第三章 36 『同じじゃない』
王都全域を覆っていた反魔法領域が崩れた直後、中央競技場付近では消えていた照明が次々と灯り始めた。
遠くの通りからは給水設備の再起動音も聞こえ、街へ初級魔法が戻っていく一方で、展示広場に残るガルドの周囲だけは依然として濃い反魔法反応に包まれていた。
「広域干渉は消えた。でも、本人の周りは残ってる」
レオンは測定器を確認しながら、広場へ戻ってきた四人へ位置を指示する。
「正面はフィナ。エルナは左、俺は右側から反応を見る。ネムは無理に止めるな。リリカは後方から狙える場所を探せ」
「はい!」
自分用に組み直した初級火魔法《心火一灯〈カンデリア〉》を手に入れても、リリカは勢いだけで前へ出なかった。
ガルドの局所反魔法が中級や上級を含む現代魔法まで否定することは、先ほどの攻防で分かっている。
広場中央に立つガルドは、戻ってきた五人を見渡して豪快に笑った。
「固定点、全部潰したか」
「おかげさまでね!」
エルナが杖を構え、左側へ回り込む。
「王都中を巻き込んだんだから、最後まで付き合ってもらうわよ!」
「いいぜ。こっちも見たいものはまだある」
ガルドの周囲で反魔法が膨れた。
エルナが牽制として細い雷撃を放つが、数メートル手前で術式が崩れる。
そこへレオンが構築陣を地面へ走らせ、崩壊位置を測りながらガルドの右側へ退路を限定するよう、壊れた展示台を防壁として組み直した。
「右へは抜けにくくした! ネム!」
「少しだけ」
疲労の残るネムは無理に《万象静止〈サイレント・レスト〉》を広げず、ガルドの足元だけへ静寂を重ねた。
反魔法そのものは止まらないが、一瞬だけ脈動が鈍り、その間にエルナがさらに距離を詰める。
「今度は消す場所まで選ばせる!」
左右から術式反応が重なり、ガルドの視線がエルナとレオンへ分かれた。
どちらも、そのままでは通らない。
それでも二人は攻撃そのものを当てるためではなく、反魔法をどこへ向けさせるかを調整していた。
「面白え!」
ガルドが拳を振り上げたところで、後方のリリカが杖を向ける。
「私もいます!」
杖先に灯ったのは、指先ほどの《心火一灯〈カンデリア〉》の小さな炎だった。
ガルドの視線が一瞬だけそちらへ動く。
「初級火魔法?」
反魔法が即座にリリカの術式へ向かった。
だが、炎は消えない。
「なに?」
ガルドの表情が初めて崩れた。
フィナの魔法とは違う。
リリカには明確な術式があり、現代魔法として火を成立させている。
ただし、その構造は王都中の初級魔法が使っていた共通基底を通らない。
さらに生まれたばかりのリリカ専用術式は、ガルドにとってまだ一度も否定したことのない形だった。
「レオン!」
「今だ!」
ガルドが未知の術式構造を捉え直そうとした、その一瞬だけ反魔法の集中が乱れた。
フィナは既に動いていた。
「強い風!」
「待て、強さを――!」
レオンが止めきる前に風が生まれたが、狙われたのはガルド本人だけだった。
展示台も石畳も動かず、周囲の設備にも触れない。
ガルドの巨体だけを正面から押し込み、反魔法で消せる術式そのものを持たない風が、その身体を広場の端まで一気に運んでいく。
「おおっ!?」
ガルドは両脚を石畳へ食い込ませ、数十メートル先でようやく踏み止まった。
「今のは上手だったでしょ!」
フィナが胸を張る。
「そこは認める!」
エルナが即答した横で、レオンは崩れた石畳を確認してから僅かに眉を寄せる。
「ガルドの足元は割れた」
「それは私じゃないよ!」
「今回はガルド」
ネムの判定に、フィナが嬉しそうに振り返る。
「ほら!」
「敵の破壊を自分の無罪証明に使うな!」
その声を聞きながら、ガルドは割れた地面から脚を抜いた。
まだ戦える。
しかし、王都全域へ張っていた反魔法は失われ、フィナの術式なき魔法に加えて、リリカまで未知の術式構造を作り上げた。
ガルドは五人を順番に見たあと、楽しげに息を吐いた。
「十分だな」
「逃げる気?」
エルナが杖を向ける。
「目的は戦争じゃねえ。フィナ・アウセリアが何を使ってるのか、その確認だ」
ガルドはフィナへ視線を固定した。
「お前が初級魔法だと思ってるものと、お前自身が使ってるものは違う。そこまでは分かった」
フィナは何も言い返さず、自分の右手を見た。
「結果は持ち帰る。次に会う時まで、せいぜい自分の力が何なのか考えとけ」
ガルドの周囲へ撤退用の魔力反応が生まれる。
レオンが構造を追おうとした時には、ガルドの巨体は反魔法の残滓とともに広場から消えていた。
***************
数日後。
安全確認を終えた王都魔法祭は、日程と規模を縮小した上で再開された。
完全復旧していない設備も多かったが、人々の手で屋台が開き直され、止まっていた照明にも再び初級光魔法が灯っている。
中止されていた学院競技も、参加者の意思を確認した上で一部だけ再実施された。
その中には、初級火魔法競技の決勝もあった。
競技台へ立ったリリカは、観客席にいるフィナを一度だけ見た。
「リリカー! 頑張ってー!」
「フィナ、声が大きい!」
「応援だからいいでしょ!」
「隣、耳痛い」
ネムが両耳を押さえ、エルナまでフィナの肩を掴んで座らせる。
「本人よりあんたが目立ってどうするのよ!」
以前のリリカなら、その騒ぎを見たあとフィナの立ち方や手の動きを確かめていただろう。
けれど今は、正面の標的だけを見る。
距離を測り、自分の魔力を自分の経路へ流し、必要な大きさの火を作る。
炎は派手ではなかった。
それでも標的の中心へ届き、次の標的では温度を変え、最後まで一度もフィナの動きを探すことなく競技を終えた。
順位が表示されるより早く、観客席から誰より大きな拍手が聞こえた。
「リリカ、すごい!」
競技後、戻ってきたリリカをフィナが両手で迎える。
「全部リリカの火だった!」
「はい!」
リリカは嬉しそうに笑ってから、少しだけ姿勢を正した。
「フィナ師匠。私、師匠みたいな魔法使いになるの、やめます」
「えっ」
フィナの笑顔が止まった。
「……弟子、やめるの?」
「違います!」
リリカが慌てて首を振る。
「師匠の弟子として、私なりの魔法使いになります。師匠と同じになるんじゃなくて、私の初級魔法をもっと上手にします!」
「……そっちかあ」
胸を押さえて息を吐いたフィナは、次の瞬間には嬉しそうにリリカの両手を握った。
「うん。それ、すごくいいと思う!」
エルナは安心したように笑い、レオンも小さく息を吐く。
ネムだけはフィナを見上げたまま、弟子を失うと勘違いしていたことを忘れないような顔をしていた。
その後、学院と魔導協会の共同記録には今回の事件について慎重な文言が残された。
ガルドの反魔法領域内で、フィナだけが初級魔法と呼んでいた現象を問題なく使用したこと。
術式反応が一切検出されず、術式そのものを対象とする否定も成立しなかったこと。
敵から《原初魔法》という名称は提示されているものの、正式資料による裏付けがないため、その名称を確定事項として記録することは見送られた。
ただ一つ。
フィナ・アウセリアが使用している力は、現代魔法ではない可能性が極めて高い。
その疑惑だけが、正式な観測結果として残された。
***************
祭典最終日の夜。
人目のない建物の屋上で、ティアは遠くに戻った王都の灯りを見つめていた。
白く見えるほど淡い白桃色の髪を夜風に揺らしながら、右手を胸元まで持ち上げる。
数日前に残った違和感はまだ指先にあり、それでもティアは小さな光だけを作ろうと意識を集中させた。
指先に、ほんの一瞬だけ光が生まれる。
直後、手首から腕へ亀裂状の白い光が走った。
「っ……!」
痛みに指が震え、せっかく生まれた光は形を保てず崩れていく。
ティアは右腕を左手で抱えながら、再び祭典の灯りへ目を向けた。
フィナは何度力を使っても笑っていた。
仲間の名前を呼び、触れられ、何も失わないまま同じ場所へ戻っていった。
自分は、小さな現象を一つ作るだけでも壊れていく。
「……どうして、あの子は平気なの?」
その問いに答える者はいなかった。
それでも、遠くで輝く王都魔法祭の光を見つめるティアの中では、フィナという少女への羨望と疑問が、以前よりもはっきりと消えずに残っていた。




