第11話 それは事実ですか?
「あなたがこれまでに消した情報を教えてください」
「はい!系譜管理局の系譜の記録だけです」
私が元気よく答えると、ボリジさんは頭をボリボリ掻いた。
「あー。違う違う。瑠璃月の二十日、トパーズの刻に、王都政庁中央行政院系譜管理局個体認証課にて手続き中の、来庁者全員の系譜の記録、だよ」
「え、え?」
「答える情報は範囲を絞るのが肝なのさ。アンリちゃん」
片目を閉じながら得意げに言うボリジさん。
ずいぶんお茶目に指導してくるけど、この人は本当に司法試験を首席で突破したのか?
「なるほど……。細かい……っすね」
「あとさ、消失じゃなくて吸収なんでしょ?まあ……僕、生物学みたいなの?わかんないけど」
「ハルジオン殿下が、消失も吸収も影響を受けた相手からすれば同じって言っていたので」
「あー、なるほど。でもそれ、王女殿下の資料と食い違ってるね」
「だめですか」
「そこは絶対つっこまれる」
「ああー。難しいですね」
気づいたことや感じたことを、自分の言葉でありのまま伝えられないって、もどかしい。
なんていうか、缶ポックリに足を乗せて、階段を登らされてる気分。
「難しいよねー。でも大丈夫!言い方を覚えて、それ以外は断言しなければ!」
難しいけど、伴走してくれる人が親身だということだけが救いだ。
審理まであと二週間もないけど、一夜漬けは得意だぞ!
「“吸収した”は事実?」
「うーん?記録が消えたあと、私の中に情報が残っていたので……」
「それは現象の説明ではなく、アンリちゃんの解釈だね」
「あ、そうか。記録媒体に触れたあと、媒体から情報が参照できなくなりました。その後、私はその内容を説明できました。仕組みはわかりません」
「いいね!慣れてきた感じ!ちょっと休憩しよっか〜」
「わーい」
ボリジさんが椅子にもたれかかって手足を伸ばした。
私もつられて両手を広げて伸びをする。
「……その休憩は何度目だ?」
「ひい!!」
暗い声が地鳴りのように響いて、私たちは背筋を凍らせた。
「殿下、お戻りでしたか」
私たちは毎日午前中に、ハルジオンの執務室を借りて質疑応答の練習をしている。
ボリジさんは個体認証課の業務は午後からに調整してくれているらしい。
フレックスってやつだな。
「局長にもちゃんと始末をつけて来いって言われてさあ」
系譜管理局の局長さんはボリジさんのボスで、事件当時、私とナナリエを庇ってくれた人だ。
そして今回その人が私の審理を申し立てたのだと、ボリジさんが愚痴っぽく教えてくれた。
「お前たち……口は軽いのに腰は重いな」
ハルジオンは呆れ返って怒る気にもならないらしい。
私たちが練習する傍で、ハルジオンは黙々と机や棚の整理をしていた。
引き出しから出したものを箱に詰めて、どこかへ運んでいる。
暇だから不用品の整理でもしてるのかな。
「休憩は大事!ハルジオン……殿下もこっちでお喋りしましょうよ」
ボリジさんは時々、ハルジオンに敬称をつけ忘れそうになる。
「生産性の低いことはしない」
「つれないな〜。昔の殿下は腰が低かったのに」
「また無駄話か」
ハルジオンはくだらないものを見るように鼻で笑った。
「十代の頃は先輩の言うことを素直に聞くやつ……お方だったんだよ」
へえ。
ハルジオン、以前はもっと素直だったんだ。
「お店の予約とかも率先してやってくれてさあ」
「自分で手配するのが効率的だっただけだ。お前の言うことに従ったわけではない」
幹事か。向いてそう。
ボリジさんの話ぶりと、その話を意に介さないハルジオンの様子を見ていると、話していることは事実なんだろうなあという気がしてくる。
「成人後に再会したら今みたいな威圧的な上司になっててさ〜」
「立場が変われば、相応の振る舞いが必要になるものだ。お前も少しは王宮職員らしくしろ」
大人になったら、素直なだけじゃ対処できないことが増えたのかな。
「ああ……苦労されたんですね、殿下」
私は目の前の無表情を見ながら、完成前のハルジオンについて想像を巡らせていた。
「勝手に過去を想像するな」
口調は厳しいのに、目は少しだけ笑っているように見えた。
そう言ったハルジオンの手元から、手のひらサイズの包みが飛んできた。
「った!」
「ってぇ!」
それぞれに向けて飛んできた包みを、私とボリジさんは頭でキャッチした。
「……反射神経も同程度なんだな」
頭をさすりながら包みを開くと、ナッツのようなものが練り込まれた硬くて四角いお菓子だった。キャラメルとソフトキャンディーの中間みたいな、歯に張りつきそうなやつ。
「外面はいいのに、部下の扱いに優しさがないんだよなあ」
ボリジさんはお菓子に噛みつきながら不満を漏らした。
「おやつくれるなら、十分優しいですよ?」
「アンリちゃんは素直な良い子だねえ〜」
「……ずいぶん軽いな」
「へ?」
ハルジオンの呟きに、ボリジさんは首を傾げた。
「まるで子ども相手に接しているようだ」
「十四歳はまだ子どもじゃないですか」
「……十四歳か。忘れていた」
「殿下は可愛い子にも厳しいんだね〜」
ボリジさんは私の顔を覗き込んで無邪気に笑った。
……ハルジオン、私のことは二十七歳と認識してくれてるのかな?
ナナリエもエンジュも、私の年齢を伝えたときは「あなたの星の公転周期が違うんじゃない?」なんて言って、なんとなく私の方が年上だとは認めたくない様子だった。
——十五歳から職能の専門訓練を受けたり、大学のような高等教育に進んだり、私の思う年齢の感覚とは、たしかに少し違うところはあるけど。
そんなことをぼんやり考えていると、ボリジさんは椅子の背もたれに頬杖をついて、ハルジオンを振り返っていた。
「殿下は王女殿下一筋で、女性との接し方を知らないんですよ」
えっ。ボリジさん、口が災いの元にもほどがあるでしょ。
それとも怖いもの知らずなのか。
「婚約解消されたの、ご存知ないんですか……」
私はできる限り小声で言った。でもこの狭い部屋の中では無駄だった。
「ええ?でも今朝発表の当主様たちの声明によると、王位継承者は継続されるって言ってたよ。婚約も継続じゃないの?まあ、僕みたいな一般人には事情はわからないけど」
「すべて解消だ」
ハルジオンは興味なさそうに答えた。
「なんでだ……ですか?好き同士なら別れなくたっていいのに」
「……好き同士ではない」
ぼそっと言った声なのに妙にはっきりしていた。
「彼女には他に想っている相手がいる」
その声は淡々としていて、机の引き出しの中を整理する手も止めなかった。
「ええ!?」
私とボリジさんは揃って声を上げた。
「いやいや、いませんって!」
「そうですよ。私、そんな話は聞いたことないです」
ハルジオンは表情を変えないまま、私をじっと見つめた。
「……なんだ。まだ会ったことがないのか?」
「え?」
本当に、誰か具体的な心当たりがあるってこと……?
「まあいい」
ハルジオンは意地悪そうに口角を上げた。
「このことを話したのはお前たち二人が初めてだ。王女の機密事項が漏れた時点で……この部屋にいた誰かの信用は終わる」
「……え」
「だからその重い腰を上げて、さっさと軽い口を矯正するんだな」
……私たち、揶揄われたってこと?
でも……そんな嘘、ハルジオンはつかない気がする。
「……がんばろっか、アンリちゃん」
「ですね……」
ハルジオンの発言により強制終了したおやつタイムの後は、もう一踏ん張りした。
ボリジさんは、“私自身が体験した事実と、他人から聞いた話と、私の推測と、まだ分からないことを分けて考えるように”というのを繰り返し教えてくれた。
「まあ……僕もそれができていれば、今頃、弁護士として活躍してたんだけどねえ」
そう言ってボリジさんは照れ笑いしていた。
「聞かれたことにだけ答えるんだ。君は沈黙を恐れて言葉を足す傾向がある」
時折、ハルジオンも様子を見て要点を教えてくれた。
口を挟みながらも、相変わらず執務室の片付けをする手は止まらなかった。
「当日はアンリちゃん自身に答えてもらうからね」
「えっ。ボリジさんが弁護をしてくれるんじゃないんですか……?」
「僕は事件当日の担当者だから、君の代理人にはなれないんだよ」
「そんな……」
「そもそも裁判ではない」
ハルジオンが、呆れたように口を挟んだ。
「君を裁くのではなく、確認された事実から、君の機能と今後の扱いを判断する審理だ」
「それ、安心していい説明ですか」
「安心できるように、今練習してるんだよ」
ボリジさんが片目を閉じた。
それからも気分は重くなったり、少し軽くなったりしながら、練習は続いていった。
「じゃあ、今日はこれで。また明日の朝、参ります」
「ご苦労だった」
「ありがとうございました」
正午——琥珀の刻を迎える頃に、ボリジさんは退室した。
その背中を見送ってドアを閉めたとき、ハルジオンは椅子に深く腰掛けて手元を眺めていた。
そこには手のひらほどの白い器具が握られていた。
よく見ると側面に小さな丸いレンズが埋め込まれている。
「それ何ですか?」
大切そうに見つめていたから気になって声をかけた。
「……携帯用の顕微鏡だ」
何だろう。仕事で使うものではなさそうだけど。
「昔使っていた私物だ」
ハルジオンは顕微鏡を指先でゆっくり撫でた。
私は半分ほど空になった棚を見回した。
「私物、片付けてるんですか?」
「議会を離れるのだから、当然この部屋の私物も引き上げねばならない」
「執務室も退去しなきゃいけないんですね……」
「そうだな」
ハルジオンは部屋の中を見渡した。
「無事に君の審理を終えたら、王都を出て琥珀宮へ帰る」
そう言ったハルジオンの表情に迷いはなかった。
次にやるべきことだけを見据えているようだった。
ただ、小さな顕微鏡だけは、手放すのを惜しむようにその手で包み込んでいた。




