた。
「さっきの話。“呼ばれてた気がする”ってやつ」
視線を向けると、夕真は背もたれに体を預けたまま天井を見ている。
軽い調子に見えるが、ちゃんと聞いているのが分かった。
「……なんとなく、だ」
曖昧な言葉しか出てこない。
「でも、来る前から、ここに来るって分かってた気がする」
言ってから、自分でも変だと思う。
夕真は小さく笑った。
「勘ってやつか?」
「……そうかもしれない」
はっきりとは言えない。
夕真は少しだけ考えるようにしてから、軽く息を吐く。
「まあ、悪くないな」
「……何がだ」
思わず聞き返すと、夕真は視線をこちらに向けた。
「そういうの、嫌いじゃない」
口元が少しだけ緩む。
「理由も分かんねぇのに動けるやつって、だいたい面白いことに巻き込んでくれるしな」
冗談めかした言い方だったが、どこか本気でもある。
「……巻き込まれてる側だろ、今」
そう返すと、夕真は肩をすくめた。
「違いねぇ」
短く笑い、その軽さが少しだけ空気を和らげた。
沈黙が戻るが、さっきほど重くはない。
夕真が、ちらりとこちらを見る。
「お前さ」
唐突に言う。
「変に落ち着いてるよな」
「……そうか?」
自覚はなかった。
「普通、もうちょい慌てるだろ」
夕真は軽く笑いながら続ける。
「俺だって内心はそれなりに来てるし」
そう言いながらも、顔には出していない。
「……分からないだけだ」
少し考えてから、そう答える。
「現実感がない」
それが一番近かった。
夕真は「なるほどな」と小さく頷き、窓の外へ視線を向ける。
夜の街は、変わらず流れている。
「そういう時は、考え過ぎない方が良いぜ」
夕真は軽く言った。
「どうせ分かんねぇしな」
乱暴な理屈だったが、妙に納得できた。
「……そうだな」
小さく答えると、さっきよりも少しだけ肩の力が抜けていた。
わずかな間が空く。
夕真は少しだけ満足そうに笑い、
「……面白いやつだな、お前」
冗談みたいな口調だったが、どこか本気にも聞こえた。
「嫌いじゃねぇよ、そういうの」
軽く言ったはずなのに、その言葉は妙に残った。
「……そうか」
短く返す。
それ以上の言葉は出てこないが、さっきよりも確実に距離は縮まっていた。
電車は変わらず、夜の中を走り続けている。
どこへ向かっているのかは、まだ分からない。
それでも――
さっきまでより、少しだけ。
この状況に対する不安は、薄れていた。




