第22話 戦えばわかる!
「この日を心待ちにしていたぞ、イサリダ・ソラリス!」
ロタラは長い足を大きく開いて胸を張っていた。
オレンジ色の瞳が夕日のように眩しい。
ソラリスは黙ったままロタラを眺めていて、何も答えなかった。
「聞いているのか!」
ロタラが腹式呼吸で催促すると、ソラリスは身体はそのまま、顔だけ振り返った。
「おい、説明係。この狂気じみた、ねーちゃんは誰だ」
私はあなたの説明係になった覚えはないんですが。
「イサリダ家の姫君、ロタラ様です。同じ家門なのに知らないんですか」
私、この国に来て五ヶ月目なんだけどな。
「ああ、珊瑚宮か。だからちょっとおかしいのか」
自分の出身地でしょうよ。それとも自分もちょっとおかしいって認識してるのか。
「何をこそこそ話している!勝負しろ!」
「なんでだよ」
「君が、私とエンジュの試合を奪った!私は君の代役を務めた!理由は十分だ!」
ロタラの快活な声がそこら中に響き渡る。
ソラリスは、片足を少し後ろに引いて、私の顔を見て囁いた。
「……解説して」
「ソラリス隊長が結環の儀から逃げたので、ロタラ様が代役を務めました。それと、奉納試合でエンジュと戦う予定だったのは、本来ロタラ様だったようです」
「……ああ」
ソラリスは少しだけ目を開いた。
「なんとなくわかった。あと、俺はもう隊長じゃないから」
「え?」
「隊長って呼ぶな」
「じゃあ何て呼べば……」
ソラリスは再び正面を向いて、はっきりと言った。
「俺はただの、ソラリスだ」
ロタラが驚いた顔でソラリスを見つめた。
「イサリダを名乗ることにしたのではないのか」
ソラリスはずかずかとロタラに歩み寄った。
正面に立つと身長差が明確になる。ロタラの方がソラリスより拳ひとつ分、背が高い。
「ばっちゃんに似てるな」
「我が祖母のことを言っているのか」
「ああ。お前の顔はたぶん覚えた」
ソラリスがじっとロタラを見上げると、隣でエンジュがくすくす笑った。
「名前を覚えるのは、まだ無理そうだね」
「なんと!」
ロタラが驚愕の表情をエンジュに向けた。
「たった三音だぞ。この子は頭が悪いのか?」
「なんだとぉ!」
「ソラリスは人の顔と名前を覚えるのが苦手だからねえ」
「違いがわかれば、覚える」
ソラリスが鼻で笑うと、ロタラの目が輝いた。
「では、わからせてやろう!」
「……で」
裁判所から少し歩いたところに、広い公園があった。
その一角の運動広場のようなところに、私たちは連れてこられた。
「なんで戦わなきゃなんねえの?」
ソラリスが面倒くさそうに腕をぶらぶらさせた。
「戦えばわかる!」
「こういうやつ、本当にめんどくせえ」
「武器を持て!」
ロタラはかまわず話を進めていく。
ソラリスは両手を広げて身体を見せた。腰の両側には鞄が二つぶら下がっている。
「裁判所に武装してくる奴があるか。持ってるのは工具とロープとスコップくらいだ」
……わりといろいろ持ち歩いているな。
ロタラは大きな瞳でソラリスを観察すると、静かに槍を地面に置いた。
「では、素手でいこう」
「いいのかよ」
「もちろんだ。先に相手を倒し、三つ数えた方の勝ちだ」
ソラリスはそこで初めて、少し楽しそうに笑った。
「わかった」
……本当に戦うんだ。
私は巻き込まれないように、ひとまずエンジュの背後に隠れた。
「良いところに隠れたねえ」
エンジュは呑気に笑っている。
ソラリスとロタラは距離をとって立った。
ロタラは両足を肩幅より少し広く開き、左足を半歩前へ。拳は握らず、両手を胸の前へ上げる。
対するソラリスは、妙に構えが浅かった。右足が前、左足が後ろ。両腕は下がったまま、身体だけが、わずかに前へ傾いている。
「始め!」
エンジュの声が上がった瞬間、ロタラが真正面に突っ込んだ。
なんの迷いもない。
ソラリスが右へ逃げれば、ロタラも向きを変え、さらに踏み込む。
ソラリスが後ろへ下がっても、ロタラは止まらない。
一歩下がれば一歩。
拳が届く距離を保ったまま、ぴたりと追ってくる。
「うわ。しつこいな、お前」
「逃がすものか」
ロタラの右手が、ソラリスの左腕を目掛けて、伸びる。
触れた瞬間、ソラリスが腕を引いた。
だけど遅い。
ロタラの指が袖を掴んだ。
「捕まえた!」
ロタラはその腕を自分の方へ強く引いた。
身体ごと引き寄せられる?
そう思ったのに、ソラリスは逆らわなかった。
むしろ、その勢いを利用して一気に飛び込む。
肩がぶつかるほど近づいた瞬間、ソラリスの身体が沈んだ。
ロタラの腕の下へ頭を潜らせ、そのまま脇を抜ける。
「!」
ロタラが振り向いたときには、ソラリスはもう背後にいた。
ソラリスの手が背中へ伸びる。
けれどロタラは反射的に前へ踏み出し、振り返りながら正面を取り直した。
「なるほど」
ロタラが白い歯を見せて笑った。
「そういう動きをするのか」
「何だよ」
「ちょこまかする!」
「悪口かよ」
今度はソラリスから仕掛けた。
地面を蹴り、真正面から踏み込む。
ロタラは腰を落とし、両腕を広げた。
……受け止めるつもり?
でも、ソラリスは直前で左へ跳んだ。
ロタラが向きを変える。
「また逃げるか!」
「逃げてねえ!回ってんだよ!」
「同じだ!」
ソラリスはロタラの周囲を回り、ロタラはその場で向きを変え続ける。私には二人の狙いがわからなかった。ただ、ロタラが一歩でも遅れれば背中を取られ、ソラリスが近づきすぎれば捕まる距離感だった。
やがてソラリスが止まった。
「……面倒くせえな」
「それはこちらの台詞だ」
ロタラは何度でも距離を詰めた。
ソラリスは右へ、左へ、ときには上へ跳ぶ。
それでも、ロタラは何度もソラリスを捕まえた。
なのに、捕まった瞬間からソラリスの動きが変わる。
引かれれば近づき、押されれば倒れ、ロタラが力を入れた方向へ自分から身体を預けて、その勢いのまま別の場所へ抜けていく。
私には、ロタラが捕まえたのか、ソラリスが捕まらせたのか、だんだん分からなくなってきた。
今度こそロタラが腰へ組みついた。
「取った!」
「だから」
ソラリスが耳元で言った。
「捕まえすぎなんだよ」
ソラリスは、抱え込まれたまま両足を浮かせた。
突然かかった全体重に、ロタラの身体がわずかに前へ傾く。
その瞬間、ソラリスの片足がロタラの脚へ絡んだ。
身体を捻る。
二人まとめて地面へ倒れた。
ロタラが背中から地面へ落ちる。
ソラリスはその横へ転がり、その勢いのまま身を起こした。
ロタラが起き上がるより先に右腕を取り、地面へ押さえる。
ロタラが身を起こそうとする。
ソラリスは力任せに押さえつけず、その動きに合わせて身体をずらし、起き上がる方向を塞ぐ。
「一」
「まだだ!」
「二」
「この……!」
「三」
速すぎて、私には途中からほとんど見えていなかった。
だけど、判定だけはわかりやすかった。
「俺の勝ち」
ソラリスは息を整えながら告げた。
ロタラは仰向けになったまま、空を見ていた。
息が切れている。
ソラリスも肩で息をしていた。
「……なるほど」
ロタラが起き上がる。
「おもしろい」
ロタラは立ち上がり、服についた土を払った。
「私なら、捕まえればそこで勝負を決める」
「うん」
「君は捕まってから、相手を利用する」
「だって近い方がやりやすいだろ」
ロタラは一度だけ目を丸く見開き、すぐに豪快に笑った。
「気に入った!」
ロタラ、戦いに負けたのに、なぜか一番嬉しそうだ。
「やはり、槍でもやりたいな」
ロタラが目を輝かせると、ソラリスが露骨に嫌そうな顔をする。
「今やんの?」
「もちろんだ!」
「やだよ。疲れた」
「なぜだ!」
エンジュがゆっくりと二人に歩み寄った。
「やめといた方がいいよ、ソラリス」
「なんで」
「ロタラが槍持つと、空間全部がロタラになるから」
ソラリスが、ロタラを見る。
地面に置かれた槍を見る。
もう一度ロタラを見る。
「ソラリス、動けるところを見つけて入っていくでしょ。ロタラは槍持つと、それを先に塞いでくるんだよ」
「あー……俺が行くところに、先にあれがいるのか」
そう言って槍を指した。
「そう」
「最悪じゃん」
「楽しいぞ!」
うんざりした顔のソラリスにロタラが笑いかけた。
ソラリスは頭を掻きながら、エンジュに視線を移した。
「じゃあお前は?」
「僕?」
「槍のこいつ、嫌じゃねえの?」
エンジュは首を傾けて少し考えた。
「僕は助かるかな」
「助かるだと!?」
ロタラが眉を跳ね上げて怒った。
「だって、使えるものが増えるから」
「ああ」
ソラリスはすごく納得している。
でも、私にはさっぱりわからない。
「……使えるもの?」
エンジュが私を振り返り、にこっと笑った。
「ロタラの腕。身体。槍。全部、力の向きが見えるでしょ」
「……それを使うの?」
「うん。僕が動かす必要ないからね」
「人の攻撃を勝手に使うな!」
「僕に向かって出してるんだから僕のものでしょ」
「違う!」
ソラリスはロタラの槍をもう一度観察した。
「でも槍なんだから、懐に飛び込めば勝てるだろ」
「そこに入らせないのがロタラだね」
エンジュが答える。
「入ってもいいぞ」
ロタラがあっさり言った。
「は?」
「遠間だけが槍の間合いではない」
「そんなわけあるか。長いから槍なんだろ」
ロタラは槍を拾い上げた。
長い柄の中ほどに片手を滑らせる。
「穂先だけが槍だと思うな」
そう言って、石突きをソラリスの足元へ軽く差し出した。
ソラリスが反射的に一歩退く。
その瞬間には、ロタラの手の中で槍が滑っていた。
今度は穂先が、ソラリスの胸の前へ伸びる。
「うわ」
さらに退く。
「近ければ柄で打つ。払う。押す。もっと入ってくるなら、持つ場所を変えればいい」
「そんなんありかよ」
「あるから使っている」
「どこもかしこもロタラになるからね」
エンジュが楽しそうに口を挟んだ。
「僕は大好き。楽だから」
「君は黙れ」
ロタラが振り向きざまに槍を突いた。
エンジュは半歩だけ身体をずらした。
穂先が脇を抜ける。
「ほら」
笑いながら、その柄へ片手を添える。
ロタラがすぐに引いた。
「触るな!」
「まだ何もしてないよ」
「今、使おうとしただろう!」
「するよ。せっかくこんな長いもの出してくれてるんだから」
ソラリスが眉を寄せた。
「……お前ら、戦うとすげえ面倒くさそうだな」
「ソラリスの方が面倒だよ」
「なんで」
「僕が流したところに、そのまま乗ってくるから」
「エンジュは流れがあるからな。乗るだけだ」
エンジュの笑顔がわずかに引きつった。
「……それが嫌なんだよね。僕が逃がしてあげた方向から戻ってくるでしょ、君」
「戻れるからな」
「普通は戻ってこないの」
「でもお前、俺と戦うの好きじゃん」
「……好き」
「ずるいぞ!エンジュ、私とも戦え!」
「ええ?今朝も戦ったばかりじゃない」
三人は話は尽きない。
私はひたすら三人の顔を見上げていた。
「アンリ、わかったあ?」
急に、エンジュが身体を屈めて私の顔を確認した。
「ほわ〜あ」
わからなすぎて変な返事しかできなかった。
「なんだその間の抜けた声」
ソラリスが笑う。
「アンリ、今度は君に槍を教えよう」
ロタラも笑う。
武術のことは全くわからない。
ソラリスはロタラの槍が面倒で。
ロタラはエンジュに受け流されがちで。
エンジュは予測不能なソラリスに戸惑いつつも、惹かれてる。
そこだけはなんとなくわかった。
そして三人とも、戦いの話になるとやたら楽しそうだということも。
西の空にはオレンジ色の夕日が沈み、夕日の周りの空が淡い緑色に染まっていた。
「腹減ったなー」
ソラリスの声に、私のお腹も反応する。
「ロタラ、朝稽古でぶつけたとこ、大丈夫?」
「肩か。問題ない」
ロタラも槍を担いで帰り支度を始めた。
「宿に戻ったら軟膏塗ってあげるよ」
「助かる。エンジュの調合した薬はよく効く」
「でも先にご飯だねー」
晩御飯。
ハルジオン、用事は済んだかな?
そう考えたとき、背後から、空気を切り裂く鋭い声が飛んできた。
「またこんなところで暴れて!」
あ。この鋭いのにちょっと甘い声は。
私が振り返って顔を確認する前に、ロタラが彼女を呼んだ。
「遅いぞ、ヒヤシンス!もう終わっちゃったぞ!」
ハルジオンとよく似た蜂蜜色の瞳を見開きながら、ヒヤシンス様が颯爽と近づいてきた。
「見物しにきたわけじゃないのよ。ハルが、ロタラたちと待っていろって……言う……から……」
ヒヤシンス様の華やかな瞳が大きく移動し、一点を見つめて止まった。
「あなた……」
「ああ?」
ソラリスが首を傾げる。
ヒヤシンス様の両手が、ソラリスの肩を掴んだ。
「“見ればわかる”の子ね!」
「はあ?」
ソラリスの視線が、明らかに私の方を向いている。
「誰だよ。この派手な、ねーちゃんは」
だから、私は説明係じゃないってば!
「ずっと会いたかったのよー!」
ヒヤシンス様は花火のように眩しい笑顔でソラリスの肩を揺さぶった。




