第39話 友達んち行ったらいなかった
チリーン。
硬貨と硬貨がぶつかると、澄んだ音が鳴った。
シトリン官業銀行の瑠璃宮のとある支店の機械で、私は現金を引き出した。
「都心部に入ったんだから現金なんていらねえ」
そう言ってソラリスがついてきてくれないから、機械の操作に戸惑ってけっこう時間がかかってしまった。
背後に行列ができたらどうしようかと焦っていたけど、現金を引き出す人がいないのか誰も並ばなかった。
……だけどソラリス、監督責任を放棄してないか。私が銀行の記録消したらソラリスも怒られるんじゃないの。
この国の硬貨は、たったの三種類。百リン。十リン。一リン。
百リンは、十二角形のずっしりした硬貨だ。金色だけど、金貨ではなさそう。五円玉みたいな色合い。
十リンは、色も大きさも百円玉にそっくり。
一リンは、十円玉みたいな色で、小さめの七角形。形は違うけどイギリスの一ペンスくらいの小粒感。
それぞれ、双王陛下らしき男女の横顔、時計の文字盤、昆虫とキノコみたいな幾何学模様が刻印されている。
二百リンでお昼ご飯が食べられる。日本の外食は安いからあまり参考にならないな。ヨーロッパの物価を当てはめたら、だいたい百リン硬貨が千円札くらいかな。一万円を超えるような高額決済は環で行うのが基本らしい。
ちなみに私の魔女としての月給は四万リンだった。
「なんの材質なんだろ」
私は百リン硬貨を二枚、指で摘んでチリーンと打ち鳴らした。
「お金を鳴らしてるの?」
誰かが私の手元を覗き込んできた。ふわっと花のような香りが広がる。
しまった。こんな往来で、不用心にお金を広げてしまった。
顔を上げると、星空が目の前に広がっていて、私は息を呑んだ。
——星空じゃない、人だった。
四十代くらいの女性だろうか。桜色の髪に、群青色の瞳。だけど、その虹彩には金色の光が散っていて、満天の星空みたいだった。
「何の金属でできてるんだろうって」
私はお金を袋にしまいながら、星空の女の人を見上げた。
「ああ、それは——」
女の人は材質の名前をいくつも挙げながら説明してくれた。だけど、知らない材質を知らない言葉で説明されてもわからない。変色しにくくて、加工しやすいわりに丈夫だってことだけわかった。
私の代わりに大地がこっちに来ていたら、地球と名前が違っても、性質をひとつずつ聞いてどんな金属なのか理解できるんだろうな。
「へえ。詳しいんですね」
私は曖昧に笑った。
女の人は、じーっと私の目を覗き込んできた。
……近い。
この近さ、誰かに似ている。
「私の専門だからね」
「専門?」
「物質工学。特に鉱物」
へえ。……へえ。
どうしよう。そっちの知識がなさすぎて、それしか感想が浮かばない。
「あ、じゃあ。瑠璃宮では瑠璃がいっぱい採掘されるんですか?」
瑠璃をはめこんだような女の人の瞳を見つめていたら、いつの間にかそんな質問をしていた。情けないが、自分の土俵で会話するしかない。
「そうだよ。このあたりの荒野の岩山から瑠璃が採れるんだ」
女の人は建物の隙間から少しだけ顔を覗かせるゴツゴツした山を指差した。
「北の山では翡翠が採れるし、南の海では珊瑚、西の平野では琥珀が採れるよ」
ニッと口角を上げて笑う顔が、人懐っこくて可愛かった。
「じゃあ、アメジストではアメジストが?」
「あー。他は産地じゃないよ。色の並びがきれいになるように、昔の人が適当に当てはめたんじゃない?」
適当!
この人、鉱物そのものには詳しいのに、名前の由来は適当で済ませるんだ。
文化的意味には関心がないってことかな。
ざっくりしている。この人、なんだかとても、ざっくりしている。
「えーと、じゃあ……」
「ああ! いけない。もう行かなきゃ。ごめんね!」
桜色の後れ毛を揺らしながら、星空の女の人は雑踏に消えていった。
あっけないものだ。もう少し話を聞きたかった。
見えなくなった背中を探して往来に目を凝らしていると、背後からソラリスの声がした。
「金、下ろせたか?」
「うん」
私はお金を入れた袋を振って音を鳴らした。
「一リン、十リン、百リン! 十進法!」
わかりやすくて助かった!
「そりゃそうだろ」
「そうなの? 十二宮だし、十二ヶ月だし、十二刻だし、十二ずつ進む国かと思った」
「金がそれだったら不便だろ。たとえば……」
ソラリスは言いかけて止まった。
「……あー、いいや。そういうのはエンジュに聞いて」
あ、説明を放棄したな。雑な理解なのに自信満々だな。
「ナナリエに聞いてみよっと」
「なんでだよ。俺はエンジュに聞けって言った」
「だって、今から行くでしょ。ナナリエのうち」
私がウキウキで話しかけたのに、ソラリスは苦い顔で吐き捨てた。
「……あいつ、出掛けててくれねえかな」
「残念ながら、ナナリエ、今日も学会で帰ってこないんですよ」
瑠璃宮のユニワ家の宮殿を訪ねていくと、すぐに応接室に通された。
しばらくふたりで待っていると、セアノサス様が足早に駆け込んできた。
そして満面の笑みでナナリエが帰ってこないことを告げたのである。
事前に連絡できたらよかったんだけどな。私には連絡手段はないし、ソラリスはナナリエとは連絡先を交換していなかった。
「友達でもないやつの連絡先は必要ないだろ」
身軽な生き方してるなあ。
「安心しろ。エンジュとハルジオンにはこっち来ること言っといたから」
北の端と西の端にいる人たちに伝えたって仕方ないじゃん!
「今日はちょうど姉も外出してましてねえ。私が責任を持ってもてなしましょう」
セアノサス様は手のひらで自分の胸をばんっと叩いた。当主様のお姉さん、つまりナナリエのお母さんか。先代の結王陛下、どんな人なんだろう。似てるのかな。
「待っていてください。すぐにお茶を淹れてきますから」
部屋に入ってきて二往復くらいしか会話していないのに、セアノサス様はもう出て行こうとしている。
「農家に直接買い付けに行ってね、私が焙煎したんですよ——」
私たちの方を見たまま身体だけは扉の方へ吸い寄せられていく陽気なおじさん。
開け放たれた扉の向こうに人影が見えた。
「あ!」
という間もなく、陶器がぶつかる音と液体が飛び散る音がした。
床に落ちたカップ。胸元を茶色く濡らすセアノサス様。
「あらあら……」
自分も服を濡らしながら困惑する藍色の髪の女性。
「もう、扉はいつも閉めてくださいって言っているでしょう。あと、前を見て歩いて!」
女性はお盆を抱えたままセアノサス様を睨みつけた。だけど目が穏やかすぎて、睨んでいても迫力はない。
「今のは扉を閉めていても衝突を回避できなかったと思いますよ」
セアノサス様は床に落ちたカップを拾い上げながら「割れていませんね」と胸を撫で下ろした。
「いいえ。内開きですから、貴方が一歩後退したはずです。回避できました」
「私は扉を開けた瞬間に身体を滑り込ませるので、その仮説は成り立ちません」
「だったら、これからは進行方向を確認してください! 確実にね!」
「確実な安全性の確認なんてありえません。これは確率の問題です」
セアノサス様はカップをお盆にのせると、女性の手からお盆を受け取った。
片手にお盆を乗せて、もう片方の手で布巾で女性の服を拭いた。
「びしょ濡れの布巾で拭いたって仕方がないでしょう!」
「ああ、本当ですね。私としたことが」
セアノサス様はようやく私たちの方を振り返って、照れ笑いをした。
「妻のトレニアです。おっちょこちょいなんですよ」
濡れた布巾を持ったまま、トレニア様の肩に手を回した。当然、その手は叩き落とされる。
「もう! お客様の前で、いつまでこんな格好でいる気ですか!」
トレニア様はゆっくりとお辞儀をした。
「見苦しいところをお見せして申し訳ありません。いったん、失礼いたしますね」
ふたりが喧嘩しながら廊下へ消えると、入れ替わりにお手伝いさんらしき人が入ってきて、床の掃除をすると、扉を閉めて退出した。
「……なんだったんだ、今の」
ソラリスが気の抜けた声で呟いた。
「濡れたところ、茶色かったよね。農家に買い付けに行って、自分で焙煎をする……」
私はお茶が気になってしかたなかった。焙煎する、茶色いお茶。ほうじ茶かな……?
以前、ナナリエたちが瑠璃宮のお茶は黒くて苦いと言っていた。苦い……まさか?
「気になるのそっちかよ」
ソラリスは呆れ顔で椅子にもたれた。
それから、私たちはそれなりに長い時間を応接室で待ちぼうけた。
「おじさん、まだ着替えてんのかな〜」
ソラリスは退屈した様子で足を投げ出して長椅子に寝そべった。ハルジオンの執務室でもそうだったけど、お行儀が悪いぞ。
「こら! ソラリス! 他所の家の長椅子で寝そべらないの!」
「なんだよ。口うるせえな。年上かよ」
「年上だよ!」
「……そうだった」
ソラリスが姿勢を正したとき、勢いよく扉が開いた。
「お待たせしましたー!」
セアノサス様がお盆を片手に入ってきた。
「さ、どうぞ」
カップの中に注がれたそれは、たしかに茶色というより黒い。そしてほのかに香ばしい匂いがする。
「いただきます」
セアノサス様のオレンジ色の瞳に見つめられながら、私は一口、飲んだ。
これは——?
「大粒の品種の玉穂を焙煎して淹れたお茶です」
穀物を、焙煎した、お茶。
これは——!
味の濃すぎる麦茶だ!!
「主な産地はサファイア宮の乾燥した寒冷地なんですがね、数年前から瑠璃宮の工場でも気象条件の再現に成功しまして——」
私はセアノサス様の話を上の空で聞きながら、喜びに震えていた。
私の知っている地球の食品に、当てはめられる!
最近、割り切れないものばかりでモヤモヤしていたけど、ここまでカチッとはまってくれるなんて。
ここ一番の快感だった。
「ソラリスぅ、麦茶だよぉ」
「おお? よかったな」
ソラリスは困惑したまま、ひとまず一緒に喜んでくれた。




