第四章 7 『光る森の底で』
大型魔物の縄張りを抜けてから、探索隊はさらに下層へ進み続けた。
岩壁に囲まれていた通路は少しずつ幅を広げ、やがて左右の壁が携帯灯の光では届かないほど遠ざかっていく。足元にも細かな土が混じり始め、乾いた岩ばかりだった空気には、湿った草木に似た匂いが加わっていた。
「……風、あるね」
フィナは頬へ流れてきた微かな空気を感じ、前方へ目を細めた。
「右奥から来てる」
先頭近くを歩くミアは、片耳の音響魔導具へ指を添えながら進行方向を確かめる。声は小さいが、後ろの全員へ届く程度にははっきりしていた。
「しかも広い。かなり広いよ、これ」
「どれくらいですか?」
リリカが記録冊子を胸元へ構えると、ミアはすぐには答えず、一度足を止めた。
「——反響探路〈エコル・ヴェイン〉」
微かな音が暗闇へ走る。
返ってきた響きを拾ったミアの黄緑色の目が、ゆっくり上へ向いた。
「……天井まで、遠すぎて一回じゃ取り切れない」
その言葉を聞いた直後、カイルが前方の曲がり角を抜けた。
「見えるぞ」
短い声に導かれ、探索隊も後へ続く。
そしてフィナは、曲がり角を越えたところで足を止めた。
「……わあ」
そこには、森があった。
地下だということを忘れそうなほど巨大な森だった。数十メートルはある樹木が何本も立ち並び、幹の一部や葉脈が淡い青白色に発光している。地面には青や緑に光る菌類が群生し、その間からフィナの背丈ほどもある巨大な花がゆっくり花弁を開いていた。
遥か上の天井は暗闇に溶け、ほとんど見えない。その高さのせいで、地下洞窟というより夜の森へ迷い込んだように感じる。
「すごい……!」
フィナは数歩進み、光る樹木を見上げた。
「木が光ってるよ! あっちのキノコも! あの花、私より大きい!」
「フィナ師匠、待ってください!」
リリカは早くも記録冊子を開き、目に入ったものを追うように筆を走らせる。
「発光樹、発光菌類、巨大花……色も分けた方がいいですよね?」
「私に聞かれても分からないよ!?」
「とりあえず全部書きます!」
「結局そうなるんだ……」
フィナが巨大花へ近づこうとしたところで、前方を確認していたガレスの低い声が飛んできた。
「触るなよ、嬢ちゃん」
伸ばしかけた手が止まる。
「見るだけも駄目ですか?」
「見るだけなら好きにしろ。匂いを嗅ぐのもまだやめとけ」
「まだ?」
「毒か、眠りか、虫を呼ぶか、何も分からん」
ガレスは巨大花そのものより、その周囲の土へ視線を落としていた。
花の根元には細かな骨片が散らばっている。それに気づいたフィナの手が、ゆっくり身体の横へ戻った。
「……見るだけにします」
「それがいい」
少し離れた場所では、レオンも壁際の発光菌類を観察していた。触れずに携帯測定器だけを近づけ、魔力反応を記録板へ書き込んでいる。
「レオン、また資料増えてる」
フィナが横から覗き込むと、レオンは記録板を少し傾けた。
「こういう場所だから増えるんだ。発光の周期、魔力濃度、周辺温度。地上の植物と同じ前提で考えない方がいい」
「昨日、資料減らしたのに」
「持ってきた紙を増やしてるだけだ」
「荷物の重さは?」
「帰りには増える」
フィナは一瞬黙ったあと、少し離れたエルナへ顔を向けた。
「エルナ」
「今回はレオンの味方しないわよ。帰りに重くなって泣いても知らないから」
「泣かない」
「その台詞、覚えとくわ」
エルナはそう返しながらも、すでに視線は森の奥へ向いていた。
少し先ではカイルが樹木の根を軽く蹴り、上へ伸びた太い根の位置を確かめている。
「この先、俺が右見る」
「じゃあ私は左」
エルナは待っていたように一歩前へ出た。
「どっちが先に安全な道見つけるか勝負ね」
「勝負じゃなくて先行確認」
「結果的に早い方が勝ちでしょ」
「その理屈だと、危ない方へ突っ込んだ奴が最速になるぞ」
「そんなことしないわよ!」
カイルは半眼のまま肩をすくめ、右側の樹林へ入っていく。
エルナも左へ向かったが、二人ともガレスが決めた距離より先へは出ない。互いを意識しているのは明らかなのに、勝手に隊列から離れないところだけは妙に息が合っていた。
「似てるね」
フィナが小さく笑うと、ネムは枕型魔導具を抱えたまま二人の背中を見た。
「……競争してるけど、ちゃんと止まる」
「そこ大事だよね」
「……エルナ、前より止まる」
「本人の前で言ったら怒られそう」
ネムは少し考えたあと、わずかに口元を緩めた。
「……あとで言う」
「言うんだ」
探索隊は、そのまま森の中へ入っていった。
戦闘は起きない。代わりに、歩くたびに確認するものが増えていく。
ミアは地図へ樹木の位置と通れる幅を書き込み、途中で何度も足を止めて左右の距離を測る。地面が柔らかい場所では、短剣の鞘を使って土の深さまで確かめていた。
「ここ、足跡ある」
ミアが膝をついた先には、フィナの手より大きな三本指の跡が残っている。
カイルも戻り、しゃがみ込んだまま周囲へ視線を走らせた。
「新しい?」
「半日くらいかな。水気残ってるし、縁も崩れてない」
「一匹?」
「少なくとも三つ。大きさ違う」
そのやり取りを聞きながら、ガレスは足跡の向きと探索隊の進路を見比べた。
「こいつらは北側へ抜けてる。追わない。今日は南東へ寄せる」
「了解、隊長」
カイルはすぐに立ち上がり、先行位置へ戻る。
その一連の判断を見ていたフィナは、戦っていない時間の方が考えることが多いのではないかと思い始めていた。
少し進んだところで、今度はセリアが隊列を止めた。
「この辺、胞子が多い」
淡い金髪を揺らしながら、セリアは巨大な青い菌類の周辺へ視線を向ける。
空気中には、光を反射する細かな粒が漂っていた。
「吸い込みすぎないように、口元覆って。フィナ、風はまだ起こさないでね」
「え?」
今まさに風で吹き飛ばそうとしていたフィナの指が止まる。
「広げたら困るから」
「……はい」
「考えることは合ってるよ。向きが分からない時に広げるのが危ないだけ」
セリアは責める様子もなく、フィナへ布を渡した。
ミアがすぐに周囲の空気の流れを調べる。
「風は右奥から左手前。胞子は南側へ流れてる」
「なら北側を通るぞ」
ガレスの判断で、探索隊は菌類の群生地から距離を取り、風上側を回り込んだ。
フィナは口元の布を直しながら、さっきまで綺麗だと思っていた光の粒を見送る。
「見た目だけじゃ分からないね」
「深層じゃ綺麗なものほど警戒した方がいいかもな」
レオンはそう言いつつ、胞子の流れまで記録板へ書き足していた。
「それ、また増えてない?」
「必要な情報だ」
「もう止めないよ。帰り頑張ってね」
「手伝ってくれ」
「自分で持つって言ったよね?」
「まだ言ってない」
「今から言わせようとしてる!」
フィナの声に、少し前を歩いていたリリカが振り返った。
「では私が記録の一部を――」
「リリカは自分の冊子があるでしょ!」
リリカの鞄も、朝よりわずかに膨らんでいる。
「……ほんとだ」
「気づいてなかったんですか!?」
フィナが驚いている間に、ネムは自分の小さな鞄を一度だけ確認し、満足そうに枕を抱え直した。
「……ネム、増えてない」
「一人だけ勝った顔しないで!」
やがて、森の中央付近で細い水音が聞こえ始めた。
巨大樹の根の間を抜けると、澄んだ地下水が岩の裂け目から流れ出し、小さな池を作っている。
セリアが水質を確認し、ミアは周辺に大型魔物の痕跡がないか探る。
「そのまま飲むのはなし。処理すれば使える」
セリアは水筒へ少量を採りながら、池の周囲を確かめる。
「ここ、少し高いし地面も乾いてる。野営候補にはできそう」
ガレスも巨大樹の位置と退路を確認し、すぐ近くに逃げ道が二方向あることを確かめた。
「地図へ入れとけ。戻りで使う可能性がある」
「了解!」
ミアは嬉しそうに地図へ印を付けた。
フィナは戦闘を一度もしないまま、これだけ多くのものを調べながら進む探索が新鮮だった。強い魔物を倒す時とは違う面白さがある。
水を見つける。安全な場所を探す。足跡から避ける道を決める。風を読み、危険な胞子を回り込む。
知らなかった場所が、少しずつ「進める場所」へ変わっていく。
その感覚が楽しくて、フィナは巨大樹の間を見回した。
「ねえ、次はあっちの光る花も――」
そこで、ミアの表情が変わった。
地図へ向いていた手が止まり、片耳の音響魔導具へ指が触れる。
「静かに」
探索隊全体が声を止めた。
森の奥ではない。
上だった。
遥か高い樹冠のさらに向こうから、細かな振動が幾重にも重なって近づいてくる。
最初は遠い雨音のようだった。それが数秒ごとに大きくなり、やがて巨大地底森林の空気そのものを震わせるほどの羽音へ変わっていく。
フィナが見上げた先で、発光樹の枝葉が一斉に揺れ始める。
天井の見えない暗闇から、数え切れない何かが森の上空へ近づいていた。




