第14話 今、この世界を見ているのは——審理一日目・夜
ハルジオンについて店内に入ると、店員が明るい笑顔で近寄ってきた。
「殿下!お久しぶりで……」
その声が固まる。
視線は明らかにハルジオンを通り越して、その後ろの大きな二人を見ていた。
客席の視線も一斉にこちらへ集まっていた。
ロタラが肩に担いだ長槍を、みんながぎょっとした目で見ていた。
それでも銀の胸当てと外套を確認すると、何人かは納得したように食事へ戻る。
けれど、エンジュに気づいた人たちは目を逸らさなかった。
「若宮司様がお見えだ……」
小さなどよめきが、店の中で広がっていく。
その隣には王子であるハルジオンもいるのに、こちらにはほとんど反応がない。
「騒がしくしてすまない。テラス席へ案内してくれ」
「失礼いたしました。どうぞこちらへ」
ハルジオンが穏やかな口調で言うと、店員は緊張した面持ちで私たちをテラス席へ案内した。
席に着くと、ロタラは槍を担いだまま座り、エンジュは当たり前のように水瓶からグラスに水を注いだ。私はエンジュの正面に座って、そのゆるやかな手つきを観察していた。
「エンジュは審理一日目から来てくれたの?」
ハルジオンが店主と雑談をしながら、おすすめの料理を注文してくれた。
「あー。正式な外出手続きを取っちゃったからね」
エンジュが不機嫌そうな声で答えた。
……何だろう。来るの、嫌だったのかな?
「僕が神殿の外に出るにはこの人の護衛が必要なんだ」
そう言ってエンジュは隣に座るロタラを一瞥した。
ロタラも横目でエンジュを見る。
「君の安全を脅かせる者がこの国にいるとは思えないが」
「全力で守ってね、姫様」
肩をすくめるロタラに、エンジュはのほほんとした様子で答えた。
「ロタラ様も王女様なのに、エンジュを護衛するんですか」
「珊瑚宮第一守衛団は翡翠宮ヒモロギ家の警護が最大の任務だからね」
私の純粋な疑問に、ロタラは嫌な顔ひとつせず、白い歯を見せて笑った。
「ロタラ様自身に護衛はついていないんですか?」
質問していて、自分でもわからなくなってきた。
私の隣にいる王子にも、今まで一緒に各地を歩き回っていた王女にも、警護なんて一人も同行していなかったことを思い出したからだ。
「いるよ」
けろっとした顔で答えるロタラ。
周囲を見回しても、それらしい人影はない。武器を持っているのはロタラだけだ。
ロタラはおかしそうに笑った。
「探しても見えないよ。護衛は必要な距離を取って付いている。なあ、ハルジオン」
ハルジオンは表情を変えずに頷いた。
「環の位置情報を利用している」
そうなんだ。ナナリエもハルジオンも平然と一人で歩いているように見えたけれど、本当に一人だったわけではないんだ。
「でも、エンジュにはロタラ様がずっと近くにいるんですね」
あれ。警護されてる人を呼び捨てにして、警護する人に様付けにするなんて、ちょっと変だな。
「ああ。この男は別だ」
ロタラは隣に座るエンジュを親指で示した。
「若宮司は一人しかいない。遠くから見守って、何かが起きてから駆けつけるのでは遅い」
へえ。エンジュが出掛けるってなると周りは本当に大騒ぎなんだなあ。大変そう。
いつもの、ぽやんとしたエンジュからは想像もつかない。
「この前は、ナナリエに身代わりを用意してもらって神殿を抜け出してきたんだもんね」
「あっ、それは……」
エンジュが置こうとしたグラスを取りこぼした。
それを見たハルジオンは、黙ってテーブルの上を布巾で拭く。
「なんだって?誠実で奥ゆかしいナナリエがそんなことを?」
ロタラが目を見開いて私を見つめた。
「はい。ハルジオンと喧嘩しにきた日も一人で来て、神殿の人たちに連れ戻されていました」
「ちょっと、アンリ……!」
そういえば、ハルジオンとエンジュは喧嘩していたんだっけ。審理の準備が忙しくてすっかり忘れていた。
「エンジュ、君は自分の立場をわかっていないな」
「アンリ、審理の準備で余計なことを言わないって学んだんじゃないの?」
テーブルを拭き終わったハルジオンが椅子の背に深くもたれて鼻で笑う。
「事実と推測を分ける訓練だ。彼女は事実しか言っていないだろう」
エンジュはハルジオンの方は見ずに、ぷいっと横を向いた。
……まだ仲直りしていないんだ。
それなのにウキウキでハルジオンを見つけ出して、一緒に晩御飯を食べようとするなんて。エンジュって、よくわからない。
「君たち、本当に喧嘩したのかい?」
ロタラが大袈裟に呆れたような声を出した。
「ハルジオンはいつもエンジュについて回っていたじゃないか」
……え?
ハルジオンがエンジュの後を?
逆じゃないの?
その疑問が浮上したとき、テーブルの上に大皿が運ばれてきた。
分厚い肉の煮物と、豆や野菜が一緒に蒸されたような料理。それにカラフルな野菜とチーズのサラダに、平たいパンのようなものもある。
私が大皿料理を取り分けようと手を伸ばすと、ハルジオンとロタラが軽く手で制した。
二人は一瞬目を合わせ、「どうぞ」「では」と譲り合うように頷き、結局ハルジオンが料理を取り分け始めた。
王子にこんなことをさせていいのだろうか。
「ロタラには幼少期に散々命令されていた」
小皿に取り分けた料理を私の前に差し出しながら、ハルジオンが呆れた口調で言った。
「待ってくれ。今それを言うか。まるで料理の取り分けも私が命令したみたいじゃないか」
「仕方ないよ。長年の習慣が滲み出てしまうものだから」
くすくす笑ったあと、エンジュは少し身を乗り出して、私に小声で話しかけた。
「ちなみに、僕がロタラからハルジオンを守っていたんだ」
私は取り分けられたお皿を受け取りながら、三人の力関係を妙に納得してしまった。
私は、目の前にあったケースから食器を取り出して、みんなにスプーンとフォークを配った。
「ありがと」
エンジュが受け取りながら微笑む。
「今日の審理、僕も全部傍聴してたよ」
「えっ。傍聴席にいた?」
私が訊くと、ロタラが冷たい視線をエンジュに送った。
「別室さ。この男が傍聴席にいると審理の妨げになると判断した。警護もしやすいからな」
なるほど。店員さんやお客さんも、先ほどから通りを歩く人たちも、みんな、有り難そうにエンジュを見ているもんなあ。
「つまり、エンジュは、それだけ大切な存在なんですね」
「ああ。替えが利かない」
その言葉と同時に、ロタラが立ち上がる気配を感じた。
その直後だった。
空気を裂く音がした。
気づいたときには、ロタラの槍がエンジュの喉元へ迫っていた。
エンジュは座ったままひょいっと身を引き、何でもないように片手で柄を受け止めた。
「……今、大切で替えが利かないって言ったよね?」
「こんなやつに護衛は不要だと思うのだがな」
ロタラは真面目な顔で事実を確認するように言った。
「僕の命を脅かす可能性があるとしたら君だよ、ロタラ」
なんの……。
なんの脈絡があってこうなったんだ……?
……やっぱり、この国の王族と呼ばれる人たちは、どこか変だ。
ロタラは何事もなかったように槍を肩へ戻した。
ハルジオンがため息をついた。
「気にするな。いつものことだ」
そこでようやくみんなでいただきますをして、料理を食べ始めた。
分厚いお肉は柔らかく煮込まれていて、スプーンで突くとほろほろ崩れた。
一緒に煮込まれていた豆も独特の香りで、スパイスと混ざって夏の暑さを吹き飛ばすような爽やかな味だった。
「彼は、明日には来るのか?」
水を一杯飲んだロタラが声をかけた。
視線はハルジオンに向いていた。
「誰のことだ」
「珊瑚宮に馴染む気のない、ソラリスとかいう男だ」
ロタラの言い方には、身内というより赤の他人という響きがあった。彼女の視線は私へ移ってきて、燃えるような瞳で私をじっと見据えた。
「イサリダを名乗ろうとしなかった彼が、君の引受人になるため正式に家門へ戻った。早く顔を拝みたいものだ」
ロタラは乾いた笑いを漏らした。爽やかな顔つきなのにどこか皮肉げだった。
「ロタラ様は、彼を知らないんですか?」
「知らないね。結環の儀では彼の代役を押しつけられ、そのうえ奉納試合では私の出番を奪われた」
ロタラは不満げに前髪を掻き上げた。
「出番を奪ったわけではないと思うけど」
エンジュが苦笑した。
「私とエンジュの対戦を奪った男だ」
ロタラが槍の柄を握り直した。
……また来る!?
思わず仰け反った拍子に、私の椅子はぐらりと倒れかけた。
「ロタラ、ここお店だから」
すかさずエンジュが冷たい声で制す。
「知っているさ」
ロタラの肩の力が抜けると同時に、私の椅子は倒れることなくテーブル側に戻された。
「気をつけろ」
ハルジオンが椅子を支えていてくれたらしい。
「ありがとうございます。でも……ロタラ様が護衛って、エンジュは逆に危険なんじゃないですか」
ハルジオンはこめかみを抑えながらため息をついた。
「この二人の間には数年前から縁談が上がっているのだが、双方了承しないのだ」
「え?縁談?」
思わず目の前に座る二人を見比べてしまった。
確かに二人とも背が高くて、色合いもこの星の夕暮れのようで素敵だけれど。
「翡翠宮と珊瑚宮の上層部は二人の仲を取り持とうと、機会を見つけては組ませている」
「だから今回のお出掛けも三日がかりで予定を組まれちゃったんだ」
エンジュが疲れ果てた顔で頬杖をついた。
隣のロタラは対照的に溌剌とした笑顔を見せていた。
「護衛は任務だから拒否権はない。だが縁談は任務ではないからな。もちろん、断る」
「周りから結婚しろと言われて、素直に受け入れる人なんていないよねえ」
ハルジオンの手が止まった。
「……ハルジオンのことを言ったわけじゃないからね」
エンジュが少し困ったように付け足す。
「だが、君は自分で望んだのだろう?」
ロタラは容赦なくハルジオンへ向き直った。
「あの大人しかった君が、聡明で可憐なナナリエの手を取った。婚約が発表された夜は、信じられなかったよ」
ハルジオンは黙って視線を落とした。
「それが今度は、突然手放すだと?」
ロタラが身を乗り出し、俯くハルジオンの顔を覗き込んだ。
「私たちの愛すべき姫の手を一度取った責任は、最後まで果たせ」
ハルジオンは口を開き、苦しそうな声を漏らした。
「……君は同性だ。エンジュは若宮司になった。どちらも、この国の制度ではナナリエと婚姻できない」
言葉を選ぶような沈黙が落ちる。
「だから私は——」
その先は続かず、琥珀色の瞳が揺れていた。
「許されるなら、私がナナリエを妻にしたかった」
ロタラは悔しさを隠しもせず、ハルジオンを見た。
「ロタラは、ナナリエを甘やかしてばかりだったからね」
エンジュが苦笑する。
「君だって、いつも顔を赤らめてナナリエの言いなりになっていただろう」
「えっ。そ、そこまでじゃないと思うんだけど」
「ナナリエは私たちの愛すべき姫だ。それの何が悪い」
「悪いわけじゃないよ。ただ……」
エンジュは一度言葉を切り、黙ったままのハルジオンを見た。
「僕もロタラも、ナナリエの望むことなら何でも叶えようとした。だから、彼女が嫌がる場所へ連れ出すことはできなかった」
ハルジオンの眉が、わずかに動いた。
「でも、君は違った。ナナリエに嫌がられたって、式典にも、議会にも、人の輪の中にも引っ張り出した。そうやって、僕たちの知らない場所までナナリエを繋いでいった」
「……」
「だから、君が彼女の手を取ったことを、僕は間違いだったとは思っていないよ」
ロタラの指が、ハルジオンの胸元を強く押した。
「ならば、勝手に手放すな」
さっきまで賑やかだったテーブルが静かになった。
隣の席では、仕事帰りの人たちが笑いながら平たいパンをちぎっている。私も冷めかけた肉を口へ運んだ。
香辛料の味はするのに、さっきまでほど味がわからなかった。
「あー。……なぜ二人は縁談を断ってるんですか」
なんとなくハルジオンに会話のボールが渡ったままなのが重苦しくて、耐えかねて話題を振った。
目の前の二人は急に目を見開いて身を乗り出した。
「だって、こんなだよ?僕は無理」
「こんな飄々とした男と人生を添い遂げるつもりはない」
本当にお互いに無理そうだな……。
「じゃあ、エンジュはどんな人が好みなの?」
「好みかぁ。物理的に守ってくれなくてもいいんだけど……」
また頬を染めて慌てるのかと思ったのに、意外にも真剣に考え込んでいた。
「僕が迷っている時も隣で空を見上げて、目に見えない法則を一緒に感じられる人かな」
抽象的なのに、けっこう具体的だな。
「目に見えない法則より、目前の目標が大切だ」
ロタラが槍を床に鳴らして即答する。
「もう……。だからロタラはそういうところが違うんだよ」
「だろうな。私も君と並んで空を見上げるなど、まどろっこしい」
ナナリエも静かに空を見上げるのはじれったくなって、観測器具を持ち出してきそうだ。
思わず笑いそうになって――ふと、私の友達、七海のことを思い出した。
ななちゃんは、一見つながりのなさそうな点と点を結びつけて、法則を見つけてしまうような子だった。
『不思議だね』
そう言って、私の隣でずっと静かに考えている。
ある日、何気ない顔でぽつりと答えを口にすることもあれば、答えが見つからなければ、いつまでもぽやーんと考え続けていた。
気づけば、みんな先へ行ってしまっていて。
『ななちゃん、また置いていかれてる!』
私はそんな彼女の腕を引っ張って、あちこち連れ回していた。
――だけど。
『消えるものなんてないんだよ』
中学生の頃の七海も、ナナリエと同じようなことを言っていたな。
でも、それだけじゃない気がする。
もっと、大事なこと。
私がこの世界へ来た理由に繋がるような、何か。
……いや。
似たところのある人なんて、世の中にはいくらでもいる。
私とボリジさんだって、口が災いのもとなところは似ていた。
だったら、ナナリエと七海の共通点だって、私が勝手に拾い集めているだけなのかもしれない。
二人は別人だ。
行動的なナナリエと、控えめな七海。
全然違う。
私とヨルカが別人であってほしいように、誰かを誰かの代わりみたいに思うのは違う。
だけど――。
この感覚は、なんだろう。
「どうした?」
ハルジオンの声に、我に返る。
「あ、いえ。少し友達のことを思い出していました」
「……君の恋人のことか」
「え!?いえ、別の友達です!」
「えー?なになに?」
エンジュが身を乗り出した。
「アンリの恋人って、どんな人?」
「え?そっち?」
焦る私を、きらきらした目でエンジュが覗き込んでくる。
……本当に聞いてるんだ。
「ええと……。確実なものを、地道に積み上げていくような人です」
「ハルジオンに似てるね」
「うーん?」
私は首を傾げた。
「ハルジオン殿下は、不確定なものも込みで盤面を整えて勝負に出ますよね」
「すごい……!」
エンジュが目を丸くする。
「短期間でよく見てるね」
「彼は、まず試す人なので」
「……ソラリスみたいな?」
エンジュは閃いた!みたいな表情で言うけど、共通の知り合いに当てはめないでほしいな……。
「そんな百発百中みたいに核心を突いてくるような人でもなくて」
話しているうちに、だんだんと彼——大地の輪郭を取り戻していく。
私は苦笑しながら続けた。
「何百回も失敗しながら、確実になるまで試す人……ですかね」
「……実にいいな。うちにほしい」
ロタラが真顔で言う。
「技術者の鏡のような人物だ。うちにもほしい」
ハルジオンまで頷いた。
大地や七海なら、この世界からもっと多くのものを見つけられたかもしれない。
「なんか」
エンジュがしみじみと腕を組む。
「破綻してるアンリの扱いを、実地で学んだ人って感じだね」
「エンジュ!それ、ひどくない!?」
でも、今この世界を見ているのは私だ。
明日の審理を受けるのも、私だ。
サファイア宮の夏の夜は、乾いた風と路地の雑踏に包まれながら更けていった。




