第10話 口が災いのもとな二人組
琥珀寮は蜂蜜色のレンガ造りの古風な建物だ。
王都で働く若者は、それぞれ出身の宮が管理する寮で暮らしている。ここには琥珀宮出身の職員たちが住んでいた。
この寮生活にも少し慣れてきた。食堂のおばさんや管理人さんとは普通に話せる。
でも、同じ寮生とはまだ話したことがない。
食堂で目が合えば、みんな礼儀正しく微笑んで会釈してくれる。
だけど、それ以上近づいてくる人はいない。
さすが礼節と伝統を重んじる西の人。
丁寧だけど、異質な私のことはさりげなく警戒している。
……でも、本当に全員が同じ価値観のはずもない。
これは文化というより傾向だ。突破口さえ見つければ、きっと仲良くなれる。
興味はある。
いや、それ以上に、毎朝こうして視線を感じながら朝食を食べるのは息が詰まる。
一人は平気。だけど、遠巻きに見られるのは落ち着かない。
誰に話しかけよう。
優しそうな人?
明るい人?
いや、親切な人より、態度をはっきり出してくれる人の方がいい。
迷惑に思っているのに顔に出さずに耐えてしまう人たちには、思いっきり飛び込めない。
あれこれ思案していると、目の前で明るくてよく通る声がした。
「すみませーん。これ、薬味忘れられてるんですけどー」
三人の女の子が厨房を覗き込んでいた。
華やかなウェーブヘアの女の子が奥に向かって声をかけていたみたい。
……この子たちは何度か挨拶したことがある。
厨房から料理人の女性が出てきて、魚料理の上に薬味を乗せてあげていた。
「ありがとうございまーす。やっぱハーブないとねー」
「それなー」
愛想よくお礼を言うと、三人は笑いながら窓際のテーブルに歩いていった。
……いいな。
優雅で礼儀正しい琥珀宮の中では少し浮いて見える、賑やかな女の子たち。
ずいぶん賑やかだけど、この寮にいるってことは王宮職員だし。
……たぶんいける。
「ここ、空いてますか」
善は急げと、私は彼女たちの隣の席に立った。
ウェーブヘアの華やかな子が目をぱちっと開く。
「え?ここ?……ですか」
他のふたりが彼女に視線を送った。
急に話しかけたから驚かせちゃったか。
「もちろんです。どうぞどうぞ」
華やか女子が笑顔になると、サイドポニーのクール系女子がすっと立ち上がって椅子を引いてくれた。
「ありがとうございます」
「いつもひとりで食事じゃ味気ないですもんね」
クール系女子は切れ長の目で笑いかけてくれた。
「そうなんです。ごはんは誰かと食べたいじゃないですか」
「えー。でも、なんでうちらのとこ来たの?軽そうに見えた?」
前髪パッツン女子が大きな目で私をじっと見た。
「ちょっと……」
華やか女子とクール系女子が少し焦ったように前髪パッツン女子を見た。
あ。やっぱり、ちょっと警戒されてるのかな。
「うーん……?もし迷惑だったら、さりげなく立ち去ってくれそうだったので」
仕方がないので、そのまま言った。
三人は互いに目配せをしていた。
「あー、うん。それ言っちゃうと、うちらの逃げ道を塞ぐ感じだね」
前髪パッツン女子が呆れたように苦笑いをした。
「あ、たしかに。そうでした」
「正直すぎ」
華やか女子が私の肩をぽんぽんと叩いた。
「まあいっか。食べましょう」
なんとか輪に入れたので、彼女たちが普段どんな仕事をしているのか話題を振ってみた。
三人は出身地は同じ琥珀宮だけど、現在配属されている職場はバラバラらしい。
教育委員会みたいなところと、文化振興課みたいなところと、それから系譜管理局で働いているという。
仕事はバラバラでもこうして日々の生活を同郷の友人と過ごせるのはいいな。
「うちは課が違うからよく知らないけど、個体認証課はしばらく大変だったみたいよ」
系譜の記録が消えた事件のことを、前髪パッツン女子は話題に挙げた。
でも直接問いただすというよりは、事実だけを置いて、意見は言わない。
クール系女子はフルーツの皮を剥く手を止めた。
「王子殿下が保護なさっている子でしょ。失礼があったらうちら懲戒処分じゃない?」
王子殿下が保護。
そうか。例の噂や見た目の異質さだけじゃなくて、境遇が異質なのも、この距離感を作っているのか。
「その点はご心配なく。私がいつも殿下に怒られているので。たぶん理解してくださいます」
「いつも怒られているんですか?」
「こんなに幼いのに……思ったより厳しい人なんですね」
華やか女子とクール系女子が憐れむような目で私を見てきた。
中身は二十七歳だけど見た目は十四歳なのが、余計に気の毒に見えるのだろう。
「保護というより、管理監督なんでしょ」
前髪パッツン女子がはっきりした口調で言うと、ふたりは曖昧に苦笑いした。
あの議会での厳しい発言が、人々にはそう受け取られているらしい。
私を責めるためではなく、「記録を消す魔女」に毅然と対応していることを示す必要があったのだろう。
「怒られてますけど、たくさん助けてもらっています」
私が笑うと、三人も少し安心したように表情を緩めた。
その後も食事をしながら楽しく会話を続けられた気がするけれど、距離を縮められたのかはわからない。
席を立つ少し前に、「うちらご飯食べながら仕事の愚痴もけっこう言うしさ。偉い人と仲良い子と毎日一緒だと自分たちの首絞めちゃうかも」というようなことを、やんわりと言われた。
「——ということがあったんですよ」
私は朝食の出来事をそのままハルジオンに言った。
「今のような報告が入ることを、彼女たちは恐れていた。そうは思わないのか」
ハルジオンは私を一瞥しただけで、視線をすぐに下へ戻した。
「なるほど!でも私の論点は彼女たちのことではなくて、私自身がどう見られているかを殿下にお話ししたかっただけなんです」
「君の意図とは関係なく情報は伝わるのだ」
私の言葉を聞いているのかいないのか、ハルジオンは視線を上げないまま続けた。
この人は、ちょっとした雑談からでも教育の機会を逃さないんだな。
「はい……」
どこか低いところから、か細い声が聞こえた気がした。
私、返事してないけど。
空耳かな。
「言葉が相手にどう伝わるのか、客観的に考える習慣をつけろ。自分が何を伝えたかったかだけでは不十分だ」
「でも私は、彼女たちの名前も言っていませんし——」
「不用意に得た情報を、話しやすい相手だからという理由でそのまま流すな。」
私の言葉は最後まで聞いてもらえなかった。
……私はちょっと聞いてほしかっただけなのに。
ハルジオンは腕組みをしながら、姿勢を崩さずに足元を睨み続けている。
「相手との信頼を損なうだけでなく、関係のない者まで巻き込むことになる」
「はい……申し訳ございません……」
今度は、はっきり聞こえた。
しかも私の声ではない。
私は辺りを見回した。
向かいにはハルジオン。横には誰もいない。長椅子の後ろにも、扉のそばにも人影はない。
誰……?
「君は、この状況が見えないのか」
ハルジオンがようやく身体ごと私に向き直った。
「この状況?」
その視線を追って、私はローテーブルの向こう側を覗き込んだ。
テーブルの陰に、誰かがいた。
床に正座し、背中を丸めて、小さくうずくまっている。
さっきからハルジオンが見ていたのは、床ではなかったらしい。
「申し訳ございませんでした……」
その人は涙ながらに顔を上げた。
聡明そうな青い目。紺色の癖っ毛。知的に見える顔立ち。
だけど、話し始めるとなかなか本題にたどり着かず、仕事の効率もあまり高くない。
私はこの人を知っている。
「あ、おじ……お兄さん」
「魔女のお嬢ちゃん……」
系譜管理局で出会った、よく喋るお兄さんだった。
「シジマ・ボリジだ」
ハルジオンが重々しく告げた。
「事件当日の担当者であり、君の個体認証を行った職員でもある。審理では証言者となる」
「証言者……?」
「その前に、情報を軽率に口外した責任を取らせる。審理に向けた答弁指導を、この男に担当させる」
「全力で償いますう……」
「償い……?」
「情報を吸う能力の噂を広めたのはこいつだ」
ハルジオンの眉間の皺が、さらに深くなった。
あ。
私はあの日、ボリジさんに話してしまった。
せっかくハルジオンたちが沈静化してくれた事件を、「私、情報を吸い取るみたいで」って。
それを、さらに誰かへ……。
「僕がポロッと言っちゃったんですう」
ボリジさんは目元をぐしゃぐしゃにして泣いていた。
「不用意な発言の責任を取るのは自分自身だけでは済まないんだぞ」
さっきの言葉は、私に言っていたんじゃなかったのか。
いや、でも。
朝食で聞いた話を、そのままハルジオンに伝えた私。
私との雑談を、誰かに喋ってしまったボリジさん。
構造は同じだ。
私が黙り込むと、ハルジオンは私とボリジさんを順番に見た。
「……なぜ、二人揃って同じ顔をしている」
「反省しています」
「猛省しております……」
私たちの声が重なった。
ハルジオンは目を閉じ、眉間を押さえた。
その仕草を見て、私はようやく気づいた。
この人はたぶん、朝からずっと頭痛を抱えている。
原因の半分は、たぶん私だ。
「この男は司法試験をその年の最高得点で突破した。記憶力と情報整理能力は群を抜いている。だが、弁論になると相手の流れに飲まれる」
……。
………………私だ!
記憶力は自信がある。
それに、人と話していると、いつの間にか相手の流れに乗ってしまう。
相手の話を拾いすぎるのが原因だと、自己分析してはいる。
いるのだが……。
「こんな似たもの同士の私たちが組んで大丈夫なんでしょうか?」
私たちはハルジオンを見上げた。
たぶん、ふたりともすがるような目をしていたんだと思う。
ハルジオンはこめかみをぴくっと震わせて言い捨てた。
「お前たち二人で起こした事態だ。自分たちの後始末は自分たちでしろ」
いつものハルジオンだあ。
……だけど、知ってるよ。
「いやいや、でもさ!ハルジオン殿下が主導してるんだから勝算はあるって」
ボリジさんは涙を拭いて力強い目で言った。
「そうですよね。私たちにはハルジオン殿下がついてますもんね!」
私も力強く頷いた。
「お前たちは……!」
ハルジオンは額を抑えて長椅子に座り込んだ。
「僕、ボリジ!二十七歳!高等教育時代は、ハルジオン殿下の先輩だったのさ」
「アンリです!同い年ですね!」
ついにこの世界で同い年の人を見つけた!
「え?」
ボリジさんが目を丸くする。
ハルジオンは黙ってこちらを睨みつけていた。
しまった。つられた。
「あ!いや、十四歳でした!」
「……また聞いちゃいけない話かと焦ったよ」
「……はは。心配しないでください」
自分で言いつつも心配しかない。
「それで、アンリちゃんの出頭命令はもう出てるんですか?」
ボリジさんが一応真面目な表情で言った。
……出頭命令!?
やっぱり犯罪者じゃないの!
「……アンリ……ちゃん?」
ハルジオンが小声で何か呟いた。
「なにか言いました?」
「いや。……もうすぐ届くだろう。そして出頭命令ではない」
「あ、はい。そうでした」
「違うんですか?」
私が震えながら尋ねたとき、部屋に白髪の紳士が入ってきた。
「ぼっちゃま、サファイア宮最高位裁判所より筒が届いています」
「来たか」
筒だ。
青い結晶でできた筒のようなものがお盆の上に乗っていた。
ハルジオンが筒を手に取り、私の目の前に差し出した。
「君への通知だ」
思わず受け取ると、背筋が伸びるように冷たく、見た目以上の重さがあった。
「これ……」
戸惑う私の横で、ボリジさんがひょいっと覗き込んだ。
「手を触れて、受領しますって言うんだよ」
深い青色の筒に、手を触れ、言われた通りに静かに告げた。
筒が淡く光を帯び、読み上げられる前から、言葉の輪郭が部屋一帯に広がっていくのを感じた。
「審理開始通知。サファイア宮最高位裁判所は、中央行政院系譜管理局の申立てに基づき、審理対象者アンリに関する記録消失事案の危険性審理を開始する。対象者は指定日時にサファイア宮最高位裁判所に出席すること」
……当たり前のことを言うようで申し訳ないけど。
本当に私は、裁判所に行くんだ……。
「じゃあ今日から質疑応答練習、がんばるぞー!」
ボリジさんは拳を突き上げて叫んだ。
「お、おー!」
私もつられて腕を上げた。




