第12話 わからないことは、わからない——審理一日目
愉快な質疑応答練習の日々も瞬く間に過ぎ去った。
そして、審理当日の朝を迎える。
双神王国カレンダエの東側に来たのはこれが初めてだ。
この国は最北の翡翠宮から時計回りに十二色相環で地域が分けられている。
ただの領地というわけではない。それぞれの宮が異なる役割を担い、そこに暮らす人々も、その職能を中心にまとまっている。なぜそんな仕組みなのかは、まだわからない。
今来ているのは翡翠宮から時計の二時の位置、サファイア宮だ。
最高位裁判所が置かれ、法案を整える法制局や、契約と権利を認証する公証局が集まる、司法の地だ。
王都より少し空気が乾燥していて、日陰に入ると夏の暑さから切り離される。
「ああ〜。帰ってきちゃったよ」
ボリジさんが気弱そうな声を上げた。
「地元から逃げ出すように王都に行っちゃったからさあ」
「王都は逃げ出した者がとどまれる場所ではないがな」
……王都は、逃げた人が居場所を見つけられるほど甘くない場所なんだ。
ボリジさんは、ちゃんと認められてきたってことか。少なくともハルジオンには。
裁判所はサファイア宮を象徴する建物だけあって、清らかな白色と聡明な青色を基調とした佇まいだった。
威圧感は、不思議と感じない。
ただ、公明正大で偏りのない姿勢が、建物からも、そこを行き交う人々からも感じられた。
「じゃあね、アンリちゃん。事実と推測を分けて、分からないことは分からない、だよ!」
ボリジさんは私の肩を両手で掴んで、力強く告げると、証言者待機室に入っていった。その部屋に他の証人たちも来ているのだろうか。
不安になってハルジオンを見上げると、涼しい顔で頷いた。
「私も傍聴席に行く。審理途中の助言はできない。君は事実を話すだけでいい」
そうだ。余計なことを言って取り繕おうとしなければいい。
ありのままを言って受け入れてもらえないなら、それが現在のこの国の結果だ。
拳を握りしめて気合を入れたとき、ハルジオンの躊躇うような声が聞こえた。
「……本来、問われるべきなのはヨルカの機能だ。それを君が引き受けることになった」
ソラリスと同じ心配をしているのかな。
ヨルカの機能の責任を私が負う必要ないって。
「私にはソラリスのように、今の君とヨルカを同時に見ることはできない。だが、現時点でのヨルカが、君のように自由に言葉を操れる成長段階ではないことは見えている」
身体を通して時々伝わってくる。
ヨルカはまだ、言葉を覚えている途中なんだ。
「君は君にしかできない方法で、君の権利を勝ち取るんだ」
そう言って穏やかに笑った。
ハルジオンが、私に向けてそんな顔をするのは初めてだと思う。
ヨルカじゃなくて、ちゃんと私を見てくれているんだ。
「がんばります……ので」
「?」
私は少し調子に乗った。
「これに勝ったら、一度くらい私の名前を呼んでください」
また呆れられるか、怒られるかと思った。
だけど、ハルジオンは意外そうに首を傾げた。
「呼んだこと……なかったか?」
「ないです!気づいてないんですか?」
「……意識したこともなかったな」
「じゃあ」
ハルジオンは少し考え込むように目を伏せて、再び開いた琥珀色の目は光を正面から反射させた。
「審理の後に君の名前を呼ぼう」
「絶対ですよ!」
「約束は守る。だからもう行け」
ハルジオンに見送られて、私は一人で答弁席についた。
半円形の法廷は天井が無駄に高かった。
心細い気持ちが、実際より部屋を広く見せているのかもしれない。
正面の高い審理員席には、三人の青い法衣の審理員が座っていた。
私の答弁席は、そこから向かって左側にある。私の反対側に座っているのは、筋骨隆々の大男だった。珊瑚宮らしい赤みがかった橙色の髪に、武将のような佇まい。系譜管理局の局長さんだ。
その少し間隔を空けた隣に、鮮やかな紫色の髪で、技術者らしき細身の中年男性が座っている。紫、それはアメジスト宮の色だ。
今回の事件で原因究明や復旧作業で最も東奔西走したのはアメジストの人たちだ。心なしか、解析するような目で私を見ている気がする。
審理員席中央の高齢の女性が口を開いた。
「主任審理官シジマ・オタクサです。これより、琥珀宮の少女アンリの記録消失危険性審理を開始します」
ボリジさんの事前情報によると、主任審理官は全体を取り仕切るこの場で一番偉い人らしい。
「申立人、珊瑚宮ミクマリ・サフルール、申立事由を述べてください」
名前を呼ばれたサフルール局長はゆっくりと立ち上がった。ずしいっと音が聞こえる迫力だ。
……みんな立派な苗字を名乗っているのに、私だけアンリ。なんか締まらない。
「当局は審理対象者の拘束を求めて申し立てたのではありません。現行制度のもとで、彼女をどう扱うべきか判断を求めました」
局長さんは、最初に今回の事件の経緯から話し始めた。
「現象は確認されています。しかし、その原因が個体に起因するか、制度上の問題なのか、現時点では行政だけでは判断できません」
単独の行政機関だけで取り扱いを決められる状況にはないため、国の判断を仰ぐに至ったということらしい。
これはボリジさんとハルジオンが事前に教えてくれた通りだ。
私の有罪無罪を決めるのではなく、私がどう扱われるかを決める審理になる流れになりそう。
「以上で申立人の説明は終わりですか」
主任審理官の言葉に、局長が「はい」と答え切るより早く、紫色の髪の男性が腰を浮かせた。
その視線は、まっすぐ主任審理官へ向いている。
「ですが、現時点で安全性は立証されていません」
「記録網統括官。発言を許可した覚えはありませんよ」
「では発言を求めます」
「先に。琥珀本局として異論はありますか」
主任審理官は傍聴席に声を投げかけた。
どこに向けて?
私がきょろきょろしていると、サフルール局長が傍聴席に一礼していた。その先に年配の金髪の女性が座っている。系譜管理局の琥珀本局の責任者と思われる。
系譜の原本は琥珀宮で保管されている。
王都では、その情報を閲覧できるようになっているだけだ。
私が消したのは、その王都側の記録だった。
「本局は、本審理の判断に従う」
琥珀本局の責任者は短くそれだけ答えた。
「承知しました。では改めて」
主任審理官が紫の人に視線を戻した。
「アメジスト宮、記録網統括官ライラ・ペリラ。発言を許可します」
「アメジスト宮は、審理対象者の身体機能について検証を求めます」
傍聴席で感心するようなどよめきが起きた。
ハルジオンの予想通り、一番影響を受けているアメジスト宮が深く追求してきた。
傍聴席も紫色が目立つ。
次に多いのは好奇心に目を輝かせる深い青の人たち——たぶん、サファイア宮じゃなくて瑠璃宮だ。ナナリエの爛々とした目を彷彿とさせる表情が並び、互いに議論を交わしている様子だ。
……あれ。
議会で一番ヤジを飛ばしていた琥珀宮の人たちは、本局の責任者を除けばほとんどいなかった。
あんなに問題視していたのに。
「議会で問われていたのは君ではない」
来る前にハルジオンがそう言っていた。
瑠璃宮——その王女であるナナリエが、どのような権限で私を保護したのか。その手続きだ。
琥珀宮は伝統を重んじる。瑠璃宮は新しい知見を積極的に取り入れる。
——だから、議会でもぶつかってきたのか。
「結果によっては、審理対象者の隔離、もしくは通信を必要とする各施設への立ち入りの禁止を求めます」
ペリラ統括官は神妙な顔で告げた。
隔離……。
そこまでいかなくても、通信を必要とする施設への立ち入りが禁止されれば、王都のほとんどの行政機関やお店には入れなくなると聞いている。
どちらにしても、普通の生活は難しい。
この国の人たちの総意ではないだろうけど……。
「接続により記録を消すという身体機能は、社会に混乱を招きます」
——そりゃあそうだ。
私ひとりが出歩いて記録を消してしまうなら、大損害だ。
災害みたいなものだ。
でも、どうしてこんな機能があるんだろう?
この身体の持ち主ヨルカは、何のために記録を吸収するような身体で生まれてきたんだろう。
私の意識が、この身体に入るまで、この少女は何を思って生きてきたんだろう。
「今回の事例は王都のみで起こり、琥珀本局への被害の広がりは認められていません。ですが、その結果だけをもって、今後も被害が広がらないという証明にはなりません」
ペリラ統括官は薄紫色の制服の襟を正して着席した。
「本件に関する、専門意見人からの危険性評価は以上です」
その言葉に、主任審理官は頷き、ゆっくりと視線を巡らせた。
私と、視線が交わる。
「これより、審理対象者アンリへの質問を行います」
主任審理官の声だけが静かな法廷に響いた。
「最初に、宣誓を。あなたは記録に偽りを刻まないことを誓いますか」
私は気付いたら立ち上がっていた。
「はい。誓います」
「申立人が話していた内容は事実ですか?」
私は、「はい」と言いそうになって、唾を飲み込んだ。
「ええと……」
「わからないことはわからないと言うように」
「あ、ありがとうございます」
私は一度深呼吸をした。
「私の個体認証の際に、情報を参照できなくなったことは事実です」
主任審理官は手元の端末に視線を落とした。
「当時、あなたは何をしようとしていましたか」
「個体認証のために系譜管理局を訪れていました。端末——晶盤に手をかざし、接続をしようと意識を向けていました。記録を消したり、読み取ったりするつもりはありませんでした」
「晶盤には触れましたか」
「いいえ。仮の環を着けて、手をかざしていただけです」
「異常が起きたあと、自分の意思で止めることはできましたか」
「できませんでした。手を引こうとしましたが、動かなかったんです」
「その結果、情報を参照できなくなったということですね」
「晶盤から情報を参照できなくなったのは事実です。ですが、その情報が消えたのか、どこか別の場所へ移動したのかはわかりません」
「別の場所とは」
「私は、知るはずのない記録を今、読み上げることができます」
法廷がわずかにざわめいた。
「あなた自身は、記録があなたの中に移動したと認識しているのですね」
「そのように認識しています。しかし仕組みはわかりません。私が経験したのはその一度だけです」
「今後、二度と同じ事象が起きないと言うことですか」
「条件が判明していないため、断定できません。ただ、現在は重要な記録への接触を避けています。お店で決済はできますし、私が乗った列車が動かなくなった事実もありません」
角度を変えて何度か似たような質問をされたのち、私への質問は終わったらしい。
「審理対象者自身が認識している経緯については確認しました」
ようやく腰を下ろすと、張り詰めていた肩の力が少しだけ抜けた。
「次に、当日外部状況について証言を求めます」
証言者待機室の扉が開いた。
「証言者、サファイア宮、シジマ・ボリジ」
ボリジさんも宣誓を行ったあと、事件当日の経緯を話し始めた。
「私は当時、当支局の職員として現場に立ち会っていました」
四ヶ月前のことだけど、ずいぶん昔に感じる。この国に来て、ようやく言葉を覚え始めた頃だ。
「最初に確認したのは、審理対象者の個体情報が参照できなくなったことです。その直後、他の窓口からも同様の報告が相次ぎました」
あの時は何が起きているのかも、周囲の騒然とした反応の意味もわからなかった。
ただナナリエの背後に隠されて、様子を伺っていた。
「局長は、個体要因の特定を保留し、『現象として処理する』と判断しました。局長判断により本局への照会、媒体制御局への復旧要請を実施しました。本局の原本に異常は認められませんでした」
ナナリエの指示に職員は誰も動かず、局長が判断したことでみんなが動き出した。
当時の私には、国内の力関係も、王族と行政の距離も理解できなかった。
今なら、局長が責任を引き受けたからこそ、あの場が動いたのだとわかる。
「以上が、私自身が確認した事実です。原因については、現時点でも説明できません」
ボリジさんは一礼すると、静かに証言台を降りた。
「本日の審理はここまでとします。次回審理では、提出資料および証言をもとに危険性評価を行います」
主任審理官が告げると、張り詰めていた空気がわずかに緩んだ。
今日確認されたのは、起きた出来事だけ。
私がどう扱われるのかは、まだ何一つ決まっていなかった。
傍聴席のハルジオンと目が合うと、彼は小さく頷いた。
法廷の高窓から見える空は夕刻——翡翠の刻に近づいていた。




