第18話 彼女からの交信
『あんり』
十四歳の、制服を着た“私”が暗闇の中から呼びかけてきた。
違う。
“私”じゃない。
“あんり”の中に入った“ヨルカ”だ。
『彼に——君の幼馴染に言われたんだ』
彼。
疑問に思う間もない。
一人しかいない。
『君がそちらに行くことになった理由を説明してやれって』
ああ。
大地くんなら、そうやって注意しそうだ、と妙に納得した。
『気が利かなくて悪いね』
ヨルカは静かに目を伏せた。
私の顔をしているのに、表情はまるで私じゃない。
『最近こちらで覚えた言葉を使うなら——、そう、宿題』
少しだけ嬉しそうに目を開く。
新しい発見を報告する子どもみたいな照れ臭そうな顔だった。
『ナナリエからの宿題を解いていたら君にたどり着いたんだ』
私にたどり着いた?
『人だったり、植物だったり、石だったり、様々なものの記憶に入り込んで、いくつもの世界で答えを探していた』
ずいぶん彷徨っていたんだなあ。
『そして今、私は十四歳の君の身体を通して、君の時間を体験している』
ナナリエからの宿題って、そもそも何なんだ。
いくつもの世界を渡って、人の身体に入ってまで探すような答えって?
そこを説明してくれ。
『君がそちらへ行ったのは、私が望んだことじゃない。私にも、まだ理由はわからない』
やっぱり私の声はヨルカには届かなくて、ヨルカは一方的に話しかけてくる。
『それにしても、彼は怒りっぽいね』
『“俺の友達たちにお前の知ってるやつの名前を当てはめるな”って、いつも怒るんだ』
ヨルカはしょんぼりと目を伏せた。
いや、大地くんはそんなに怒りっぽくないけど。
……というかヨルカさん。
あなた、向こうで何してんの?
『それから、これは伝えておきたい』
落ち込んでいた顔が、ひまわりが花開くようにパッと明るくなった。
『君を通して見る世界は、色が多くて賑やかだね』
ええ?
こっちの人たちの方がよっぽどカラフルでしょ。
賑やかな人もたくさんいるし。ナナリエとかさ。
『本当は君じゃなくても良かったはずなのに、今は、君で良かったって思っている』
ヨルカが私を見た。
『伝わっているかな?君に感謝しているんだ』
うん。
とても嬉しそうなのはわかるよ、ヨルカ。
だけど、相変わらず……。
『私の言葉はいつも足りないって、君の大切な人にいつも怒られている』
そう。さすが、大地くん。
的確な指摘だよ。その通りだよ。
『君も、もうしばらく私の世界に付き合ってほしい』
ヨルカは再び目を伏せた。
『最後まで見せることになるのかもしれない。申し訳ない』
待って。
どうしてそんなに悲しそうな顔をするの?
私の呼びかけは届かず、十四歳の私の姿をしたヨルカは黒の中へ消えていった。
厳かな装飾の部屋。
ハルジオンの執務室?
「どうしてこんな事態になったんだよ!」
ソラリスの怒鳴り声?
「ヨルカは恐怖で自分の機能をうまく制御できなかったのよ」
聞いたことのない、ナナリエの苛立つ声。
「そうなる前に、お前が止めるんじゃなかったのか?」
「ナナリエにだけ責任を問うな。ヨルカの社会的な成熟度は幼児と変わらない」
ハルジオンが疲労の見える声で制した。
「ハルジオンの判断が遅かったんじゃないの?」
苛立ち、強い口調で攻めるエンジュの声。こんなエンジュも、知らない。
「ああ。私の判断が遅れたせいで、ヨルカが拘束された。当局の捜査が入る前に琥珀宮の監督下に置くべきだった」
ハルジオンの声には後悔が滲んでいた。
「俺は珊瑚宮へ帰る」
苛立ちをしまって、ソラリスは静かに言った。
「また一人でどこかへ行っちゃうの?」
「どこかじゃない。ヨルカのとこだ。第七隊やめて珊瑚宮保安局の監衛になる」
「留置施設の監督役か。悪くない選択だ」
「そんなところに長く置けない。ヨルカ様は僕が外に出す。今度は僕の元で守る」
「ヨルカを引き取るなら、俺かハルジオンだ」
「……私だって……」
「ナナリエ、残念だが、君は外す。今まで君がヨルカを保護してきた。その結果が今だ。社会が納得しない」
「ヨルカ様をナナリエから引き離すなら、僕しか……」
「やめとけ。エンジュは、ヨルカを理解しすぎる」
「そうだよ。僕が一番ヨルカ様を理解できる」
「だからだめなんだよ。呑まれる。ヨルカもエンジュに呑まれる。二人揃って沈んじまうぞ」
その言葉にエンジュは黙り込み、その部屋には長い沈黙が落ちた。
四人の姿が静かに闇に溶けていった。
樹々の中の空間。
神殿の中だろうか。
「訴追が決まった」
ハルジオンがテーブルに細い筒を放った。
そこから浮かび上がる画像を、ナナリエとエンジュが睨みつけた。
その隅に表示された日付に、私は目を止めた。
——あれ?
この日、覚えてる。
ナナリエへの手紙を作った日だ。
私はもう、この国にいた。
「弁護人は決まったの?」
「いや。裁判所が打診した者は全員辞退した。被告人との意思疎通が成立しないことと、記録消失の危険性を理由に」
ハルジオンは浮かび上がっていた画像を消した。
「私が立つ。弁護実務の経験はないが、資格はある」
ナナリエとエンジュが、黙ってハルジオンを見上げた。
二人とも、異を唱えなかった。
「再発防止措置についての検証は進んでいるのか」
ハルジオンの問いに、ナナリエとエンジュは視線を落とした。
「ヨルカの意思による制御が大部分を占めるので……」
「ヨルカ様が人を信頼できるくらい、社会に慣れないことには……」
下を向く二人を見て、ハルジオンが肩をすくめた。
「社会生活の中でしか育たないものが、彼女にはまだ育っていない……か」
記録端末を掴むナナリエの指先に、力が入った。
「だからヨルカをひとりにしちゃいけないの……」
小刻みに震える記録端末の画面にエンジュの指が触れた。
「もう一度発動条件を見直そう、ナナリエ」
「私も法律と制度を、もう一度洗い直してくる」
ハルジオンは二人に背を向けて歩き出した。
次に見えたのは、清らかな白と聡明な青の室内だった。
裁判所の控室。
「若宮司になった五年前」
張り詰めたエンジュの声が室内に落ちた。
「ソラリスのときには、間に合わなかったんだ」
いつもの笑みはなかった。
「僕の言葉じゃ、誰も動かなかった。だからずっと考えてきた。どう話せば届くのか。何を示せば、聞いてもらえるのか」
エンジュが、組んだ両手に額を押し付けて言った。
「たぶん、今日のためだったんだと思う」
「エンジュ」
ソラリスが低く呼んだ。
「力、入ってる」
「……」
「それに」
ハルジオンが記録端末から目を上げる。
「どこを突けば人が動くのか、学んできたのはお前だけではない」
「そうよ」
ナナリエの瞳は氷の結晶のように澄んでいた。
「言葉だけでは足りない。裏付ける検証結果が必要でしょう」
「……ハルジオン、ナナリエ」
「俺もいるぞ」
ソラリスがエンジュの肩を叩いた。
「一人でやろうとすんな」
「……僕、ヨルカ様の引受人にはなれない」
「ああ」
「だったら、せめてここから出すところまでは僕が——」
「だから」
ハルジオンが遮った。
「その『僕が』をやめろと言っている」
「けれど、私たちしかいないわ」
ハルジオンの隣でナナリエが背筋を伸ばして立ち上がった。
「手段は選んでいられないの」




