第45話 空飛ぶ伊勢海老
で……デカすぎる!!
「何ぼけっと突っ立ってんだ!」
慌てふためく私は、後退りした拍子に木の根につまずいて尻もちを突いた。
ソラリスに頭を押さえつけられ身を屈めると、切り裂くような羽音がすぐそばを通り過ぎた。
「そのまま、頭、下げてろ」
ソラリスが覆い被さってきて、視界が遮られた。
あれ、この状況、どうなってるの……?
◇
ことの発端は、昨日の研究室での会話だった。
「エンジュのところへ行きましょう。今度こそ吐かせてやるんだから」
研究室でおやつを食べながら、ナナリエがソラリスに提案したのだ。
「吐かせるってお前……」
「若宮司様に会いに行くなら髪の毛を一本もらってきてよー」
ソラリスの発言をコメリナが笑いながら遮った。
「それが難しいのよ。不意を突いても、正面からお願いしても、防御が固くて」
「で、どうする。今から行くか」
気の早いソラリスは焼き菓子を飲み込んで立ち上がった。
「明日まで学会があるの。聴講だけなら遠隔でもできるけど……」
「ナナリエ殿は王族代表としてご挨拶がありますからなあ」
「じゃあ、明後日。神殿で待ち合わせでいいな」
「そうね。そしたら明後日までうちへ泊まっていく?」
ナナリエは私にわくわくした目を向けた。
あ、久しぶりにナナリエと夜通しお喋りできるかも……!
ナナリエと手を握り合おうとしたとき、ソラリスが私の二の腕を引っ張り上げた。
「じゃあ、行くか」
「え、どこへ?」
「山。キノコ、見せてやる」
え? なんて?
「ここじゃ菌糸しか見えないけど、こいつら夏の夜に胞子を飛ばすんだ」
ソラリスが台の上に置かれた植物の容器を楽しそうに覗き込んだ。
「たしかに翡翠の山なら、今日明日にかけて温度も湿度も、観察に最適でしょうなあ」
「そう……なかなかない機会だものね。案内人がいないと見つけられないものだろうし」
ナナリエがしょんぼりと肩を落とした。
あれ、これ、山へ行く流れになってる?
「決まりだな!」
キノコ観察だけはソラリスに決められてしまったけれど、私は寄り道を提案した。瑠璃宮を出る前に、野菜をくれたおばあちゃんに借りていた籠を返して、お礼を言いに行くことにしたんだ。
検索機能を使って瑠璃の迷宮から店を探し当て、おじいちゃんとおばあちゃんが好きそうな柔らかいお菓子を持って行った。夕食のかき入れどきだったので、また二人して手伝って、その夜はおばあちゃんたちの家に泊めてもらった。
そして、翌朝。
「乗ってくよな?」
ソラリスは空飛ぶバイクを呼び寄せて、私に言った。
「え、これ二人乗り可能なの?」
「余裕。俺、列車苦手なんだよな。待つし、人多いし」
たしかに苦手そうではあるけど……。
私は地面から少しだけ浮上した位置で待機するバイクを見つめた。ハルジオンの高級車と違って外側が覆われていない。落ちそう、空中で何かにぶつかりそう。つまり、怖い。
「行くぞ。早く乗れ」
ソラリスは準備万端だ。風を切って走るのは楽しそうだし、ひとまず乗ってみようか。
私はソラリスの背後に近寄った。バイクの後ろ部分は、四角くて大きいケースがついている。とても座れるようなデザインじゃない。
「え、何してんの?」
「え?」
「前だよ」
ソラリスは自分とハンドルの間の隙間を指差した。本当だ。足を揃えて腰掛けるタイプで、ソラリスの座席より一段低いところに、もう一つ座席がある。
座席に腰を下ろすと、ソラリスは背後から私の頭にゴーグルをつけてくれた。
「あれ、頭を保護するものは?」
ヘルメットとか。この作りならシートベルトがあってもいいくらい。
「頭だけ保護したってしょうがないだろ。落ちないように持ち手に掴まっとけ」
……えっ。
「あ、やっぱり——」
「よし、最速で行くぜ!」
は、はあ——?
車体は一気に持ち上がり、空へ向かって斜めに急上昇していく。
反動で私は後ろに倒れ込み、ソラリスの胸元に頭をぶつけた。
確かに速いけれど、吹き飛ばされるほどではない。ただ、走る位置がおかしい。足元のずっと下の方に林や民家が見える。
「あっち、森の向こう、王都!」
ソラリスが私の頭の上に顎をのせて声を張り上げた。
この人、私の頭を物置に使う癖があるな。
頬に風を受けながら、目を凝らすと樹々の向こうに白く光る王都がかすかに見えた。足元にはサファイア宮の青い街並みが広がっている。
東の荒野に建てられた瑠璃宮は、上へ上へと伸びるコンパクトな都市なんだ。広大な農地を抱える西側とは、街の広がり方が違う。
進行方向には、どこまでも連なる山々が見えてきた。北にあると思っていた翡翠の山は、東のこんなところまで続いているのだろうか。
ねえ、あれが翡翠の山?
そう尋ねたかったけど、風が強くて口を開けなかった。
「は〜、やっぱり地面を歩くより空を走る方が気持ちいいな」
翡翠の山の麓に着くと、バイクはゆるやかに減速して降り立った。
朝に出発して、もうすぐ昼ごはんという時間だろうか。気づけば、半日近くも呑気に空の旅を楽しんでいた。最初はあんなに怖がっていたのに。
「とりあえず食材でも調達するか」
ソラリスは迷わず山へ足を踏み入れた。
翡翠宮の神殿には行ったことがあるけど、山歩きをするのは初めてだ。
「こっち、たぶん川がある」
「なんでわかるの?」
「傾斜があるだろ。あそこ、下に行くほど湿気が好きな植物が増えてる」
ソラリスが指差した先に、細い葉がみっしりついた植物が生い茂っている。
滑らないように慎重に斜面を降りていくと、岩場が苔で覆われ始めた。
「足元に気をつけろよ」
差し出された手を掴んで、私はソラリスを見た。
「山に詳しいんだね」
「昔、エンジュに教えてもらったからな」
そう言いながら、目線の高さになっていた黄色い実をもぎ取った。
一瞬、木から小さな悲鳴が聞こえた気がした。
「これも食えるって、エンジュが言ってた」
ソラリスに手渡された果実をかじると、うっすらと甘味があった。
「美味しい。ちょうど喉が渇いてたんだー」
私が笑うと、ソラリスはニヤリと笑った。
「僕のこと信じるんだ?」
「え!」
「初めてこれを食べたときに、エンジュにそう言われた」
「なにそれ、ひどい!」
エンジュ、そんな意地悪をするんだ!
いつも笑顔で親切だけど、たしかに時々その笑顔のまま揶揄ってくるんだよね。
「自分で確かめろってことじゃね」
河原まで降りてきたソラリスは折り畳みの釣竿を取り出し、川面に糸を垂らした。餌につけたニョロニョロした虫は、下りて来る途中の岩の下から捕獲したのだが、妙に大きかった。
「はい、こっち持って」
釣竿、二本も持ってるんだ。私とソラリスは並んで釣り糸を垂らした。
「靴、山道も歩きやすいよ。ありがとう」
「おう」
ことあるごとに靴のお礼を伝えたけど、代金は請求されない。これはプレゼントということでいいんだろうか。「お代は?」と聞くのも不粋な気がする。
すぐにソラリスの糸がつぴつぴと引かれた。
「お、来た」
軽く呟いてソラリスは糸を巻き始めた。釣竿を持ち上げると、小さな魚が暴れてきらきら光った。
「釣りはじいちゃんに教わったんだ」
釣り上げた魚を小さな籠に入れると、ソラリスは得意げに再び竿を振った。
私の方は全く引きが来ない。
「ここ、釣れやすいはずなんだけどなあ」
けっきょく、ソラリスが小魚を七匹釣ったところで昼食の準備に入った。ソラリスが携帯用の小さいコンロで魚を焼き始めたので、私はせめて足しになればと黄色い果実を採りに行った。
「キノコは悲鳴が聞こえて食べられないのに、果実とか魚は平気なんだ?」
「死んだら、声、聞こえないしな。鳥や小動物も狩れるぞ。エンジュに教えてもらった」
え、エンジュも狩りをするんだ。小動物なんか見つけたら抱きしめて頬擦りしてそうなのに。この前もデカい虫をお世話して喜んでいたし。
「……肉の方がいいか?」
私の頭の中を可愛い動物たちが駆け回っていた。
「あっ。ひとまず魚をいただきます」
「虫は? 食いたい?」
「あ、えっと、元の世界じゃあまり食べないかな……」
ソラリスは残念そうに肩をすくめた。
「この山の虫、けっこうデカくて食べ応えあるんだけどな。ほら、あんくらい」
魚に手を伸ばしかけた指がそのまま私の背後を指し示した。
……あんくらい?
河原の木の幹に、伊勢海老かっていうくらい大きな何かが張り付いていた。
海老じゃない。ときどき背中の翅を広げて気持ちよさそうにしている。
「デカくない?」
「そうなんだよ。ここ。ほら足元にも」
「ぎゃああああああああああああ」
本当にいた! 苔むした岩かと思ったら、足がたくさんあって歩き出した。
「おい、大きい声出すな!」
そんなこと言われても! 身体が勝手に動く! 悲鳴が勝手に出る!
木の幹に張り付いていた伊勢海老がブウウウンと大きな唸り声をあげて飛び立った。
「動いた!」
「お前が動くな!」
私は隠れる場所を探して駆け出した。
翅を広げた伊勢海老が本気を出してついてくる。
「来るー!」
「静かにしろ!」
どうしよう。建物なんてないし、どこに隠れたらいいの。隠れる場所が見つからず、足が止まった。伊勢海老がもうそこまで——
「何ぼけっと突っ立ってんだ!」
後退りした私は木の根につまずいて尻もちを突いた。
ソラリスに頭を押さえつけられて身を屈めると、伊勢海老は唸り声をあげて通り過ぎた。
「そのまま、頭、下げてろ」
羽音だけで伊勢海老が旋回しているのがわかった。
「あいつ、強い振動に寄って来るから」
耳元でかすかな声が聞こえた。
羽音が聞こえなくなると、ソラリスの身体が離れていった。
「本当に鈍臭いな」
「申し訳ない……」
私は項垂れた。注意されてる声は聞こえたのに、恐怖心が勝ってしまった。
「硬そうな虫、苦手なんだよね」
「硬そうってなんだよ。たしかにあいつら硬いからぶつかると怪我するけど」
高速飛行の伊勢海老に激突されたら痛そうだなあ。
それよりも、カブトムシのトラウマが蘇ってくる。
「子どもの頃、友達の家で虫籠から硬い虫が飛び出してさあ」
「ああ、恋人の」
「……友達って言ったけど」
「おっ、違うやつなのか?」
「いや、合ってる」
なんで雑に当てて来るんだろう。私、大地の話しかしていないのかな。
「それまでは虫を平気で触れたんだけど。今はダメなんだ」
「ふーん」
ソラリスは興味なさそうに相槌を打った。
「ま、山では俺の指示に従え? とりあえず魚、食え」
差し出された魚は、よく焼けていた。




