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一足先に、あなたの名前





ふわり、ふわり


毛が風にゆれる。

涼しい風に毛がゆれる。


俺は心地よい風に自分の毛が揺れるのを感じながら、ゆっくりと目を開けた。

眩しい光が視界を占領し、俺は自然と眉を潜めた。

そして、その瞬間自分が今猫なのか人間なのかわからず混乱したが、その混乱もすぐに治まった。


「っお。目ぇ覚めたかよ、このバカ」


「……やすたけ?」


バカ。

そう言って俺の顔を覗き込んできたのはアカだった。

アカが俺の事を“バカ”なんて呼ぶのは、俺が人間の時だけだ。

だから俺は今は人間。


「お前さ。このクソあちぃ中、どこをウロウロしてたか知んねぇけど、水分補給しねぇとマジで死ぬぞ。今年の夏はヤベェあちぃからな」


そう言ってアカは俺に向かって水の入った透明の容器を突き出してきた。

水を前に、俺は自分が酷く喉が渇いているのを感じると、体を起こし急いでしろから水を受け取った。

ゴクゴクという俺の喉の音が、俺とアカしかいない部屋に響く。


「熱中症でぶっ倒れるヤツなんて初めて見たわ」


「っぷはぁ!」


どこか呆れた様子で俺の事を見てくるアカに、俺は勢いよく水を飲み干すと、空になった入れモノをアカの方へと突き出した。

まだまだ、俺の喉は乾いている。

まだまだ、水が欲しい!


「もう一杯!」


「お前、調子乗んな!ぶっ倒れたお前を俺ん家まで運んでやっただけでも有難いと思え!図々しい!ボケ!カス!バカ!」


そう、不機嫌そうな顔で怒鳴ってくるアカに俺はハタと今自分の入る場所を見渡した。

“俺の家”

先程アカが言ったように、確かにここはアカの家であるようだった。

この部屋からはアカの匂いが沢山する。

そう言えば、最初にボスに怪我を負わされてアカに助けてもらった時も俺はここに居たような気がする。

俺は自分が寝ていた場所が以前猫の時に寝かされていたのと同じアカの寝床だと気付くと、何やら胸の中がムズムズするような感覚になった。

そんな俺を、アカはふんと鼻を鳴らしながら見ている。


あぁ、俺はまたしてもアカに助けられたようだ。

助けてもらったり、何かをしてもらったのならば俺は言わなければならない。

きちんと、目を見て、頭を下げて言わなければならない。


「やすたけ、どうもありがとう」


俺はやすたけに向かって、人間がするようにしっかりと頭を下げて言った。

アカは乱暴だし、人間の時はよく俺に怒鳴ってくるけれど、結局は優しいのだ。

ますたーのご飯も何度も分けてくれた。

なんだかんだ、助けてくれる。


「っは!マジで感謝しやがれ、このバカニートが」


「うん、ありがとう。やすたけ」


俺はもう一度「ありがとう」を言って顔を上げると、そこにはまた水の入った入れモノが突き出されていた。

「ん」と短い言葉で差し出される水を、俺はそっと受け取った。


「ふふ」


そう、アカはなんだかんだ優しい子だ。

猫の時も、喧嘩っぱやかったが決して子供や弱い者をいじめたりはしなかった。


俺がアカから受け取った水を、またゴクゴクと飲んでいると、アカは俺に背を向けて何やら一冊のノートをパラパラとめくりだした。

何を見ているのだろう。

そう、最初は水を呑むのに必死でそのノートの正体に気付かなかったが、ぱらりと一瞬見えたノートの中身に俺は「あー!」と声を上げてしまった。


「んだよ、うっせーな!」


「ソレ!俺の!俺のノート!勝手に見ないで!」


「そう言われると見たくなるのが俺なんだよなぁ!」


そう言いながらニヤニヤしてノートを見て来るアカに、俺は自分の顔がかーっと熱くなるのを感じた。

それは字の練習や、気になった言葉、それにその日の出来事などを書いている俺だけのノートだ。

それが、まさかアカ(息子)に見られるなんて。

俺はその事むしょうに恥ずかしくて仕方が無かった。


「えーと、なになに?『きょうのごはんはますたーのハンバーグだった。やすたけがはんぶんとった。わるいやつだ』って……ぶはっ!おまっ!悪い奴って……おまっ!小学生かっ!?」


「もう!返せ!それは俺のなの!勝手に見るな!バカやすたけ!」


俺はアカの寝床から飛び起きると、勢いよくアカに飛びかかった。

何故、自分がこんなに恥ずかしいと思っているのか、自分でもよくわからなかった。

しかし、自分の考えている事を他の人間に知られてしまうというのは、なんだかとんでもなく恥ずかしくて仕方のない事なのだという事だけは確かだった。

俺はアカを下敷きにして、その手からノートを奪い取ると、それはあっさりと俺の元へと返ってきた。


俺はノートを抱えたままアカから素早く離れると「バカやすたけめ!」と叫んでやった。

アカはなんて悪いやつなのだろう。

こういうのは勝手に見てはいけないと、俺は思う。


「あー、マジお前ウケるわ。なんかもう、着眼点が違うっつーかなんつーか。ともかくお前はマジでバカ!」


「俺はバカじゃない!バカはやすたけだ!もう知らん!」


そう言って俺がアカに背を向けると、俺は腕の中に戻ってきたノートに胸のドキドキがうるさく響くのを感じた。

最近、この胸のとくんとくんは俺の言う事をきかず勝手にうるさく鳴り響くようになった。

そういう時、俺はとても苦しい気持ちだったり、恥ずかしい気持ちだったりと、猫の時には感じない気持ちの事が多いのだ。

猫の時は走った後くらいしかとくんとくんはうるさくならない。


これは一体どういう事だろう。


そう、俺が胸のとくんとくんを不思議に思っていると、突然俺の肩が強い力で引っ張られた。


「うわっ!」


「おい!バカニート!」


俺を引っ張って来たヤツの正体はもちろんアカだった。

だって、ここにはアカと俺しか居ない。


「なんだよ!もう!」


「おい、そのノート貸せ!」


「いやだよ!やすたけはまた俺のノートを見て笑うんだ!」


俺はまたしても俺からノートを取り上げようとしてくるアカに、胸のドクンドクンが早くなるのを感じた。

誰が見せるか、これは俺の秘密のノートだ。


「何も書いてないページだけでいい、もう他は見ねぇから貸してみろって」


「うそだ!またやすたけは勝手に見るんだ!」


「見ねぇっつってんだろ!このボケが!ほら!貸せって!」


安武は叫ぶや否や、俺の腕から無理やりノートを奪うとそのまま俺から距離をとって、床でゴソゴソし始めた。

そんなアカに俺はガーッとイライラが募るのを感じると、そのまま安武を引っ掻いてやろうと安武に駆け寄った。


いくら助けてもらったて、もう許さないぞ!


しかし、その俺のイライラはすぐにパンと消えてなくなってしまった。


「ほら!」


そう言ってあるページを開いたまま差し出されたのは、先程アカが俺から奪った俺のノートだった。

俺はこんなにすぐに返されるとは思っておらず、ただぱちぱちと目を瞬かせる事しかできなかった。

そんな俺に、アカは楽しそうな声で俺に向かって話しかけてきた。


「これ、俺の名前の漢字な。覚えろよ」


「かんじ?」


「そう、漢字。俺の名前“安武”っつーのはこう書くんだよ。んで、漢字にはそれぞれ意味がある」


「意味?」


俺が初めてみる形の文字に、そろそろとアカの隣に腰を下ろすとアカは俺のノートに書いた「安」「武」の文字をえんぴつで差しながら教えてくれた。


「“安”はやすらかである事。落ちつけること。で、“武”は勇ましく前進する事。その二つを合せて“安武”俺の名前だ。勇ましく前進し続ける人間でありながらも、やすらぎのある人生を歩んで欲しいっつー事で“安武”だってよ。真逆の意味の漢字を無理やりくっつけた、落ち着きのねぇ名前ってわけだ」


とん、とん、とん。

そう、えんぴつで“安武”の文字を叩きながら、安武がどこか嬉しそうな顔をしていた。

その顔を見て俺はアカが、いや、安武が自分の名をとても気に入っているのだと理解した。

きっと、俺のつけた“アカ”なんて名前よりも、ずっと。ずっと。


俺は少しだけ胸がしゅんとするのを感じながら、安武の字を見た。

良い、名前だと思った。


「っつーわけで、バカニート。お前、俺の名前くらい漢字で覚えとけ!」


「……俺、まだかんじ、書いた事ない」


俺が少しだけ落ち込みながらそう言うと、安武は酷く嬉しそうに笑うとバンバン俺の肩を叩いてきた。

何がそんなに楽しいのか、俺にはさっぱりわからない。


「っは!ならお前が最初に書く漢字は俺の名前っつーことだな!何百回も、何千回も書いてしっかり覚えろ!覚えたら……そうだな、テメェにマスターのハンバーグを奢ってやろう!」


「ええっ!ハンバーグを!?いいの!?」


「ただし、お前が俺の名前の漢字を完璧に書けるようになったら、だ」


「覚える覚える!書く書く!」


俺はげんきんにもハンバーグの一言によって、先程までのしょんぼりを綺麗に忘れてしまった。

その時の俺はただ、ただ安武の名前の漢字を見て、意味を感じて、そしてハンバーグを想うのに精いっぱいだった。


ますたーのハンバーグはとてもおいしいから大好きだ。

とても、大好きだ。


「ふふ、ふふ」


俺はノートに書かれた安武を見て、そしてふと、しろの名前にも漢字はあるのだろうかと思った。

そして、もしあるのであれば是非書いてみたいと思った。


しろ、ではなくあの毛の白い人間の本当の名前を、俺は知りたいと初めて心から思ったのだ。

今度、しろに会ったら聞いてみよう。

そして、しろの名前の漢字もたくさん書いて、覚えたい。



『おいで、キジトラ』



そう思った時、俺の頭の中に俺の名を呼ぶしろの姿が浮かんできた。

その瞬間、それまで普通だった俺の胸のとくんとくんが、少しだけうるさくなったのを感じた。

あぁ、最近この胸はさわがしい。

けれど、それは決して嫌ではない。





(あぁ、だいすきだ)



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