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第6話 分厚い肉の盾と、アンリの審理

「やはり状況を読んでいたか」


 ハルジオンが安堵したように息を吐いた。


 ナナリエを長椅子へ促し、自分も当たり前のようにその隣に腰を下ろした。

 ……そこで、はっとしたように腰を浮かせる。


「はい。法的にアンリの安全性の保証を得る。それが狙いですね」


 ナナリエは眉を寄せて深く頷いた。


 私のこと?

 私のことでナナリエは何か準備をしてきてくれたの?

 安全性の保証、それを得るってどういうことだろう。


「そう……そうだ……な」


 ハルジオンは腰を浮かしたまま目を泳がせている。

 ……なんでその姿勢なんだろう。


「お兄様?」

 ナナリエが不思議そうにハルジオンを見上げた。


「お前らも座れよ」

 背後で声がするのと同時に、私は腕を引っ張られてバランスを崩した。


「わっ」

 何故かちょうどいい位置にあった長椅子の上に尻もちをついた。


 長椅子から身体を起こしたソラリスが、私の腕を引いて座らせたらしい。

 隣でエンジュも、一人掛けの椅子に静かに腰を下ろしていた。


 ソラリスは大きな目で、正面のハルジオンをじっと見つめた。


「座れば?話が進まない」


「あ、ああ。そうだな」

 ハルジオンは今度こそ深く座って、全員に視線を向けた。


「議会では取り乱してしまい、申し訳ありませんでした」

 ナナリエがハルジオンに向けて頭を下げた。


「お兄様の意図も読まず、感情的に反論してしまいました」


「いや、いい。君はこの子のことになると理性より感情が動く。それは決して悪いことではない」


 それはいつもナナリエに向けられていた優しい表情だった。


 常に理性が上回っているナナリエが感情にも目を向けられるように、私をそばに置いたのだと、以前ハルジオンから意図を打ち明けられたことがある。


「はい。アンリは大切です」


 ナナリエはハルジオンの目を見ながら、迷いなく言い切った。

 だけどハルジオンは少しだけ目を伏せて、ふたりの視線は交わらなかった。


 そうだ。


 婚約の解消はあっさり受け入れたのに、ナナリエは私を手放すことだけは拒んだ。

 

 『私の大切な友人』

 

 あの日、その言葉は私を救ってくれた。

 でも同時に、ハルジオンを傷つけた。



 肩が小さく震えている。

 あの日のことを、思い出しているんだろうか。


 ハルジオンは俯いていた顔を天井に向けて、目頭を押さえた。


「やはり君は……」


 な、泣いている……?


「……話が、通じる」


 な、なんだって?


 言葉を失ったのは私だけじゃなかった。

 ナナリエも他の二人も唖然としてハルジオンを見つめていた。


「行動が理解できることが、こんなにも安心できるとは」


「どうされたのですか、お兄様?」


「おい。ハルジオン、泣いてんのか?」


「ナナリエがどう動くのか……読めてしまう」


 そこなの?


 婚約を解消した恋人と再会して、感動するところ、そこなの?


「……なあ。お前、疲れてるだけじゃね?」

 ソラリスが親指で私を指した。

「こいつのせいで」


「私!?私のせい!?」


「いや、大丈夫だ」

 椅子の肘掛けに体重を預けて、ハルジオンは呼吸を整えているみたいだった。

「腹の読めぬ百戦錬磨の手練てだれとも交渉を交わしてきた……」


「て、手練って……ふふ」

 エンジュが顔を背けて肩を震わせている。


「エンジュ、笑ってるでしょ!?」


 喧嘩中のハルジオンに見つからないように、こっそり笑っているつもりなんだろうけど。

 丸見えなんだよ!


「だって……アンリに翻弄されるなんて……弱点なんてなさそうなハル——」

 エンジュが震えながら身体を向き直らせた時、ちょうどハルジオンも体勢を立て直していた。


 視線がぶつかりかけて、そして互いに引き返した。


 エンジュの笑いも引っ込んだ。

 ハルジオンもいつもの澄ました顔に戻った。


「これ、子どもの喧嘩ですよね?」

 たまらず私は、隣のソラリスに耳打ちしてしまった。


 エンジュとハルジオンの睨みが素早く飛んでくる。


 でも、怖くはない。

 なぜなら。


「子どもの喧嘩でももっと上手くやるだろ」

 ソラリスは、私よりはっきり言うから。


「……喧嘩ですか?」

 ナナリエが首を傾げた。

「誰が?」


 こんなにあからさまなのに、ナナリエは気づいていないみたいだ。


「さあ、本題に入ろうか」

 切り替えるように、ハルジオンが身を乗り出した。

「僕もこっそり出てきたから時間がないんだよね」

 エンジュも取ってつけたような笑顔をみんなに振りまいた。


 なんだ?

 妙に息が合っているな。

 さっきまでの、ぴりついた空気はどこへ行ったんだろう。


 ナナリエは、急に話題を戻したハルジオンを不思議そうに見た。


「……はい。私が準備してきた情報の開示からでよろしいですか」


「もちろんだ」

 ハルジオンは妙に整った顔で返事をした。


「待ってください」

 私はさっと手を挙げた。

「先に教えてください。今から何をしようとしているのか」


「先ほども言っただろう。君の審理だ」

 ハルジオンがめんどくさそうに眉間に皺を寄せた。


 ……それはわかってるんだけど。


「アンリが自由に歩いても大丈夫だって、みんなに認めさせるのよ」


 自由に歩けるように……?

 そんなことが、本当にできるんだ……。


「今、アンリを追い詰めているのは姿のない噂だね。これは厄介なんだ」

 エンジュが腕組みをして困ったように首を傾げた。


「姿のない噂……」

 たしかに、誰か特定の人や団体に非難されているわけじゃない。

 なんとなく王都全体の空気が、あの子は情報を消すから危険だ、と言っている感じだ。


「だから見える形にして戦おうとしてるんだよ」


「なるほど」

 思わず頷く私を見て、エンジュがにっこり笑った。


「君が触れたことで、系譜管理局の情報に影響が出たのは事実だ」

 ハルジオンが厳しい表情で言った。

「その事実は覆せない」


「だからこそ、その危険性を法的に評価してもらうのよ」

 ナナリエが迷いなく続けた。

「噂ではなく、公式の判断を残すために」


 だから審理を受けるんだ。


 怖い人たちに裁かれるためではない。

 私が何者なのか、ちゃんと見てもらうために。


「それが消失なのか吸収なのか、影響を受けた側からすれば違いがないだろう」


 ハルジオンの言葉に、浮きかけた気持ちが少しだけ沈んだ。


「けれど、アンリが悪意を持って行ったのではないこと、そして制御する手段があることを証明できれば、不用意に恐れる理由はないと主張できます」


「それが狙いだ」


「だから、私にできるところまで準備してきたの」


 ナナリエの掲げた右手で、瑠璃の石が夜空のように光った。

 この指輪——“かん”は、この国の人たちにとって身分証であり、公共の情報に接続するための鍵だ。


 ハルジオンの右手には琥珀の環が。

 エンジュはペンダント型の翡翠の環が。


 環は、それぞれの所属を表す石でできている。

 司法を司るサファイア宮の人たちはサファイアの環をつけている、というように。


 でも私の胸にぶら下がっているのは、輪っかが閉じていない、ブラックオパールの石。

 これは設計から製作まで全てナナリエがしてくれた、私だけの環だ。


「四つの角度から情報を集めました」


 さっきまで笑ったり怒ったりしていた部屋が、一瞬で静かになった。


 ナナリエの声に顔を上げると、目の前に映像が浮いていた。


 人の形のような図と、輪っかと、どこかの風景と、あと緑色の丸。

 ……何かのアイコンみたいな感じ。


 ナナリエの環を通して開示された情報が、机の上の端末を通して立体映像になっているらしい。


「証明すべき四つの焦点と、その証言者を順に説明します」


 ナナリエが空中で手を開くと、人の形をした図がほどけるように広がった。

 次の瞬間、一本の髪を極端に拡大したような立体像と、等間隔に並ぶ無数の断面画像へと切り替わった。


「何これ」


 びっくりして呟いた。でもどこかで見たことある。


「アンリの髪の内部構造よ」

 ナナリエがさらりと答える。


「ひとつ目はアンリの身体的構造から。こちらは以前ガーネットの病院で行った身体検査と採取した細胞の分析をもとに、ヒヤシンスお姉様と報告をまとめました」


 ナナリエの言う「ヒヤシンスお姉様」はハルジオンのお姉さんで、医者になるために王族を抜けてガーネット宮という医療を司る系譜に異動した人だ。神経細胞とか感覚器官の専門医らしい。


 年齢不詳の私を、十四歳だと特定してくれたのもヒヤシンス様だ。


「複雑な三次元の棘のような形状をしていて、内部に取り込んだ光を何度も跳ね返して閉じ込める構造になっています」


「ちなみに通常の人の髪はこうです」


 今度は規則正しく並んだ筒状の配列が映し出された。

 私にはあまり違いがわからない。

 色は明らかに違うけど。


「通常の髪が取り込んだ情報を傷つけずに出口まで届ける道筋なら、アンリの髪は二度と外へ出さずに体に吸収する穴のような存在ね」


「よくわかんないけど、なんか怖いね」


「目の前の情報を吸収する作用があるということは否定できないわね」

 ナナリエは軽く肩をすくめたけど、すぐに姿勢を正した。

「でも、作用する条件は通常の人と同じなの」


「通常の人?」


「髪は感覚器官よ。けれど、目や耳とは違って、意識を向けなければ働かないの」


 そう。

 この人たちにとって、髪の毛は感覚器官なのだ。

 いや、情報伝達器官と言った方が正確かもしれない。


「髪を触れ合わせ、どちらか一方が伝えよう、受け取ろうとしたときに、初めて情報が流れる」


 情報が流れてくる感覚は不思議だ。


 ナナリエと一緒に、食卓に置かれたグラスの記憶を読み取る練習をしたことがある。

 グラスに髪を触れさせ、読み取ろうと念じると、そのグラスが持つ記憶が頭の中に直接流れ込んできた。楽しかった団欒の時間が、そのまま。


 ただ、読み取ったあとのグラスからは情報が消えていた。


「つまり、アンリの髪には情報を吸収する構造がある。けれど、無差別に周囲の情報を吸い続けているわけではない。誰かが情報を送ろうとするか、アンリ自身が読み取ろうとしなければ作用しない。その点は、私たちの髪と同じよ」


 そう言って、ナナリエは自分の髪に手を伸ばした。

 今日は珍しく、頭の後ろでお団子にまとめてある。


「ただ、問題なのは——」


 お団子ヘアをまとめていた簪を、ナナリエはおもむろに抜き取った。

 乳白色の髪が滝のように波打って落ちた。


 髪の毛の動きに合わせて、ふわりと花のようないい香りが漂った。


 その隣で、ハルジオンが一瞬身構えた。


 ふいに、ナナリエの髪がふわりと浮かび上がり、意思を持ったようにハルジオンへ向かっていく。

 引き合うように、ハルジオンの髪も浮き上がり、空中で繋がった。


 ハルジオンからナナリエへ、髪を伝って光の粒のようなものが移動していく。


 何度見ても神秘的な現象だ。


 私もナナリエの髪の毛と繋げてもらったことが何度かあるけど、そのたびに彼女の思考が流れ込んできた。言葉とか説明とかじゃなくて、頭の中のイメージがわっと押し寄せる感じ。


「こんなふうに、どちらか一方の意思だけで繋がってしまう」

 ナナリエはハルジオンと髪の毛をつなげたまま、説明を続けた。

「双方の同意は不要。接続される側が防ぐことは、通常できないわ。今も——」


 ナナリエはちらっとハルジオンの顔を確認して、首を傾げた。


「——何故か、お兄様の頭の中が、分厚い肉で満たされているのが見えるわ」


 え?なんで、肉?


 私はハルジオンの顔を見た。


 ハルジオンは炭焼きグリルを凝視していた。

 ……もしかして、頭の中を肉だけで埋め尽くしている?


「ナナリエ、いつも不意打ちなんだよね」

 私は毎回まともに受けていた。

 ハルジオンは長年の経験で、肉で防御する時間はあるらしい。


「……ふっ」

 我慢しきれないみたいにエンジュが吹き出していた。


「やめてやれよ」

 ソラリスが呆れた顔でナナリエに言った。


「すみません」

 ナナリエが謝ると、髪の毛のつながりは静かに切れた。

「片方の意思だけで成立することを実演したかったものですから」


「……かまわない。必要なことだった」

 ハルジオンは安堵したように椅子に座り直した。


「でもナナリエがエンジュの寝込みを襲った時は、途中で止まっていたよ」

 私が疑問を投げかけると、エンジュが得意げに胸を張った。

「僕は制御できるように訓練したからね。通常は不可避だよ」


「それに今まで、ナナリエからいろんな情報を送ってもらったけど、ナナリエからは何も消えてないんでしょ?」


 人と人のやり取りは問題ないのかもしれない。


「私からは抜き取られなかったわ。けれど、すべての人がそうとは限らないの」


「ナナリエや僕たち王族は身体構造が特殊だからね」


 そうだ。

 以前、エンジュと接続して検証しようとした時に、エンジュと試しても意味ないよって言われた。


「検証できればいいのだけど」

 ナナリエは顎に手を添え、静かに考え込んだ。


「そんなこと、できないよ」


 もし、“もの”だけじゃなくて、人からも記憶を吸い取ってしまうとしたら……。


 怖い。


 誰かの大切な記憶を奪ってしまうなんて、そんな恐ろしいことはしたくない。



「それをやらなきゃ、お前の安全性が証明できないとしても?」


 ソラリスが身を乗り出して、私の顔を覗き込んできた。


「やりません」

 間を置かずに答えた。


「もしかしたら、何も起こらないかもしれないぞ」


「それでもです」

 私は首を横に振った。


「人を傷つける可能性があるなら、その方法は選びたくありません」


 部屋が水を打ったように静かになった。


 ナナリエも、ハルジオンも、エンジュも、すぐには口を開かなかった。


 ソラリスだけが、じっと私を見ていた。

 その瞳は、光を複雑に反射させて、不思議な青色だった。


「わかった」


 短く頷く。


 それ以上は何も言わず、ソラリスは長椅子の背にもたれかかった。


 私は少しだけ胸が苦しくなった。


 これで審理に勝てるのかは、わからない。


 でも、人を傷つけるかもしれない方法だけは、選びたくなかった。

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