第十四話 存在しない展示番号
「小宮さん、この古い台帳、整理手伝ってもらえる?」
収蔵資料室で、先輩職員から声をかけられたのは、長谷との会話から数日後のことだった。
「はい、大丈夫です」
手渡されたのは、色褪せた表紙の分厚い台帳だった。年代物の紙の匂いがする。
「昔の収蔵記録なんだけど、データベース化する前のものだから、手作業で照合していかないといけなくて。地味な作業だけど、お願いできる?」
「わかりました。やってみます」
台帳には、手書きの文字で、収蔵品の番号、名称、収蔵年月日などが記されていた。ほのかは現在のデータベースと照らし合わせながら、一つひとつ確認していく作業に取りかかった。
単調な作業だったが、ほのかは意外と嫌いではなかった。古い文字を追いながら、その品がどんな経緯でこの博物館にやってきたのか、想像を巡らせることができるからだ。
作業を始めて一時間ほど経った頃、ほのかは、あるページで手を止めた。
「……あれ?」
古い台帳に記された管理番号が、現在の収蔵品データベースのどこにも見当たらない。
「MK-1970-088……」
番号の形式から見て、一九七〇年の資料であることは分かる。けれど、この番号が付けられた経緯までは、台帳から読み取れなかった。
「入力漏れ、かな」
ほのかは、念のため他の年代の台帳もいくつか確認してみた。すると、同じように、現行データベースに存在しない番号がいくつか見つかった。それも、すべて一九七〇年前後に集中している。
「これ、九条さんに見てもらった方がいいかも」
その日の夕方、ほのかは台帳の写しを持って、研究部のオフィスへ向かった。
「九条さん、ちょっと見てほしいものが」
「なんだ」
ほのかが台帳のコピーを差し出すと、九条はざっと目を通し、すぐに眉を寄せた。
「これは……」
「現行のデータベースに、対応する記録がないんです。何件か見つけました」
「全部、一九七〇年前後か」
「はい」
九条は、パソコンでデータベースを開き、番号を一つずつ照合していった。
「……確かにない。古い台帳には記載があるのに、現在の収蔵品データベースには登録されていない」
「入力ミスにしては、数が多くないですか」
「そうだな。単純なミスというより……」
九条は、しばらく考え込んだ。
「一九七〇年前後か。ちょうど大阪万博が開催された頃だな」
「万博、ですか」
「当時、世界各地から多くの品々と人々が集まった。万博が終わった後、それらの一部は一時保管施設へ運ばれ、後にこの博物館へ引き継がれたらしい。その過程で、じゅうぶんな記録が残されなかった品もあったと聞く」
九条は、台帳のページをもう一度めくった。
「この番号のついた品が、今、どこにあるのか。それが分かれば、何か見えてくるかもしれない」
二人は、収蔵資料室に戻り、台帳に記された番号を手がかりに、対応する品を探すことにした。
古い収蔵記録を辿っていくと、いくつかの品は、すでに廃棄されたか、あるいは別の博物館へ移管されたことが分かった。けれど、そのうちの数点については、行方すら記録に残っていなかった。
「これは……」
ほのかは、あるページで手を止めた。
「MK-1970-088番、行き先の記載なし。備考欄に、何か書いてあります」
達筆な、けれど掠れた文字で、こう記されていた。
「地下収蔵区画へ」
「地下……」
ほのかと九条は、思わず顔を見合わせた。
「長谷さんが言っていた、あの場所か」
「そうかもしれません」
その夜、収蔵資料室で作業を続けていると、ふと、資料室の隅に小さな気配を感じた。
「タビ?」
振り返ると、タビが、台帳の山の上にちょこんと座っていた。
「あなたも、この台帳のこと、気になるの?」
タビは答えず、ただじっと、台帳のページを見つめていた。まるで、そこに書かれた何かを、確かめているかのように。
ほのかは、そっとタビに近づいた。
「MK-1970-088番。この番号、何か知ってる?」
タビは、ゆっくりと顔を上げ、ほのかを見た。
その目――ぼんやりとした輪郭の中で、そこだけがはっきりと見える気がする瞳が、どこか懐かしそうな色を帯びているように、ほのかには感じられた。
「九条さん、これ、見てください」
ほのかが振り返ると、九条もまた、タビの様子をじっと観察していた。
「……本当に、そのページに反応しているように見えるな」
「見えますよね!」
「まだ、断定はできない。だが……」
九条は、珍しく歯切れの悪い言い方をした。
「偶然だと片付けるには、少し出来すぎている」
その日、ほのかと九条は、行方の分からない収蔵品のリストを作成することにした。台帳に記された番号のうち、現行のデータベースに存在しないもの、そして備考欄に「地下収蔵区画へ」と記されたものを、一つずつ書き出していく。
リストは、思いのほか長くなった。
「こんなに、あったんですね」
「万博の閉幕後、各地から集まった品々の整理は、相当な混乱の中で進められたはずだ。その後、この博物館へ資料が引き継がれる過程でも、記録がじゅうぶんに整理されなかったものがあったのかもしれない」
九条は、リストを見つめながら呟いた。
「持ち主も分からない。使われていた場所も分からない。誰が、どうやって日本へ持ち込んだのかさえ、記録に残っていない」
「そんな品々が、地下に眠っているんでしょうか」
「長谷さんに、直接聞くしかないだろうな」
その夜遅く、ほのかは収蔵資料室の窓の外を眺めていた。
タビは、いつの間にか台帳の山から姿を消していた。けれど、その気配だけは、まだこの部屋のどこかに残っているような気がした。




