第23話 どこを見てるの?
ソラリスの困惑顔が、激しく揺さぶられている。
「また会えるなんて嬉しいわ!」
ヒヤシンス様の両手はソラリスの肩を掴んで離さない。
……既視感がある。
ヒヤシンス様は同じことをナナリエに会った時にもやっていた。見た目は優雅な人なのに、人との距離感は庶民的な人なんだなあ。
「なんだヒヤシンスはソラリスと知り合いなのか」
ロタラが槍を担ぎ直して二人の顔を見比べた。ソラリスはまだ困惑している。
「……知らん」
「え?覚えていないの?」
ヒヤシンス様が大きな目を潤ませると、ソラリスが顔を逸らして私を見た。
「おい。説明係」
なんでも知っていると思うなよ。
「ヒヤシンス様はお医者さんです」
「俺、病気になっても自力で治す」
「そうじゃなくて。ソラリス、病院で働いていたことあったでしょ?」
「こわ。なんで知ってんだよ」
私は頭の中の記憶を辿った。もともと記憶力には自信があるが、情報を保存するヨルカの機能のおかげか、かなり正確にその場面を思い出せる。
「三年前ですね」
「説明係なんて言って悪かったよ。勝手に俺について説明するな」
「三年前ね」
ヒヤシンス様が感慨深そうに目を閉じた。
「臨時で手術の器械出しに入ってくれたじゃない?基本的な手順を教えただけなのに、私が欲しいと思う前に、もう差し出してくれて。高等教育期間中だって聞いて驚いたわ」
「器械出しか。人手足りなくて、何度か教わりながら入ったな」
ソラリスは右手で自分の髪をくしゃっと握った。
「救難隊に入るのに医療資格が必要だったから、ガーネットには長くいた。ほかの実習と行ったり来たりしてたけど、合わせれば二年くらいかな。教わったことと、目の前で起きてることを繋げれば、なんとなく次がわかった。あとは、相手の目の動き」
そう言いながらソラリスがヒヤシンス様の目を覗き込むと、ヒヤシンス様も大きな目で見つめ返した。
「看取りの部屋にもいたのよね。患者さんとご家族の間に、いつもあなたが立っていたわ。だから、覚えてるの」
「間になんか、立っていたかあ?普通に人と喋っていただけだ」
ソラリスにとっては、その評価はどれも納得のいかないものらしい。首を傾げて困惑している。しかし、この国の高等教育課程は職能訓練に特化しているんだな。いくら自由に選べるからといっても、これでソラリスは畜産も舞踊も弁護士手伝いもしたんだよね。ちょっと落ち着きがないんじゃない?
「……でも、理学療法だけは、俺に合っていたと思う。身体の動かし方を見ながら話をするの、けっこう好きだった」
そこでようやくソラリスに微笑みが戻った。
「どう?思い出してくれた?」
「……ねーちゃんのことをか?」
また困り顔に戻る。
先ほどはエンジュが、「ソラリスは顔と名前を覚えるのが苦手」ってロタラに教えてあげてたのに。今のエンジュは公園の端の方を眺めていて、こちらの会話には関心がなさそうだ。
ロタラが槍の石突きを地面に突き立てた。
「ソラリスは頭が弱いから名前を覚えられないんだ!」
すごく得意げで、親切そうな顔をしている。
ソラリスが頭を押さえ、ヒヤシンス様は目を見開いた。
「エンジュがそう言っていたぞ」
ロタラが付け加えると、ヒヤシンス様の視線がわずかにエンジュに向いた。名前を出されたエンジュは振り向きもしない。もう夕暮れ時だっていうのに、最後の日光を使って養分でも生成しているのだろうか。
ヒヤシンス様も横目で確認しただけで、すぐに視線をソラリスに戻す。
「そう。脳の知覚や情報処理の仕方に偏りがあるのね。記憶力の問題じゃないわ」
「よくわからんが、さすが医者だな!」
豪快に笑うロタラには答えず、ヒヤシンス様はソラリスにだけ話を続けた。
「特定の情報と結びつけば覚えられるでしょ?」
「そうかもな。どこで何をしていた人かは、けっこう覚えてる。金物屋で朝だけ品出ししてる人とか、列車の乗務員の勤務時間の割り当てとかも自然と覚えちゃうな」
あー。それはちょっと私もわかるかも。印象的な出来事と結びつけたり、自分の生活リズムに組み込まれている人って、知り合いじゃなくても記憶に残る。
「……あ!」
ソラリスが突然叫んだ。
「ねーちゃん、いつも休憩室で、ソファの背もたれに足乗せて仮眠とってたやつだろ」
曇っていた表情が一気に晴れて、青い瞳が輝いた。
「そう、足が浮腫むのよ。……変なところで覚えられちゃったのね」
今度はヒヤシンス様の顔が曇った。その曇りを吹き飛ばすように、ロタラの眩しい顔が割り込む。
「私のことはもう覚えただろう!?」
「……いや、次に名前を思い出すかはわからん」
「戦ったのにか!?」
待って。私も一度も名前を呼ばれたことないけど、私はけっこう役に立っているし、もしかして私は覚えられているのでは?
「私の名前はわかりますよね!?」
「……ヨ」
ヨ!?
ソラリスの顔に焦りが見えた。口が音もなく開閉する。
「……じゃない。説明係」
やっぱり用法でしか認識されていない!?
「本当に覚えてないってこと!?」
私は思わずソラリスの服の裾を掴んだ。
「ああ……引受人審査の面接もちょっと危なかったな!」
ソラリスは満面の笑みだ。
「審理対象者って言って誤魔化したぞ!」
「アンリですよ、アンリ!たった三音」
「ロタラだ、ロ・タ・ラ!」
ロタラもソラリスの肩を鷲づかみにした。二人に捕まえられて腹を立てたのか、ソラリスが大きく腕を振って、私たちからの捕縛を解いた。
「だから!その三音が何種類もあるとわかんなくなるんだよ!」
ソラリスは片足で地面を踏み鳴らした。
「伝わりゃいいだろ!」
「まあ、いいじゃない。人それぞれ、接し方はあるものよ。この子がそれで困っていないなら、周りが押し付けることでもないわ」
ヒヤシンス様は白金の髪を掻き上げてため息をついた。すかさずロタラが睨み返す。
「ヒヤシンスは名前が長いから早々に諦めたのだろう!」
「そうじゃないわよ!」
みんなが怒鳴り合っている間も、エンジュは話に混ざってこなかった。相変わらず、風に吹かれて遠くを見ている。気づけばソラリスの視線も、エンジュの様子を伺っていた。だけど直接確認するつもりはないらしい。
「ま、ねーちゃんでいいだろ」
ソラリスがロタラたちに向けてため息をつくと、背後から足音が近づいてきた。
「姉上」
落ち着いた声が風に乗って届き、私たちは一斉に声のする方へ振り向いた。
「姉上、先に行かせてしまってすみません」
夕陽を顔に受けて、ハルジオンとナナリエが並んで歩いてくる。手は繋いでいないのに、袖と袖が触れそうな近さだ。これは見慣れた距離感。
「なんだ、ふたり一緒じゃん」
ソラリスがお日様みたいに笑った。
「いや、廊下で偶然一緒になって……」
ハルジオンから急激に落ち着きが消えた。ソラリスは近づきながら、頭を掻いた。
「そういうのいいから」
歩み寄るソラリスの脇を抜けて、ナナリエが駆け出した。
こっちに、一直線に来る。
ふいに、ヨルカの裁判を思い出した。
制限付きの自由を手に入れたヨルカに駆け寄り、強く抱きしめたナナリエ。
その悲痛な表情。
だけど私に向かってくるナナリエは、紅潮していて、目が輝いている。
「アンリ!」
ナナリエの突進攻撃に、私は大きくよろめいた。
だけど、倒れない。
ナナリエの体幹と腕力が私を支える。ほっそりした手足のどこに、その怪力を隠しているのだろう。
「アンリ」
「ナナリエ、ありが……」
「返事は急がないから!」
え?
ナナリエはいつも唐突だ。不意打ちだ。この子は何を言っているんだ。
「返事?なに?」
「あ!」
目も口もこれ以上ないくらいに開放して、ナナリエは驚いた。
「言わないって決めていたのに。……あの、ね」
急に表情が小さく萎んでゆく。頬を染めたまま、いつもの照れ笑いをした。
「まだだったら……待ってて!」
「ええー?」
私は困惑の叫びをあげた。
……だけど。何となく、私に何かを伝えようとしていることだけはわかった。
「移動しよう。この近くの店を予約してある」
ハルジオンに声をかけられて、ナナリエはようやく私を解放した。
「今日こそ高層階のレストランか?ナナリエいるし」
ロタラの軽快な笑い声が公園中に響き渡った。
「騒がしいロタラがいるのに、おしゃれな店に行くわけないじゃん」
さっきまで遠くを見ていたエンジュが、みんなの輪に戻っていた。
「店の座標を送るぞ」
ハルジオンが右手をかざすと琥珀の石が夕陽を反射させた。
みんなそれぞれ、指だったり、胸元だったり、耳元に意識を向ける。
私も胸元にぶらさがった環を握りしめると、頭の中に地図が流れ込んできた。
「この公園を抜けて北へ一区画か。近いねえ」
「この公園が縦に長いがな」
先頭を歩くエンジュとロタラの声が聞こえてきた。だけど、私には現在地がわからない。私の位置情報が発信されていないからだ。
「現在地がわからないの、不便かも」
軽くため息をつくと、隣でナナリエが頷いた。
「そうね。アンリの生体情報に接続せず、位置情報だけを単独に発信する機能を付加した方がいいわね」
設計ができたら一緒に環の工房に行きましょうと、ナナリエが約束してくれた。
公園を抜ける道を、キックボードみたいな乗り物が追い越していった。乗っている少年が片足で地面を蹴るたび、車輪が軽い音を立てる。
……車輪がある。
そういえば、磁気で浮かせる乗り物を動かせるのは王族の血を引くものだけだって言っていたな。王都ではみんな徒歩移動だったから気が付かなかったけど、普通の人はこういうのを使うんだな。
ハルジオンは空飛ぶ車、ソラリスは空中を走るバイクに乗っていた。いつも徒歩のナナリエも一人の時には何かに乗るんだろうか。
「ハル、ごめんね」
すぐ目の前でヒヤシンス様がハルジオンに声をかけた。
「ニゲラの分も予約してくれたのに、お子さんが体調崩してしまったみたいで」
ニゲラさんも来る予定だったんだ。会えなくて残念。一人で染色工房をやっているみたいだったけど、お子さんがいたんだ。
「かまいません」
そういえば、この姉弟が面と向かっているところを初めて見る気がする。並ぶと本当によく似ている。髪の色も目の色も、鼻筋の通り方も、気高そうな雰囲気も。
「……そういえば」
ハルジオンが躊躇いがちに言葉を続けた。
「今回、博士は審理には顔を出さなかったんですね」
「ああ、あいつ?」
博士という言葉に、ヒヤシンス様が不機嫌そうに声を上げた。
「気まぐれだしね。検証に協力してくれたのも驚いたわ。……ね、ナナリエ」
琥珀の瞳が二組、ナナリエを振り返った。
「……そうですね」
ナナリエは澄ました顔で返事をした。
「あいつにどうやって頼んだの?」
「普通に」
短く答えたあと、付け足すように視線を上げた。
「了承するまで食い下がりました。引き受けてくださった後も、俺は忙しいんだって何度も文句を言っていましたが」
何かを思い出したみたいに、ナナリエは口元だけが少しほころんだ。
笑った?
そう思ったとき、ハルジオンの視線を感じた。琥珀色の瞳が、さりげなくナナリエの表情を確認しているみたいだった。だから、私は余計に気になってしまった。
「ねえ、博士って誰?」
審理で名前が出ていた。たしか、トモリ・アスナロ博士。環の機能について保証してくれた人だよね。
「先輩は、生体機能を人工装置で代替する研究をしている医学博士よ」
「ああ、うん。それは審理のときに聞いたけど」
「…?」
ナナリエは他に何が知りたいのと言いたげに首を傾げた。
ん?先輩って言った?
私は記憶を辿った。ガーネット宮の病院の片隅にある研究室。ナナリエの先輩が使っているって言っていた。あの汚部屋の主か?あの、汚部屋の……。
ナナリエが答えなかったからか、ヒヤシンス様が振り返った。
「主流から外れた研究にナナリエを巻き込んだやつよ」
「主流から外れた研究…?」
私が顔を上げて聞き返したときには、ヒヤシンス様はすでにハルジオンの顔を覗き込んでいた。
「でもハル、なんでそんなこと急に気にするのよ?」
「いえ」
ハルジオンは整った笑みを自分の姉に向けた。
「姉上のご友人にはお子さんがいるのに、姉上はいつ結婚なさるのかと」
対照的にヒヤシンス様の表情は歪む。
「ハルにそんなこと言われたくないわよ。それに、そこにあいつを絡めないでよ」
「失礼しました」
ハルジオンは短く答えると、進行方向に顔を向けた。背中だけがまっすぐ伸びている。その背中の向こうを見ると公園の出口が見えてきた。ヒヤシンス様は相変わらずハルジオンを睨みつけている。
「あんたは自分のこと、ちゃんとしなさい。……ね、ナナリエ」
姉からの反撃に、ハルジオンは応じなかった。代わりに私の隣でナナリエが首を傾げる。
「……?」
少しだけ考えてナナリエが力強く頷いた。
「お兄様を待っている場所がありますもんね」
ヒヤシンスは足を止めて振り返り、ナナリエを抱きしめた。その勢いのまま、ナナリエに頬擦りをする。
「そうじゃないの〜!」
やっぱりヒヤシンス様の距離感、近いな。
心の中で苦笑いをした私は、再び視線を感じて顔を上げた。
氷のように冷え切った、翡翠色だった。
「……え?」
思わず声が漏れた。
だけど前を歩くソラリスやハルジオンの肩に隠れて見失い、次にエンジュの顔を見た時には楽しそうにソラリスやロタラと笑い合っていた。
「あのガラス張りのお店ね」
通りへ出ると、ヒヤシンス様が声を上げた。ハルジオンが予約したらしきお店の灯が見える。本当に公園の目と鼻の先だ。銀色のフレームに大きなガラスが嵌め込まれた開放的で洗練された外装だ。
公園の街灯がよく見える窓際の席に案内されると、ヒヤシンス様は素早い動きでソラリスの腕を掴んだ。
「話の続きが聞きたいわ」
そのままソラリスを奥の席に押しやって自分も隣に座った。ソラリスは呆気に取られながらも、大人しく着席している。
「待て待て、私が先だ」
追いかけてきたロタラがソラリスの正面に陣取る。場所を確保して満足げなロタラは、再度立ち上がって後に続く私たちに顔を向けた。屋内の席だからか、槍を柱に立て掛けている。
「エンジュ、ここだ」
自分の隣の椅子を叩いて指示する。その動きは遠くにいる犬を呼んでいるみたいだ。
エンジュは一度だけ足を止めた。
「ロタラ、護衛の仕事を忘れてるでしょ」
「忘れていない。ちゃんと守るから、隣に来い」
ロタラが白い歯を見せて爽やかに笑った。
「別に守ってくれなくてもいいけど」
小さく肩をすくめたエンジュが腰を下ろすと、薄緑色の衣の裾がゆったりと揺れた。
ヒヤシンス様は少しだけ身を引き、椅子の背に深くもたれた。
「アンリたちも座りなよ」
エンジュと目が合った。
いつもの呑気な顔だった。




