第16話 十四歳、検証される——審理二日目・午後
昼食を挟み、午後の審理が始まった。
朝からずっと空いていた一席は、まだ空いたままだった。
そのとき、閉じられていた法廷の扉が開き、青い髪を靡かせた男性が入ってきた。
主任審理官を始めとするサファイア宮の人々も、傍聴席の瑠璃宮、アメジスト宮の人々も、皆が彼を迎え入れるように立ち上がって頭を下げた。
ハルジオンも静かに立ち上がった。周囲ほど深くは頭を下げず、胸元に手を添えて短く一礼する。
瑠璃色の長衣がはためく。
男性は、空いていたその席へ歩み寄った。
「これより、瑠璃宮当主ユニワ・セアノサス殿にご臨席賜ります」
「お待たせいたしました」
柔らかく丁寧な口調。
「失礼。午前中の調書を確認しますね」
瞼を閉じたセアノサス様が晶盤に手をかざした。
「うん。よく議論されていますね」
穏やかな声が、これまでの審理の流れをなぞっていく。
「医学からは、確認された身体現象と、その限界が示された。工学からは、身体を介さず通信を成立させる代替手段が示された。アメジスト宮からは、なお残る不確実性と、それを社会が引き受けるための条件が提示された」
口元が微笑んでいる。
「神殿は、不確実であること自体を排除の根拠としてはならないと述べた。そして司法は、それらを事実、推測、不明に分けた上で判断しようとしている」
セアノサス様が目を開いた。
穏やかな表情の中でオレンジ色の瞳が蝋燭のように明るく燃えている。
「つまり、誰一人として、この少女が安全だとは証明していない」
法廷に静かな緊張が走った。
「けれど、それでよい」
セアノサス様は一人一人を見るように、ゆっくりと法廷を見回した。
「学問とは、すべてを知るためのものではありません。どこまで知っていて、どこから知らないのか明らかにすることも、その役割です。その上で司法が定め、行政が運用する」
主任審理官とサフルール局長が頷いた。
「監督条件も妥当でしょう。ところで——」
みんなが静かに耳を傾ける中、セアノサス様が立ち上がった。
背筋の伸びた真っ直ぐな立ち姿は、ナナリエとそっくりだ。
「皆さん、この子を何として議論しているのでしょう」
何、とは?
「未知の機能を持つ存在。監督を要する対象。研究価値のある身体。どれも間違いではありません」
セアノサス様は講義をする先生みたいに、ゆっくりと歩きながらみんなに語り掛けた。
「ですが、その前に十四歳の子どもです」
セアノサス様の足がぴたりと止まる。
「出生記録はありません。しかし、確認された身体年齢は十四歳。中等教育の最終学年に相当します」
そうだった。夏前に、セアノサス様との間で保留になっていた件がある。
「アンリ、十五歳までの半年間、学校に通いなさい。君にはその権利がある」
学校か。
この国の学校ではどんなことを教えていて、子どもたちがどう育てられているのか。それは気になる。
だけど半年間も同じ学校に通うなんて——
「琥珀宮の学校だけとは限りません。君が望む学びがあるなら、各地の学校を巡ることが可能です」
各地の学校を巡ることができる?
私の中でワクワクしたものが湧いてきた。
「君はどう考えますか?」
「はい。知りたいことがたくさんあります」
地域ごとの違いも気になる。
まだ行ったことがないのは、アメジスト宮にトパーズ宮に……。
「瑠璃宮がどうして高層都市になったのかも気になります」
「小さな手に、問いをいくつも抱えていそうですね」
セアノサス様はくすくすと笑うと、主任審理官へ視線を向けた。
「アンリに学ぶ権利を」
「条件に付け加え、検討いたしましょう」
主任審理官が静かに応じた。
学校に通いながら、この国を見て回れるんだ。
にわかに傍聴席が騒がしくなり、私が目を向けると、瑠璃色の集団もワクワクした目で私を捉えていた。
なぜ、そんなに期待の眼差しを私に……?
「彼女が瑠璃宮を訪れることもあるでしょうね。学校滞在時については、司法が指定した引受人ではなく、受入機関を監督主体とするのが妥当でしょう」
セアノサス様がため息混じりにそう告げると、瑠璃色の集団から低めの歓声が上がった。
彼らに向けて、セアノサス様が片手を挙げて制した。
「未知であることを理由に、彼女を人の営みから遠ざけてはならない。その点は神殿の見解に同意します」
そこまで言ったあと、セアノサス様は厳しい顔を瑠璃色の一角へ向けた。
「ですが、未知であることを理由に、自由に調べてよいということにもなりません」
さっきまで期待に満ちていた瑠璃宮の人たちが、一斉に姿勢を正した。
どこかしらから「ああ……」と納得と落胆のため息が漏れていた。
「彼女が安全に生活するために必要な検証は、今後も続けるでしょう。ただし、本人の意思を無視した観察や実験は認めません」
口調は丁寧なのに、めちゃくちゃ圧がかかった声色だ。
このくらい言わないと聞かない人たちなのだろうか。
「そして彼女の所属は琥珀宮です。瑠璃宮が彼女を研究対象として囲い込むことも認めません」
瑠璃宮の人たちは声にこそ出さないけれど「はぁい」と不満げに返事をしたようだった。
私、瑠璃宮に行ったら真っ先に捕獲されるのでは……?
「当主様」
ペリラ統括官が手を挙げた。
「……ならびに主任審理官、発言をよろしいでしょうか」
「許可します」
「はい、どうぞ」
「まさに今、彼女が安全に生活するために必要な検証を求めます。一日目にも申し上げましたが、彼女の申告や王女殿下の検証結果が妥当であるのか、今ここで彼女に再現試験をお願いしたい」
ペリラ統括官の紫の目がセアノサス様から主任審理官へ移り、そして私を真っ直ぐに見つめた。
「いかがだろうか?」
私の意思を確認してくれている?
あまりにも真っ直ぐな視線に、私は思わず頷いてしまった。
セアノサス様の顔もハルジオンの顔も確認する前に、ただペリラ統括官の顔だけを見たまま。
「やります。みんなに見られるのは緊張しますけど」
ペリラ統括官も頷いた。彼もまた緊張しているようだった。
その隣でサフルール局長が静かに手を挙げた。
「事件当時の状況を再現するために、消失しても問題のない記録をあらかじめ用意してあります」
サフルール局長の合図で、王宮職員らしき人が記録媒体らしき板を運び込み、中央の机に乗せた。
「確認したいことは大きく三つです」
ペリラ統括官の声に力が入った。
「毛髪が物理的に接触しただけでは記録が消失しないこと。毛髪が接触した状態で、本人が読み取りを意図した場合にのみ記録が消失すること。そして、環を介して情報を受け取った場合には、記録の消失が起きないこと。この三つです」
そうか。
私が読み取ることだけじゃなくて、読み取らないことも証明しなければいけないのか。
読み取らないぞ、と念じればいいのか?……いや、それ、むしろめちゃくちゃ意識してない?
どどどどど、どうしよう。
私は焦りすぎて、よりにもよって検証を要求してきたペリラ統括官に目を向けた。
あまりに必死に助けを求めるような顔をしていたのだろうか。
ペリラ統括官は目があった瞬間、一瞬吹き出しそうになった顔をしたのに、咄嗟に横を向いて咳払いをした。
「どうでしょう。彼女は意気込みすぎているようですので、妙に意識することも踏まえ、三度同じ試験を行います。我々としても再現性を確認したいですし」
若干、引き攣った顔のペリラ統括官が提案すると、サフルール局長がムキムキの腕を軽く挙げて続けた。
「毛髪へ記録媒体を接触させる作業は私の方で行いましょう。審理対象者には“読み取る”ことと“読み取らない”ことだけに集中していただきます」
「採用します」
「では、こちらへ」
サフルール局長がムキムキの腕で中央の椅子を指し示した。私が移動すると、背後にサフルール局長が立つ気配がした。
王宮職員が記録媒体を持ち、「表示します」と告げると、空中に記録内容が映し出されたようだ。
傍聴席から「たしかにある」と確認するような声が聞こえてくる。
映し出された記録は私の背後にあるらしく、その内容は見えない。
私と向かい合う審理員席や、私の後ろの傍聴席から見える仕組みだ。
これ、映したまま実験する感じ?
「まずは非読取時の接触試験です」
ペリラ統括官が全体に向けて声をかける。
背後で、サフルール局長の太くてよく響く声がそれに続いた。
「何も読み取ろうとせず、そのままでいてください」
えっと。そのまま。そのままってなんだ。
読み取っちゃいけないやつ。読み取らないぞ。……いや、意識すると危険だ。
違うことを考えなければ。
サフルール局長の足が一歩、私に近づく音がした。
早くなんとかしなくては……!こんなとき、ハルジオンなら……!
あ!
それだ!
ムキムキ。ムキムキ。ムキムキ……!!
私は直前に見たサフルール局長の逞しい腕をずっと思い浮かべていた。
「所定時間を経過しました。一度中断します」
ペリラ統括官の声で我に返った。
「ご覧通り、記録は消えていません」
よ、よかったあ。
傍聴席からも低いため息が漏れた。
「休憩を挟むかい?」
ペリラ統括官が困惑気味に私の顔を覗き込んだ。
「だ、大丈夫です。緊張しただけなので」
辛くなったらすぐ言うようにと一言告げて、ペリラ統括官が主任審理官を見上げた。
「では、次に意識的読取試験を行います」
今度は、読む。これは読むだけだから、とにかく読む。
頭の中に一気に何かが流れ込んできた。
これは……王宮食堂の一ヶ月分の献立……?
「おお……」
傍聴席からどよめきが起きた。
「本当に消えた……」
これもう、裁判じゃなくてマジックショーなのでは?
「それでは、“消失”ではなく“取り込み”であることを確認します。読み取った内容を確認しても?」
「はい。カレイド宮殿の……職員食堂の一ヶ月の献立です。えっと、最初の日が——」
私はそこに書かれている通りに読み上げた。
それだけなのに、観客席……いや、傍聴席は歓声に沸いた。
「本当に読み取ったのか」
「しかもあの情報量を」
「これはたしかに読み取り、保存していると言える」
ペリラ統括官とサフルール局長が頷きあうと、その影からセアノサス様が顔を覗かせた。
「これはおもしろ……いえ、必要な検証データが得られそうですね」
四十代前半の理知的な男性が、口元を押さえて恥ずかしそうに視線を床へ落とした。
……これが瑠璃宮の抑えきれない好奇心か。
同じ一連の試験を、記録媒体を替えてあと二度繰り返した。
結果は同じだった。
続けて、環を介した通信でも確認が行われた。こちらは記録を失うことなく、問題なく情報を受け取ることができた。
「以上で審理対象者の身体機能についての検証を終わります」
主任審理官の落ち着いた声がざわめく法廷を沈めた。
「最後に、審理対象者アンリ、この場で言いたいことはありますか」




