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第5話 アンリ、裁判にかけられる?

 結晶球の向こうでは、方針決定を終えた当主たちが、それぞれ席を立ち始めていた。


「何も変わらなかった。だが、結論は出た」

 望まない事態も、ハルジオンは正面から受け止めているようだった。

「次に行うべきは——」


 そう呟き、結晶球を閉じようと手を伸ばした、そのときだった。


「黒き目の見る先を、塞ぐでない」


 しゃがれた声が評議場に落ちた。


 誰に向けられた言葉なのかはわからない。

 それでも、私の心臓が短く反応した。


 ハルジオンの指先が、結晶球に触れる寸前で止まる。

 向こうでも、帰ろうとしていた当主たちが一斉に振り返っていた。


「大ばば様、いかがされましたか」

 珊瑚宮の当主が膝をついた。


「黒き目、とは。ナナリエが保護した少女のことでしょうか」

 瑠璃宮の当主が低い声で尋ねた。


「国中の記録を消して回っておる娘のことか」

 琥珀宮の当主は、呆れたように、少しだけ鼻で笑った。


 この人は、私にあまり良い印象を持っていないのだろうな。

 でも記録を管理する宮の当主としては、仕方がないのかもしれない。


「黒き目、それ自体は災いではない」

 大ばば様は、誰を見るでもなく独り言のように唱えた。


「見る先を塞げば、道は閉ざされる」


 その言葉だけ残し、ゆっくりと立ち上がる。

 色素の抜けた緑の髪が揺れた。


 九十を超えているとは思えない足取りで、そのまま評議場を後にする。

 残された三人の当主は、誰もが意味を測りかねるように顔を見合わせていた。



 止まっていたハルジオンの指が触れ、結晶球の映像が消えた。


 私は首を傾げた。


「おばあちゃん、何が言いたかったんでしょう」


「……君のことだ」

 手に取った結晶球をじっと見つめながら、ハルジオンは答えた。

「だからこそ、順序を違えてはならない」


「……順序?」


 ハルジオンは、すでにその先を決めている目で私を見た。


「次に行うべきは、君の審理だ」


「え?」


 突然の発言に、何を言っているのか理解できず、私は固まった。


「最高位裁判所に行ってもらう」


 指示が短い。理由を省略する。安定のハルジオンだ。


 でも……、え……?


 最高位……裁判所!?


「ふーん。サファイア宮ね」


 いつの間にか長椅子に寝そべって寛いでいたソラリスが、視線だけこちらに投げてきた。

 たいして興味もなさそう。でも妙に納得している。


 そりゃ、司法といえばサファイア宮なんだろうけどさ。


「……どういうことですか」


「君の権利を取り戻すためにサファイアで審理を受ける」


 ただでさえ鋭い目つきが、今日は一段と切れ味がある。

 つまり、怖い。


「さささささ、裁判ってことですか!?」

「裁判じゃない。審理だ」


 え……。

 でも……。


「それはどこで……」


「…………裁判所だ」


 え。

 ちょっと目を逸らしたよ!?


「やっぱり裁判だ!!」

「だから違うと言っている!」

「魔女裁判ってやつですか!?勝ち目ないです!」

「意味のわからないことを言うな。それにまだ何も始まっていないだろう」


「誘導尋問されたら無理です!私すぐ“そうかもしれません”って言います」

「……わかっているなら、言わなければいい」


 ハルジオンがこめかみを抑えて、目元をピクピクさせてる!

 ……こんな怖い顔の人たちが待ち受けてるんだろうか。


「こ、怖い人たちに取り囲まれたら言っちゃうかもしれません」

「怖い人たちではない。最高位裁判所の審理員だ」

「全体的に名前が強すぎます」


「君が受けるのは、罪を裁く場ではない。危険かどうかを判断する場だ」

「もっと怖いじゃないですか」


「なあ、ハルジオン。こいつ、俺の部隊で根性叩き直してやろうか?」

 日曜日のお父さんみたいな寛ぎポーズでソラリスが言った。すごく他人事みたいに!


「ソラリス隊長まで!怖い顔しないでください!」


「……知らなかったか?俺の訓練は死人が出るぜ?」

 寛いでるのに、顔だけ怖い!


「倒れるまで走らされたり、逆さ吊りにされたりするやつですか!」

「そうそう。水も掛けるぞ」

「増えた!」

「ソラリス、こいつで遊ぶのはやめろ」


 こいつって言われた……。


「……お前はなんなんだ。ナナリエなら意味不明に取り乱さない」


 お前って言った!

 ソラリスもハルジオンも、まだ一度も私を名前で読んでくれていない!


「私がどうかしましたか?」


 殺伐とした荒野に、星の雫のような美しい声が響いた。


 それだけで、部屋の空気が潤った。


 そこに、間違いなく彼女が立っていた。


「ナナリエ!」


 私は、そういう鳴き声の鳥みたいに叫んだ。

 全身が喜びで弾け飛びそうだ。


 ナナリエが優しく目を細めた。


「アンリ」


 ためらいがちに両手を広げたナナリエの元へ、私は一直線に駆け寄った。


「ナナリエ」

「アンリ」


 抱きしめると、冷たい手のひらが背中を撫でた。


 たった一週間だ。

 だけど、不安だった。


 最後に言葉も交わせないまま、私は彼女の前から立ち去った。

 きっと、彼女の心が一番揺れていた、その時に。


 議会じゅうの視線が私たちに注がれる中では、そうするしかなかった。


「そばにいれなくてごめんね」

 気づけば、謝罪を口にしていた。

 最初に言いたかったのは、そんなことじゃなかったのに。


 だけどナナリエは私を少しだけ身体から離して、いつもの続きみたいに微笑んだ。

「大丈夫。ちゃんと届いたわ」


 それって——


 手紙——いや。

 虹色の石に託した、ナナリエのためだけの言葉。


 無事に届いたのだろうか。


「ナナリエ?届いたって言うのは……」


 言いかけた私の両肩を、ナナリエが優しく押した。


「それについては、同じ形式で返すわ」


 ナナリエが目を細めると、その奥で虹色の反射が万華鏡みたいに動いた。


 同じ形式?

 手紙のこと?


 呆気に取られる私を通り越して、彼女の視線は部屋の奥へ向けられていた。


「お兄様」


 呼ばれて、ハルジオンが小さく頷く。


 ふたりの視線が重なった。


「私にできるところまで、準備してきました」


「ああ。大変だっただろう」


 ……え?


「先日の議会以来ご相談する機会もないまま、直接押しかけることになってしまい、申し訳ありません」


 ……議会以来?


 あの場で別れてから、ふたりは一度も話していないの?


 私はてっきり、どこかで連絡を取り合って今日のことを決めたのだと思っていた。


「問題ない。君ならそう動くだろうと考えていた」


 迷いのない返事だった。


 ナナリエが来ることも。

 何か準備をしてくることも。


 約束も相談もしていないのに、ハルジオンにはわかっていたらしい。


「少し手間取りました」


 少しだけ困ったように首を傾げて、ナナリエが微笑んだ。


「いや、まさに最適な頃合いだ」


 いつもの、仕事をしている時のどこか余裕のあるハルジオンだった。

 婚約を解消してから、炭火だけが友達みたいになって落ち込んでいた人と同じとは思えない。


 けれど張り詰めていた肩から、ほんの少しだけ力が抜けたように見えた。


 ……安心したんだ。


 婚約を解消してから、初めて顔を合わせたはずなのに。


 もっと何か話すのかと思った。

 言わなければならないことも、伝えたいことも、たくさんあるはずなのに。


 ナナリエが最初に口にしたのは、仕事の話だった。

 ハルジオンもそれを当たり前のように受け止めた。


 また気持ちを後回しにしてしまうのか。


 でも、それがこのふたりの選んだ順番だった。


 以心伝心とは違う。

 積み重ねた時間の中で、前提そのものを共有するようになった。


 今は、言葉より先にやるべきことがある。


 ……ということなのかもしれない。


「急ぎで対応してくれたのだろう。話を聞こう」


 ハルジオンは事務的な表情に戻り、ナナリエを迎え入れた。


 ナナリエも、いつものように彼の元へ歩み寄る。


 その足が、ぴたりと止まった。


「よう」


 長椅子に寝そべるソラリスが軽く手を挙げた。

 ナナリエは最小限の視線をソラリスに向けた。


「あら。ここに」

「いた」

「でも今はアンリが先」

「だな」

「いずれ」

「また」


 何について話したのか、私には全くわからなかった。

 だけどソラリスとナナリエの中では完結しているみたいだった。

 ふたりは、もう用が済んだみたいに視線を外した。


 この人たちは、どうしてこんなに少ない言葉で話が通じるんだろう。

 私だけ、毎回ずっと説明待ちなんだけど。


「そうだったわ」


 ナナリエがくるりと向きを変えて、入り口へ戻った。


「何しているの。時間は限られているのよ」


 廊下に向かって、いきなり何か怒っている。


「いや……僕はここで……」

「本当にまどろっこしいわね」

「待って。心の準備が……」

 ごちゃごちゃ言いながら、緑の巨木が部屋の中に引きずり込まれた。


「……あ。どうも」


「あれ?エンジュ?」


 翡翠色の瞳を滲ませて、気まずそうに照れ笑いする背の高い青年。

 神殿で丁重に警護されているはずの若宮司、ヒモロギ・エンジュだった。


 外には出られないって言っていたのに、どうして?


 ごっ。


 背後で鈍い音がした。


「う……」


 反射的に振り返ると、ハルジオンが膝を抑えて俯いていた。

 ……テーブルの角にぶつけたのかな?


「だいじょ……」

 咄嗟に漏れたエンジュの声は、途中で方向転換して別の場所へ着地した。

「……ソラリス、寛いでるね」


「はあ?お前は本当に歯がゆいやつだな」


 ハルジオンは何事もなかったように背筋を伸ばした。

 けれど、視線はわずかにエンジュだけを避けていた。


 エンジュも、もう一度そちらを見ることはなかった。


「お兄様」

 何も気づいていない様子で、ナナリエはハルジオンの前に立った。


「……ああ」


「確認をお願いします」



 視線が集まる。



 虹色、琥珀色、翡翠色、そして青空の色。



 それぞれに違う思いを宿した四人の瞳が、私を真っ直ぐ見ていた。

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