第42話 立っているだけの仕事
ソラリスはどこで生まれたのか。
その疑問に先に踏み込んだのはセアノサス様だった。
「君の瞳いいですね。青は東では見慣れた色ですが、君のはとても澄んでいる」
そう言いながら顔を近づけて、ソラリスを覗き込んだ。
ソラリスは眉を寄せて顔を背けた。
「あんま見んなよ」
「君のご両親は?」
「普通だよ。ガーネット宮の病院で普通に働いていたって聞いてる」
あれ、珊瑚宮じゃなくてガーネット宮?
それに、“聞いてる”って、どうして伝聞表現なの?
でもセアノサス様は違うところに引っかかっていた。
「ほう、普通の定義とは?」
ナナリエみたいなこと言ってる!
「おじさんも理屈っぽいな!」
「認識がずれたまま話していては互いに意味がありませんからね」
ソラリスはエレベーターの外を見た。青い空に放り出されたみたいにどこまでも広い。
「王族じゃねえってこと。両親は忙しくて、俺はじいちゃんとばあちゃんに育てられた」
「お父さんとお母さんとの思い出はあんまりないの?」
私が訊くと、ソラリスは黙って頷いた。
「お祖父ちゃんとお祖母ちゃんとはどんな風に暮らしていたの?」
ソラリスは外へ向けていた目を、ようやく私に戻した。
「一緒に料理したり、野菜作ったり、じいちゃんのバイクの後ろに乗せてもらって走ったり。そんなもんだよ」
「楽しそうな思い出じゃん」
子どもの頃のソラリスに、愛情を注いでくれる人がちゃんといたのなら良かった。
「バイクですか。元気なお祖父様ですね」
何気ない相槌なのに、セアノサス様はソラリスの顔をじっと見ていた。
「その後、十歳でイサリダ家の養子になったんですね」
セアノサス様は確認するように言った。質問というよりは断定だ。同乗している秘書さんも、驚く様子もなく沈黙している。すでにソラリスについて一通り調べ上げているのかもしれない。
ソラリスも同じように感じたのか、訝しげに眉を寄せながら再び黙って頷いた。
「急に養子になったの?」
十歳のソラリスに何があったんだろう。
「急じゃない。いつからかは覚えてないけど、何年か揉めてた」
「誰が?」
「じいちゃんと……」
ソラリスが言い淀んで俯いた。代わりにセアノサス様が言った。
「珊瑚宮のご隠居ですね」
ソラリスはやはり黙ったまま頷いた。どんどん俯いていくソラリスの肩を、セアノサス様はそっと掴んだ。
「ご隠居に、王になれと言われましたか」
「……頭のおかしいジジイとしか思わなかった」
「先日の当主討論でも、結環の儀にご隠居が強く推した若者がいたと伺いました。君を王にするおつもりだったのですね」
問い詰めるような内容なのに、セアノサス様の声はずっと穏やかなままだ。
それでも叱られた子どもみたいに、ソラリスは下を向いていた。
「……だから、おじさんは俺に興味を持ったんだ?」
「違いますよ」
先ほどまでの声色と違い、明確に否定する力強い声だった。
ソラリスは慌てて顔を上げた。二人の視線が至近距離でぶつかった。言葉が出てこないのか、ソラリスは口をわずかに開けたまま固まっている。
そんな彼にセアノサス様は微笑みかけた。
「理由はまだ秘密ですけどね」
「なんだよ、それ」
柔らかい微笑みにつられて、ソラリスも表情を崩した。その肩に置かれた手が、ゆっくりと離れる。
「王になることに抵抗があるのですか?」
ソラリスは瞬きせずに答えた。
「俺は俺にしかできないことをやるって決めてる。立ってるだけの仕事なんて嫌だ」
また言ってる。ハルジオンにも同じことを言っていたな。
大真面目に言い放つソラリスを、セアノサス様はくすくす笑いながら見ていた。
「立っているだけの仕事ですか。同じことを先代も言っていましたね。立っているだけでお金がもらえるなんて良い仕事だなあって、喜んでいました」
え……。それはノリが軽すぎるでしょ!
ナナリエのお父さんだよね。立っているだけはともかく、お金がもらえてラッキーみたいなこと、ナナリエなら絶対に言わないよ。
「本当に立っているだけの仕事なんですか?」
私は思わず確認してしまった。
「いい質問ですね。降りながら説明しましょうか」
セアノサス様が指示を出すと、秘書さんがエレベーターを下降させ始めた。一面の青空から抜け出し、少しずつ高層都市の中へ降りていく。
「ひと月に一度、双王陛下は儀式によって磁場の調整をしています。普段は各地の様子を見て回り、国の全体像を頭に描くことが仕事ですね」
「磁場の調整……」
それを王様がするんだ。道路とか水道の工事を王様がするみたいでおかしな感じ。
でも、私はたしかに目撃した。ナナリエとソラリスが向き合ったとき、不均衡だった磁場が落ち着きを取り戻し、それまで感じていた眩暈のような気持ち悪さが消えた。
「磁場は均一にすれば良いわけではありません。地域ごとの人口や暮らし、磁場の滞りや弱まりを把握し、できるだけ大勢の人が困らないように調整するのです」
統治をするわけじゃなくても、国のことを理解していないと務まらない仕事なんだな。
「磁場の調整は身体に負担があるんですか?」
「長時間、同じ姿勢で立っているので体力は必要ですね。ただ、磁場を通すこと自体は、私たちが日常的に行なっている活動です。通常の調整で身体を損なうことはありません」
私は自分のつま先を見た。
このヨルカの身体の中も磁場の流れが通っていて、それがないと生きていけないってことか。地球の人間が酸素を吸って二酸化炭素を吐くくらいの当たり前な活動なのかもしれない。
「前の王は死んだんだろ?」
ソラリスの声が硬くなった。
その質問に、私は顔を上げてセアノサス様の表情を確認した。
つい先日のことだ。ナナリエのお父さんが亡くなったことについて、ヒヤシンス様がエンジュに怒りをぶつけていたのは。
セアノサス様は静かに頷いた。それでも表情は暗くはなかった。
「詳細は公開されていませんが、通常とは異なる手順を踏んだため起きた事故だそうです」
……事故で亡くなったんだ。
「どうして違う手順を踏んだのかは、誰にもわからないんですか」
部外者である私が聞いていいのかわからなかった。ただ、ナナリエのお父さんが生きていてくれたら違う世界があったんじゃないかって、勝手に考えてしまった。セアノサス様も少しだけ眉を寄せた。
「その場に居合わせたのは双王であった私の姉と、儀式を管理していた大宮司殿と、当時五歳だった今の若宮司殿だけですね」
エンジュも、そのときの目撃者なんだ。五歳、目の前で誰かが亡くなるのを見るには幼すぎる。私はそれ以上、事故のことを聞く気持ちになれなかった。ソラリスも何も質問しなかった。
「あの方は誰よりも先を見ていました。私にはその真意を量ることはできませんが、きっとそうせざるを得ない何か理由があったはずです」
セアノサス様は変わらず穏やかに語っている。
「先を見ていたって、ナナリエのお父さんはすごい人だったってことですか?」
「すごいと言えばすごいんですが、ちょっと変わった人でしたね」
エレベーターは、すっかり瑠璃宮の都市の中に戻ってきた。少しの振動もなく、ぴたりと景色が止まる。
「私の四つ上の先輩でした。私が地質学を学んでいるときに、あの方は天文を研究していて、エメラルド宮でよく顔を合わせました」
天文学者なんだ。ナナリエとは興味の方向が違うな。
そう思ったとき、セアノサス様が思い出すように笑って付け足した。
「まあ、だいたい木の上で昼寝をしていましたが」
木の上で昼寝。だいぶ呑気だ。
「先代の王様は結びつきが強かったって、以前言っていましたよね」
「そう、そうなんですよ!」
エレベーターの扉が開くと、セアノサス様は身軽に飛び出した。それなのに、出た先でつまずいて、ちょっとよろめく。反射的に動いたソラリスがその二の腕を掴んでいた。
「おじさん、ドジだなあ」
「いやあ、お恥ずかしい」
ドジだって。私には鈍臭いって言い放ったのに、セアノサス様にはドジだって。ソラリスでも相手の立場によって言い方を変えるんだ。それとも純粋な感想?
体勢を整えたセアノサス様は、口元を押さえて表情を緩ませた。
「あのふたりは深く愛し合っていたんですよ!」
唐突に愛の話が始まった。私はそんな質問をしていないのだが。
「ぼんやりした人だったのに、私の姉をいつの間にか射止めていて。そういうときは行動早いんだって見直しました。双王発見の瞬間も、国中が驚きに包まれましたよ」
「興味ねえよ、他人の恋愛なんて」
ソラリスは呆れ顔で肩をすくめた。
「でも、いちおうナナリエのお父さんとお母さんの話だし」
「自分の親だとしても聞きたくないね」
セアノサス様は私たちの反応など気にも留めない様子で、話を続けた。
「ふふ。そうは言ってもうちも負けてないんですよ。私がトレニアに出会ったのは——」
「当主様、そろそろ会議のお時間です」
悦に入っているセアノサス様を、秘書さんの淡々とした声が遮った。
「ああ、もうそんな時間ですか」
セアノサス様の興奮は急激に冷めた。赤みが差して緩んでいた頬は、いつもの理性的な中年の顔に戻っていた。
「今日は楽しませてもらいました。このあとも瑠璃宮をゆっくり見学していってください。あと二日間は学会の時期なので、中等教育の授業はありませんが、各発表は聴講できますよ」
「ありがとうございました!」
セアノサス様に挨拶をして、私はソラリスと当てもなく歩き始めた。
ナナリエの研究室ってどこにあるんだろう。でも学会に行っていて、研究室にはいないか。
「昼飯どうすっかなー。おじさんと食べようと思っていたのに」
「約束せずに行っちゃったからねー」
のんびり歩いていると、向かいから来た細長い男性が急に方向を変えて、すーっと私の前までやってきた。そのまま何の断りもなく、私の胸元を覗き込んだ。
「なるほど。これが例の意図的な欠けのある環ですなあ?」
えーと、知り合い、ではないですよね。




