第一章16 「焚き火」
魚を持って拠点に戻る頃には、空の色がわずかに傾き始めていた。
強かった日差しも少しずつやわらぎ、海から吹く風が心地よく感じられる。
「……とりあえず、どうする?」
美海が魚を見下ろしながら言う。
「このままじゃ食えないよね」
「まあな」
夕真が頷く。
「焼くのが一番簡単か」
凪沙も静かに同意する。
「加熱は必須ね。衛生面も考えるなら、それが妥当だと思う」
「問題は火だな」
夕真が辺りを見回す。
「さっき言ってた通り、ちゃんと扱えねぇと意味がない」
少しの沈黙。
誰もが「できるかどうか」を考えていた。
朝陽は、手に持った魚を見つめる。
どうすればいいのか、はっきりと分かっているわけではない。
けれど、どこかで見たことがあるような感覚が、わずかに残っていた。
「……やってみる」
静かに言う。
三人の視線が向く。
「できるのか?」
夕真が聞く。
朝陽は少しだけ間を置いてから、曖昧に答える。
「……分からないけど、たぶん」
それだけで、十分だった。
「じゃあ任せた」
夕真があっさりと言う。
「やってみねぇと分かんねぇしな」
美海も頷く。
「うん、お願い」
凪沙も特に反対はしなかった。
「合理的な判断ね」
外に出て、乾いた枝を集める。
折れた木や落ち葉を拾いながら、朝陽は無意識に手を動かしていた。
どう組めば火がつきやすいか。
どこに空気の通り道を作るか。
考えているというより、“知っている”感覚に近い。
「……ほんとに分かってるっぽいな」
夕真が少し感心したように言う。
「なんか、迷いないし」
朝陽は手を止めずに答える。
「……自分でもよく分からない」
正直な言葉だった。
けれど、それ以上考える必要はなかった。
今は、できるかどうかだけが重要だった。
やがて、小さな火が生まれる。
最初は頼りない炎だったが、枝を足していくうちに、ゆっくりと形を保ち始めた。
「……ついた」
美海が、ほっとしたように声を漏らす。
夕真も軽く息を吐く。
「やるじゃねぇか」
凪沙も、炎を確認しながら頷く。
「安定しているわね。問題なさそう」
魚を枝に刺し、火の上にかざす。
じわじわと熱が伝わり、やがて小さな音が鳴り始める。
ぱち、と皮が弾ける。
その瞬間、香ばしい匂いが広がった。
「……いい匂い」
美海が思わず呟く。
その声には、はっきりとした期待が混じっていた。
夕真も笑う。
「腹減ってると余計にな」
しばらくして、魚にしっかりと火が通る。
見た目は簡単なものだったが、それでも“食べられる状態”になっていることが何より大きかった。
「……いけそうだな」
夕真が一本を手に取る。
少し冷ましてから、口に運ぶ。
一瞬の沈黙。
そして――
「……うまいな」
その言葉が、静かに落ちる。
美海も、すぐに続く。
「ほんとだ……ちゃんとおいしい」
凪沙も一口食べて、わずかに頷く。
「味付けはないけど、十分ね」
朝陽も、魚を口にする。
シンプルな味だった。
けれど、不思議と物足りなさは感じなかった。
むしろ、どこか懐かしい。
「……悪くない」
小さく呟く。
四人は、焚き火を囲みながら魚を食べる。
波の音が、静かに響いている。
昼とは違う、落ち着いた時間だった。
「……なんかさ」
美海が、ぽつりと口を開く。
「こうやって食べてると、ちょっとだけ普通っぽくない?」
夕真が笑う。
「状況は全然普通じゃねぇけどな」
「それは分かってるけど……」
少し考える。
「でも、ちょっと安心する」
その言葉に、誰もすぐには否定しなかった。
凪沙が静かに言う。
「環境に順応し始めているのかもしれないわね」
「言い方固ぇな」
夕真が苦笑する。
「まあ、でも間違ってはないか」
朝陽は、炎を見つめる。
揺れる火の中に、ぼんやりとした記憶の影が重なる。
同じように、誰かと囲んだ時間があった気がする。
けれど、そこから先は思い出せない。
「……」
言葉にはしない。
ただ、その感覚だけが、静かに残る。
火のぬくもりが、四人を包む。
何も分からないまま。
それでも――
確かにここに、“今”があった。




