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『婚約者の結婚式を任されたので、きっちり成功させて縁を切ります』  作者: やまご


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11/12

第11話 契約は、ここまでです

ヴィクトル様は、杯を持たずに立っていた。


「今日の式を無事に終えられたのも、長く我が家を支えてくれたリネアのおかげです」


 客の視線が、私へ向く。


 私は広間の脇で、軽く頭を下げた。


「彼女は、我が家のことなら誰よりよく分かっている。これからも家族同然の存在として、私たちを――」


「あなた」


 クララ様が、静かに呼んだ。


 ヴィクトル様は隣を見た。


 彼女は席に座ったまま、進行表へ手を添えていた。


「お礼は、私からも申し上げたいです」


 一瞬の間の後、ヴィクトル様が頷く。


 クララ様は立ち上がった。


「リネア・フェルド様には、今回、婚礼の手配と進行を正式にお願いしました」


 私の名前が、広間に響いた。


「祖母と一緒に過ごせる式にしたいという希望を聞いてくださって、会場の皆様と何度も準備をしてくださいました。おかげで、今日は落ち着いて、この日を迎えることができました」


 祖母が座る席へ、彼女の視線が向く。


 老婦人は、ゆっくり頷いた。


「本当に、ありがとうございました」


 私はもう一度、頭を下げた。


 拍手が起こった。


 遠くの席から始まり、広間全体へ広がっていく。


 帳面を持った指が、少し強張った。


 顔を上げると、ベイラム夫人がこちらを見ていた。ご主人と並んで、手を叩いてくださっている。


 私は息を吸い、吐いた。


 進行役が、予定の紙へ目を戻した。


「それでは改めまして、本日の婚礼を担当いたしました皆様をご紹介いたします」


 私の名前の後に、会館、料理長、花屋、楽団、衣装を仕立てた工房の名が続いた。


 マルタさんが、広間の後ろで小さく頭を下げる。


 給仕長は扉のそばに立ち、厨房へ向かって何か合図を送った。料理長にも、拍手が聞こえているとよいと思った。


 エドガー様は会館主として一礼し、そのまま私のほうを見た。


 彼は、何も言わなかった。


 私も、頷くだけにした。


 まだ、お客様をお送りする仕事が残っていた。


     *


 玄関は、帰りの馬車を待つ人で賑わった。


 雨はやんでいたが、石畳は濡れている。階段の脇に人を立て、足元を見ながら乗っていただいた。


 ベイラム夫人の馬車が来るまで、少し時間があった。


 椅子へ案内すると、夫人が私の手を取った。


「お疲れさまでした」


「お楽しみいただけましたか」


「ええ。途中で疲れてしまうことばかり心配していたけれど、今日は、気づいたら最後までおりました」


 ご主人が隣で頷く。


「私たちの祝いも、楽しみにしていますよ」


「ありがとうございます」


 そこへ、広間で私に声をかけた男性客が近づいてきた。


「フェルドさん、とおっしゃいましたね」


「はい」


「来月、母の誕生日に親族を集めたいのですが。こういった会も、お願いできますか」


 私はすぐに頷きかけて、予定表を思い出した。


 ベイラム夫人のお祝いがある。


 日程と規模を聞かなければ、お受けできるかは分からない。


「まず、ご希望を伺えればと思います。後日、ご相談のお時間をいただけますか」


「もちろんです」


 差し出された名刺を受け取った。


 さらに、別の女性からも声がかかった。


 娘の成人を祝う席について、相談したいという。


 私は連絡先を伺い、自分の住所と名前を書いた小さな紙を渡した。


 何枚か持ってきておいてよかった。


 父に、必要になるかもしれないと言われたときは、用意しすぎではないかと思っていたのに。


 最後の馬車が門を出たとき、手元に残っていた紙は二枚だった。


     *


 広間へ戻ると、片づけが始まっていた。


 花を運ぶ者。

 食器を数える者。

 椅子を壁際へ寄せる者。


 私は貸し出し品の一覧を開き、給仕長と数を確かめた。


 預かった品に不足はない。


 忘れ物は、手袋が一組と、刺繍の入ったハンカチ。席の場所を控え、後日確認することにした。


 伯爵家の執事が声をかけてきたのは、その確認を終えたところだった。


「フェルド様。ご精算を」


「お願いいたします」


 小広間の机に、用意した書類を広げる。


 契約時に四割。

 準備完了時に四割。

 今日、残りの二割。


 受け取った金額を確かめ、受領書へ署名した。


 契約に含まれる手配は、すべて完了している。業者から後日届く請求書については、送付先と確認方法を一覧にして渡した。


「不足がございましたら、書面でご連絡ください。契約の範囲で確認いたします」


「承知いたしました」


 執事は書類を丁寧に重ねた。


 それから、少し声を落とした。


「これまで、ありがとうございました」


 私は顔を上げた。


「何度も、助けていただきました。こちらからお願いするばかりで」


 彼の目は、机の上の一覧へ向いていた。


 伯爵家で働いていた三年間、困ったことがあれば最初に相談する相手だった。


 彼も忙しく、私も忙しかった。


 互いに、何とか間に合わせようとしてきた。


「私も、お世話になりました」


 私は鞄から、小さな鍵を二本出した。


 書類を保管していた棚の鍵と、業者の出入りに使う伯爵家の脇門の鍵。


 どちらも、預かったままだった。


 執事の前へ置く。


 机に触れた金属が、小さく鳴った。


「こちらも、お返しいたします」


 彼は一度だけ、私を見た。


 それから両手で鍵を受け取った。


「確かに、お預かりしました」


     *


 小広間を出たところに、ヴィクトル様がいた。


 花婿の飾りを外した上着で、壁際に立っている。


「終わったのか」


「はい。精算も、鍵の返却も済みました」


「そうか」


 彼は扉の向こうを見た。


 執事が書類を片づけている。


「少し、頼みたいことがある」


 私は足を止めた。


「何でしょうか」


「クララの祖母のところへ、明日、今日の花を届けたい。あれだけ喜んでいたからね。花屋へ連絡して、見栄えよくまとめてもらえないか」


 広間の花を、思い浮かべた。


 持ち帰る分と、会館に残す分は、すでに決めてある。追加で届けるなら、花屋へ相談する必要があった。


「花屋の連絡先は、お渡しした一覧にございます」


「君から言ったほうが早いだろう」


「本日の取り分けまでは、手配しております。それ以降の配送は、直接ご相談ください」


 ヴィクトル様は眉を寄せた。


「花を届けるだけだよ」


「はい。ですから、ご希望の時間とお届け先をお伝えいただければ」


「本当に、もう何もしないつもりなんだな」


 私は彼を見た。


 怒っているというより、まだ納得していない顔だった。


 今日一日、私は彼とクララ様のために働いた。


 式を成功させるため、何度も廊下を歩いた。


 その姿を見て、何かが元に戻ったと思ったのかもしれない。


「今日のお仕事は、終わりました」


 私は言った。


「お約束したことは、務めたつもりです」


「それは……よい式だったと思っている」


「ありがとうございます」


 返事をすると、彼は黙った。


 その後に、私から何か言うのを待っていた。


 また何かあれば。

 いつでもお声を。

 これまでどおりに。


 私は何も付け加えなかった。


 廊下の向こうから、クララ様が歩いてきた。


 着替えを済ませ、侍女が外套を持っている。


「お祖母様への花のこと?」


 ヴィクトル様が頷いた。


 クララ様は、私が抱えている書類へ目を向けた。


「リネア様から、一覧をいただいているわ。帰りの馬車で、届ける時間を決めましょう」


「だが」


「私が祖母に、都合を聞きます」


 ヴィクトル様は口を閉じた。


 クララ様が、私へ向き直る。


「今日は、ありがとうございました」


「こちらこそ。どうぞ、お気をつけてお帰りください」


 彼女は少し迷ってから、手を差し出した。


 私は帳面を片手へ持ち替え、その手を取った。


「祖母が、私の顔を最後まで見られたと喜んでいました」


「それは、よかったです」


「ええ。本当に」


 手を離す。


 クララ様はヴィクトル様の隣へ戻った。


 二人が玄関へ向かうのを見送り、私は反対側の廊下へ歩いた。


     *


 会館を出る頃には、空に夕暮れの色が残っていた。


 広間の灯りが、一つずつ消えていく。


 玄関で鞄を持ち直したとき、エドガー様が出てきた。


「お疲れさまでした」


「エドガー様も」


「馬車を呼びましょうか」


 私は少し考えた。


「通りまで、歩いてもよろしいでしょうか」


「ええ。お送りします」


 門を出ると、空気がひんやりしていた。


 濡れた石畳が、店の灯りを映している。


 二人で並んで歩いた。


 何か話さなければとは、思わなかった。


 今日は十分に、たくさんのことを話した。


 料理の時刻も、客の席も、馬車の順番も。


 今は、歩く音だけでよかった。


 橋の手前で、私は足を止めた。


「鍵を、返してきました」


 エドガー様がこちらを見た。


「伯爵家の?」


「はい」


 私は鞄の留め金へ指を添えた。


 いつも小さな内袋に入れていた。


 なくさないよう、何度も確かめた。


 今は、そこにない。


「何か忘れたような気がしてしまいます」


「三年間、お持ちだったのですから」


「そうですね」


 私は笑った。


 少しだけ、目が熱くなった。


 彼は手を伸ばしかけて、止めた。


 私はその手を見てから、自分の手を重ねた。


 温かかった。


 エドガー様が、ゆっくり握り返した。


 しばらく、そのままでいた。


 泣いてしまうかと思った。


 けれど、涙は落ちなかった。


 代わりに、深く息ができた。


「明日のことですが」


 私が言うと、彼が顔を向けた。


「お店を、決めました」


「どちらですか」


「橋を渡った先の、焼き菓子のお店です。窓際に二人で座れる席があるそうです」


「楽しみです」


「二時で、よろしいでしょうか」


「はい」


 私は頷いた。


 明日は、席順の表も、進行の帳面もいらない。


 手配するのは、私たち二人の席だけだった。

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