第24話 神託にも途中式があるらしい
西側の大きな窓から、樹々の間に沈む夕陽が見えた。
今日は白い太陽が後から沈むのか。一昨日、王都で見た日没は赤い太陽が後だったな。天体の動きには詳しくないけど、この国の二つの太陽は毎日少しずつ近づいたり、前後が入れ替わったり、離れたりしている。
「弟のモナルダが、君のことをとてもいいやつだと評していたが、今日戦ってよくわかったぞ」
先に着席したロタラが、テーブルに身を乗り出してソラリスに笑いかけていた。どこに座ろうか迷う私の背中を、ナナリエがぐいぐい押してくる。
私はヒヤシンス様とナナリエに挟まれて、窓側の席に座った。向かいにはロタラとエンジュが並び、ナナリエの正面にはハルジオンが座った。私の正面だけが空席になり、エンジュとハルジオンの間がぽっかり空いていた。
ナナリエの前に座りたかったのか、エンジュの真横を避けたのか。女性同士なら詰めるところだけど、身体の大きな男性同士、距離を取りたかっただけかもしれない。
ナナリエとハルジオンは、テーブルに貼られた模様に環をかざした。料理を選んでくれているんだ。二人で真剣に話し合っている。
「モナルダ?誰だそれ」
ソラリスの面倒くさそうな声が聞こえた。
「本当に人の名前が覚えられないのだな。保安局で巡察監をしている赤髪の男だ」
「赤髪……巡察監……」
ソラリスはしばらく天井を見上げていた。
「……ああ。デカくて派手な車を乗り回してて、やたら『酒飲もうぜ』って誘ってくるあいつか」
「たぶんそれだ」
ロタラが真面目な顔で頷くと、ヒヤシンス様がソラリスの肩に手を乗せた。
「一緒にお酒を飲む相手の名前も知らないの?」
「……いや。誘われるだけで、行ったことないな。俺、酒を飲むと眠くなっちゃうし」
ソラリスは気だるげに頬杖をついた。
「眠くなるのか!」
ロタラが面白そうにソラリスに顔を近づけた。
「可愛いわねえ」
ヒヤシンス様はソラリスの肩をぽんぽん叩いた。
「……私は飲めますけどね!」
料理の注文をしていたナナリエが急に割って入ってきた。目がギラつき、鼻息が荒い。
「そうだね。ナナリエは強いな」
「成人したばかりなのにすごいわ」
脊髄反射のような速さで、お姉さん二人はナナリエに笑顔を向けた。ロタラの口調が心なしか優しい気がする。
「でしょう?」
ロタラとヒヤシンス様に褒められて満足したのか、ナナリエは再び料理の名前をハルジオンとぶつぶつ呟き出した。
「しかし、誘われても一度も行かないとは。君は友達がいないのか?」
「どうして今夜は来ようと思ったの?」
興味津々なお姉さんたちの質問攻撃が再開した。
「友達?いるよ。エンジュ」
ソラリスがあっさり答えると、エンジュの眉毛が少しだけ上がった。だけど話には入らずに、注文をするナナリエたちを眺めていた。
ほんの少しの間を置いて、ソラリスが付け加えた。
「あと最近、ハルジオンとも友達になった。だから今日来た」
名前を出されたハルジオンは、料理を選びながらわずかに顔を上げた。黙ったままソラリスに頷き返し、またナナリエの方に向き直る。それだと品数が足りないとか、今の時期はこれが旬だとか、二人ともすごく忙しそうだ。
「やっぱり息が合うねえ」
ずっと静かにしていたエンジュから、ようやく言葉が漏れた。
目尻を下げて、愛おしそうに二人を見ていた。
さっきの温度のない目は、私の見間違いだったのだろうか。
「僕のこと見てる?」
エンジュの微笑みが移動してきた。彼が首を傾げると、肩に垂れた深緑色の三つ編みに頬が埋もれた。
「見てたよ」
この人には見えてるんだろうから、誤魔化したって仕方がない。法廷でも、そこにいる全員を一度に見ていた人だ。
「何か気になってる?」
「うん」
非常に気になる。さっきの目も気になる。でも、それ以前に、私はこの人のことを何も知らない。今まで漫然と受け止めていたけれど、この人の立場はなんなんだ。
この国の信仰を取りまとめる偉い人の後を継ぐ人らしい。法廷でも自由な口調で自由に話していて、誰にも咎められなかったのは、偉いからなのか、個性なのか。偉いとしたら、その根拠は?
そもそも、この国は何を信仰しているんだ。そもそも信仰と呼んでいいものなのか。
異文化に入る時には、たいてい先人の研究があって、そこから派生して自分の問いを探していた。何の予備知識もなく、体系立った説明も受けずに異文化へ入るのは、こんなにも手探りなんだ。
頭の中で書いたメモを二重線で消して、その横に書き足す。そんな感じ。
……これは自分で確認するしかない。
「エンジュはなんで偉そうなの?」
は!
言葉を間違えた!
みんなの視線が私に集中した。
ハルジオンなんか、眉を寄せたまま目を見開き、ひどい顔だ。
「……ふふ」
エンジュが吹き出した。
「ごめん、言葉の選び方を間違えちゃった」
「そう?いい感じだったけど」
こういうところで怒らないんだよなあ。この人は。
「神殿って、けっきょく何をするところなの?」
「あれ?僕についての質問じゃないの?」
エンジュが口を尖らせた。そんなところは不満に思うんだ?
「エンジュも!エンジュも気になってるから!」
「ほんと?」
めんどくさいな!
「神殿かぁ……」
エンジュはいつもより長く考え込んだ。
「自分たちの生き方を見せることで、みんなに、どうしたらいいかを伝える仕事……かなぁ」
「生き方?」
「うん。困ってる人がいたら助けようとか。食べ物は大切にしようとか。季節のめぐりを喜ぼうとか」
考えるように上を向いていた視線が、静かに下がった。
「誰かが死んだら、ちゃんと悲しもうとか」
視界の端っこでヒヤシンス様の右手が一瞬強張るのが見えた。気になって、横目で顔色を確認したけど、いつも通りだった。……お医者さんだから、死についての話題に反応したのかな。
私はエンジュの顔をもう一度見た。
「……ずいぶん普通だね」
「普通のことをずっと続けるのって、難しいでしょ?」
たしかにそうなんだけど、それだけで、行く先々でありがたいもののように拝まれる?
「……でも、それなら別にエンジュじゃなくてもよくない?」
「そうだねえ。……僕じゃなくてもいいかも」
エンジュの目が丸くなった。もしかして本人が理解していないの?
「自然現象の予測能力が極端に高いからよ」
ナナリエが横から言った。もう注文が終わったのか、ハルジオンも椅子にもたれて腕組みをしている。
「どういうこと?」
私が質問を返すと、ナナリエの目が鋭く光った。
「天体運行から暦を作成する能力。過去の観測記録と現在の状態を照合し、今後起こる自然現象を予測する能力。双王の儀式に必要な条件の算出。それらの答えを迅速かつ正確に導き出す力は、エンジュが群を抜いているわ」
「……け、計算力?」
あ。
そういえば。
結環の儀の直前、ナナリエは確かに言っていた。
——エンジュは今、最後の計算をしている。
あれは何かの儀式じゃなくて、本当にただ計算していただけってことか。
「答えに辿り着くのはエンジュが一番早い」
腕組みをしたままハルジオンが言った。
「だが、その答えに至った道筋を他人に説明するのは——」
「致命的に下手なんだよねぇ」
エンジュが気の抜けた声で笑った。
うん。本当に説明が下手だ。エンジュの説明だけ聞いていたら、「普通のことを続ける人」で終わるところだった。
「笑い事じゃない」
「だから助かってるよ。僕がこうじゃないかなって言ったことを、ナナリエが検証してくれる。ハルジオンは実際にみんなが動ける形にしてくれる」
相変わらずエンジュがへらへら笑うと、ナナリエが無表情で頷いた。
「再現性があるかを確認するのは科学の基本よ」
「俺はエンジュの説明が一番わかりやすいぞ」
テーブルの端からソラリスが口を挟んだ。
「この時期の山は眠りが浅い。鳥が下へ降りてきたら気をつけろ、とか。木が裂ける音がしたら川から離れろ、とか」
そこまで言って気が変わったのか、ソラリスは肩をすくめた。
「説明はわかるけど、こいつ自体は回りくどいんだよな」
「ええ?」
喜びかけたエンジュの顔が一瞬で崩れた。
「だってそうだろ?」
私は、ひとつの仮説を立てた。
もしかして。
世の中で「予言」とか「神託」とか呼ばれているものの正体って——。
めちゃくちゃ頭のいい人が、ものすごい量の情報から根拠のある計算をした結果、途中式をうまく説明できなくて、答えだけ発表したものなんじゃないだろうか。
「三日後、山が怒る」
——とか。
本当は、
『過去百二十年の降水量と地層の変化と動物の移動と気温と植生とその他諸々を考えると、三日後あたりに土砂崩れが起こる可能性が高いです』
なのかもしれない。
……あり得る。
「アンリ」
エンジュが斜め前から身を乗り出して、私のおでこを指で突いた。
「今、たぶん変なこと考えてるでしょ」
「それも予測したの?」
「なんとなくだよ」
……なるほど。
この国では、自然を正確に読み取る知性と、何百年もの人間の経験を受け継ぐことと、その知恵に従って日々を生きることが分離していない。……そういうことかもしれない。
頭の中でメモを書き換えて満足していると、ロタラの溌剌とした声が割り込んできた。
「エンジュは戦闘能力が高いから若宮司に選ばれたのだろう?」
戦闘能力!?唐突に!?
「ええー?ロタラ、ずっとそう思ってたの?」
「違うのか?」
「違うよ!珊瑚宮じゃないんだから」
おかしいな、とロタラが首を傾げると、彼女の正面でソラリスが手を叩いた。
「わかった!冬山で生き延びる能力が極端に高かったからだろ」
また違う視点?でもこれは自然と共に生きる知恵の派生かもしれない。
「それは若宮司を選ぶ修行の内容だよ」
「だったら条件だろ」
「ちょっと違うんだよなぁ」
ソラリスにペースを乱されたのか、エンジュが困惑している。ソラリスはかまわず、記憶の引き出しを開け続けた。
「あと、こいつ!他の候補者をどんどん里へ帰してた!」
「ほう」
ロタラが感心したように頷いた。
「殴りつけて、己の力量をわからせたのだな」
「あー……多少は殴ってたかもしれねえ」
「待って待って。二人で僕を何にしようとしてるの?」
とうとうエンジュが焦り出した。「なんで偉そうなの?」と聞かれたときは余裕で笑っていた人なのに。聞けば聞くほどわからない人だな。
「え、でもなんで他の人を帰したの?」
私は聞き取りを再開した。
「危なかったからだよ」
エンジュは落ち着きを取り戻した。
「山で生活できるだけの技術が身についていない子も多かったし……それにあの年、途中から天候がおかしくなってたんだよね。雪の状態も悪くて。このまま残ったら危ない子まで、意地になってたから、もういいよって」
「それで帰したの?」
「うん」
ソラリスが横から言った。
「本人が帰らないって言うから、こいつが荷物取り上げて、帰れって怒鳴ってた」
「殴ったのだな?」
ロタラが楽しそうにエンジュの肩に手を回した。
「……一人か二人?」
殴ってるじゃん!
私がテーブルを叩きかけたとき、ナナリエの静かな声が聞こえた。
「その判断も評価対象だったと思うわ」
「え?」
「自分が選ばれるための修行中に、競争相手の安全を優先したのよね?」
「別に。死んだら困るじゃない」
「それに天候の異変を察知し、撤退を判断できるかも修行の一部だったのでしょう?」
「さあ、何を見られていたのかは明かされていないから……」
「つまり、戦闘能力も選出理由の一つだったのだな」
「ロタラ、今までの話聞いてた?」
「聞いていた。力ずくで全員生還させた」
「…………まあ、それでいいや」
「俺もそう思う」
「ソラリスまで?君、あの一年、僕のことそんな風に見ていたの?」
「エンジュを怒らせたらダメだなって、よくわかった」
「そんなあ。僕はソラリスに……」
言いかけて、エンジュは口を閉ざした。
「ほら、そういうとこ。はっきり言え」
「そうよ。はっきり言って」
テーブルの両端から、ソラリスとナナリエがエンジュを追い詰めた。エンジュは弱りきって項垂れた。容赦なく照りつける陽射しを受け止めきれず、萎れていく植物のようだった。
以前、ハルジオンに問い詰められたときにも、エンジュは「それは言えない」としきりに首を振っていた。説明が下手なのは確かだ。自分の気持ちもうまく表現できないのかもしれない。だけど、閉ざした言葉の向こうには、何か大切なものが守られているような気がした。
「料理が来たみたいね」
ヒヤシンス様の声で思考が途切れた。
蒸し焼きにした肉と野菜の香りに顔を上げると、とんがり帽子のような蓋をした鍋が運ばれてくるところだった。飲み物と平たい堅焼きパンも次々と並べられ、私の正面の空いた場所が料理で埋まっていった。




