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第4話 双王は自ら引き合う

 結晶球の向こうではお茶が配られていた。


 頭に血が上った琥珀宮当主を落ち着かせるためだろう。


 私の知る限り、東西南北でお茶の種類が違う。

 今日ここで配られているのは何色のお茶なんだろう。


 気になって上から下から結晶球をのぞいてみたけど、スパイカメラの位置的にカップの中は確認できなかった。



 私たちの部屋にもお茶が運ばれてきた。


 いつもは若い使用人たちが出入りしているのに、今日は極秘のスパイ活動をしているためか、ハルジオンのお目付け役の紳士が直接運んできた。


「ぼっちゃま、こちらに」


「ありがとう、じい」


 テーブルの下からハルジオンの声がした。


「お前、どうしてこんなことになったんだよ」


 まだ床から起き上がれないハルジオンを、ソラリスが呆れた顔で見下ろした。


 ハルジオンが説明する気力がなさそうだったので、説明係の私が気を利かせて答えた。


「たぶんですけど、エンジュがソラリス隊長にだけ弱みを見せていたのが、ハルジオン殿下は気になったみたいで。それから誰にも相談しなくなって、独断に走っちゃったように見えました」


 今まで見てきたままを答えた。


「また俺のせいかよ」


「違う」

 ハルジオンが勢いよく顔を上げた。

「それは違うぞ、ソラリス」


 ハルジオンの顔には絨毯の跡がついていた。


「いや、別に俺のせいにしてくれていいけどさ」

「……違うと言っている」


「違うんですか?」

 私はテーブルの上のカップを手に取りながら質問した。琥珀宮のお茶は琥珀色だ。


「君は余計なことしか言わないな」


「そうですか?エンジュと大喧嘩したことはまだ言ってませんけど……あ!」


 しまった、言ってしまった。


「君は、君がなぜナナリエと離れてここにいるのか、全く理解していないようだな」


 あ!いつものハルジオンだ!


「私が根回しを重ねて沈静化させた記録消失の一件を、君は不用意な一言で再燃させた」


 そうだった!おしゃべりな系譜管理局のお兄さんにつられて喋っちゃったんだ!


「すみません……喋れるようになってから失敗ばかりですね」


 言葉が通じない時ならこんなことになっていなかったのに。


 この世界に来る前のことを思い出してしまう。


 ……わりと、口は災いのもとみたいな人生だった。


 幸い、心の広い友人たちに助けられてきたけど。


「まあ待てよ」

 ソラリスがハルジオンの肩を引いた。

「それより、エンジュと大喧嘩の方が気になるんだけど」


「それは今は関係ないだろう」

「俺が気になる」

「気にしないでくれ」


「エンジュだぞ?衝突回避型で回りくどいエンジュだぞ。どうしたら喧嘩になるんだよ」


 エンジュは、この国の神職である若宮司だ。

 神殿の木陰で、いつもにこにこしながらお茶を淹れているような人なのに。


 一週間前のふたりの声が蘇った。


『お前が背中を預けられるような相手じゃなかったんだろう、俺は』


 退路を塞ぐようなハルジオンの淡々とした問い。


『どうしてわかってくれないの!』


 木漏れ日のように穏やかなエンジュが、涙ぐんで声を荒げていた。


 お互いに譲れないところに立っているみたいだった。



「あえて追い詰めたんだ。想定通りだ」

 ハルジオンは静かに笑った。どこか自分を嘲るようでもあった。


「ふーん」

 ソラリスは片手でカップの胴を鷲掴みにしてお茶を飲んだ。


「ハルジオンはエンジュの友達なんだな」

 横目でハルジオンに視線を送りながら、軽く言った。


 ハルジオンの顔は静かに笑ったまま、視線だけが琥珀色のお茶に落ちた。


 ソラリスはそれ以上、何も言わなかった。


 私も口を閉じて、そんなふたりを見ていた。


「お。当主討論、再開するみたいだぞ」




「では改めて瑠璃宮の意向を聞こう」

 結晶球の向こうでは、相変わらず珊瑚宮のばっちゃんが議事進行を務めていた。


 瑠璃宮の当主セアノサス様が静かに頷く。

「我が姪、ナナリエが未熟であることは否定いたしません。社交を苦手とし、時に己の関心を優先する独善的な面もある」


 厳しい評価だった。


「しかし、彼女の根底にある思想は一貫しています」


 セアノサス様は、円卓を囲む当主たちを静かに見渡した。


「人も、国も、物質も、形を変えながら循環し、いつか再び巡り合う。彼女はそれを、知識としてではなく、自らの生き方として理解している」


「むすび、めぐらせること。その思想を体現できる者こそ、双王となる素養を持つのではありませんか」


 穏やかな声だった。

 けれど、その瞳に迷いはなかった。


「そして、未熟であることだけを理由に候補から外すのであれば、若者は何者にも挑戦できません」


 よく見ているんだ。

 ナナリエのこと。


 見方を知っている人なんだ。

 人の見方を。


 私のことも——ヨルカのことも、気にかけてくれていた。

 身寄りのないヨルカが、ただ守られるだけじゃなく、自分の足で歩き出せるように。


 私の視界の端で、ソラリスが椅子に深く座り直すのが見えた。


「ところで」

 セアノサス様は少しだけ探るような目で珊瑚宮の当主に質問を投げかけた。

「珊瑚宮のご隠居は、此度の件について何と仰っているのですか」


 珊瑚宮のご隠居?

 ときどき耳にする微妙な肩書きの人。


「ご隠居は全ての王族の血筋を再調査しろと言っている」

 珊瑚宮の当主は深くため息をついた。

「だが、規模的に不可能だ」


 セアノサス様があごをつまみながら言った。

「珊瑚宮だけで三十人、おそらく翡翠宮も二十人前後、琥珀宮は……」


「身元が確実な者だけで十二人だな」

 琥珀宮の伯父さんが口髭をいじりながら応じた。


「そして我が瑠璃宮、傍系の者まで含めても五人。つまり——」

 セアノサス様のオレンジ色の瞳が光った。

「全ての候補者の、全ての組み合わせを確認するだけでも千五百十通りになりますね」


 セアノサス様がさらりと言って、肩をすくめた。


 評議場の空気が止まる。


「確かに現実的ではありませんね」

 柔らかく微笑むセアノサス様。


「あ、ああ。そうなるようだな」

 珊瑚宮のばっちゃんは曖昧に笑った。


「千五百……通りだもんな」

 琥珀宮の伯父さんも口元を歪ませて口髭を撫でた。



「……この数字、合ってるんですか?」

 私はハルジオンとソラリスに聞いた。

 私、数学苦手なんだよね。


「……そう言っているなら、そうなのだろう」

 ハルジオンは明らかに目を逸らした。


「珊瑚と翡翠の組み合わせだけで六百だろ。珊瑚と琥珀で三百六十……」

 ソラリスが私の顔をまじまじと見ながら言った。

「……まあ、だいたい千五百くらいになるな」


「これくらい感覚的にわかんだろ?」

 屈託のない青い瞳で、悪気なさそうに首を傾げた。


 ハルジオンは目を逸らしたままだ。

 この顔、大学で学生に教えているときに見たことあるぞ。

 講義中に当てられたくない時の学生の顔だ。


 ……それにしてもソラリス、計算もできるんだ。

 ナナリエなら途中の式を全部飛ばして、正確な答えを出しそうだけど。

 ソラリスは、細かく解くというより、全体の大きさを感覚で掴むみたいだ。


 結晶球の向こうでも、微妙な空気が流れていた。


「あ……そうですよね。ところで珊瑚宮のご隠居って誰ですか」


 ソラリスは「ああ」と言って、肘掛けにもたれて頬杖をついた。


「珊瑚宮の先代の当主だ」

 ハルジオンが逸らしていた目をこちらに戻した。


「北の大ばば様。南のご隠居。このご両名の意向が、実質カレンダエの行く末を決めていると言える」


 へえ。

 なんか偉い人なんだ。


「……まあ、腹の底の見えねえジジイだな」

 ソラリスは結晶球を見つめたまま呟いた。




「当主はそなたであろう」

 評議場では琥珀宮の伯父さんが腕組みをして、珊瑚宮の当主を見つめた。


 珊瑚宮の当主は眉間を押さえ、小さく息を吐いた。

「我が宮ではご隠居の意向が全てなのだ。今回ばかりは、如何ともし難いが」


「ご隠居には、候補者に心当たりがあるのでしょうか」


「ならば該当者を指名すればよいではないか」


「あくまで当主会議に口を出さないという姿勢なのだろう」


 珊瑚宮の当主は苦々しげに口元を引き結んだ。


「……今年の結環の儀にも、ご隠居が強く推した者はいた」


「手続きに不備があり、候補から外された者か」


 琥珀宮の伯父さんの言葉に、珊瑚宮の当主は答えなかった。



 私とハルジオンの視線が、同時にソラリスへ向いた。


「……わかってるよ」

 ソラリスは面倒くさそうに頭を掻いた。

 椅子の背もたれに身体を預けて天井を見上げた。


「……あのジジイ、そこまで本気だったのか」


 ソラリスのため息が、天井にぶつかって再び落ちてきたとき。




「……するでない」



 低く、かすれた声が評議場に落ちた。


 どこから?


 私は声の主を探して結晶球を覗き込んだ。


 琥珀、瑠璃、珊瑚の三人の当主たちが、揃って北を見ていた。


 もごもごと動くシワだらけの口元が、はっきりとした形になった。



「……人為ではない」


 翡翠宮の大ばば様が、薄っすらと瞼を持ち上げた。

 するとエンジュと同じ翡翠色の透き通った瞳が、わずかに顔を覗かせた。


「大ばば様……起きていらしたのですね」


 誰の声なのかわからなかった。

 三人の当主は妖怪にでも出会ったかのように、目を見開いていた。


 このおばあちゃん、話をちゃんと聞いていたんだ。


「人為ではないとは」

 琥珀宮の伯父さんが訝しげに眉をひそめた。

「この会議自体を否定なさるおつもりか」


 大ばば様は、口をもごもごさせながら唸るように答えた。



「人が朝露を降ろすことはできぬ」



「土は、命のめぐりから生まれる」



 言葉は抽象的だけど、言いたいことはわかる。


 以前、ハルジオンとエンジュにそれぞれ双王について話を聞いたとき、ふたりの捉え方は全然違った。


 ハルジオンは制度として人が決めるもの、エンジュは神々に知らされるもの、と言っていた。


 そしてナナリエはそれを機能として、科学的に再現したいと言っていた。


 同じ国の中でも考え方がまるで違う。


 この国の双王とはなんなのか。



「双王は自ら引き合うもの」


 大ばば様の翡翠の瞳は、私たちには見えない景色を映しているようだった。



「まもなく揃う」


「やがて、皆の目にも明らかになるであろう」



 翡翠の瞳は再びしわしわの瞼の中へ隠れていった。



 その場の空気が重くなったのか、重さすら失われたのか、しばらくわからなかった。


 大ばば様が目を閉じたまま、お茶をすすると、評議場の張り詰めた空気がほどけた。



「ご隠居は、推す者はいるが、確証はないという様子であった」

 最初に口を開いたのは、珊瑚宮の当主だった。


「では何も変わらぬな」

 琥珀宮の当主が疲れたように目を瞑った。


「次の春に答えが出る、ということですね」

 瑠璃宮の当主も、ため息混じりに円卓を見回した。


「先代の双王が見出されたときと同じだな」

 珊瑚宮の当主が確かめるように呟いた。


 そのまま、現行の継承者を維持し、議会からの差し戻しは受領しないことが確認された。

 当主討論は、そこで一区切りとなったようだった。



 ハルジオンは結晶球から目を離さなかった。


 ソラリスは椅子に深く身を沈め、静かに目を閉じていた。


 どちらも、何も言わなかった。


 部屋の中には琥珀色のお茶の、その花のような香りだけが漂っていた。

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