第一章24 「足跡」
波の音が少し遠ざかり、代わりに足元の砂と草の擦れる音が静かに広がっていく。
浜辺を離れ、少しだけ内側へ入ると、景色はゆるやかに変わっていた。低い木々が点々と並び、ところどころに背の高い草が揺れている。風は穏やかで、海とはまた違う静けさがあった。
美海は周囲を見渡しながら、小さく息を吐く。
「……なんか、ちょっと安心するね」
さっきまでの緊張が、少しずつほどけていくのが分かる。
凪沙は足を止めず、視線だけを動かして周囲を観察していた。
「環境が単調じゃないからでしょうね。遮蔽物があると、心理的な負担は軽減される」
「そういう理由なんだ……」
美海は苦笑する。
「でも、なんとなく分かるかも」
少し間を置いて、近くの木に手を伸ばす。
葉の感触を確かめるように触れながら、ぽつりと呟く。
「……こういうとこ、来たことある気がする」
凪沙の視線が、わずかに動く。
「この島で?」
「……分かんない」
美海は首を横に振る。
「でも、似たような場所で、誰かと……」
そこまで言いかけて、言葉が止まる。
思い出せそうで、届かない。
指の間からこぼれるみたいに、感覚だけが残る。
「……誰と?」
凪沙が静かに問いかける。
美海は、少しだけ困ったように笑った。
「それが、分かんないの」
その表情は、自分でももどかしさを感じているようだった。
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しばらく歩くと、足元に小さな貝殻が点々と落ちている場所に出る。
海からは少し距離があるのに、不自然に思えるほどだった。
「……ここ、貝あるよ」
美海がしゃがみ込み、ひとつ拾い上げる。
手のひらの上で転がしながら、じっと見つめる。
「食べられるかな……」
「種類によるわね」
凪沙も近くにしゃがみ、いくつかを手に取る。
「形状的には問題なさそうだけど、加熱は必要ね」
「じゃあ、とりあえず持って帰ろっか」
美海は少し明るい声で言う。
「魚だけより、ちょっと安心だし」
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貝を拾いながら、二人はゆっくりと進む。
同じ動作を繰り返すうちに、自然と会話の間隔も短くなっていく。
「……さ」
美海が、ふと口を開く。
「凪沙ってさ、あんまり驚かないよね」
凪沙は手を止めずに答える。
「驚いていないわけじゃないわ。ただ、優先順位の問題ね」
「優先順位?」
「状況を把握して、対処することの方が先」
淡々とした口調だったが、その中には一貫した芯があった。
美海は少しだけ笑う。
「すごいね、そういうの」
「そうでもないわ」
短く返す。
けれど、その声にはわずかな柔らかさが混じっていた。
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そのとき。
美海の手が、ふと止まる。
「……あれ」
視線が一点に固定される。
足元の砂の上。
そこに、小さな“跡”が残っていた。
「これ……」
凪沙も視線を向ける。
人の足跡。
それも、新しいものではない。
風化しているが、完全には消えていない。
「……私たちのじゃないわね」
凪沙が静かに言う。
「昨日、ここは通っていない」
美海は、その跡をじっと見つめる。
胸の奥が、わずかにざわついた。
「……誰か、いたのかな」
その問いに、すぐには答えが出ない。
凪沙も、少しだけ間を置いてから言う。
「可能性はあるわね」
だが――
その“誰か”が誰なのかは、分からない。
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そのとき。
不意に、美海の頭の中に、ほんの一瞬だけ映像がよぎる。
同じような場所。
同じような足跡。
そして――
「……まって」
思わず声が漏れる。
凪沙が視線を向ける。
「どうしたの?」
「今……」
言葉にしようとして、止まる。
映像は、もう消えていた。
残っているのは、強い感覚だけ。
「……なんでもない」
小さく首を振る。
「気のせいかも」
凪沙はそれ以上追及しなかった。
ただ、その様子を静かに観察していた。
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「……戻ろっか」
美海が立ち上がる。
手の中には、いくつかの貝が握られている。
「これ、夕真たちに見せよう」
「そうね」
凪沙も立ち上がる。
二人は来た道を戻り始める。
波の音が、少しずつ近づいてくる。
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その途中。
美海は、ふと振り返った。
さっきの場所。
足跡があった場所。
そこにはもう、何も変わらない景色が広がっているだけだった。
けれど――
胸の奥のざわつきだけは、消えなかった。




