第四章 4 『深層探索隊』
翌朝、フィナたち五人は冒険者ギルド支部の奥にある大部屋へ集められていた。
壁際には深層用の地図や魔物資料が並び、中央には長机が二つ置かれている。すでに室内にいた探索者たちは装備を身につけた状態で、縄や魔石灯、保存食の数を確認しながら静かに準備を進めていた。
「……なんか、空気が違うね」
フィナが声を抑えると、隣のレオンも室内へ視線を巡らせる。
「出発前だからな。潜ってから足りないと分かっても、取りに戻れるとは限らない」
「昨日、机置いてきて正解だったのかな……」
「まだ気にしてたのか」
「小さかったのに」
「深層で最初に後悔するのが机なら大成功よ」
エルナが呆れたように腕を組む。
その隣では、ネムが枕型魔導具を抱えたまま空いている椅子へ腰を下ろし、リリカは周囲の装備を興味深そうに眺めながら記録冊子を開いていた。
やがて、部屋の奥にいた大柄な男がこちらへ向き直った。
身長は百九十センチほど。灰褐色の短い髪と無精髭、右眉から頬へ斜めに走る古い傷跡が目立ち、その背中には人一人分ほどもある巨大な両手剣が収まっている。
厳つい外見とは違い、五人へ向けられた暗い琥珀色の目は落ち着いていた。
「——揃ったな」
低い声が響いただけで、ばらばらだった室内の視線が自然と集まる。
「俺がガレス・ヴァルドだ。今回の深層合同探索隊を預かる」
「ガレスさん……」
フィナが見上げると、ガレスもこちらへ視線を落とした。
「嬢ちゃんがフィナ・アウセリアか」
「はい!」
「話は聞いてる。王都でもアクアレイアでも、随分派手にやったらしいな」
「派手にしたくてしたわけじゃないです!」
「そこは最初に否定するのね」
エルナの一言に、フィナは少しだけ肩を落とした。
ガレスは豪快に笑ったものの、それ以上からかうことはせず、五人を順番に見回した。
「国を救った実績は大したもんだ。だが、それと深層から生きて帰れるかは別の話だ」
笑っていた空気がわずかに引き締まる。
「深層じゃ、魔物を倒せても死ぬ。水場を読み違えても、休む場所を間違えても、疲労を見落としても終わる」
ガレスは机の上に置かれた地図を指先で軽く叩いた。
「俺が見るのは、どれだけ強いかじゃねえ。帰るところまで自分の仕事として考えられるかだ」
「はい」
フィナは迷わず返した。
見下されている感じはしなかった。むしろ、王都で何をしたかとは切り離して、最初から一人の探索者として見られているように感じる。
「よし」
ガレスが短く区切ると、壁際にもたれていた少年が片手を上げた。
「じゃあ次、俺でいい?」
暗い青灰色の髪に、少し眠そうにも見える緑の目。軽装の背中には、二つに分けた長槍が固定されている。
「カイル・フェイン。銀級。先行と前衛寄り」
カイルは五人を一通り見たあと、エルナで視線を止めた。
「黒級主席も来るって聞いてたけど、あんた?」
「ええ。そうだけど?」
エルナは臆するどころか、少し顎を上げて返す。
「何か文句でもあるの?」
「別に。ただ、競技場と深層じゃ勝手が違うから」
「それくらい分かってるわよ」
「ならいい」
「何、その言い方」
エルナの眉がぴくりと動く。
カイルも退く様子はなく、壁から背を離した。
「速いって聞いた」
「誰から?」
「ギルドの記録。雷で加速するんだろ」
「だから?」
「先行で俺より前に出られたら認める」
「望むところよ」
「危険を無視した競争はするなよ」
レオンが二人の間へ冷静な声を差し込む。
「分かってるわよ!」
「分かってる」
二人がほぼ同時に返したため、フィナは交互に顔を見比べた。
「仲良くなれそうだね」
「どこを見てそう思ったのよ!」
「……似てる」
椅子から動かないネムの一言に、エルナが振り返る。
「ネムまで!?」
「……負けず嫌い」
「否定できないな」
「レオンは黙ってなさい!」
そのやり取りを少し離れた場所から見ていた女性が、柔らかく笑いながら近づいてきた。
淡い金髪を肩の辺りで一つにまとめ、白と薄灰色の軽装を身につけている。腰には薬品や包帯、小型魔石が種類ごとに整然と並んでいた。
「私はセリア・ルーヴェン。治療と生存管理を担当するから、怪我だけじゃなくて疲れた時もちゃんと言ってね」
「はい!」
リリカが元気よく返す。
セリアはそのまま五人の顔色や姿勢を順番に確認し、まずレオンの目元で視線を止めた。
「レオン、昨日は何時間寝た?」
「六時間です」
「今日はそれでいいけど、潜ってから記録を理由に削らないこと」
「……分かりました」
レオンが一度で引き下がったため、エルナが横から妙なものを見るような顔をした。
「珍しいわね」
「何がだ」
「素直」
「相手が正しいからだ」
「私が同じこと言った時もそうしなさいよ」
「言い方の問題だ」
「今ここで始める?」
セリアは二人を止めるでもなく微笑み、次にネムの前へしゃがんだ。
「ネム、今は疲れてる?」
「……平気」
「眠い?」
「……いつも」
「まだ魔法は使える?」
「……使える」
ネムは枕を抱え直しながら、少しだけ目を開く。
「……無理なら言う」
「うん。それでいい。大丈夫じゃないなら言ってくれた方が、私は楽だから」
余計に問い詰めないセリアの確認に、ネムも小さく頷く代わりに、そのまま視線を逸らさず返した。
「……分かった」
続いてフィナの手首へ軽く触れ、魔力状態を確かめようとしたセリアの眉が、わずかに寄る。
「……これは、どこまで見れば終わるのかな」
「やっぱり変ですか?」
「多い、で済ませていいのか迷ってる」
「よく迷われます」
フィナが困ったように笑う。
「なら魔力切れより、身体の疲労を見た方がよさそうね。元気でも休む時は休むこと」
「はい!」
「本当に?」
「はい!」
「二回目、声が大きくなっただけじゃない?」
エルナの指摘に、フィナはすっと目を逸らした。
その時、部屋の隅で地図を広げていた赤茶色の短髪の少女が、勢いよく立ち上がった。
「次、私!」
片耳には小型の音響魔導具。腰には双短剣のほか、地図、筆記具、方位魔導具、小型記録石まで隙間なく装着されている。
「ミア・ローディス。索敵と地図担当! 新しい道を見つけたら、たぶん一番先に喜ぶ!」
「先に安全を見ろ」
ガレスの声がすぐ飛んでくる。
「見るよ! 喜びながら!」
「順番が逆だ」
ミアは気にした様子もなく笑い、そのままネムの前へ移動した。
「ネムちゃん、静寂魔法使うんだよね?」
「……使う」
「音、どのくらい消える?」
「……必要なだけ」
「私の索敵音も?」
「……入ってたら」
「私の仕事ごと消えるじゃん!」
ミアが本気で頭を抱える。
「……静かになる」
「それが困る仕事なの!」
「……危なかったら消す」
「それは消して! 命の方が大事!」
言い切ってから、ミアは少し考え直し、ネムの前で指を一本立てた。
「でも余裕がある時は、使う前に言って」
「……分かった」
「よし。これで共存できる」
「……大げさ」
「私には重大!」
フィナが二人のやり取りを見て笑っていると、ガレスが机の上の地図を広げた。
巨大な迷宮の既知区域が、幾重もの線となって下方へ続いている。深くなるほど書き込みは減り、最後には不自然なほど広い空白が残されていた。
「明日は夜明け前にここへ集合。昇降籠で上層を抜け、その後は徒歩だ」
ガレスの太い指が、既知の経路をゆっくり辿る。
「最初は比較的安全な区域だが、安全ってのは何も起きねえって意味じゃない。何が起きるか分かってるって意味だ。そこを勘違いするな」
フィナは空白へ続く線を目で追いながら、昨日見た巨大縦坑の暗闇を思い出していた。
何がいるのか。どんな場所なのか。
考えるほど、不安より先に知りたい気持ちが湧いてくる。
「それと、今日のうちに荷物をもう一度見直せ。重い奴は置いていけ」
ガレスの言葉が終わった瞬間、レオンとエルナの視線が同時にフィナへ向いた。
「なんで私を見るの!?」
「実績」
「昨日の」
「机は置いてきたよ!」
カイルの半眼がわずかに開く。
「机?」
「小さいやつ!」
「大きさの問題じゃないわよ!」
ミアまで面白そうに身を乗り出し、セリアは口元を押さえて笑いを堪えている。ガレスだけは何も聞かなかったことにするように地図を畳み、大きく息を吐いた。
顔合わせと最終確認を終え、翌朝の出発時刻が正式に決まる。
学院の生徒も、長く迷宮へ潜ってきた冒険者も、明日からは同じ隊の一員として暗闇へ降りていく。その事実を胸に置きながら、フィナは畳まれた地図の先にある、まだ誰も線を引いていない深層へ思いを向けていた。




