第一章21 「静寂の中で」
焚き火の火は、ゆっくりと小さくなっていた。
組まれていた枝は崩れ、赤く残った炭が静かに熱を宿している。その淡い光が、夜の空気の中でかすかに揺れていた。
さっきまで続いていた会話も、いつの間にか途切れている。
誰かが終わらせたわけではない。ただ、言葉を重ねる必要がなくなったように、自然と静けさが戻ってきただけだった。
波の音が、一定のリズムで遠くから響いてくる。
夜の空気は少しずつ冷えはじめていて、その中で焚き火のぬくもりだけが、やけに鮮明に感じられた。
「……そろそろ、寝るか」
夕真が静かに言う。その声は、無理に空気を変えるものではなく、ただ一日の終わりを示すような落ち着いた響きだった。
「うん……」
美海が小さく頷く。
「さすがに、ちょっと疲れたかも」
凪沙は立ち上がりながら、周囲を一度見渡す。
「見張りは必要かしら」
その問いに、夕真はわずかに考えてから首を振った。
「この状況で何が来るか分かんねぇけど、今日は大丈夫だろ」
少しだけ間を置いてから、付け足す。
「……たぶん」
美海が苦笑する。
「その“たぶん”が一番怖いんだけど」
「言うなって」
夕真も肩をすくめながら笑う。
そのやり取りに、ほんの少しだけ空気が緩んだ。
火の残りを軽く整え、四人は家の中へと戻る。
昼間に見たときよりも、そこはわずかに“居場所”のように感じられた。掃除した床や開けた窓、差し込む月明かり――ほんの些細な変化のはずなのに、それだけで印象は大きく違っていた。
「……なんか、ちゃんと帰ってきた感じするね」
美海が、少し照れたように呟く。
「まあ、今のとこはここしかねぇしな」
夕真が軽く答える。
凪沙は何も言わず、窓の外に目を向けたまま、しばらく夜の様子を確認していた。特に異常はない。波の音だけが、変わらず続いている。
それぞれが適当な場所に腰を下ろし、やがて横になる。
体を預けた瞬間、全身の重さが一気に広がる。思っていた以上に、疲労は蓄積していたらしい。
「……じゃ、おやすみ」
美海の声が、静かに落ちる。
「おう」
「おやすみ」
短いやり取りが、それぞれの間をやわらかく繋ぐ。
やがて、完全な静寂が戻る。
外から聞こえる波の音と、遠くに残る火の気配だけが、夜の中でかすかに揺れていた。
朝陽は、天井を見つめたまま目を閉じなかった。
今日一日の出来事が、ゆっくりと頭の中を巡っていく。電車のこと、海のこと、この島のこと――そして、焚き火の前で交わされた会話。
「……」
小さく息を吐く。
思い出そうとするたびに、何かが指の間からこぼれ落ちるような感覚が残る。確かにそこにあるはずなのに、形にはならない。
代わりに残るのは、断片的な手触りだけだった。
どこかで、似た時間を知っている気がする。
同じように、誰かと過ごしていた気がする。
けれど、その先には届かない。
意識が、ゆっくりと沈んでいく。
波の音が遠のき、思考がほどけていく。
最後に残ったのは、ひとつの名前だった。
「……あかね」
それは、無意識にこぼれたものだった。
自分でも気づかないまま、そのまま眠りへと落ちていく。
夜は、静かに更けていった。




