第46話 放っておけない
今夜はキノコの胞子が飛ぶ気配がないということで、私たちは山小屋へ戻ってきた。
翡翠の山には、登山客が利用できる無人の山小屋が建っている。環による認証で利用者を特定し、決済も行なう仕組みだ。誰が使ったかわかるので、みんなきちんと掃除をしてから帰るらしい。
今日も何組かの登山客が同じ山小屋を使っていた。
「ソラリス、この照明が点かないんだけどわかる?」
共用スペースのソファで寛いでいるソラリスに、半透明のガラスでできた箱型の照明を手渡した。ランタンのように火を点けるわけでもなさそうだし、電源に繋ぐケーブルもない。
「中の石がズレてんだな」
ソラリスは箱を両手でひねって蓋を開けた。
箱の中には、ガラスのカプセルに閉じ込められた銀色の石が入っている。確かにカプセルが留め具から少しズレているようだ。
「これどういう仕組みなの?」
「この鉱石からずっと粒子が出続けてるんだ。それがこの箱の塗料にぶつかると光を発する」
ふーん? 放射性物質みたいなものかな? 得意分野じゃないから、この国の言葉で説明されても詳しい仕組みまではわからないや。
「その粒子って身体に害はないの?」
「石に直接触るのはまずいな。だから石英の筒に閉じ込めてるだろ」
ソラリスは腰の道具入れからピンセットを取り出してガラスのカプセルの位置を調節した。私はその様子をテーブルの横にしゃがんで覗き込んでいた。
「器用だねえ」
「十五の頃、カーネリアンの工場で働いてたしな」
ソラリスは照明の蓋をはめて、テーブルの上に置いた。
「十五歳の時かぁ。たしか十四歳の時にはこの翡翠の山で修行してたんでしょ」
慌ただしい人生だな。
「ああ。無理やり放り込まれたから最初は嫌々やってたけど、山暮らしも悪くなかった」
ソラリスが照明の側面をコンコンと叩くと、淡い緑の光が空間に広がった。
「そこでエンジュと友達になったの?」
「エンジュか。変なやつだよな。たぶん開始当日に棄権するつもりだったぞ、あいつ」
「まさか」
一年間、山の中で自給自足する修行って聞いたけど、エンジュも最初はやる気がなかったのかな。
「水も食料も確保せずに山の手入れ始めてて、妙に気になったんだよな。あいつ、どうするつもりなんだろって」
「余裕だったんじゃないの」
山小屋に着いてすぐに水出しで淹れておいた緑茶を、氷の入ったグラスに注いでソラリスに手渡した。これ、最初に会ったときにエンジュが出してくれたやつ。ソラリスは軽くお礼を言って口をつけた。
「いや、修行なんてするつもりなかったと思う。そういう顔してた」
またソラリスの直感か。でも雑に正解を引き当てること多いから何も言えないや。私もグラスを手にソラリスの横に座って話の続きを聞いた。このソファ、けっこう硬めだな。
「急に声かけてきたんだよ。人の世話ばかりしてないで、自分が無事に一日を終えることを考えろって。お前こそ、だろ」
「ソラリスは人の世話してたの?」
「鈍臭い奴らばっかりでさ、見てられなかったんだよ」
ソラリスは他の参加者に食料を分けたり、寝床の確保を手伝ったりしていたらしい。自分も無理やり送り込まれたのに、お人好しだな。
「エンジュは俺の後ろを見張るようにつけ回して、あれこれ解説してくるんだよ。正直鬱陶しかったけど、説明だけはわかりやすいんだよな」
ソラリスは楽しそうだった。普段、質問しても自分のことを話してくれないのに。
「ソラリスが危なっかしくて放っておけなかったんじゃない?」
「そうかぁ? でさ、真面目に聞いてたら『僕のこと信じるんだ? 君をいいように利用しようとしているだけかもしれないよ』って、腹立つ顔で言いやがって」
私は思わず吹き出した。エンジュのモノマネ、ソラリスは上手いんだよね。あの、人をおちょくったような飄々とした感じの再現度が高い。
ふざけていた表情をしまい込んで、ソラリスがテーブルの上の照明を見つめた。淡い緑の光が、ソラリスの顔を照らしていた。
「自分で決めろって言われたんだ。『助け合いは義務じゃないよ、君はどうしたいの?』ってさ」
君はどうしたいの、か。エンジュなら言いそう。
「珊瑚宮って、『国のために己の欲を自ら律せよ』をみんな当たり前に実践してんだよ。それでいて卑屈じゃない、むしろ底抜けに明るいから、俺にはよくわからない」
ロタラやモナルダの顔が浮かんだ。たしかに正義感に溢れていて、明るくて真面目だ。
「だから今は、何でも自分で決めるソラリスなの?」
「エンジュのおかげじゃないぞ。でも、自分で決めていいって言ってくれるやつが確実に一人いるのって楽だな」
「友達だねえ」
「あいつも危なっかしくて放っておけないけどな」
そうかな。エンジュは何でも知っていて余裕そうだけど。
……ああ、でも。
ヨルカの名前を口にしたとき、エンジュは息もできないくらい動揺していた。
それにヨルカの記憶の中のエンジュは、普段見せているのとは違う鋭い顔で、敵対する全てを追い詰めるみたいだった。
「修行中もさ、ときどき一人で遠くを見ながら誰かに話しかけてんの」
ソラリスが呟いた。頭に浮かんだ光景が思わずこぼれてしまったみたいに。
「誰に?」
青い目が私を見た。
「今思えば、たぶんヨルカ」
——ヨルカ?
エンジュはずっと前からヨルカのことを知っていたの?
「探してるけど、見つかってほしくない。あいつ、そんな顔してた」
「また、“そんな顔”?」
いつもなら、直感で決めつけすぎだよって言うところだ。
でも、鋭い顔のエンジュが頭をよぎって、私はソラリスに打ち明けた。
「この前、ヨルカが裁判にかけられている記憶を見たの」
そういえば、この話は誰にもしてない。記憶を見た直後は混乱していたし、そのあともみんなの重苦しい様子が思い出されて、話す気になれなかった。
「みんな苦しそうだった。裁判が終わっても、誰も喜んでなかった」
「そうだな」
ソラリスも知ってるんだ。
「記憶の中のソラリスが言っていたよ。エンジュはヨルカを理解しすぎるから、一緒にいたら二人揃って沈んじゃう。だからソラリスがヨルカを引き取るって」
「ああ。エンジュはヨルカのことになると周りが見えなくなるし、何でも先回りしてやっちまうからな。ヨルカもエンジュの過保護を疑わないし」
「だからソラリスはヨルカのそばにいるの?」
ソラリスの眉が少しだけ動いた。
返事がないから変な間が生まれる。共用スペースのキッチンで他の利用客が笑う声が聞こえた。
「これ直ったから、自分の部屋へ戻れ」
ソラリスはテーブルの上の照明を手に取って私に差し出した。
あれ? さっきまでの饒舌はどこへ?
ひとまず受け取ろうと、手を添えた。
ソラリスの手と、私の手。
それが、照明のガラス面に同時に触れた。
視界が淡くなる。
「うげ、またこれかよ!」
ソラリスのうんざりした声がかすかに聞こえた。
あ、これ。前にソラリスとナナリエと三人で河原の石に同時に触れたときと同じ。
あのときは淡くなった視界に、石の記憶が流れてきたけど——
夏の山小屋。
静かな共用スペース。
硬めのソファ。
これは、この照明の記憶?
照明の淡い緑の光は、ソファに座るヨルカの顔を照らしていた。
そして、その膝に頭を乗せて寝転ぶ……ソラリス!?
こら! 何してるんだ! と叫ぼうと思ったのに、声が出ない。
呆気に取られて見ていると、ソラリスが寝転びながらヨルカの顔を見上げた。
「くすぐったい?」
そう問いかけるソラリスを、ヨルカはぼーっと見下ろしている。
「嫌とか、いいとかあるだろ」
ヨルカは真っ黒な瞳でソラリスを見つめながら小さな声で答えた。
「……いや」
「嫌かー!」
落胆の叫びを上げながら、ソラリスが勢いよく身を起こした。
ヨルカはソラリスの頭が退いた膝の上を見つめた。
「……このあたりが気持ち悪いな」
「気持ち悪いか。……なんでもいいや。ヨルカが思ったこと、何でも言え」
ソラリスはソファに手をついて、ヨルカに笑いかけた。
「ヨルカがいつも何を考えてんのか、みんな気になってるぞ」
ヨルカは不思議そうにソラリスを見つめていた。ソラリスの青い瞳の奥に隠れている真意を読み解こうとするように。
しばらくして、ヨルカは口角を上げた。
「気になっているのは君だろう、ソラリス」
「……!」
見開かれたソラリスの瞳に淡い緑の光が反射した。
その様子は気に留めず、ヨルカは真面目な顔で考え込んだ。
「私の言葉を引き出すために身体接触を試すのは合理的ではないな」
「はは……なんだそれ」
ソラリスが気抜けしたように笑う。
その頬に両手を添えて、ヨルカは自分の方へ引き寄せた。ソラリスは大人しく、もう一度その膝に頭を載せた。
「だが君がそうしたいと言うなら、私も強く拒否する理由はない。多少、不快なだけだ」
「その喋り方、誰の真似してんだよ」
「……ハルジオンかな?」
ヨルカは小首を傾げた。
「……まあいいや、そういうのもっと聞かせて」
「そういうの?」
「頭に浮かんだこと、そのまま言えばいいんだよ」
ヨルカは無言で照明を見つめた。「うーん」とか「えーっと」とかもない。ただ自分の頭の中に何か浮かぶのを待っているみたいだった。
やがてぽつりと話し始めた。
「私もナナリエにこうしてもらった」
膝の上のソラリスが眉を寄せた。
「君もこうすると落ち着くのだろう。気持ちはわかる」
「……落ち着く」
「私は今わずかに不快だが、ナナリエも同じ感覚で私を膝に寝かせてくれていたんだろうか」
ヨルカの声は軽くて、純粋にナナリエの気持ちを推し量っているらしかった。
「待て。そんな不快なの……?」
対して、弱々しい声を上げるソラリス。
ヨルカは金色の髪に手を添えて、穏やかに微笑んだ。
「ナナリエが言っていたぞ。こういうのを好む者は甘えん坊だと」
「はあ? あいつの言葉だと思うと腹が立つな!」
「誰が言ったかで、事実は変わらないだろう」
「受け取り方が変わるんだよ」
「そうか」
夏の夜の静寂が二人の間に流れた。
ヨルカは目を細めて遠くを見つめた。
「ナナリエは優しいから、私のために我慢していたんだろうか」
「けっきょくあいつの話かよ」
不満そうな顔が淡い光の中へ溶けていく。
私の意識は目の前に引き戻された。
「……ソラリス」
「なんだよ」
私は照明をソラリスの手から引き取った。
「まあ、だいたいわかったよ」
「さっさと部屋へ帰れよ」
私は直してもらった照明を抱えて、ひとまず素直に自分の部屋へ戻った。




