第44話 あなたはどうしたいの?
「では、お口直しに甘いものでも注文いたしましょう」
ジャカランダが晶盤を操作し始めた。ちらっと覗き込むと、画面にはデザートのメニューが並んでいる。研究室で注文すると届く仕組みかな。けれどソラリスが口を挟んだ。
「いや、自分で探しに行く」
「瑠璃宮の街は初見には少々難解ですぞ。わたくしも参りましょう」
扉の方へ歩き出すソラリスを追ってジャカランダが立ち上がった。
瑠璃宮のお店を探索するのか。面白そう。
「あ、いいね。私も!」
「アンリが行くなら、私も行くわ」
「ナナリエー、お土産よろしくー」
「今日の姫は、きちんと休憩してくれそうね」
コメリナとチコリは笑って私たちを送り出した。
「何をご所望で?」
研究棟を出るなりジャカランダがソラリスに訊いた。
「何って、そのへん適当に歩いて探すよ」
「無理よ。見て」
ナナリエが即答して、透明な屋根に覆われた遊歩道へ目を向けた。
整然と扉が並んでいる。整然としすぎて、私には研究施設の建物なのか商店なのか、それ以外の施設なのか全くわからなかった。
そういえば銀行でお金を下ろすときは地図を頼りに行ったな。私は環を握って地図を確認した。
……情報量が多すぎる!
地下は八階から地上は五十階まで、どの階層に切り替えても、びっしりと小さな画像が並んでいる。ここからひとつひとつ何のお店か確かめるのは難しい。
「条件を指定して検索をかけるのよ」
お店を見て自分に合うか判断するんじゃなくて、自分に必要なものを先に決めてそれに合う店を探し出すのか。
「……効率化しすぎて逆に不便だな」
ソラリスが呟いたことと同じ感想を、私も抱いていた。
この国へ来て私が最初に見た琥珀宮は、石畳の道沿いに、それぞれの特色がわかる店が並んでいて、お店の人と対面で買い物ができていた。
ナナリエはそれを不便な街と言っていたけれど、西と東で生活様式が正反対だ。
「何をご所望で?」
もう状況を理解したでしょうと言いたげに、ジャカランダが同じ質問をした。
「こりゃあ、毎回味気ない昼飯になるわけだ」
ソラリスが頭をかきながら苦い顔をした。
選択肢が多すぎると、悩む時間がもったいないからって毎回固定のメニュー頼む人いるけど、そんな感じかな。
でも、ソラリスが言わないなら私が条件を決めちゃおう。
「じゃあさ、見た目が華やかで、果物をふんだんに使ったお菓子がある、お客さんの評価も高い焼き菓子屋さん。あと、せっかくなら上層階のお店がいい」
「果物を使った見栄えの良い焼き菓子ですな。その条件を満たし、その中で最も高層に店を構え、高評価の店っと。はい、検索完了、ですぞ」
ジャカランダが指環をはめた手を腰の位置くらいにかざすと、回送していた無人のゴンドラが目の前で止まった。
「ささ、びゅびゅーんと参りましょうぞ」
ゴンドラは風を切るように自転車くらいの速度で進んでいく。少し腰掛けられるような台もついていて楽ちんだ。
「瑠璃宮以外から来た人には不評なのよね」
風に吹かれながらナナリエが苦笑した。
「ハルお兄様も最初の頃は道に迷って、約束の時間に遅れてくることも多かったわ」
ハルジオンは道に迷っても澄ました顔してそうだな。
「ナナリエ殿が王子殿下の話をするとは珍しいですな」
ジャカランダが細い目をめいっぱい広げて驚くと、ナナリエは意外そうに首を傾げた。
「そうかしら」
「いかにも。ナナリエ殿はいつもアスナロ博士の話ばかりしておられますぞ」
「それは私たちの同業者だからじゃないかしら」
ナナリエは口元に手を当てておかしそうに笑った。
「ほら、そうやって楽しそうに」
「共通の話題が出るのは自然なことでしょう。ハルジオンお兄様は、アンリと私の共通の知人だもの」
共通の知人。また硬い表現するなあ。
ゴンドラは速度を落とし、ちょうどゴンドラがぴったり入る昇降機に乗りつけた。一度だけガタンと振動があり、そのあとは静かに上昇を始めた。
「まあ、婚約も解消されて、王位継承についても見直しがかかりましたからな」
「今のところ王位の継承は現状維持よ」
ナナリエは外の景色に目を向けながらため息を吐いた。
「見直しが議論されたというだけでも、大きな一歩ですぞ」
ナナリエはそれには答えなかった。私も、何と声をかければいいのかわからず、その横顔を見つめていた。
「それって、お前は王になりたくないってことか」
ずっと黙っていたソラリスが口を開いた。
ナナリエは窓の外から視線を戻し、不思議そうにソラリスを見た。
けれどジャカランダが先に答えた。
「ナナリエ殿ほどの熱意のある方が研究職から退くのはもったいないと、常々仲間内で話しているだけですよ」
「ナナリエは研究が好きなんだね」
仲間にもこんなに惜しまれている。
「私はいいの。王になったからって研究が全くできないわけじゃない」
ナナリエは目を伏せた。
「だけど双王は統治しない。その原則通りならば、お兄様は政治からは完全に退かなければならないわ。あれほど行政の仕組みを理解し、人のために動ける人が」
「ハルジオンは自分のやりたいことのために降りるのか」
ソラリスの声が重く響いた。ハルジオン自身の自由のためにソラリスを身代わりにしようとしているように聞こえたのだろうか。
「お兄様はいつだって自分の希望は後回しで、国のことを考えているわ。私が言いたいのは——」
「お前がハルジオンを自由にしたいってことだな」
先回りされて答えを言われても、ナナリエは驚いた様子も見せずに頷いた。
議会であっさりナナリエが婚約解消と王位継承権の返上に同意したのは、やっぱりハルジオンの将来を考えていたんだ。
昇降機が停止した。ここが五十階か。ここより低い建物の屋上に、透明なドームに守られた自然公園らしきスペースが見える。離れたところには五十階より高い塔もそびえている。
ゴンドラは揺れることなく通路に出て、再び横移動を始めた。すれ違うゴンドラから研究者らしき人たちが会釈をすると、ナナリエとジャカランダも礼を返していた。
「お前はいいの?」
ソラリスが青い目でナナリエを覗き込んだ。
ナナリエも真っ直ぐ見返した。
「私は決めている」
決意を明かすにはあまりにも淡々とした声だった。
「双王による磁場の調整は、この国を成り立たせるためになくてはならないものよ」
「でも、ナナリエも継承権を返すことに同意したよね?」
こんなに明確に決めているのにどうして同意したんだろう。大切に思っている相手との婚約まで解消して。
「双王の組み合わせを再検証することには同意したわ。けれどその適性が高いというなら、私が引き受けるのが合理的でしょう」
ずいぶんはっきり言い切るけど、何かそういう測定結果でもあるんだろうか。
その疑問に答えるようにジャカランダが言った。
「王族の子どもは幼い頃に翡翠の学舎で教育を受け、双王への適性があるかも見られているのです」
幼い頃からナナリエは期待されていたってことかな。
「相手がハルジオンお兄様に決まったのは六年前よ」
「ナナリエを基準にハルジオンが選ばれたってこと?」
ナナリエは一度頷いてから、真剣な顔で言った。
「私はお兄様を役目から解放したい」
「ハルジオンのことばかり気にして、お前の気持ちはいいのか」
少し苛立ったように訊くソラリスに向けて、ナナリエは柔らかく微笑んだ。
「母は、私に王になってもならなくてもいいと言ったわ。だからやることにした」
「かーちゃんはどっちでも良いって言ったのか」
拍子抜けしたようにソラリスは目を丸くした。
そんなソラリスを虹色の瞳はくっきりと映していた。
「選択肢があるなら、あなたはどうしたいの?」
ソラリスは答えなかったけれど、狼狽えてはいなかった。
青空の中で、ソラリスとナナリエはしばらく向かい合っていた。
「お目当ての焼き菓子屋に到着いたしましたぞ」
やっぱり特徴のない店構えだ。
駅のコインロッカーみたいに無機質な店を見ながら、環に触れると空間は情報で溢れた。銀色だった店の壁が可愛らしい壁紙とお菓子の立体映像で飾られて、商品情報が頭の中に流れ込んでくる。
店のカウンターの上に自由に取り出せる試食コーナーもあった。でも、店員さんはいない。
「コメリナは香辛料強めの、チコリは酸味の強い果物がいいわね」
ナナリエがジャカランダに確認して、迷わず商品を決めてしまった。
私は——
迷っていた。赤い果実ののったカップケーキ、木の実が練り込んである四角いケーキ、上下をクッキーでサンドした分厚いクリームの塊みたいなやつ。
ケーキ屋さんに行ったらだいたいお店の人にお勧めを聞いて、話しながら何を買うか決める。人がいないところで買うのって苦手だ。
「迷っているなら全部買ったら?」
ナナリエが金にものを言わせるようなことを言う。
でも私は無職。議会の審議が通るまで魔女の役職は保留中なのだ。散財するわけにはいかない。銀行員のクリサンテにも計画的に買い物しろって注意されたし。
私は片っ端から試食をすることにした。店員さんがいないから、試食するのもハードルが低い……なんて言ったら意地汚いのがバレてしまう。
「ほうほう。全て検証するのですか。学者の鑑のような御仁ですなあ」
ジャカランダがじろじろ見てくるけど気にしない。
ソラリスはじっと考え込んでいたかと思うと、三つ選んで試食し、満足げに笑った。
「やっぱり、実物見ねえと決めらんねえな」
そう言って試食したもの三つ全て購入した。
研究室を出る時には困惑顔だったのに。やっぱり「見りゃわかる」の人なんだな。
「まだ迷ってんのか」
包みを抱えたソラリスが憐れみの目で見てきた。
「もう決まった!」
薄紫の爽やかな香りのクリームでコーティングした焼き菓子。
全てを試して、今日の気分に一番合うものを選んだ。
たぶん明日の私も、昨日の私も、違うものを選ぶ。
今日の私は、これ。




