第25話 そこは私の場所よ
「これこれ!サファイアはこの鍋だよな。柔らかい肉!」
ソラリスが立ち上がり、テーブルの真ん中に置かれた蒸し料理に手を伸ばした。
「その位置から無理よ。とってあげるから座ってなさい」
ヒヤシンス様に怒られ、しょぼんと座り直す。
鍋の蓋が外されると、白くて淡白そうな肉と、豆、木の実、カラフルな野菜がたくさん詰められていた。
「僕が分けるねー」
エンジュがお皿に取り分け始めた。
「カレンダエの東部は降水量が少ないから」
ナナリエが料理をじっと見つめながら呟いた。
「この鍋は、蓋の中で水蒸気を循環させるから、少ない水で具材を柔らかく蒸せるの」
「お前、食べるの好きじゃないくせに、解説だけするよな」
テーブルの端からソラリスが顔を覗かせた。
ナナリエが覗き返し、低い声で言った。
「……きのこ料理も注文しておいたわ」
「お前……!まだ諦めてなかったのか」
「事実を伝えただけ。食べろとは言っていないでしょう?」
「俺から一番遠いところに置けよ」
「それは約束するわ」
ナナリエが片方の口角だけ器用に上げて笑った。
「なんだ、ソラリス。苦手な食べ物があるのか?」
ロタラが呆れたように言うと、その隣でエンジュが頷いた。
「ソラリスはきのこの悲鳴が聞こえるから、食べられないんだよね」
やっぱり聞こえるんだ!前に聞いた時は冗談かと思っていたけど、エンジュが真面目な顔をして言っているんだから本当なんだろう。
以前断られた検証を、ナナリエはまだ諦めていないらしい。今のやりとりを見る限り、無理強いするつもりはないみたいだけど。
ナナリエは何事もなかったように、陶器の蓋付きのお椀を私の前に置いた。両手に収まるくらいの大きさだ。
蓋を開けると、野菜と一緒につぶつぶしたものが入ったスープが現れた。
「南部で今年最初に収穫された玉穂よ。温暖だから、北より収穫時期が早いの」
「このつぶつぶが玉穂なの?」
北の穀倉地帯では、製粉して蒸しパンにするって聞いたけど。
「南部では、粒のままスープで煮込むの」
「でもここ、サファイア宮だよね。なんでわざわざ注文したの?」
私が聞くと、ナナリエが急に照れ出した。
「ナナリエは初物をアンリに食べさせたかったらしい」
照れるナナリエの代わりに、ハルジオンが答えた。
「畑の病害のときには、アンリもずいぶん気にかけてくれていたから……」
ナナリエの声は小さかった。
真剣な顔で選んでいた料理の中に、これも入れてくれたんだな。
「今年も無事に収穫できたって教えてくれたんだね」
「ペリドットの玉穂が収穫されたら、一緒に蒸しパンを作りましょ」
「うん、楽しみ!」
私は真っ先に玉穂の料理に手をつけた。玉穂の粒には酸味のある赤いスープが染み込み、ふっくらとしていた。
美味しく食べている時に、テーブルの端から突拍子もない話が聞こえてきた。
「君の子どもなら私が命をかけて産もう。何人でもかまわないぞ」
思わずむせる。
……誰が何の話をしているんだ。
ナナリエに背中をさすってもらいながら声のする方を見ると、ロタラがテーブルに身を乗り出してソラリスに笑いかけていた。ロタラ、昨日の夜はナナリエを妻にしたいとか言っていたよね。
「あれは愛の告白なの?」
私は斜め前のエンジュに小声で確認した。
エンジュは料理のお皿をハルジオンとナナリエの前に置きながら笑った。
「告白っていうより、『君となら家族を作る選択肢はあるよ』くらいかな」
「こんな大勢の前で言うこと?」
「ロタラにとっては、今日の晩ごはんは私が作るねー、くらいの勢いなんじゃない?」
珊瑚宮の女性は情熱的って聞いたけど、こういうこと?
「んー」
注目されているソラリスは、口をもぐもぐさせていたが、ごくんと飲み込むと、軽く頭を傾けた。
「いや、俺、家族ってよくわかんねえから」
「家族が分からない?」
ロタラとヒヤシンス様がソラリスを見つめた。
「うん」
「まあ……」
二人の顔が曇る。
「なんだか放っておけないわね、この子」
「なら、まず食え」
ロタラがソラリスの前の皿を食べやすい位置に配置し直した。
「じゃあそれ取って。あと肉」
遠慮する様子のないソラリス。
「夫はいらないけど、こういう子なら家にいてほしいわね」
頬についたソースをヒヤシンス様に拭き取られても、ソラリスは当たり前のように食事を続けている。
「異性に関心のない我が姉も、ずいぶんとソラリスのことを気に入っているようだ」
ハルジオンがわずかに眉を寄せてヒヤシンス様を観察していた。
「お姉様……ロタラ……」
ナナリエの視線もテーブルの端に向けられた。その先で、甲斐甲斐しく世話をされるソラリス。
「イサリダ姓を名乗っているなら珊瑚宮の王族でしょう?」
ヒヤシンス様がソラリスのグラスに水を注いだ。
「途中から養子に入っただけ。俺は王族じゃないと思うぞ」
あっけらかんと言い放つソラリスに、その場が静まり返った。みんなが同じことを考えているのかはわからない。ただ、ソラリスの言ったことには一様に腑に落ちない様子だった。そんな中、最初に口を開いたのはロタラだった。
「エンジュと山で修行したのだろう?あの修行は選ばれた者しか受けられない」
「十四歳のときな。子どもの頃はみんな翡翠の山で過ごすんだろ?俺は翡翠の学舎に通ってないから、代わりに行ってこいって言われた」
「誰にだ?」
「……誰にだっけな?」
「また覚えてないのね」
「あ!ねーちゃん、あのごちゃごちゃした煮物も食べたい」
「しょうがないわねえ」
「たくさん食え」
どちらに頼んだのかはわからないが、ねーちゃんたちは腰を浮かせてごちゃごちゃした煮物を取り分け始めた。
「周囲だけでなく、本人にも認めさせねばならないか」
ハルジオンは、ひとつ空けた隣のエンジュへ目を向けた。
エンジュは横目でその顔を確かめ、わずかに目を伏せた。
「……押し上げるつもりなんだ」
もう一度ハルジオンの顔を見ようとしたとき、耳元で恨めしそうな声が聞こえた。
「……私の場所」
空耳!?
脳に直接語りかけるような声に驚いて振り向くと、ナナリエが頬を膨らませ、テーブルの端を睨んでいた。
「ナ、ナナリエ?」
ナナリエは立ち上がると、私の背後を抜け、ソラリスの前までずんずん歩いていった。
ソラリスが食べる手を止めて顔を上げた。
「なんだよ」
「あなた、私なの?」
「意味わかんねえ」
「立ちなさい」
「なんでだよ」
文句を言いながらも、ソラリスはなぜか素直に立ち上がった。
ナナリエは空いた椅子に座り、満足そうに背筋を伸ばした。
「ナナリエったら、やきもち焼いちゃったのね」
ヒヤシンス様がナナリエの頭を抱き寄せた。
その向かいで、ロタラがさっきまで大きく開いていた脚を組み、すっと背筋を伸ばした。
「決して君を蔑ろにしたわけじゃないんだ。さあ、このサラダをお食べ。君の好きな甘い果実が入っている」
ソラリスに「食え」と肉を押しつけていた人と同一人物とは思えない。声までやけに優しい。
「……俺、なんで立ったんだ?」
ソラリスは呆気に取られてナナリエを眺めていたけれど、「ま、いっか」と呟いて自分の皿を手に取って視線を上げた。
様子をうかがっていたハルジオンとエンジュに目を向けると、ソラリスは満面の笑みになり、弾むような足取りで二人の間へ移っていった。
「はいはい。来たね」
エンジュが元の席に残されたグラスを取り、ソラリスの前に置き直した。
「これは食べたことあるか。干して熟成した肉だ」
ハルジオンも早速、ソラリスの皿へ肉を取り分け始めた。
肉を待ちながら、ソラリスは隣のエンジュと斜め前のヒヤシンス様を見比べた。
「二人って、目を合わせないよな」
エンジュもヒヤシンス様も答えなかった。なぜかハルジオンとロタラまで口を閉ざした。
「……なんだよ、その反応」
ソラリスは訝しそうに四人を見回したが、ハルジオンが肉の載った皿を差し出すと、興味はあっさりそちらへ移った。
「まあいいや。あいつ、圧が強いよな」
干し肉にフォークを突き刺しながら、ソラリスが友達に愚痴り出した。
「ナナリエは自分の居場所を取られちゃうと思ったんだねえ」
エンジュが柔らかく目を細めた。
ハルジオンは遠く離れたナナリエを見ながら、思い出したように呟いた。
「ナナリエは、セアノサス殿が結婚されるときも相当駄々をこねたらしい」
「ああ、ナナリエが四歳のときだね。あの時は翡翠の学舎に来るのも拒否して大変だったらしいね」
へえ。ナナリエの登園拒否か。叔父さんが離れて行っちゃうみたいで寂しかったのかな。駄々をこねる四歳のナナリエを想像してニヤニヤしていると、不満そうな声が飛んできた。
「そんなことで駄々をこねてなんかいないわ」
ナナリエはまた頬を膨らませていた。
「叔父上は口うるさい割に、今日の審理にも遅刻してきたし、私の分のデザートも勝手に食べて、『おっと?これナナリエのだったんですか?』っていつもとぼけるし、忘れ物ばかりしていつも義叔母上に怒られているのよ。叔父上なんて好きじゃない」
息つく間もない怒涛の速さで捲し立てた。
「うんうん。大好きなんだね」
私が笑うと、ナナリエの膨れっ面が破裂した。
「アンリ?私の話を聞いてた?」
「聞いてた聞いてた」
「返事が適当だわ」
ナナリエが鋭く睨んできた。
「やだ。私を挟んで喧嘩しないでよ」
ヒヤシンス様の腕が伸びてきて、私とナナリエは捕まってしまった。
頭をヒヤシンス様に抱きしめられて身動きが取れずにいると、目の前のソラリスがエンジュを真面目な顔で見上げていた。
「おじさんがさ」
「おじさん?」
「今の、長い名前のおじさん」
「セアノサス殿」
「そう。おじさんが今度——」
「待って」
ヒヤシンス様の腕から抜け出したナナリエが、会話を遮った。
「あなたの叔父さんじゃないでしょ」
「おじさんでいいって言われたし。それで、うちに遊びに来いって言われた」
「なんですって?」
ナナリエの剣幕に気圧されながら、ソラリスは私に顔を向けた。
「な?言ってたよな?」
助けを求められているのか?
「セアノサス様の家というか、瑠璃宮に来なさいと言っていましたね」
「全然違うじゃない!」
「似たようなもんだろ」
……なんだろう。エンジュもハルジオンも、この二人が並び立つ双王になると思っているみたいだ。私も異様な意思疎通の速さを目の当たりにしたし、二人が揃ったときには、得体の知れない畏れを感じた。
だけど普段の二人は、並び立つというより、同じ席を取り合っているように見える。双王なんだから、最初から席は二つあるはずなんだけどな。




