第21話 審理の終わり、それぞれの行き先
「アンリ、審理は無事に終わったぞ」
琥珀色の目が私を覗き込んでいた。
私は身体を起こそうとして、気づいた。
身体を起こすまでもない、椅子の背にもたれていただけだ。
「疲れたのか。また大口を開けて眠りかけていたぞ」
「……どれくらい?」
ぼーっとした頭でハルジオンの顔を眺めた。
「ほんの一瞬だ。主任審理官の判決は聞いていただろう?」
ほんの一瞬?
あの長くて暗い、ヨルカの裁判はなんだったんだろう。
誰一人、笑顔も、余裕も、勝利もない、重々しい時間。
私が見たあの記憶は——
『収束するところは、たぶん変わらない。でも、そこまでの道は君のものだ』
以前、ヨルカに言われたことを思い出した。
『お前の失言がなくても、ヨルカは審理を受けることになっていた。だからこれは、みんなヨルカのために動いているんだ』
審理を受けることが決まった時、ソラリスもそう言っていた。
だったら、私の審理はヨルカの裁判の代わりに起きた出来事?
ヨルカの時間では、みんなあんなに辛そうな顔して闘っていたの?
私も、緊張はした。ちょっとお腹も痛くなった。
だけど、ナナリエや、ハルジオンやボリジさんにたくさん助けられたし、反対側の席に座るペリラ統括官やサフルール局長だって、なんだかんだみんな温かかった。
ヨルカ。
あなたが見ていた世界は深い水底に沈んだように重くて苦しいものだったの?
いや、私にはそう見えたけど——
あの時間のヨルカは、ナナリエを見て微笑んだり、心配して歌ってあげたり、温かい気持ちに溢れていた。
沈んでいたのは——
「アンリ」
ハルジオンがまた私の名前を呼んだ。
「大丈夫か」
視界がはっきりしてくると、ハルジオンの後ろにサフルール局長とペリラ統括官も立っていることに気がついた。
ペリラ統括官が眉間に皺を寄せて私の顔を覗き込んだ。
「実地検証で負荷をかけてしまったかい?」
「いえ。少し気が抜けただけです」
身体に力が入らず、座ったまま答えた。
「医者も待機していますので、心配なさらないでください」
困惑するペリラ統括官に、ハルジオンが付け加えた。
「無事に審理を終え、何よりです」
強面のサフルール局長がほんのり微笑むと、少し気が緩んだ。
……そっか。無事に終わったんだ。私の審理。
「ありがとう。ハルジオン」
頭の整理ができないまま、ハルジオンの顔を見た。
一瞬だけ見開かれた琥珀色の目が、柔らかく笑う。
「がんばったな。アンリ」
……。
…………いや、待て。
急に脳が起動し始める。
今、私、間違えなかったか。
“殿下”をつけ忘れたぞ。
ハルジオンもいつの間にか普通に私の名前を呼んでいる!?
大丈夫なのか!?
焦る私のことなど何も気にしない様子で、ハルジオンは後ろの二人に向き直っていた。
「お二方も、ありがとうございました」
ハルジオンの背中は真っ直ぐに伸びていた。
その向こうで、サフルール局長が深々と頭を下げる。
「いえ、私は自分の職責を果たしたまでです。機会を与えてくださった殿下には深く感謝いたします」
「私は何もしていない」
「疑わしいなら司法で明らかにしようと仰ったのは殿下ではありませんか」
「雑談だ」
ハルジオンの肩の力が抜けるのがわかった。
ペリラ統括官も穏やかな表情で口を開いた。
「我々、広域磁場制御機構としても、指針が見えました」
ハルジオンの横顔が静かに頷く。
「アメジスト宮が難局を迎えている中、誠実に対応いただき感謝します。磁場網の障害についての調査、進捗はいかがですか」
「瑠璃宮、エメラルド宮と連携して調査を行なっておりますが、殿下にご報告できるほどの結果は得られておりません」
「私に報告など不要です」
ハルジオンはゆっくりと首を横に振った。
ペリラ統括官は少しだけ息を飲み、すぐにまた口を開いた。
「先日、アメジスト宮の例会で、磁場管理大臣と顔を合わせました」
ハルジオンが「ああ」と相槌を打つのを確認して、ペリラ統括官は目元に笑い皺を浮かべて、穏やかな口調で続けた。
「殿下が議会を去られたことを惜しみ、復帰を待ち侘びておりましたよ」
「彼には嫌われていると思っていました」
ハルジオンは苦笑しながら応じた。
「殿下は西側のお方ですからね。アメジスト宮はいつも予算要求ばかりして、シトリン宮と睨み合っておりますから」
ペリラ統括官も肩を少しだけ震わせながら困ったように笑った。
その笑いを収めると、ペリラ統括官は背筋を伸ばしてハルジオンを見つめた。
「殿下にはまたお世話になることでしょう」
ハルジオンは答えなかった。
ただ、目の前の人から視線を逸らさず、その言葉を受け止めていた。
一瞬の沈黙のあと、ハルジオンの背後から、ひょいっとボリジさんが顔を出した。
「アンリちゃん、お疲れ様〜」
……いたんだ。全然見えていなかった。
「ボリジさんも、ありがとうございました」
「いやいや、僕は何も。それより局長!今夜のお店、ばっちり予約しておきましたんで!」
ボリジさんは軽い調子でサフルール局長に擦り寄った。
「貴様は退勤後の方が生き生きしておるな」
サフルール局長は疲れた顔でため息をついた。
「じゃ、我々はこれにて失礼しまーす」
るんるん気分を抑えられないボリジさんを一瞥して、サフルール局長が丁寧に礼をした。
「失礼いたします」
私に一度だけ大きく頷いて、サフルール局長は去っていった。
入れ違いに、向こうから眩しい光が近づいてきた。
オタクサ主任審理官と、彼女に連れられたソラリスだった。
「引受人の審査も終わりました」
きっちりした佇まいのオタクサ主任審理官の横で、ソラリスが緊張感のない様子で手を挙げた。
「よお」
そんな彼を、オタクサ主任審理官は眉根を寄せて眺めた。
「……まあ、実績だけは申し分ないですね」
「そりゃあ、よかった」
ソラリスは満足そうに頷いた。
「司法にも少し携わっていたとか」
少し納得のいかない様子のオタクサ主任審理官。
「司法?ああー」
ソラリスは記憶を辿るように目を瞑った。
「前に、農家の知り合いが大手に農場を乗っ取られそうになってたからさ。……で、なんだっけ。その時に動いてくれた弁護士が、その後もちょくちょく仕事を手伝えって言ってきて、なんかそのまま……」
話しながら、次第に眉間に皺が寄っていく。
だけど、勢いよく目を見開いて、首を傾げた。
「細かいことは忘れたな」
けろっとした様子のソラリスに、オタクサ主任審理官はため息をついた。
「……何事も経験するのは良いことです」
「だろ!」
……いろいろすごいな、ソラリス。
その場の全員が言葉を失ってソラリスを眺めていた。
みんなが二の句を継げずにいると、低くて良い声が響いた。
「アンリ、がんばりましたね」
柔和な表情のセアノサス様だった。
さすがにそろそろ椅子から立ち上がらねば。
私が身じろぎすると、すぐに気づいたのかソラリスが私の腕を引っ張り上げた。
「腰抜けたのか。間抜けだな」
愉快そうに笑うソラリスに、セアノサス様の視線が真っ直ぐに向いていた。
「君が、引受人のイサリダ・ソラリス?」
「おじさん、誰?」
ソラリスが怪訝そうに見つめ返した。
オタクサ主任審理官が、くわっと目を見開いてソラリスを睨んだ。
「イサリダ・ソラリス。こちらのお方は……!」
「いえ。かまいませんよ」
「当主様……」
楽しそうに目を細めるセアノサス様に、オタクサ主任審理官とペリラ統括官が困惑の表情を向けていた。
セアノサス様は興味深そうにソラリスに顔を近づけた。
「……君の瞳、青空のように眩しいですね」
「なんだよ、急に」
「見たままを言ったまでです」
「そんなに覗き込むな!」
ソラリスが子どもみたいに腕を振り上げて顔を隠した。
その腕を軽く掴んで、ハルジオンが言った。
「ソラリス。この方は瑠璃宮当主、ナナリエの叔父上だ」
腕を掴まれたまま、ソラリスが顔を上げた。その青い瞳は丸く光っていた。
「ああ、この前盗聴した当主会……ぎゅむっ!?」
一瞬で掴んだ腕を引き寄せ、ハルジオンはソラリスの口を塞いだ。
耳元で「それは秘密のやつだ」と囁いたのを、私は聞き逃さなかった。
セアノサス様はゆっくりと首を傾げた。
「何か?」
「口を慎ませました」
ハルジオンは涼しい顔で返事をしたが、口を塞がれたソラリスは不満そうに唸っていた。
暴れるソラリスの顔を観察したまま、セアノサス様は小さく頷いた。
「おじさんでかまいませんよ」
「はあ?」
ハルジオンの手から解放されたソラリスが苛立った声を上げた。
ソラリスが言葉を発する前に、セアノサス様がソラリスの肩を叩いた。
「今度、瑠璃宮を訪ねてきなさい」
「なんでだよ——」
「アンリも、一緒にね」
セアノサス様は私に向けて微笑んだ。
ソラリスの勝手な調子には全く振り回されず、悠々と話し続ける。
これが当主の威厳というやつか?
「はい!高層建築群が建つ理由、調べに行きます!」
私もソラリスのことは気にせずに答えた。
「良い返事です。よく見て、よく聞き、よく学んでください。君は多くのことを吸収するでしょう」
「学校を勧めていただき、ありがとうございます!楽しみです!」
目を細めて満足そうに頷いたあと、セアノサス様はペリラ統括官に視線を向けた。
「そういえば、ライラ家のご子息はうちの息子と同い年でしたね」
話題を振られたペリラ統括官は背筋を正し、緊張した面持ちで答えた。
「はい。本日もこちらに……」
紫色の瞳が傍聴席に向くと、そこに灰紫色の髪の少年が立っていた。
……昨日、肩がぶつかった子だ。
目は父親譲りで、透き通るような紫色をしている。
「息子のシオンです」
父親に促されて、少年はぎこちなく礼をした。
「息子と仲良くしてくれてありがとう」
セアノサス様は穏やかに声をかけた。
「いえ。こちらこそ、殿下にはよくしていただいております」
頭を下げたまま少年は答えた。
セアノサス様の目が、また私に向いた。
「アンリ」
「はい」
「瑠璃宮の学校に来るときには、私の息子とも顔を合わせるでしょう」
セアノサス様の息子さん。
……ああ、以前、王都の瑠璃宮別邸で会った三人兄弟の一番年上の子か。
「もしかして、……十四歳ですか?」
「そうです。一緒に学べると良い刺激になるでしょう」
「お会いするの、楽しみにしています」
「よろしく頼みますよ」
セアノサス様は心の底から嬉しそうに頷いた。
「では、私はナナリエと少し話をしてきます。彼女も、君のおかげで随分と寛容になりました。ありがとう」
青い長衣を靡かせながら、セアノサス様はご機嫌で立ち去っていった。
「……変なおじさん」
ようやくソラリスが息をついた。
ソラリス、セアノサス様がちょっと苦手だな?
「殿下、私たちもこれで失礼いたします」
ペリラ統括官と息子も静かに頭を下げて立ち去った。
オタクサ主任審理官も肩の力を抜いて、曇りのない青い目で私を見つめた。
「これからの貴女の人生に、道が開けることを願っていますよ」
「ありがとうございました」
みんなが、少しずつ立ち去っていく。
みんなを見送ってから、ハルジオンが、私とソラリスを振り返った。
「私も少し挨拶をしたいところがある。外で待っていてくれ」
足早に立ち去ろうとしたハルジオンの背中に、ソラリスが声をかけた。
「晩飯は一緒に行こうなー」
気楽そうなその声に、ハルジオンが振り返った。
「ああ」
振り返ったその顔は、少年が友達と約束を交わすみたいに無邪気だった。
「んじゃ」
無邪気な少年の目をしたソラリスが、大きな口を開けて笑った。
「外でハルジオンを待ってるか」
……この二人、ずいぶん仲良くなってるな??
いつの間に……と考えながら、ソラリスの後ろをついて裁判所の正面玄関を出ると、ソラリスが急に立ち止まった。
「ぶへっ」
ソラリスの肩に鼻をぶつけて、思わず呻いてしまった。
また「鈍臭いな」と言われると覚悟したのに、ソラリスは何も言わずに立ち止まっていた。
「どうしたんですか」
私は身体を横に曲げて、ソラリスの向く先を覗いた。
そこに——
「イサリダ・ソラリス!」
槍を担いで仁王立ちするロタラと、にこにこ笑顔のエンジュが立っていた。
「手合わせ願おう!」
ロタラはこの上なく真面目な顔で宣戦布告した。
場違いなほど静かな、裁判所の前で。




