第28話 お兄様は味見をしてくださいます
「お前も婚約解消したら縁談がバンバン来てんのか?」
ソラリスが、はたと気づいたように、ナナリエに向き直った。
「……いえ」
ナナリエが短く答えるのと同時に、ハルジオンも弱々しい声を上げた。
「いや……ソラリス、俺のところにも別に——」
「だよなー。理屈っぽくて変な女だもんな」
ソラリスは悪意のなさそうな様子で頷いた。
だけど。
「ソラリス!」
私は立ち上がった。
「ナナリエは変じゃないよ!」
ソラリスが身を反らして私を見上げた。
「ナナリエはすごく面白いだけ!」
「だねー」
エンジュが呑気に相槌を打つ。
その隣で、ソラリスはそっと腕を伸ばし、私の水のグラスを手に取った。そして何故かその匂いを嗅いでいる。
ゆっくりと身を寄せたハルジオンが、ソラリスの耳元で「水か?」と確認するのが聞こえた。ソラリスが私から目を逸らさずに小さく頷いた。
「私、今は未成年なんで!素面です!」
ソラリスはグラスを置いて腕を組んだ。
「なんだよ。別に俺はこいつを貶めるつもりで言ったんじゃない」
「……ソラリス」
「……悪かった」
ソラリスが静かに目を伏せた。半分くらい納得していなさそうだ。本当に悪気はなかったのかもしれない。言い過ぎたかな、と反省したとき、ナナリエが口を開いた。
「感じ方は人それぞれよ。あなたが理屈っぽいという印象を私に抱くなら、その感覚に間違いはないわ」
ソラリスはしょぼんとした目でナナリエを見た。
「……いや、そっちじゃなくて。変な女って言って、悪かったよ」
ナナリエが目を見開いた。
「それは……あなたも変だから。こちら側から観測した結果が“変”ならば、そちら側からの結果も同じになるでしょうね」
「また理屈か」
たしかにナナリエは人の感覚についても分析的に話すんだよね。そこを理屈っぽいというならそうなのかもしれない。
ナナリエは心の底から不思議そうに、言葉を探すように言った。
「……自分の感覚だけじゃ、普遍にはならないでしょう」
「普遍?」
「私が知り得たことは誰でも使えるようにしたいの。ちゃんと、正しく伝わるように」
そう言い切ったナナリエに、迷いはなかった。
青い目を大きく見開いて、ソラリスが息を呑んだ。
「……それは考えたことなかった」
ソラリスの肩から力が抜けた。
「ま、人の感情まで理屈で捉えるのは違うと思うけどな」
ソラリスがおどけたように笑った。
「ナナリエの方がお姉さんだね」
みんなが静観する中、エンジュが口を挟んだ。
途端に、ナナリエが勝利の笑みをソラリスに向けた。
「なんでだよ!」
ソラリスはまた不満そうに口を尖らせて、ナナリエを指差した。
「ハルジオンはかっこいいって話だっただろ。かっこいいに理屈なんているのかよ」
ナナリエはぴくりと身構えた。
眉間に薄らと皺を寄せて、ゆっくりと口を開いた。
「……お兄様は、少ない情報からでも不足分を補い、予測を立て、対策を講じる能力に優れています。必要な者を配置し、最適な時期に計画を実行します」
……たしかに取り扱い説明書みたいだ。
「それって能力の説明だろ。ハルジオンのかっこよさとは違う」
というか、ソラリス。いつの間にそこまでハルジオンを信頼するようになったんだ?
「でも、それがお兄様の優れたところで……」
「そうじゃなくてさあ……なんて言えばいい?」
ソラリスは雑にエンジュに振った。エンジュはにこにこ笑顔で即答した。
「ハルジオンはね、誰よりも優しいんだよ」
「こういう感じ」
挑戦的な青い瞳が、ナナリエを射程に捉えた。ナナリエの虹色の目がわずかに上を向き、記憶を辿った。やがて視線を戻し、自信なさげに言った。
「……お兄様は、味見をしてくださいます」
「味見!?」
一斉に復唱した。
「……公務で各地を訪れた際、出された料理が辛くないか、苦くないか、私にも食べられる味か、口をつける前に……毎回……」
料理を作る途中の味見じゃなくて、訪問先で出されたものをハルジオンが先に食べて確かめていたってこと?そういえば婚約解消直後のハルジオンも、同じ出来事を思い出して、感傷に浸っていた気がする。
「そ、それは一気に生々しくなったな」
ソラリスの顔が明らかに引き攣っている。そこまでは聞くつもりなかったんだ。
「あらあら、仲良しなのね。二人」
ヒヤシンス様が余裕の笑みを浮かべている。
「うっ……」
「くっ……」
視界の端で、エンジュとロタラがテーブルに倒れ込んだ。
「そうか……!未知の料理を出しておけば、二人のそういうあれを見ることができたのか……どうして今まで思いつかなかったんだろう」
「毒味という愛し方もあったのだな……!」
「いや……。訪問先の郷土料理を口にしないのは社交上問題があると私なりに考えて……」
ハルジオンは処理落ちしたコンピュータのように硬直して、ぶつぶつ言い訳をしていた。
けれど、ナナリエだけは笑っていなかった。手元のお茶から立ち上る湯気はすっかり薄くなっていた。
「……お兄様」
虹色の瞳が、まっすぐにハルジオンを見つめた。
「お兄様は、私が婚約者だったから優しくしてくださっていた、ということですか?」
「ちが——」
ハルジオンは反射的に声を上げた。
「それは……違う」
誰も何も言わなかった。
ああ。その質問は、そうなる。
妙に静かになった食卓で、ソラリスが困ったように私を見た。
「……お前はどう思う?」
「うん。ナナリエはさ、高いところから観測しているかと思いきや、一気に細かいところまで潜ってくるよね。……細胞学者だからかな?」
ずっと気になってたんだよね。ナナリエの思考パターンには法則がある気がして。なんとか今の混乱を整理する助けになれたらいいんだけど。
「アンリ……!」
ナナリエと目が合った。頬を染めて、目を潤ませている。……可愛い。
「いや……ハルジオンの方を聞こうと思ったんだけど、やっぱいいや」
「……もうやめてくれ、ソラリス」
ハルジオンが力なく呻いた。
けれどソラリスは、ナナリエを見たまま続けた。
「この状態で放流して、次にこいつを拾うやついんのかよ」
「えっ」
ハルジオンはソラリスを凝視した。だけどソラリスは冷めた青いお茶を啜りながらナナリエを眺めていて、その視線には気づいていない。
……というか、ハルジオン。
思い返してみると、ソラリスには「王になれ」ということしか言っていないな?
慣例的に双王は夫婦だ、とか。そのために自分は婚約を解消した、とか。
そういう必要なこと、言っていないな?
ナナリエは、ずっと手をつけずにいた青いお茶にシロップを垂らし、ようやく一口飲んだ。
「……甘い」
小さく息をついた。




