第一章17 「夕真の過去」
火は、静かに燃え続けていた。
夜の空気はひんやりとしていて、焚き火のぬくもりだけが、ここにいることを確かにしている。波の音は遠くで途切れることなく続き、その単調な響きが、ゆっくりと意識を沈めていくようだった。
四人は火を囲むように座っていたが、誰もすぐには口を開かなかった。
今日一日の出来事が、それぞれの中でまだ整理しきれていない。
それでも、不思議と居心地の悪さはなかった。
やがて――
「……なあ」
夕真が、ぽつりと口を開く。
「電車でさ、メールの話しただろ」
三人の視線が向く。
「俺の差出人も、“茜”ってやつだった」
火の向こうに、その名前が静かに落ちる。
「高校のときのダチでさ」
少しだけ間を置く。
「卒業してから、連絡は途切れてた」
火を見つめたまま、続ける。
「どこで何してるのかも知らねぇし、探そうとしたこともあったけど、結局見つからなくて」
「だから、あのメールも最初は普通に怪しかった」
一拍。
「でも――無視できなかった」
火が、ぱち、と小さく弾ける。
「……どんな人だったの?」
美海が、そっと聞く。
夕真はすぐには答えず、しばらく火を見ていた。
「高校のときさ、俺」
「結構ぐだってて」
少しだけ苦笑する。
「授業サボるし、バイトも続かねぇし、家でも親と揉めてばっかで」
「そのまま学校も行かなくなって、昼に起きて、夜までダラダラして、また寝るみたいな生活してた」
火の揺れが、顔を照らす。
「別に、どうにかしようとも思ってなかった」
「むしろ放っといてくれって感じで」
少し間。
「でも、あいつは普通に来た」
「連絡もなしに、いきなり」
夕真の口元が、わずかに緩む。
「ドア開けたら立っててさ」
「“昼なのに顔死んでるよ”って」
美海が、小さく笑う。
「で、勝手に上がってきて、部屋入って」
「何するでもなく、そこにいる」
「説教もしねぇし、“学校行け”とも言わねぇ」
少しだけ視線が柔らかくなる。
「俺がゲーム始めたら、普通に横で見てて」
「“それ、今の避けられたでしょ”って」
「そこかよって思ったけど」
小さく笑う。
「気づいたら一緒に遊んでた」
火が、静かに揺れる。
「無理やり何かさせられたわけじゃねぇのに」
「なんか、少しずつ戻ってくんだよな」
「気づいたら、前みたいに学校行ってて」
「バイトも続くようになってて」
言葉は淡々としているが、どこか静かな実感が滲んでいた。
「別に、特別なことされたわけじゃねぇ」
「でも、あいつがいると、変に崩れなくて済んだ」
しばらく、誰も口を開かなかった。
波の音と、火の弾ける音だけが続く。
夕真は、少しだけ遠くを見る。
「卒業してからは、会ってねぇ」
「そのまま連絡も取らなくなって」
「気づいたら、完全に切れてた」
小さく息を吐く。
「……だから、かもな」
それ以上は続けなかった。
少しだけ肩をすくめる。
「変だよな」
「昨日会ったばっかなのに、こんな話してるの」
一拍。
「でもなんか――」
ほんの少しだけ笑う。
「おまえらになら、話してもいいかなって思ったんだよ」
火が、静かに揺れる。
美海は、抱えた膝に少しだけ力を込める。
凪沙は何も言わず、ただ夕真を見ていた。
朝陽は、火を見つめたまま動かなかった。
「……」
何かが、引っかかる。
けれど、それを言葉にしようとした瞬間、するりと抜け落ちる。
波の音は変わらず続いていた。
同じ場所に座って、同じ火を囲んでいるはずなのに。
その奥にあるものだけが、まだ掴めないままだった。




