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みんぱくの小さな迷宮案内人~忘れられた宝物と、学芸員補の展示日誌~  作者: 明石竜


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第六話 忘れ物を探す老人

 次の日の午後、ほのかがアフリカ展示室の巡回をしていると、一人の老紳士が、仮面の前でじっと立ち尽くしているのに気づいた。

 白髪をきちんと整え、上品な身なりをした男性だった。年齢は七十代後半だろうか。杖を片手に、身じろぎもせず、ただ一心に仮面を見つめている。

 その様子が、あまりに長く続くので、ほのかは声をかけることにした。

「あの、何かお困りですか」

 老紳士は、ゆっくりとこちらを向いた。

「ああ……すみません。少し、懐かしくなってしまって」

「懐かしい、ですか」

「若い頃、仕事で西アフリカに駐在していましてね。その土地で、こういう祭礼を見たことがあるんです」

 老紳士は、そう言って再び仮面に視線を戻した。

「もう五十年近く前の話ですが……」

 ほのかは、その言葉に興味を引かれた。

「よろしければ、当時のお話、聞かせていただけますか」

 老紳士は少し驚いたような顔をしたが、やがて小さく頷いた。

「私は、山内と申します。昔、商社に勤めていましてね。二十代の終わりから三十代にかけて、西アフリカの、ある町に駐在していました」

「山内様ですね。私は展示課の小宮と申します」

「小宮さん。あなた、この展示品について詳しいんですか」

「ある程度でしたら。この仮面は、共同体の中で祭礼に使われていたもので……」

 ほのかは、これまで調べてきた内容を、ゆっくりと丁寧に説明していった。死者と生者をつなぐ役割を持つこと、共同体の結びつきを象徴する存在であること。

 山内は、その説明を一つひとつ噛みしめるように聞いていた。

「そうか……そういう意味があったのか」

「ご覧になったことがある祭礼と、似ていましたか」

「ええ。当時、現地に赴任してすぐの頃、取引先の担当者――ジャン=ピエールという男が、私を彼の故郷の祭りに連れて行ってくれたんです」

 山内の目が、少し遠くを見るような色を帯びた。

「言葉もろくに話せない私に、彼はとても親切にしてくれましてね。祭りの意味も、丁寧に教えてくれた。この仮面と、よく似たものを見ました。祭りの日は、朝から町じゅうが賑やかでしてね。広場へ向かう道には、色鮮やかな布をまとった人たちが集まっていました。子どもたちは走り回り、大人たちは日陰で何やら楽しそうに話している。私には、何を話しているのかも分かりませんでしたが」

 山内は懐かしそうに目を細めた。

「そんな私に、ジャン=ピエールは、一つひとつ教えてくれたんです。あの仮面は誰が着けるのか、どうして人々が歌うのか。祭りが終わったあとには、彼の家族と一緒に食事までご馳走になりました」

 そこで山内は、少し寂しそうに笑った。

「今でも、あの日の食卓の賑やかさを覚えていますよ」

「その方とは、今も交流があるんですか」

 山内は、ゆっくりと首を振った。

「いや……。私が帰国してから、しばらくは手紙のやり取りをしていたんですが、その後、彼の故郷で内戦があって。それきり、消息が分からなくなってしまいました」

「そうだったんですね……」

「もう随分昔の話です。生きていれば、私より少し若いくらいのはずですが」

 山内は、そう言って小さく笑った。けれど、その笑みには、どこか寂しさが滲んでいた。

「今日、たまたまこの博物館の案内を見て、懐かしくなって来てみたんです。もしかしたら、当時のことが何か分かるかもしれないと思って」

「品物を探していらっしゃるわけではないんですね」

「ええ。物ではなく……あの頃、私に親切にしてくれた人が、確かにいたという証を、探しているのかもしれません」

 その言葉に、ほのかは何かが胸に触れる気がした。

「山内様。もしよろしければ、当時のことについて、もう少し詳しく教えていただけますか。地域や年代が分かれば、こちらの資料で何か見つかるかもしれません」

「本当ですか」

「確約はできませんが、調べてみる価値はあると思います」

 山内は目を輝かせた。

            ☆

 その日の夕方、ほのかは収蔵資料室にこもり、山内から聞いた地域名と年代をもとに、当時の調査記録を掘り起こした。

 偶然にも、その地域については、かつて日本の研究チームがフィールドワークを行った際の記録が残っていた。分厚いファイルをめくっていくと、当時の写真や聞き取り記録の中に、「ジャン=ピエール」という名前を見つけた。

「……あった」

 思わず声が出た。

 記録によれば、その人物は当時、地域の祭礼を取り仕切る役割を担う家系の出身で、外部からの来訪者にも寛容に、祭礼の意味を説明する役目を自ら引き受けていたという。日本の研究チームの聞き取りにも協力しており、「外の人にこそ、この祭りの意味を知ってほしい」と語っていたと記されていた。

 内戦後の消息については、記録には残っていなかった。けれど、少なくとも、彼が確かにその土地で生き、多くの人に文化を伝えようとしていたことは、はっきりと記録に残されていた。

          ☆

 翌日、ほのかは山内に連絡を取り、再び来館してもらった。

「これが、当時の記録です」

 資料の写しを見せると、山内は震える手でそれを受け取った。

「……ジャン=ピエール」

 写真の中には、若き日の彼と思われる青年の姿があった。快活そうな笑顔で、祭礼の場に立っている。

「間違いない。この顔です」

 山内の声が、わずかに震えていた。

「彼は、生きていたか死んでしまったか、それすらも分からないままでした。でも……こうして、彼が確かにあの場所で、大切な役目を果たしていたことが分かって……」

 言葉を詰まらせる山内に、ほのかはそっと寄り添った。

「消息までは、分かりませんでした。申し訳ありません」

「いや、じゅうぶんです。じゅうぶんすぎるくらいです」

 山内は、写真の写しを大切そうに胸に抱いた。

「ありがとう、小宮さん。あなたのおかげで、五十年間、心のどこかに引っかかっていたものが、少し軽くなった気がします」

「私は、ただ資料を調べただけです」

「いいえ」

 山内は、ゆっくりと首を振った。

「物だけを見ていたら、こういうことには気づけません。あなたは、物の向こうにいる人を、見ようとしている。それは、簡単なことじゃない」

 その言葉は、ほのかの中に深く残った。


 山内を見送った後、ほのかは一人、アフリカ展示室に立ち寄った。仮面は、いつもと変わらぬ表情で、ひっそりとそこにあった。

「今日、山内さんが喜んでくれたの、あなたのおかげでもあるかもしれないね」

 ふと視線を感じて振り返ると、展示ケースの陰から、タビがこちらをじっと見ていた。

「見てたの?」

 タビは答えず、ただ静かに、仮面のほうへ視線を移した。

 まるで、その仮面が果たした役目を確かめているかのように。

 ほのかは小さく微笑んで、その場を後にした。

 物は、しゃべれない。けれど、その向こうにある誰かの記憶や想いを、確かに伝える力を持っている。

 その日の帰り道、ほのかはそのことを何度も心の中で繰り返していた。

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