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星粒のリテラエⅡ からっぽの魔女は想いを注がれる  作者: はなちゃん
第二章 守り方はひとつじゃない
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第27話 婚約を解消しただけですよね?

「……殴りに?」


 思わず聞き返した私の隣で、ヒヤシンス様が眉間を指で押さえた。


「ああ、私もその話を聞いたわ」

「私の兄たちが、あいつを殴りつけて止めたがな」


 この国に来てから、訓練や試合以外の争い事には遭遇したことがなかったから安心していたけど、この世界にも殴る人、ちゃんといるんだ……!

 私は添えられたシロップを少し垂らし、話に耳を傾けながらお茶を一口飲んだ。やわらかな甘さが口に広がった。


「モナルダはどうしてお兄様に危害を加えようとしたの?」

 ナナリエが唖然とした様子でロタラに尋ねた。ロタラはナナリエに向き直ると、表情を和らげた。


「ハルジオンが君との婚約を解消したからだよ」

「モナルダには関係ないじゃない」

「あいつは何故か妙にハルジオンを尊敬しているからな。男らしくない振る舞いに自分まで裏切られたと思ったんだろう。泣きながら屋敷のテーブルを叩き壊していた」


 熱い鉄の壁みたいに大きなモナルダ。ガーネットの産科で我が子を抱きながら、「ナナリエも元気な赤ちゃん産めよ!」って屈託のない顔で笑っていたな。

 本当に二人の結婚を楽しみにしていたんだ。……でも、殴るって。


「は〜。やっぱ、派手な車を乗り回してるやつは思考回路が違うな」

 ソラリスが呆れ返った口調で言った。無邪気そうなところはソラリスもモナルダも似ているのに、ソラリスはどこか冷めているというか、他人との境界線を明確に引いている気がする。


「ハルジオンを殴ろうとした……?」

 深刻そうな顔をしたエンジュが、ロタラに身を寄せた。

「モナルダは今も、保安局の巡察監だよね?」

 いつもの間延びした響きが、声から消えていた。

「そうだぞ?……さっきもそう言ったじゃないか」

 ロタラはきょとんとした顔で頷いた。


「エンジュ」

 ハルジオンが低い声で呼び止めた。こめかみを押さえていて、頭が痛そうだ。

「実害はない。今後実行もされない。余計なことをするな」

「……ならいいけど」

 不安が解消されない様子のエンジュだ。たしかにモナルダに殴られたら、ハルジオン、骨折しちゃうかも。


「でも……」

 ナナリエが静かに口を開いた。せっかく淹れてもらった青いお茶を、まだ一口も飲んでいないみたいだ。両手でカップを包んだまま止まっている。


「婚約を解消しただけですよね?何をそんなに騒ぎ立ててるんですか?」


 ……?


 この子は、何を言っているんだ?


「制度上の都合で婚約するって、五年前にお兄様が仰っていました。それが解消されただけで、私とお兄様の実際の関係には変更はないですよね」


 ナナリエが当然のことを確認するように、ハルジオンを見つめた。さっきまで向かい合って座っていた二人は、今はテーブルを挟んで対角線上にいる。


「何か、変わりますか?」

「……いや」

 ハルジオンの声には張りがなくて、ナナリエまで届いているのか怪しい。

「では、婚姻することで、私たちの関係の何が変わるのでしょうか」


「子をなす相手となる」

 ロタラが迷いなく言った。

「生殖なら知っています。私の専門は生物学です」

 ナナリエも淡々と答えた。


 ヒヤシンス様の手が、そっとナナリエの肩に触れた。

「婚約者じゃなくなるってことは、ナナリエは別の人と結婚する可能性が出てくるってことよ。もちろん、ハルにもね」


「そうだとしても……婚約前に戻るだけですよね?婚約前からお兄様は隣にいました」

 ハルジオンは自分に向けられた澄みきった視線に絡め取られ、身動きできないようだった。息を吐くように、わずかに声が漏れた。

「そう——」


「ハルジオン。ちゃんとこいつに考えさせろ。甘やかすな」

 ナナリエとハルジオンの間にソラリスの肩が割って入った。青い瞳はナナリエを睨みつけている。


「……いや?」

 私は、思わず声を上げた。

「?」

 青い瞳が私へ向いた。

「……これは圧倒的にハルジオンの説明が足りない」

「ああ?」


 そうだ。それだ。気づいてしまったからには言わねばならない。


「ハルジオン!」

「は……いや、な、なんだ」

 私はハルジオンだけを見た。

「ハルジオンはいつも的確に指示を出してるように見えるけど、あれ、相手に相当負荷を与えてるよ!相手の理解力にただ乗りしてる!」


 ハルジオンは目を見開いたまま、何も言わない。


「ど、どうしたんだ。お前、こんなに物事を断言するやつじゃないだろ……」

 向かいでソラリスが何か言っているけれど、今はそっちじゃない。

「私の何を知ってるんですか」

「そうか、悪い」


 ソラリスが静かになると、ハルジオンが視線を落としながら口を開いた。

「いや……内容は間違ってはいない」

 消え入るような声を、ロタラの落ち着いた声が追いかける。

「部下からの諫言も甘んじて受けるのが責任ある者の勤めだ」

「ハルジオンは国政から退いたから、もうアンリの上司じゃないけどね」

 エンジュが苦笑した。


 ふいに、肩を優しく撫でられた。ヒヤシンス様の手らしい。

「ちょっとびっくりしたけど……あなたもハルに振り回されてきたのね」


 落ち着きを取り戻したとき、ナナリエの不思議そうな声が聞こえた。


「お兄様はいつも全部説明してくださいますよ?」


 ほら……。

 再びハルジオンを見ると、その目は左右に揺れていた。みんなの視線が集まっていたからだ。


「ハルジオンは、自分が『全部』だと思ったことは全部説明するんだよ」

 エンジュが穏やかに言った。ナナリエがようやくハルジオンから視線を外して、エンジュを見た。

「どういうこと?」

「自分の中で当たり前になっていることは、説明していないことにも気づかないってこと」


「では、お兄様が私に説明していないことがあるの?」

 ナナリエがハルジオンを見つめた。

 ハルジオンは答えようとしたが、何も言わないまま唇を閉じた。


「たとえば、さっきヒヤシンスが言ったことだよ」

 ロタラが口を挟んだ。

「婚約者でなくなれば、ハルジオンは別の者と結婚できる」

「たしかに制度上はそうね」

「いや。もう希望者がいるんだ」

「……希望者?」

「私の妹だ。ハルジオンの妻にと、名乗りを上げている」


 ナナリエの瞳が、ゆっくりとハルジオンへ戻った。

「いや……私の耳には……」

 泳ぎまくった視線がエンジュへ向けられた。

「彼女は以前、エンジュとの縁談がなかったか」

「あー。あの薙刀美人?」

 エンジュがにっこりとハルジオンに微笑んだ。

「外見が僕の好みすぎて、仕事に支障が出そうだったから、断ったよ」


「……美人」

 ナナリエが小声で繰り返した。


 ロタラは当初の目的を忘れてエンジュの肩に手を回した。

「あいつ、その話の後十日ほど寝込んでいたぞ。なんて軽薄な男なんだと憤死する勢いだった」

 ……イサリダ家、賑やかだなあ。

「次は真面目で誠実な男がいいと言っていた」

「僕も真剣に考えたんだけどなあ。まあ、誠実さではハルジオンには負けるけど」


「……真面目で、誠実」

 ナナリエはずっとおうむ返しをしている。


「……そういえば、僕の妹たちも、ハルジオンの隣が空くなら仲介してって深刻そうに言っていたなあ。その場で却下したけど、それで良かったよね?」

 エンジュがハルジオンを横目で確認した。

「……」

 ハルジオンは言葉を失ってナナリエを見つめていた。


「お兄様はいろんな方と交流があったのですね」

「王族同士の付き合いだ。……仕事のようなものだ」

「そう?けっこう切実だったけど、うちの妹たち」

「私の妹も当主に直談判に行っていたぞ」

「……」

 ナナリエも言葉を失ってハルジオンを見つめていた。

 すごいな。ハルジオン、モテるんだな。この世界の恋愛観はよくわからないけど。


「ハルジオンはかっこいいもんな」

 ソラリスがカラッとした声で笑った。

「ハルジオンはかっこいいよねえ」

 エンジュもしみじみと頷く。

「……いや」

 ハルジオンが縮んだ。肩幅が半分くらいになったと思う。


 ……さっき、ソラリスに事実を隠して大事な約束をさせて、おそらく五年前、ナナリエにも似たようなことをやって、その結果、今こうして自分が追い詰められているこの男が?かっこいいって?

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