第7話 トウキビ畑の一斉
あの夜の襲撃から、村は警戒を極限まで強めた。
だが、大作が放った五平の村田銃の一撃は、確かに化け物に致命的な恐怖を植え付けたのだろう。その年、奴が再び姿を現すことはなかった。
翌年。
集落は、これまでの苦難が嘘だったかのような大豊作を迎えた。
黄金色に実ったトウキビが畑を埋め尽くし、人々にはようやく笑顔が戻りつつあった。
しかし、豊作と同時に、山の方では不穏な噂が相次いでいた。
「また、熊の足跡があったぞ」
「アイツだ。間違いない」
怪我が完治し、今や集落の自警団を率いる立場となった大作は、決して油断していなかった。あの夜、大黒柱をへし折らんばかりに振り下ろされた爪の軌道、肌を刺す獣臭を、片時も忘れたことはない。
そして、その日はついにやってきた。
静かな昼下がり、トウキビ畑の奥で、ガサガサと大きく葉が揺れる音が響いた。
見上げるような巨躯、泥にまみれた黒い毛皮。
畑の作物を貪り食う、あの化け物の姿があった。
「――包囲しろ」
大作の静かな、だが地を這うような号令とともに、銃を構えた自警団の男たちが音もなく畑を取り囲む。
化け物が人間の気配を察知し、獰猛な咆哮を上げた瞬間だった。
「撃てッ!!」
大作の叫びと同時に、一斉射撃の轟音が鳴り響いた。
ダーーーン、ダーーーンッ!!!
何発もの弾丸が化け物の巨体を容赦なく貫く。
激しい硝煙の向こうで、山の怪異と呼ばれた化け物は、まともな反撃すら叶わず、大量の血を吐きながらトウキビの泥土の上へと、崩れ落ちるように倒れ伏した。
ピクリとも動かなくなった化け物を見下ろし、大作は五平の銃を握りしめたまま、天を仰いだ。
これで、すべてが終わった。
叔父貴、一郎、頼三、清一。あの真夏の青空の下で散っていった仲間たちの無念を、ようやく晴らすことができたのだ。
この日を境に、大作は「集落を守った英雄」として称えられ、生涯を賭けて熊から村を守るために尽力し続けた。
――それから、長い、長い年月が流れた。
大作は生きている限り、周囲に「熊を侮るな」「山に入る時は必ず武器を持て」と注意喚起をし続けた。
だが、時は無情だった。
開墾は凄まじい勢いで進み、かつて化け物が潜んでいた鬱蒼とした原生林は切り拓かれ、山の麓まで青々とした美しい田んぼが広がっていった。
実際に熊の目撃もパタリと無くなり、平和が日常になった。
そうなると、人々は少しずつ「恐怖」を忘れていく。
あの凄惨な地獄を知る世代が一人、また一人と世を去り、事件を知る者は誰もいなくなった。
かつての惨劇は、「昔そんなことがあったらしい」という、年寄りの退屈な昔話へと風化していった。
それでも、兼遠の一族だけは違った。
どれだけ周囲が忘れ去ろうとも、家の奥に佇む古い大黒柱には、あの秋の夜、化け物が深く刻み込んだ「爪の傷」がそのまま残されていた。
何世代にわたり、兼遠の子孫たちはその傷を見つめるたび、初代・大作が味わった絶望と、牙を剥く野生の恐怖を、深い血の記憶として受け継いできた。
いまや、この開拓の地に隠された凄惨な真実を知る者は、集落にほとんどいない。
視界がゆっくりと、現代の景色へと戻っていく。
青く澄み渡る北海道の空。
祖父たちが命を懸けて切り拓き、繋いできた、のどかな田園風景。
平和そのものに見えるその景色の裏側で、山々の境界線から、再び「あの不穏な気配」がゆっくりと、確実に忍び寄ろうとしていることを、まだ誰も知らない――。




