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みんぱくの小さな迷宮案内人~忘れられた宝物と、学芸員補の展示日誌~  作者: 明石竜


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第十二話 なくなった小さな人形

「小宮さん、大変です!」

 朝一番、子ども向け展示コーナーの担当職員が、血相を変えて駆け込んできた。

「どうしたんですか」

「人形が、一体なくなってるんです。あの、世界の子どもたちの遊び道具コーナーの」

 ほのかは、すぐにその展示コーナーへ向かった。

 そこは、世界各地の子どもたちが遊んでいた玩具や人形を集めた、家族連れに人気の一角だった。木彫りの人形、布で作られた動物のぬいぐるみ、素朴な色合いの玩具が、低い展示台に並んでいる。

 この一角では、来館者が実際に手に取って遊べるよう、展示用に用意された複製品が使われていた。ただし、持ち帰りは禁止されている。

 展示パネルには、それぞれの玩具が、どのように作られていたのかも紹介されていた。

 布の切れ端を縫い合わせた人形。木の枝を削って形を整えた動物。身近な材料を利用して、大人が子どものために作ったものもあれば、子ども自身が工夫して作ったものもある。

 同じ人形でも、材料や作り方、遊び方は土地によって違う。

 けれど、誰かが手を動かして、小さな玩具を作った時間は、どの展示品にも確かに残されているように思えた。

 その中の一つ、小さな木製の人形が見当たらなかった。

「昨日の閉館前点検では、ちゃんとあったんです」

「防犯カメラは確認しました?」

「今、警備員さんに確認してもらってます」

 しばらくして届いた報告によると、閉館後、人形が消えた形跡はカメラには映っていなかった。ただ、昨日の開館中、その展示コーナーの前に、小学生くらいの少女が長く留まっていたという映像が確認された。

「盗難、ってこと……?」

 ほのかは、映像を見せてもらいながら、複雑な気持ちになった。

 その少女は、映像の中で、人形をじっと見つめたり、そっと手に取ったりしていた。母親らしき女性が何度か声をかけているが、少女はなかなかその場から離れようとしない。

「この子、常連さんかもしれません。何度か見かけたことがあります」

 案内スタッフの一人がそう証言した。

            ☆

 その日の午後、展示課では対応について話し合いが持たれた。

「防犯上、警察に相談すべきという意見もあるが」

 鳴海が慎重な口調で切り出す。

「ただ、相手が子どもとなると、慎重に扱う必要があるわね」

 その場にいた九条が口を開いた。

「事実関係を確認するのが先だ。まだ、盗難と断定できる段階じゃない」

「でも、映像だとかなり怪しい行動を……」

「怪しく見える、というだけだ。本人の事情を聞かないことには、何も分からない」

 九条の言葉に、ほのかは少し驚いた。合理主義の九条らしからぬ、慎重な物言いだったからだ。

 会議が終わった後、ほのかは九条に声をかけた。

「さっきの言い方、意外でした」

「何がだ」

「もっとすぐに『盗難だ』って結論づけるかと思ってました」

「証拠が不十分な段階で結論を出すのは、研究者として失格だ」

             ☆

 その日の閉館後、ほのかが巡回に出ると、タビが珍しく落ち着かない様子で、展示室のあちこちを走り回っていた。

「タビ、どうしたの?」

 いつもより、その動きは慌ただしかった。子ども向け展示コーナーの前を何度も行き来し、まるで何かを訴えているようだった。

「もしかして、あの人形のこと?」

 ほのかは、展示コーナーの前にしゃがみ込み、空いた展示スペースを見つめた。

 その隣には、少女がいつも立ち止まっていたという場所がある。ほのかは、そこに残されていた小さな来館者アンケートの用紙を手に取った。

 自由記入欄に、たどたどしい字でこう書かれていた。

「このにんぎょう、おかあさんがすきだったにんぎょうにそっくりです」

 その一文を読んで、ほのかの胸がぎゅっと締めつけられた。

           ☆

 翌日、ほのかは鳴海と警備担当者に相談し、前日の防犯映像と来館記録を改めて確認することになった。

 調査の結果、展示コーナーに長く留まっていた親子連れが、博物館の会員登録をしていることが分かった。

 鳴海は担当部署に連絡し、登録情報の取り扱いを確認したうえで、母親に事情を尋ねることにした。

 その後、母親から折り返しの連絡があった。

「……娘が、展示されていた人形を持ち帰ったと言っているんです」

 ほのかは、思わず息を呑んだ。

 けれど、まずは少女の話を聞くことが大切だと思った。

 電話越しに、母親の声が緊張するのが分かった。

「すみません……。娘が、勝手なことをしてしまって」

「よろしければ、一度、博物館にお越しいただけますか。娘さんも、ご一緒に」

               ☆

 翌日の午後、母親と少女が博物館を訪れた。少女は俯いたまま、母親の後ろに隠れるようにしていた。

「ごめんなさい……」

 小さな声で、少女がそう言った。ポケットから、あの人形をそっと取り出す。

「勝手に持って帰っちゃいけないって、分かってたんだけど……」

「どうして、持って帰りたいと思ったの?」

 ほのかは、しゃがみ込んで、少女と同じ目線になって尋ねた。

 少女は、しばらく黙っていたが、やがてぽつりぽつりと話し始めた。

「あの人形、おかあさんが小さいころに持ってた人形に、すごく似てるの」

 母親が、はっとした表情を見せた。

「私の母――この子のおばあちゃんが、亡くなってしまって。私も、小さい頃に遊んだ人形のことを、この子によく話してたんです」

 母親の目に、涙が浮かんでいた。

「あの人形、写真でしか見たことがなかったから……この博物館で似たものを見つけて、娘なりに、何か感じるものがあったんだと思います」

 少女は人形を胸に抱きしめながら、小さな声で続けた。

「おかあさんに、見せてあげたかった。おばあちゃんの人形と同じだよって」

 その言葉に、ほのかの目頭が熱くなった。

「そうだったんだね……。教えてくれて、ありがとう」

 母親は、何か言おうとして口を開いた。

 けれど、すぐには言葉が出てこなかった。

「……そんなこと、考えてたの?」

 少女は、小さく頷いた。

「おかあさん、おばあちゃんの話をすると、いつも寂しそうだったから」

 母親は、そっと少女の肩に手を置いた。

「……ありがとう。でもね、持って帰っちゃいけないものは、持って帰っちゃだめなの」

「うん……ごめんなさい」

「おばあちゃんのこと、覚えていてくれて、嬉しかったよ」

 少女は、ようやく顔を上げた。

 ほのかは、少女の目を見て冷静に続けた。

「この人形は、博物館の大切な展示品だから、ここに置いておかなきゃいけないの。でも、あなたの気持ちは、ちゃんと分かったよ」

「うん……」

「もし良かったら、これからも何度でも、この人形に会いに来てね。おばあちゃんの人形のこと、お母さんとたくさんお話ししながら」

 少女は、こくんと頷いた。

 母親は、深く頭を下げた。

「本当に、申し訳ありませんでした」

「いえ、大丈夫です。人形も、無事に戻ってきましたし」

 ほのかは、優しくそう伝えた。


 親子が帰った後、ほのかは人形を元の展示台に戻した。木彫りの小さな人形は、何事もなかったかのように、ひっそりとそこに収まった。


 その夜、閉館後の展示室で、タビが人形の前に、ちょこんと座っていた。

「あなたも、心配してたんだね」

 ほのかがそう声をかけると、タビはいつになく穏やかな様子で人形を見つめていた。

 誰かの記憶をつなぐ小さな人形。それは、誰かの大切な想いに、そっと呼ばれていただけだったのかもしれない。

 ほのかは、そんなことを考えながら巡回を続けた。

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