第36話 いきなり無銭飲食
「え?ここ、環決済って使えないんですか?」
私は聞き返した。
瑠璃宮の外れにある田舎町で少し早めの昼食をとったところだ。これから広い砂丘を見に行こうと話をしていた。
「悪いやぁ。こんな田舎だもんで」
おばあちゃんは申し訳なさそうに苦笑いをした。
ずっと王都にいて、現金で支払う習慣がなかったから忘れていた。地域によっては現金が必要なのだ。 ナナリエと回っていた時は、いつも立て替えてもらっていたし。
つまり、私は今、無一文だった。
「ソラリス、現金持ってる?」
私は軽く尋ねた。あとで返せばいいかって。
隣に立っていたソラリスの顔を見ると、気まずそうに視線を落としていた。
「……俺も、ない」
「え」
「いつも経費落ちだった……」
語尾が消えるソラリスも珍しい。
「困ったやぁ。こっちも商売でやってるでね」
二人とも現金を持っていないと気づき、おばあちゃんの顔が曇る。
「やい、おっかさん」
奥の厨房から、おじいちゃんが顔を覗かせた。
「この衆ら、金がないのけ。そんなら働いてきゃいいら」
「はあ!急に何言っとる?人に教える暇ないに?」
「でも金ないだら?その分働いてもらわにゃしょんないら」
「はあ〜、も〜」
おばあちゃんはぷりぷり怒りながら私たちを見た。
「あんたら働けんの?」
「!」
私とソラリスは目を合わせた。
「お任せあれ!」
もうすぐ混雑する昼の時間帯がくる。
私とソラリスはエプロンを借りて仕事に取り掛かった。
「私は注文とります!この人は料理ができます!」
私はソラリスを指さした。
「勝手に決めんなよ!」
おじいちゃんはソラリスを手招きして呼んで、野菜を切るように言った。
こっちの野菜を調理前の状態で見るの、初めてかも。
でこぼこした緑色のじゃがいもみたいなやつや、一粒ずつ色の違う変なとうもろこしみたいなのが籠に乗せられて調理台に置かれていた。
ソラリスは菜切包丁みたいな四角い包丁を手に取り、ダダダダッと小気味良い音を立てて野菜を切り始めた。
「いいじゃん。そのまま頼むわ」
おじいちゃんはそれだけ言うと自分の仕事に戻っていった。
野菜を刻むソラリスの背中も、なんだかんだ楽しそうだ。
私はおばあちゃんと一緒に客席を整えた。飲食店のアルバイトはしたことがある。
とりあえず元気よく挨拶はできる。注文も正確に取れる。愛想は良い方。
でも、皿は……よく割った。それだけが心配。
「あんた小さいで、重いもんを無理に持たんでいいからね」
おばあちゃんは私の肩をぽんっと叩いた。
ヨルカの細い腕、たしかに無理はしない方がいい。無理して店にも迷惑かけたくないし。
できることをやればいい!
店の入り口が開いて、扉につけられた鐘がからんからんと鳴った。
「いらっしゃいませ!」
この国の挨拶はいつも“ケセラン・パソラン”なのに、“いらっしゃいませ”には専用の挨拶がある。エンジュが神殿で参拝客を迎えるときに“ようこそ”と言っていた時にも使っていた。音の響きは“サンダア?”って感じ。語尾を少し上げる。
私はお客さんが入ってくるたびに元気に「サンダア!?」と声を上げて、注文を取りに行った。
「ワシが白身魚の土鍋蒸しで、こっちが豆と野菜の粒パスタ」
料理名が難しい。食べたことがあるものはピンとくるけれど、見たことないものは言葉をそのまま覚えるしかない。
ひとまずおうむ返しで記憶し、厨房に伝えた。
「あいよ」
おじいちゃんが振り向きもせずに答える。良かった。伝わっている。
最初は一組、二組と順に来ていたけれど、正午に差し掛かると、あっという間に客席は埋め尽くされた。
「はい!香味野菜の煮込み麺と——」
「お嬢ちゃん、さっきのパスタやめて蒸し芋と肉の角煮定食にして」
「はいはーい!」
注文をとっている横から、別のお客さんが割り込んでくる。地元のお客さんが多いからか遠慮がない。
厨房に戻って聞いてきた注文を伝えると、配膳をしながらおばあちゃんが首を傾げた。
「あんた、注文書いてないじゃん!」
「え?」
「環で、聞いた注文を記録できるに?」
おばあちゃんは私の胸に提げられたブラックオパールのペンダントを指さした。
「あ、私は書き込みができない体質なんです」
書き込もうとした途端に情報を消してしまうので、ナナリエが作ってくれた環にはメモを取ったり誰かに連絡をとったりする機能がついていない。読取専用ってやつだ。
しかも、この国には紙もペンもない。つまり私はメモれない!
「ああ!あんた、官報に載っていた魔女かね」
おばあちゃんは「へあ〜」と感嘆の息を吐きながら私をまじまじと観察した。
そうです。魔女です。ビンボー・アンリです。
ちょうど、無一文です……。
おばあちゃんの目が急に見開かれる。
「じゃあ何?今まで注文は頭で覚えてたんけ!」
「そうですね」
そのとき、客席の方から二組のお客さんがそれぞれに注文を叫んだ。
「はーい!」
私がそのまま厨房のおじいちゃんに注文内容を伝えると、おばあちゃんは大きな口を開けていた。
「はあ〜!記憶できるから記録しなくていいんだねえ!」
……ええ?
たしかに、もともと記憶力はいい方だ。中学生までは、苦手な数学も問題と解き方を丸ごと覚えてテストの点数だけは良かった。初めて行った先でも目印になるものを暗記すれば道に迷うことも少ない。
でも、それだけじゃない。
ヨルカのこの身体は、一度吸収した情報を本当に保存している。見たことも聞いたことも、頭の中にしっかり残っている。髪の毛で読み取ったものだけじゃないんだ。
もしかして、ヨルカは定食屋で働くために生まれてきた……とか。
「何をぼけっとしてんだ。出来たぞ。三番卓に持ってけ」
ソラリスが目の前に皿を突き出し、私の思考は途切れた。
皿を突き出すソラリスの手には鉄鍋が握られていた。野菜切りから昇格したのだろうか。
「お待たせしま——」
三番卓までやって来た私は気づいた。
人が違う。
この野菜炒めを注文したのは皺が深めの作業着のおじさんだ。
くるりと向きを変えて店内を見渡すと、奥の席におじさんがいた。
「お待たせしました」
「お。ありがと」
おじさんは手を出してお皿を受け取ってくれた。
「席を変わっちゃってごめんよぉ。窓際暑かったもんで空いてる席に移っちゃった」
「いいですよ!ごゆっくり〜」
次の料理を取りに戻る途中で、お客さんの目線が気になった。
テーブルの大皿料理を一瞥した目が、そのままおばあちゃんに向いている。
大皿の横には二枚のお皿、席には四人。
「取り皿いります〜?」
私が差し出した取り皿をお客さんは笑顔で受け取ってくれた。
「あーんた、よーく見とるねぇ」
カウンターまで戻るとおばあちゃんが私の二の腕をペシペシ叩いた。
「見るのが仕事なんで」
甲高い声で笑うおばあちゃんに、私は照れ笑いをした。
「やい、そっち先やれって言ったじゃん」
厨房からおじいちゃんの大きな声が聞こえてきた。
「はあ?わかってねえな!揚げながらこっちも焼いてんだよ!」
ソラリスも喧嘩腰で言い返している。
ああ、私の愛想を見習ってほしいよ!
「そうけ。ならいいわ。これ味見してみ」
「お。これさっきから煮込んでたやつ?……ん、出汁と塩の加減が絶妙」
「だら?焼くの代わるで、こっちも食ってみ?」
え?その態度で受け入れられてるの?謎すぎる。
納得いかないまま、私は次の料理を両手に乗せて客席へ向かった。
歩き始めて私は気づいた。
……乗せすぎた。これは両手で持つやつだった。
これは、落とす……!
腕の筋肉が小刻みに震える。
どこかに一度、退避して——
手の上のバランスを意識しすぎたせいで、手首が妙な動きをした。
皿が手のひらを滑る。
しまった。そう思ったときには反対側の手も制御を失った。
やってしまった——
「鈍臭えな」
後から伸びてきた腕が、傾きかけた皿を支えた。
後頭部に、ソラリスの胸元が当たる。
「無理に持つなって言われたんだろ」
振り返ると、青空みたいな目が、すぐそこにあった。
……近い。
あ、ソラリスが皿を受け止めてくれたんだ。
無事だった。
「ありがとう……」
「水を飲もうとしたら見えたからさ、無謀な皿運び」
皿を支える両腕に囲まれて、身動きが取れない。
腕の位置、ここか。
ハルジオンやエンジュと並んでると子どもみたいだったのに、ヨルカの視線から見ると思ったより大きいな。
というか、近い。
近すぎる。
そういえばナナリエも距離感はおかしかった。移動するときはいつも手をつないでくれたし、私の瞳の色を確認するときは私の唇に彼女の鼻息がかかるほど——
でも、女の子だったから!だから気にならなかった。
ソラリスは違う。男だ。この距離に入られるのは無理!
「何をもぞもぞしてんだ?」
「どうやって抜け出そうかなって……」
「はあ?」
顔の周りを取り囲んでいた腕が開いて、私は解放された。
「で、これどこ?」
「両方、五番卓」
私は少し離れてから言った。
ソラリスは皿を運びながら、余裕そうに振り返った。
「俺の器用さを見習え?」
——こいつ。
さっき、私の心の内を読んでたな?
気を引き締め直した私と、相変わらず雑に解決するソラリスは、なんとか昼の営業を乗り切った。
「ありがとねぇ。どうなることかと思ったけど、楽させてもらったわ」
「飯代以上に働いてもらったな」
お客さんがすっかり帰ると、おばあちゃんとおじいちゃんが客席の椅子に腰を下ろした。
「楽しかったです!」
「じっちゃんに教えてもらったの、今度試してみるわ」
私たちも一緒に椅子に座ってお茶を飲んだ。
一時は無銭飲食でどうなることかと思ったけど、知らない土地で接客業なんてなかなか貴重な体験だったな。楽しかった。
「おう、また手伝いに来てや」
ホクホク顔のおじいちゃんの向いで、おばあちゃんがよっこらしょと立ち上がった。
「今から畑行くけど、一緒に行くけ?」
畑!行く行く!




