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第3話 赤く染まるせせらぎ

五平は化け物の頭部に狙いを定めた。


指先に力を込む。



ダァン――!!



轟音が夏の静寂を切り裂いた。


放たれた鉛の弾は、

真っ直ぐに怪物の頭部を捉えた。


すべての虫の音がピタリと止み、

世界から音が消える。


一瞬、怯んだように頭を揺らす化け物。


五平の口元に勝利の笑みが浮かびかけた、

その時だった。



――ガキィィンッ!!!



硬い石を叩きつけたような、乾いた金属音が響く。


同時に、ガルルルと地響きのような咆哮を上げ、

化け物が五平を真っ向から睨み据えた。


確かに頭に当たった。


だが、弾丸は分厚い毛皮を裂いただけで、

その奥にある強固な骨に

虚しく弾き返されていた。


五平は知らなかった。


熊の頭蓋骨は、

昔の銃の弾など容易く滑らせてしまうほどに硬い。


決して狙ってはいけない場所だったのだ。


確実だと思ったその「一点」こそが、

最悪の引き金となった。



怒り狂った熊が、四肢で泥を撥ね上げ、

五平に向かって猛然と駆け出した。


当時の村田銃は単発式だ。


どんなに急いでも、

次の弾を装填するには五秒から十秒はかかる。


対する熊との距離は、わずか五十メートル。


突進する巨躯が目の前に到達するまで、

三・五秒もなかった。



弾込めなど、間に合うはずもなかった。


五平は必死に逃げ出したが、

瞬く間に追いつかれ、

振り返りざまに銃を盾にして

熊の口を押さえ込もうとした。



――グシャ、バキキッ!



凄まじい顎の力で銃床が噛み砕かれる不気味な音が響き、

とんでもない力で、

五平の身体は無惨に宙へと吹き飛ばされた。



「ひ、あ、あああッ!」



そこへ、銃声を異変と察して引き返してきた喜助が、

息を切らせて遠くに見えた。


泥の上に転がり、

必死に這いつくばる五平の姿が視界に入る。



「欲かいてしくじった! 喜助、撃て!!」



助けを求める五平の、それが最期の叫びとなった。


次の瞬間、

化け物の丸太のような前脚が、

五平の頭部を容赦なく薙ぎ払った。



――ベキィッ!!!



凄まじい衝撃音と共に、

五平の首が信じられない方向へとへし折れるのを、

喜助は遠目に見た。


もう助からないことなど、直感で分かった。



――クチャ、……ボリ。



直後、静まり返った森に響き渡ったのは、

倒れた五平の肉を、早くも貪り喰らうおぞましい咀嚼音だった。


喜助は己の叫び声に狂いそうになりながら、

一目散に集落へと走り出した。


恐ろしさと、

胃袋がひっくり返るような気持ち悪さの中、

生い茂る藪を狂ったように掻き分け、

ただひたすらに集落まで駆け抜けた。


耳の奥で、

五平の首がへし折れる鈍い音と、

あの骨を噛み砕くおぞましい音が呪いのように鳴り響き、

消えなかった。



報せを聞いた集落は文字通り震撼した。


すぐさま、

銃を所持している喜助を含めた六人の男たちが選ばれ、

現地へと向かった。



沢に沿って毛馬大部川を登っていくと、

ある異変に全員が足を止めた。


川の水が、不自然に赤く染まっている。


挿絵(By みてみん)


風に乗って漂ってくるのは、

鉄臭く、鼻を突く生臭い血の香り。


聞こえるのは、

どこまでも静かな川のせせらぎの音だけだった。



川のほとりに、それはあった。


下半身の半分以上を喰い千切られた五平の遺体が、

いまも冷たい川の水に浸けられている。


浅瀬の流れが、

五平の傷口から残った血を引き抜いていくかのように、

どろどろと赤く広がっている。


熊の姿はすでになかった。



一方その頃。


集落の片隅では、

四人の青年が静かに立ち上がろうとしていた。


未開の地で右も左もわからなかった頃から、

五平に家族同然に世話になり、

深い恩義を感じている者たちだった。



「五平の叔父貴が、熊にやられたってのは本当か」



その中の一人が拳を固く握りしめ、

低く唸るような声を上げた。


彼らが、何も持たずに

さらなる地獄の深淵へ足を踏み入れることになるまで、

もう時間は残されていなかった。


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